最初にお目にかかった時に、この方が窓の外を背にして腰かけ、私が室内から外を見る形で対座した。
明るい外の光と逆光に包まれて陰に沈んだこの方の相貌を撮りたいと思った。
それがこの方の作品にふさわしいと思ったから・・・。

でも、その時に「撮影を・・・・。」とお願いすることはしなかった。

なにかわからない心理的な抑制が働いた。
それにふと思い出した用事の時刻も迫っていた。
残念だった。

それで改めてギャラリーに伺い、そこにおられたお客さんたちもまじえてお話をすることができた。
良い仕事をしている方の周辺にはやはり良い人が集まるようで・・・・。(私まで入れちゃいけませんが。)

「撮れた写真のなかから引き伸ばして使うようなことがあっていいか?」と訊かれて・・・・一瞬戸惑った。むろんOk以外に返答はないわけだが、肝心なことは使えるかどうかだ。
使えないような写真を撮るようなことで「写真を撮らせてほしい」などと言えるはずもないでしょ?という事かも知れない。
そう思ってたじろいだ。

私など、まだまだ写っていたら嬉しなあというところが多分にある。
私のカードを見て随分評価してくれて気恥ずかしかったがうれしかった。
「以前来られたプロの写真家の方も写真家として活動したらいいのにと言っていたのですよ。」とギャラリーの若いオーナーが付け加えてくれて、うれしいには違いないが、それはどうも困ったなあというのが正直な気持ち。
その覚悟のないものが写真家などには決してなれない。 一番肝心なものは才能でも熟練でもなく「覚悟」だからだ。

そういう点で、この方には現代芸術家としての「覚悟」をひしひしと感じさせられた。
- 2015/07/27(月) 00:00:15|
- 絵画
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