自動車を実際に入れてみると不具合に気付く。
一人で黙々とやっている。頭の中は自分や「対象物」との忙しい対話中かもしれない。

版築の土塀にはめ込まれた灯篭の一部。この中にろうそくをともす。角度を変えたり、穴に紅葉を漉きこんだ障子を張ったりして何かを工夫すると光を演出できる。
取り外して、この空隙に花を活けて客をもてなすこともできる。

この灯篭もなかなかの渋みを出している。くすみ方がいい。形も重厚さがありもう少し壁近くに寄せられるらしいが、邪魔になるような重苦しさではない。きっとどこか由緒のあるところからくすねてきたに違いない(笑い)。
2段に重ねた版築は「三回目の試み」だけに、次第に「わかってきた」という手ごたえがあるらしい。模様の出方は明らかに鮮明度をましている。だがそれがかえって趣を壊すかもしれない。そういうことも含めて「分かってきた」ということなのだろう。

防犯上の理由もあって、この開口部には細い幅のいたと竹を交互に打ち付ける。仮にこうするんですよと言っているから仕上げはもっと何か構想があるらしい。
スリットがあるから通風もある程度確保し、光も入れられる。
ただ私に感覚からすると、外側に自動車があるから目隠しになっていいという半面、建物の片方がふさがれたという感じで窮屈さを感じてしまう。そういうことも何か今後工夫するに違いない。

これまでずいぶんいろいろな寺院やお屋敷で仕事をしてきたらしく、私たちが到底入ることのできないところで仕事をしているらしい。
頭の中にはそうしたいろいろな実例がインプットされているでけでなく革新的な試みについてのアイディアもつまっているようだ。

- 2011/08/14(日) 00:03:09|
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