「你好 請多關照」
「発音 いいですね。ネイティブのようですよ。」と言われて気をよくして・・・・。
もっとも、中国語はこれ以外の単語を二つ三つ知っているだけのことですが。
以前、フランクフルトの空港の税関で係官の女性に「Guten Abend」といったために、ドイツ語で「以前ドイツに来たことがあるのか」などといろいろ聞かれてチンプンカンプンで答えに窮して、税関を通るのが遅れてしまいました。挙句に「なんだ独逸語を話せるんじゃないのか。じゃあ紛らわしいこと言わないでさっさと行け。」というような態度で追い払われました。
ツァーの同行者たちを待たせたうえに、心配させてしまうという冷や汗の経験を思い出しました。

そういえば大学の語学の授業の時に先生から「君の発音はイギリスの地方局のアナウンサーのようだ。」と褒められたのかくさされたのかわからないようなお言葉いただいたこともありました。 ずいぶん『訛って』いたのでしょうか。
それでも 褒め言葉だと思ってもっと外国語の勉強をしておけばよかった。 後悔先に立たず。

日本人の知人たちのほとんどには旧職を「告白」していません。何故かというと職業にはそれぞれ、世間に通っている印象があるからです。それがどうも嫌なんですね。そういうイメージから抜けたところで付き合いたいと思うのでニュートラルにしているわけです。
でも、この人も含めて留学生たちとの会話の時には旧職を隠しません。外国人との話の時にはと言っていいかもしれません。何かしら意識が違います。
この人たちからしても私は外国人なので話しやすい面もあるようです。

私は以前からスナックのママ、居酒屋のおかみさんなどに会うと「あなたの職業は・・・。」といってほぼパーフェクトにあてられてしまっていました。人相がそういうものになっていたんでしょう。それは別にいやではなかったんです。そうなってこそという面もありましたから。
いまは、リタイアしてこんなことをしているせいで人相もだいぶん変わってきているようです。当てられなくなってきました。ちょっと違うほうにずれていますね。これはまたこれでうれしいことだと思っています。

この人たちと初対面で話す時に、どんな風な印象をもたれているのか。
まあ、さしあたりそんなに悪人には見えていないようですが。・・・そういう人こそ危ないと忠告しておかねばなりません。

日本の学生との間ではなかなか話題になりにくいことも相当話せます。
問題意識が高くて、いったん問題意識を持つとよく勉強して調べるようです。

むろん日本の若者がすべて「未だ」しというわけではありません。
これまで2度ほど日本の近・現代史を一緒に勉強した若い保育士たちが、「これから数回に分けて、再度、近・現代史を話してほしい。」と依頼してきました。彼女らが一回り多くの仲間に声をかけて、今度は10名ほどになるんだそうです。
毎日の忙しく、疲れも大きな保育の仕事の後で学ぼう、考えようとしているのです。
できるだけの協力をしたいと準備中です。

青年は社会の形成層ですから、どこでもみずみずしい感性で学ぼう・考えよう、行動しようとしています。
大人たちがそれにふさわしく関われているかということが問われています。
「今どきの若い連中は。」「爺は引っ込んでろ!」・・・・・・これじゃいけませんね。両方とも分かってないんです。
これもまたどの国でも同じようです。
- 2015/05/11(月) 00:02:58|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0