通りかかる人の中には、私のようにこの人の写真を撮る人が時おりいます。
「お父さん(私のことを私より年長の銅心さんがこう呼びます。)のように大きなカメラで撮る人もおるし、携帯で撮っていく人もいる。声もかけんで撮る人もいるがわしはいちいち怒らんよ。好きにすればいい・・・。」と
「でも、声もかけずに撮る人と、お父さんみたいに声をかけて撮った写真を持ってくる人と・・・・、気持ちは違ってくるね。」

「わしももうそう長くないけん、、好きなだけ撮っておいて。」
「そんな寂しいこと言わないで・・・・。まだまだ撮れたって気になれないんだから何度も来るから。」と大笑いしながら撮ります。
「写真のことはわからんが、その人の撮り方でいい写真かどうかわかるような気がするな。」
「ええ?! それはまずいな。」

銅のことについてよくご存じの男性がまじまじと籠を見ています。
奥さんもご一緒です。 ずいぶん感心されて、「銅もこの頃安くないし、これだけの手間をかけたら・・5000円くらいに・・・・?」
「・・・・そんなに高くはないよ.。 3000円でいいさ。 まあ他ではそういうわけにはいかないだろうけど。これでおおもうけしようと思ってないから。いいものだ、大切に使いたいという人がいれば、この値段でいいよ。」
「え?! その値段?」 お客さんはしばらく考え込んで。

どうやら男性は、ご自身がものづくりに関心があるようで「作り方」に目が向いておられました。ひとしきり銅線の始末などの仕方について尋ねると「そう?! じゃあ自分でもやってみる。」とお礼を言いながら立ち去っていきました。
銅心さんは惜しまずにノウハウを話されていました。

銅心さんには、買ってほしいけど買ってほしくないというような気持ちがあるようで、「そうそう次から次へと作れるというわけではないし、これを楽しみに来てくれる人がいて『売れてしまってこれしかない。』とここが寂しくなるのも辛いしね・・・。」

この人と出会っていろいろな話を聞いていると、思わぬことを気づかされることがよくあるのです。
人生について学ぶための教室はいろいろなところにあるということでしょうか。
- 2015/04/04(土) 00:00:08|
- モノづくり
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0