カテゴリーをどうしようかと考えました。
工芸?! うん、違うなあ。
彼は「美作市地域おこし協力隊」のメンバーで東粟倉地域の担当者です。

ここは北山のクラフトガーデン会場です。
ご覧のようにシカの頭骨と角がオブジェとして販売されています。そのほかには鹿の角を素材としてアクセサリーなども展示販売されています。
都会に住むものはディズニーの「バンビ」のようなイメージでシカをかわいい動物と言うイメージを持つことが少なくないのではないかと思います。 まあ、私もそういう程度です。朽木などに行って林の陰にシカを認めても「また何か悪さをするな。」とは思いません。生活が重なっていませんから。
怖いとか排除したいとか憎いとか否定的なイメージはほとんどないのではと思います。
(奈良公園でシカに追いかけられて怖かったという人は知るかもしれませんね。)

しかし、シカもまた一面では「害獣」です。
山里で農家を営む人々にとってシカは農産物や樹木の新芽などを食べあらし畑を踏み荒す害獣でもあります。
その被害は小規模農家にとっては時に致命的でさえあります。

高度経済成長期よりも以前は山村でも集落に住む人間とその活動領域、それと山に住むシカやサルやイノシシなどとは棲み分けがある程度できていて、そうそう里に下りてきて悪さをすることはなかったのです。
しかし、森林が動物たちの棲めない山に変えられ、宅地開発が進み、そして農村の過疎化によって人間世界と動物世界との境を維持する労働(力)が決定的に不足すると、領域が不明確になり、人間活動を知らせて彼らを近づかせない力も減退します。

自然の繁殖力をただ自然に任せれば、常に人間世界と動物世界とは軋轢を生じます。
それは、ロマン主義的な感情や理念の問題ではなくて事実の問題です。 動物たちもまた繁殖し、食べたいと行動するのですから、その条件があるところに出没するわけです。畑に降りれば食物は集中してあるのですから。
人間は種が絶滅するほど乱獲して食卓に載せてしまう一方で、「自然保護」をします。そのようなバランスを欠いた人間の行動が一面にあります。
里山で築かれてきた共存のありようが現代社会では崩れてきています。

害獣としてのシカを駆逐する。やむを得ざる仕儀でしょう。
さて、しかし、問題はさらに先にあります。
過疎によって里山が荒廃し、農村に残った人々も高齢化してシカは一層「害獣」度を高めてしまいます。
そうして『限界集落』となった村を再生しようと思えば、この害獣との付き合い方が問題となります。
里山の再建復活は動物たちの領分と人間の領分の棲み分けを再構築することになるでしょう。

「地域おこし協力隊」はそうした過疎地域に青年が定住するプログラムのようです。
地域の持っているすべての力を顕在させて里村再生の力にする。
害獣として駆逐されたシカたちを単に打ち捨てるのではなくて、それを魅力的なものに作り変えて都会の人々の持つ力を(この場合お金ですが)を里山に還流する。
単なる言葉としての「過疎化の解決」ではなくて具体的な実践としての姿です。
こうした工芸的な生産物が安定的な商品≒産業となれば農村地域の青年にとっても都会の青年にとっても農村は暮らせる地域になります。
きれいな空気、澄んだ水、飛び交う蛍・・・・だけで生活できるほど農村はロマンチックではないでしょう。
リタイア後の男たちの「定年後は農業でもしてゆっくりと『晴耕雨読』で暮らす夢」がもろくも崩れるのはそんなところにもあるかも。
この京都出身の青年は、東粟倉地域に地域おこし協力隊員として農村地域に暮らし始めています。
青年に魅力ある農村づくり。
地方創生は金さえばらまければできるものではないでしょう。株式会社制度を持ち込めばおいしい・うまみのある地域だけが収奪の対象となるだけです。
彼らの活動がこうした場で情報を発信し、新たな青年の耳を傾けさせる。
そうして人の関心もさらには生活も農村に還流させる。そういうことでしょうか。
- 2015/06/11(木) 00:01:49|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0