「(写真を撮らせてと)どんどん声をかけられるんですね。」と言われることがたまにあります。
実は、そう気楽ではないんです。こうして路上でパフォーマンスをしている人たちは「注目してほしい」という思いを持たれているわけですし、写真撮影を歓迎される方も少なくないのです、・・・・が。
私自身についていえば、声をかける前にはずいぶん逡巡し、しり込みし、「まあ、次にしよう。」という自分の声と戦うことになるわけです。

初対面の方にこういうお願いをするということもさることながら、いい年をしたおじさんがこういう人の周囲を回って、立ったり座ったり、遠ざかったり近づいたりして写真を撮っているという姿を想像するだけでも、相当猛烈気後れします。
「私は有名な写真家です。ですから作品づくりのためにこういう写真を撮るのは特別なことではないんです。」なんて道行く人を納得させる理由を示す看板を首から下げているわけではないですし、そういう事実もありませんから。

そういう時に自分の背中を押すのは「もうお前には時間がない。何事かをなそうという気があるのなら躊躇している暇はないんだ。お前には明日はない。」という言葉です。これは少々以上に大げさな言葉なんですが、こういうことでも言わなければ一歩前に出られないんですね。
しかも実際、あまり時間はないのですから。

ネットに飛び交ている実に気持ちの悪い言葉。人を悪しざまにののしり、傷付けることだけを意図したような言葉。
そういう人間観の横行。
そういう状況へのアンチのつもりなんですから頑張らなくちゃいけません。 これも自己流の念仏です。

人が人に対して抱く信頼のかけらをかき集めるのがこのブログの出発点をなしている趣旨ですから。

その「かけら」の素晴らしさを伝えるために良い写真にしなければならないと・・・・・。
そこがさらにまた難しい。

時々こういうことを書いてみないと自分の方向性が曖昧になってしまうので「備忘録」のようなものです。
公言して自分を縛ろうということですね。
それにしても相当なテクニックの持ち主のようです。
楽曲としても大いに魅力的ですが、演奏のパフォーマンスも人を惹きつける力十二分です。


台風が接近していますね。
きょうにも近畿地方は台風圏内に入りそうです。
前祭りの一番のハイライトの時に台風上陸になりそうです。山や鉾が倒れるなんてことにならねば良いのですが。
17日は当該小学校はお休みです。 だってお祭りですもんね。

私が高校生の時に、郷里の奇祭『はだか祭』に高校生は参加禁止でした。
それで私などは中学生の時に鈴をもって練に参加して以来、一度も参加していません。
酒を飲む、タバコを吸う、けんかをする・・・そういうことを「学校」は心配し禁止するんですね。
地元の文化の中にいない学校って何なんでしょうと当時も今も思います。

先生方が祭の人混みの中を巡視して歩き、・・・・先生も地元の行事に参加できない・・・・写真をランダムに撮って後から練に参加していた生徒を見つけ出して「指導」という名の処分をしていました。

関東などの遠方の街の大学にはいって若者はますます祭りとは縁がなくなる。
そうして参加するものが高齢化しただの、みこしを担ぐものがないなどという。

地域が若者を育てる気概と力を持つかどうかが問われているように思います。
そういいながらあまりに心配なことが年々噴出しますから、こういうことは容易に多数の同意を得られないのでしょうね。


参加する若者が自らの見の処し方に自尊心を持てない祭りへ参加の仕方になってしまっているのはなぜなんでしょうか?

地域に根が下りていない若者の育て方でいいのかなあと考え込んでしまいます。
汗を流して鉾立をしているこの若者たちの姿を見ていて考えなくちゃいけないことがたくさんあるなあと、教えられる気がします。
そして「いいな、いいなあ」と独り言ちしながら歩きました。

「学校を自由に選べる」なんて美辞麗句で掘り崩してしまったのも・・・それは失うにはあまりに大きなものだったと私には思えます。
- 2015/07/16(木) 00:00:55|
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