桜が咲くと急き立てられるように戸外に出たくなります。
そしてようやくコートを脱いで日の暖かさを安心して浴びられる季節の到来を喜びます。
昔の農家では、田の仕事を前にしばしくつろぐ時でしたでしょうか。

私は記憶をたどっても桜の花の下で酒肴を囲んで楽しく集ったことは学生の頃にしかありません。いえ、ただ忘れただけかもしれませんが。
鴨川の河原などを見てい、て皆さん本当に楽しむことに意識的・積極的だなあといつも羨ましく思います。


夜桜を見ながらの撮影を早々とあきらめて・・・・。
そこでカメラを撮りだしたのですが、意識せずにこんな設定にしてしまいました。
使い慣れないカメラで、どう戻してよいのやら・・・・。

けれどこれも面白い・・と

この人ならではでしょうか。

意識的に使ってみるのも面白そうです。

ちなみにこの人はこの時、ルージュを使ってはいないんだそうです。
桜の季節になると「日本人と桜」が話題になります。
まるで日本人の心性と桜が悠久の昔からマッチしていたかのように。
桜の特質として「咲き始めると一気に咲き、間もなく一斉に散っていく。」などといわれ、「咲いている時間を愛でるバラに比べて桜は散り際をいとおしむ」ともいわれます。
日本には300種もの桜が生育しているといわれますが、その中で日本人の多くが上のような「桜のイメージ」と結び付けてみているのは「ソメイヨシノ」のことでしょう。
日本の皇軍兵士の死生観を「桜」で象徴させるようなことがされてきました。特攻隊兵士のような死を「散華」と表現していかにも桜の散る風情と重ねるようにもイメージがつくられてきました。
国家による自国民殺戮の美化に桜が一役買わされたわけです。
「敷島の大和心をひと問わば 朝日に匂う山桜花」 よく知られた本居宣長の歌です。
「朝日に匂う山桜花」 素敵な詩情です。 私も山桜が好きです。
本居宣長はこの歌ですがすがしい潔い美しさを読んでいますが、散り際の良さを愛でているわけではありません。
そして日本軍創設の頃この歌がよく引かれたのは、軍人の清廉潔白さを求めたからです。
第一、山桜は葉が先に出て花が咲きますが、ソメイヨシノの様には開花から間もなくハラハラと一斉に散ったりはしません。
ソメイヨシノは江戸時代に作られた新種ですから、このソメイヨシノの特徴を古代以来の…そういうものがあるとして・・・「大和魂≒日本人の根本精神」とかかわらせることに、そもそも無理があります。
大和魂というものが日本の古来からのものだというのならば、花といえば「梅」であった時代にも「大和魂」はやはり桜にシンクロしていたのでしょうか。(もっとも「梅」を「花」としてのは教養ある上流の階級の人々だけだったかもしれません。)
(私はそんな歴史貫通的な「大和魂」などというものは存在しないと考えています。 最近、実に乱暴に『サムライ』『ナデシコ』などというという名称がスポーツと結び付けて使われていますが、こういうのも実に危ない傾向だと思っています。
『侍』魂なども「中世期」に形成されたもので、その前史的なものはもう少しさかのぼれるかと思いますが、それ以前の「つわもの」の心とは別物で、しかも支配層の中の一階層の心です。決して常に日本男児全体を象徴するものではありません。第一、何故軍人(侍とは権力者に「さぶらう」軍人です)をスポーツする男性やその精神に重ねるのでしょうか。こういうことに対する無頓着さはどこからくるのでしょう。
『ナデシコ』という名称が昔の女学校などでどのうような脈絡で取り入れられていたかを考えれば男女平等を目指す今日何故にこうも安易に使われるのか。マスコミもただはしゃいで使っていますが、彼らの政治意識の鈍感なのにはあきれ返るばかりです。)
ソメイヨシノは今では全国各地にみられますが、それがこのように広く植えられたのは明治政府が学校などに意識的に植えさせたからです。
それが新学期(新入生)のイメージと重なって人々の意識に桜の代表として刷り込まれましたが、無論、兵学校や靖国神社にも植えられました。
明治政府が国民に上から国民意識(皇国民精神=臣民意識)を受け付ける場に桜があったのです。
江戸時代から隅田川などで、花見が楽しまれていたのですから、庶民の間に桜の花を楽しむ心性があったのは事実でしょう。しかし、散り際の美しさ、はかなさのイメージは国家の政策として定着してきた事実を見逃してはならないと思います。
「学者」らしき人たちが欧米の人々の意識と日本の人々の意識を対比して安易に「桜を愛でる日本人、バラを楽しむ欧米人」などと非歴史的に特徴づけるのはあまり科学的とも学問的ともいえないように思います。
そして「貴様と俺とは同期の桜 同じ・・・・の庭に咲く、 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため」と歌い、靖国の桜になろうと死を受け入れさせられた「桜の歴史」を安易に忘れてはならないと思います。
自衛官たちにも靖国の桜になる道を行かせてはならない、私はそう思います。
- 2015/04/10(金) 00:03:12|
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