若者を見て「まぶしさ」を感じる時があります。
それは、、無論、私がすでに人生の残りを数えなくてはならない老頭児だからなのですが・・・・・・。

自由と民主主義のための学生緊急行動(Students Emergency Action for Liberal Democracys、略称:SEALDs(シールズ))の動きに注目している。
私たちの世代の学生運動とはいろいろな面でかなり趣を異にしているが、今の時代を生きる青年には、彼らにふさわしいムーブメントがあるだろうと思っている。
彼らは私たちを乗り越えるべき・・・・私たちには私たちの課題が山積みですが・・・・世代なのだから、期待を持ってみて行こうと思う。

若い保育士さんたちと時折、勉強会をしていますが、情報が豊かだと言われている現代に、ある種の情報はそれほど潤沢ではないと感じることがあります。
そういうところで私たち世代がともに歩く課題もあるような気がして・・・・。
とにかく青年との相互通行的なチャンネルを持つようにすることは私たちの課題でもあります。
アンテナを磨いておかないとね。
青年は目の前にいるのですから。

この人のように「大人の言葉に耳を傾ける」気持ちを持つ青年は、少なくないのですが、彼らのほうからのチャンネルも作りかねている面があるのです。
トンネルじゃないですが、両方から掘っていかないといけませんね。 問題は掘っていった先できちんと方位や高さがあっているかということですが・・・・。
お互いに、「そっちからうまく掘ってこい。」じゃ、つながるはずのトンネルも行き違います。
いま日本に生じている不穏な情勢が、今を真剣に生きようとする人々を世代を超えて「同時代人」として共感する契機になっています。
自由を求め民主主義を実現する市民としての共感が、新たに又、憲法を担う国民の形成をしているように思います。
大事な局面です。
そのことは、東アジアの広がりの中でもジワリと進んでいるようにも感じられます。
またそれを視野に入れた成長の仕方をしていかねばならない時代だとも思います。

そういう意味で、私がこの人に出会ったのは必然的な偶然だったと深く感じます。
私にとって幸運な出会いでした。
また別の面で、人が美しいという事について、改めて考える機会ともなりました。
- 2015/08/27(木) 00:00:49|
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