既に帰国しているのだろうと思いますが、この人がこれから何をどう学び、どう成長していくのかという事に私はとても関心があります。
むろん誰についてもですが、・・・・だから私自身についても勿論なのですが・・・・・人は歴史の中で生きます。そしてそれしかできません。
ただ、それを受動的に生きるか能動的に生きるかの違いがありますし、そのことに無自覚なのか自覚してなのかの違いもあります。

学生の頃「歴史の成長点」「歴史の形成層」という事を考え議論しました。
この人など、まさに歴史の形成層を構成している人の一人だろうと私は考えています。
話が飛ぶようですが、高瀬川「ききみるガーデン」という企画も又、そういうモノだろうと思うので、私も加えてもらって、そのごくごく端っこの方でもぞもぞ動いているわけなのです。

そうすると何か鼓動を感じる時があるのですね。脈と言ってもいいのかもしれません。手ごたえと言い換えてもいのかもしれません。
いえ、何か神秘的なことを話そうというわけではないのです。

この人も写真が好きなのです。
京都の学生たちの写真展で言いました。「君たち学生が何を見て、何に、どう心を動かしているか、それを見に来たんだよ。」と。
この人がこれから何を見て、何に心を、どう動かしていくのか。この人の見たものが写真に定着させられて、人との共感を醸成していくことでしょう。
いつかこの人の写真展を見てみたいものです。

言葉はブーメランだとよく言われます。
そう思うと、このブログにもいろいろ書くのが億劫になってしまいますが、老いたるモグラの穴掘りのための鞭にしようと思うのです。
撮るとはどういうことか、この姿から考えさせられます。

私は徳学者でも倫理家でもありませんから、剣ヶ峰のような人生を行こうとは思いません。
何しろ「やくざに生きること」を目指していたこともある(ここは現在完了の進行形ですね)世代の一人なんですから。

人に出会って、いろいろ気づかされる楽しさです。
今度グループ展をする「ファインダー倶楽部」に混ぜてもらったのも、つまるところそういう事なのです。
- 2015/08/28(金) 00:01:09|
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