旧職に就いていた時にはあまり『遊び』に行かなかったものですから、これといったお店も、よいロケーションも知らないのが仇となっています。
その中で、数少ない記憶の場所です。

今考えてみれば、なぜあんなに内へ内へと意識を仕事に集中させていたのかと反省されます。
その反動が今になって噴出しているのかもしれません。
口では「遊びをせんとや生まれけん」などと言っていても、結局飲みにも食べにも行かなければ旅行にもいっていないというわけです。

まあ、そうはいってもその旧職の経験が生かされてこういう活動ができているという面も大いにあって、また、仕事自体を後悔しているのでは全くないのですが。
21世紀第一四半期の日本の高齢者問題には社会史的になかなか大きな肯定的な意義が含まれているというのが私の持論なのですが・・・・中身無く言っているのでお分かりにならないと思いますが・・・・、この夏私が案外忙しいという事も、そうした流れにあるのだと見ています。
そいう事の証明に、この人に力を貸してもらっている・・・といったらおかしいかもしれませんが、たぶんこの人に説明をするとちゃんと理解してくれるだろう聡明さがこの人にはあります。

夏真っ盛りで撮ろう!!という意気込みで計画したのですが、曇りがちなばかりか、「おや?! 降ってきた?!」という雲行きです。


毎日忙しくしている人ですから「たまには息抜きで、いいです。」と言ってくれますが。


安倍首相の脳裏には「歴史に名を残した首相像」があるようだ。
首相談話を発することに相当入れ込んでいる。
有識者の助言によって歴代内閣の談話の趣旨を「全体として」受け継ぐと表明しているようだ。だが、これはまったく安心のできることではない。彼は戦争法案のごり押しによって国民の支持を失いつつあり、国民の平和志向と憲法九条擁護の意思は相当強いことをかみしめざるを得ない状況になってきている。
そこで1931年の満州事変以降の日本のアジア侵略と植民地政策について旧来の認識を再確認するという、彼にしたら「臥薪嘗胆」の思いを我慢しながら、国民と世界に対して面従腹背の作戦に出た。
広島の慰霊祭で「非核三原則を堅持」するという文言をうまく落としたつもりか、無意識に避けてしまったのか、それも国会で「長崎では入れるつもりだ」と言わされた。しかし彼の信念はそんなことでは変わらない。副首相の麻生が言うように「ナチスのようにうまくやる」のが信念だからだ。
新国立競技場の建設計画を「白紙に戻す」パフォーマンスもするし、広島の慰霊祭での「新たな核兵器禁止」の提案をするなどと言うパフォーマンスをしても見せる。 しかし新たな戦争法案で「文法的には核兵器の運搬もできる」ような法律を制定しようという人物が本気で非核三原則を順守しようとも核兵器廃絶をしようとも思っていないことは確かだ。アメリカにモノが言えなないのだから、どうにもならない。 彼自身いくら、「法律の文言上は核兵器の運搬ができるとしても現政権は決してやらない」なと力んでも、次の政権ではできるという事を意味するのだから、なんの保障にもならない。法律というのはどういう政権でもきちんと縛るというところに要があるのだ。
今度の首相の「談話」の問題は、戦前日本の反省があるとかないとかという事よりも、戦後の憲法に基づいて平和の実現に努力してきた経緯のその純正な流れの中に「積極的平和主義」を組み込んでしまおうという魂胆だ。
積極的平和主義は「武力の威嚇又は行使」によって軍事的抑止力で「平和」を実現しようという、憲法とは180度違う立場だ。文字通り「木に竹を接ぐ」ものだ。
戦前の評価で妥協を見せておいて、実をとろうというマヌーバーそのものだ。
積極的平和主義は軍事的脅迫主義だ。これは平和とも友好とも何のつながりもない、真逆の立場だ。
こういうものを紛れ込ませるためには戦争や植民地主義を反省して見せるなどはお安い御用だというわけだ。
国民も甘く見られたものだ。
こういう詐術が安倍政治の処方だという事に気付かねばならない。
- 2015/08/11(火) 00:00:44|
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