美作市地域は「地域おこし」の成功例の一つだそうです。
私にはこうしたことを評価する準備がありませんが、しかし、農村生活を始めた青年自身がとても楽しむことを大切にしているようです。

それは彼の笑顔からも感じられます。
課題意識や問題意識はあります。ですが義務や任務として「滅私農村再生」意識を持っているわけではないようです。
それはいいことだともいます。
農村生活に懐古的なロマンを求めるだけで新時代の農村ができるわけではないと思います。
また企業的ノウハウや効率性を持ち込んで再生できるものだとも思えません。
これまで培われた農山漁村の知恵を技術的な側面やコミュニティーづくりをヒントにすることは大切だと想像します。
なぜならそうした地域を支えている農林漁業が求める生活の仕様が必然的にあるだろうと思うからです。それをいかに墨守的にでなく意識化するかということもまた大切な要素かなと。

そんなへ理屈より「こういう発想を『人に欲しいと思ってもらえる制作物』にすることのできる人たちと結びつくことが大切じゃないかな」と感じました。
こういう手作り市に出てくればそういうコラボもまた生まれることでしょう。
青年は、柔軟な交際力を持っていますからきっと力を合わせることでしょう。

時代は独り勝ちを目指す価値観を次第に後景にすると思います。
若者はすでにそういうことを直感していると思います。
新自由主義をいくら鼓吹しても、そういうことで「勝ち組になる」ことの非現実性と虚しさを見透かしているのが現代の青年ではないかと私は感じ始めています。
それは競争の前に諦めている・・というのとは違うようだと私には見えます。
私たちロートル(老頭児)が何かしら存在意義を持ち続けるためには、何をすべきでしょうか。
’60年代、’70年代に若者であった新しい時代の老人たちはこうした青年と結ぶ力を持つべきだと私は思います。

そうでなくて「老後の楽しみ」に年金を細々と使っているのでは、何のための60年安保闘争であり、70年安保の戦いであったのかと思うこのごろです。
- 2015/06/12(金) 00:01:52|
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