ご本人は「笑顔の写真はあまり好きではない」そうで、・・・・・・。
どうして?
う~ん、どうしてなのかよくわからないけど・・・。

背後に暗いスペースを多くとるのか、前面に明るさを多くするのか。
体の角度を少し変えるだけで、胸の白い部分の面積が変わります。すると画面も変わります。
これをその瞬間瞬間に目的意識的に判断することが求められるんですねぇ。
やはりは写真て難しいですね。

何枚か撮って後から選べばいい、とはいっても選ぶべきものを撮ってなければ選べないわけで。
そこが『絵』との違いでもありますね。

おそらく写真家たちは納得がいくまでそこで撮りなおすんでしょうね。
なにが違うか、どうしてみたいのかを自分に問い直しながら。
それができていない点も自分を写真家と言えない部分ですね。 素人なんだと思います。

それにしてもこの人を含めていろいろな人が私にチャンスをくれているのだから、その一度一度の機会を大切にしなくてはなあと・しきりに思う今日この頃です。

モノクロームの写真が好きなんだそうです。
笑顔の写真があまり好きではないという感性とつながらのでしょうか。 おそらく・・・・つながっているんだと・・。
何枚かの写真の中に、オードリーに似た写真を見つけます。

きれいにかわいく撮れているだけでは写真として納得できないんでしょうね。
それは写真の場合に限らず・・・・なんでしょう。

先日もある場所である人に「力を貸していただけませんか。」と声をかけました。
OKの返事をいただけるかどうか、もう少し時間が経たないと分かりませんが、きれい、かわいいだけでない方を見つけたつもりです。
良い返事をいただけるといいのですが。
人物写真はフォトマヌカンを選んだ時点で80%写真の出来が決まる・・・そういわれるのも故なしとしません。
私は『人を撮る』ときに、こう思うことにしています。
その人は私が写真を撮るために存在するのではない。
私がいい写真を撮りたいだとか、魅力的な人だなあと思うことと、その人自身とは何の関係もないので、撮らせてもらえないことに不満を抱く何の権利もないし、その人に恨み言をいえる道理は毛筋ほどもないのだ、と。
その人は私のためにきれいなわけではなく、私が写真を撮るために良い情景を作っているのではない。
私に対して写真を撮らせなくてはいけないどんな義理もないのだ、と。
ただ私が写真を撮りたいということに対して共感してもらうことだけが、撮らせてもらえる理由なのだ、と。
- 2015/05/26(火) 00:01:18|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:4
> 「私が写真を撮りたいということに対して共感してもらうこと」
撮りたい私の気持ちと、撮らせて欲しいと頼まれる方のOKする気持ちとがぴったり重なるなんてことはほぼないと思います。頼まれる方は何の気持ちの準備も写真に関する考えの準備もないのですし。
「共感」といっても思いは実は行き違っているかもしれません。そうなのだと思います。
それでも最低限の「好意」を期待してお話します。
ただ、「説得」はしないというのを基本姿勢にしています。「説明」はするけれど「説得」はしない。ただの言葉の問題かもしれませんが。
逆にそこに私の弱さがあるのではないかという問題意識もあります。
- 2015/05/30(土) 21:23:17 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]
alpaca さんにも私の「説明」の言葉が響くといいなあ。
- 2015/05/31(日) 10:01:50 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]