「専属写真家になって!」
こういわれた時には驚きました。 まあ楽しい会話の中での座興のような言葉だったと言ったら、おそらくそれを口にした氏は怒るかもしれません。案外真面目におっしゃっていたようにも思います。
「出会いだよねぇ。いいよ好きに撮って。どう言う風に撮ってもいいよ。とにかく任せるし。こういうことってあるんだね。」と氏。

「多孔層・・物皆一点ニ集マル」 という作品展にお邪魔した時の話です。
会場に入るや否や作者が近づいてきて、作品について丁寧なお話をしてくれたのです。
たまたま観覧者が途切れた時だとはいえ、なんて懇切な方だろうと思ったのですが。
それが、まあ腰を掛けろと椅子をすすめてくれて・・・。

「ところでお前は何をしているのだ? 絵を描くのか?」と尋ねられるので、「楽しみで写真を、それも人の写真を撮っている。」と答えました。
会場には縦横1.2m×2.0mくらいの紙が敷かれて制作途中でした。
個展をしながら制作そのものも見せようというのです。
しかも会場に机を持ち込んで画材やらワインやら過去の作品が置かれて「まるでアトリエが引っ越してきた」ような空間です。

「作家さんが制作するときなどぜひ撮りたくて・・・。」と漏らすと「じゃあぜひ撮ればいい。撮ってくれ。」と言われるのです。
「こういう気分になるもんんだねぇ。出会いだねぇ。」とおしゃるのです。
ここは照明も暗いし、第一誰かの専属で撮れるほどの腕も気概もないのですから当然尻込みの気持ちがわくのです。が、「ここで引いたらこういうチャンスはないぞ!!」と頭の中で声がして、とにかく撮り始めました。
自由に撮っていいといわれてとるのです。食べていようと欠伸をしていようと、この人の人となりというか作家としての魅力を気兼ねなく探せるのですからこんな愉快なことはありません。

今はお互いに話しながら撮っているのです。
あの作品はなぜあんなに穴をあけたのだとか、以前、京都のどこかで外書のページに高瀬川近辺のスケッチをした作品を出したことがあるでしょとか・・・。
そうそう半年くらい前にやったことがある、あれを見たのか。
葉脈とグランドキャニオンのような地形とは共通性があるだろ? と地図に蓮の葉のようなものを広げれ重ねている作品を見せる。ところで、あれは俺が頭の手術をした時に医師から譲り受けた俺の頭の血管の映像だ。やはり共通性があるだろ。そういう共通性に関心があるんだ。

「香」の老舗に行って「香を練ったもので作品を作りたいと言ったら、重役たちに大反対を食らった。けれど社長さんが、いいじゃないかやってみたら面白そうだと了承してくれて、これがそうだ。」
触ってみるとよい香りが立ち上る。
「香の店の社長さんでも医者でも面白い人がいて、それを素材に作品にしてみたいというと共感するような人がいるものだ。」と、この人自身の想像力が枠を外れている。 面白い。

およそ芸術作品の素材となったことがないようなものを「これで作ったら・・・」と発想が止まらないらしい。そうなると直にそれを持っている人、それを作っている人にあたる。上の写真で見せてくれている作品も「考えてみたらとんでもなく高価なモノになってしまう」ような素材で作られている。 「考え」直してみるまではそれに気づかぬほど集中していくタイプらしい。そこに面白みが横溢する。
酒はまずいんじゃないの?
うん、飲み過ぎないようにしてる。 過ぎるかすぎないかの問題じゃないような気も・・・・。

撮った写真が欲しいというので翌日と届けると、思いのほか喜んでくれて、これはいいと繰り返す。
私は写真の世界の人に褒められるのもうれしいが、敢えて言えば別のジャンルの作家さんたちが評価してくれることの方がうれしい。
今から描くから撮れ、それが翌日の課題だった。
- 2015/07/22(水) 00:00:17|
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