以前イタリアに行ったときに、街の市場で日本人の若者が店で働いていて、奇妙な感覚にとらわれたことがありました。
海外で母国語を聞き、同じ日本人に商品の説明を聞く。
そして、なにより、若者が海外に出て自分の思うところを求めて頑張っている姿はとてもいものでした。

途上国の道を懸命に駆け上っている中国は、様々な歪みや行き過ぎを見せながらもそこにいやおうなしに肯定的なものも実現していきます。それは日本などの少しばかり先輩にあたら国々の国民が同じように経験してきた道です。
その大きな波の中で・・・中国は規模が大きいですから、怒涛のようなという感じですが・・・・中国国民の一人一人の人生が織り込まれています。

若者の海外への留学が特異なモノでなくなってきている中国。
大量の人が海外旅行を経験して、おそらく「井戸端会議」で海外での見聞が交換される日常を持つようになりつつある中国。
彼らが親族知人への大量のお土産を買いあさる姿が揶揄されますが、それを届けた時に咲かせる日本で見聞きした経験が・・・それもまた桁違いに大量の情報として・・・どういう内容のものとなるだろうか、それがまたどのような中国の変化に肯定的・否定的に働くことになるのかを想像する能力を持たないといけないと思います。
数十年の歴史的スパンの中で、こうしたことは結局東アジアの平和のために貢献すると私は思っています。ただ、そのことを日本人が自覚的に意識し、よりよい「思てなし」を志せるかどうかによっても違ってきますが。

中国東北部からの留学生は相当な数に上るのじゃないかという印象です。
この愛らしい女性も大連からですし、その先輩・・・奥に行ってしまいましたが、・・・吉林省の出身だと言っていました。
観光バスで乗り付ける多くの中国人観光客たちに「緑茶はいかがですか?」と・・・もちろん「绿茶怎样?」でしょうが。・・・試飲を進めています。
中国語で呼び止められた人たちは足を止め冷たい緑茶を口に含んでは、「じゃあ、それもらうわ。」といっているのかどうかわかりませんが、買い求めていきます。
そして話は商品のことからいろいろな分野に広がっているようです。

留学生たちはいろいろな店でアルバイトをしていますが、多くの人が「2年くらいです。」「半年です。」・・・と、日本に来てから何年?の質問に答えます。
そしてその日本語の巧みなこと。
こうして培われたものが日中の相互理解に役立つ日があることは確実です。 もし政治家や相互の国民が賢明であれば、一層よい形で。
- 2015/07/29(水) 00:02:44|
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