工場の二階ではストールの染色をしていましたが、下の階では服の布地の染色をされています。
この姿勢を一日に何百回と繰り返すのです。 う~~ん。
手先を見ると体重を支えているようには見えません。そうだとすれば腰が、大腿部の後ろが、背筋が・・・・。

次から次へと場所を移して同じ作業をするのですが、その動きが早いのでついていくのが大変です。
画面の中で絵を決めて、自分がついて動いてフォーカスを決める。 と、もうその時はには体の間近に引き寄せられています。
さっと横に移動しますが、私もついていかねばなりません。
すると今度は向こうからこちらに来る作業。私は後退します。ファインダーを覗いたままの後退ですが、足元には染料の入った容器が何列にもなて並んでいます。狭い通路で躓いたら大変なことになります。
振り返って周囲の安全を確認し、自分の姿勢を決め、職人さんの位置とポーズの予想をして、置きピンをして・・・・・。
醍醐味といえば醍醐味なんですが・・・・撮れているんだろうかと不安がよぎります。

もしフィルムなら・・・・・と思うとぞっとします。

ご覧のように作業している方たちは半そでです。
真夏はどんなでしょう。 そのころまたぜひ撮りに来たいものです。
表情まで撮れるようになるためには幾度も通わせていただかないといけないようです。
働く人の尊さを撮りたい。
人は「人材」じゃない、そういう写真を撮りたい。
それも私の目標の一つです。

絵を見ても写真を見ても「労働」がまれにしかありません。
ずいぶん減ってきているようにも見えます。
人の生活の主要な部分は労働で成り立っています。何に労働に対する感慨が人の中心を占めていないことに芸術界はいぶかしく感じないのでしょうか。
「労働疎外」という言葉を耳にすることもなくなって久しいように思います。その言葉が消えていくのは疎外の実態がなくなっているからではなく、労働疎外を告発する哲学・力が日本社会に衰弱しているからだと私は思っています。
そしてそのことはとりもなおさず人々が労働の中で非人間的な呼吸をさせられ逼塞させられているということだと思っています。
私はこの工場(工房)で、それとは違う姿を見たように思いました。
- 2015/04/19(日) 00:02:04|
- 染色
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