職人さんの写真を撮らせていただくときにその仕事の内容に関心をもったり、動きに魅力を感じたり、あるいは動作の美しさに見入ったりと様々な感興が起こるわけですが・・・・・。

大方の方が私と同世代か先輩になるわけで・・・・。
その方の人生的な来し方にも興味を持つわけです。
つまり同じような時代を同じくらい生きてこられて、そして今ここにこれまでの実績を積んで腕を磨いてここにおられて、たまたま私に会っているという事の妙な不思議さを感じるのです。
と同時に、やはり何より同じくらいの時間を費消して方や人々から注目されるだけの腕を持つようになり、また作品を世に提供してきているのに、私の方はと言えば・・・・・・。

別に大きな悔恨の気持ちを抱いているのではないし、自分や手仕事に誇りがないのでもないけれど、その実績の水準というか達成の質というか、そういうものにおいて幾分嫉妬も感じるわけです。

絵画展などにおいてもそういうことをしみじみ思うことがあります。
先日、奈良で見た中国の「リアリズム」絵画の作品を見て、同じ時を異なった地で生きてきた作家、その見も知らぬ作家に対して尊敬と羨ましさを感じるのでした。
かくも印象的な作品を地上に生み出したその人を思ってみるのです。

モノ作りも自身を対象化・物化して現前に見え、触れるものとして作り出しますから、その人の評価は「これを見よ」と言えるわけです。
私にはそういうものがありませんから、なおのこと羨ましさが募るのでしょう。
リタイア後に写真を選んだのもそういう心理が背景があったのだと思います。

私が職人さんたちに対してカメラを向けるのはそういう羨望の心理が働いているのかも知れません。
私が及ばない境地への憧憬でしょうか。
- 2015/09/27(日) 00:00:55|
- 伝統工芸
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