先日のグループ展では働く男性の姿を映した写真を展示させてもらいました。
なにをしているかという説明より、その人自身に焦点を当てるためにあえて手元が分かりにくい、何をしているのかは判然としないものを選びもしました。
その人の人となりにとって職人仕事が不可欠の要素ですから、そこをどう考えるかは大きな宿題です。

『職人歌合せ』のような作品にするつもりならば仕事の内容そのものが、一目でわからなくてはなりませんが・・・・。

写真をご覧になる方々は、普通の流れとして、やはりどんな仕事なのか、何を作っているのかに関心が向くようです。
そこを説明的にではなくて『絵』的にこなして写真を撮れないか…、悩むところです。

先日、奈良県立美術館に「百花繚乱 中国リアリズムの煌めき」という絵画展にいってきました。
素晴らしい、エネルギーのこもった力作ぞろいでした。
絵の力はすごいですね。 中国の作家のヒューマニズムの濃密さ、強さも印象的でした。
人物を描いたものにも幾点もの素晴らしいものがあり、人物を捉えるこのような強靭な精神性を学びたいなあと思いました。
幸か不幸か写真作家でない私にはいくらでもエクスキューズができますが、作家を名乗る画家や写真家は相当揺さぶられるのじゃないかと思いました。

こうして撮らせていただいた職人さんの中にも「私も人の作品を見るのが好きで・・・・。」とおっしゃって、わざわざ私たちのグループ展に足を運んでくださった方がいました。
「注文を受けて作るのが私らの仕事だけれど、やっぱり人様のいい作品をたくさん見ないとね。それに何より楽しいから。」と。

職人さんたちも「十年一日」の仕事を単純に繰り返しているわけではないので、常に革新しているわけです。
「この線の太さをどうするか、もう少し丸くカーブさせようとか」わずかの違いでも、生きている現在とのやり取りをする中で、変えていくわけです。

フォトグラフを「光画」と訳すという事について、つい先日も話題にしたことがあります。が、直訳としてそれは正しいでしょうし、カメラという物理的な道具を使って単純に「写す」のではなくて、意識的に『絵』にするのだという意識がそこにはあるのです。それはそれで傾聴に値する考えだと思うのですが、そうした議論を土台にして、さらに「写真」と訳した意味をつかみなおしてもいいのじゃないかと思うのですね。

- 2015/09/26(土) 00:00:02|
- 伝統工芸
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こんばんは
最後の1枚最高の笑顔ですね。それまでの表情とまったく違う。素晴らしいです。
- 2015/09/26(土) 22:55:42 |
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- だちょう #-
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今晩は
コメントありがとうございます。
仕事に集中しているときと、ホッと集中から解放されて談笑するときの落差は意外な表情を見せてくれます。
その方の人となりにまた近づいたような気がしますね。
- 2015/09/27(日) 13:04:15 |
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- soujyu2 #-
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