京都府、京都市の財政難でこうした職人さんたちの公開実演の機会がぐっと減っています。
というわけで・・・・・貴重な機会をできるだけ生かしていきたいと・・・・。

実演会場の撮影条件は、私が勝手に作るわけにはいきませんから時として私の手に負えない場合があります。
それも練習的課題の一つだと思って・・・・。
今回は職人さんが手元を照らす蛍光灯をご自分にまぶしくないように調整してギャラリーサイド向けています。

窓が遠くて自然光の届きにくいこの場所ではなかなか辛いものがあります。
今この方がされている作業は、縦横に刻みをいれた(大体1ミリの間隔に10本ぐらいの細い溝が刻まれています)金属板に金をたたいてくいこませて、その上に施した漆をこすり落としているのです。

こそげ落とすということなんでしょうが、金属の先のついた道具でこすっていくと下から金の模様が浮き出てきます。
時々手前の湯呑み茶碗の液体をその金属の先につけていますので、何か特殊な液体かと尋ねてみると「いや、これはただの水ですよ。」とのこと。

帯留めのひもを通す部分の形状が違いますから、この金属の板が作業中に動かないようにするための台も交換です。
先ほどの台は木製ですが、こちらは松脂です。
製品が平板な場合は木製のものでもいいのですが、湾曲している場合はそれでは力が入りません。それで、温めれば柔らかくなって基盤の形状になじんでくれる松脂の土台が必要なんです。
柔らかい松脂の土台には基盤をいくらか埋め込んで固定できますからその意味でも便利なんですが、最近は強い磁石を利用して基盤を固定するのだそうです。

だいぶ絵柄が浮き出てきましたね。

仕上がり具合はいかがですか?

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もうすぐ統一地方選挙で京都府京都市の議会議員選挙の投票日ですが、自民も、民主も、維新も随分いい加減なことを言っています。
ある党は 「身を切る財政改革」という名目で議員定数の削減などを主張しています。が、そもそもそれは住民の意見反映の手立て≒権利の保障装置であって、それを削減することは民主手j黄権利の削減です。 議席にまつわる「特権」をお手盛りしてきたのが誰であるのかを批判も反省もせずに、自分のものでもないものを「身を切」ってなどと、いかにも自らも慎むかのように粉飾するのは本末転倒。
またある党は、地方を衰頽させる政策を一貫して推進し、今日またまたアメリカの農業利益の前に日本の農業と食料の安全・自主的確保を犠牲にしようとしてきているのに「地方創生」などというのは盗人猛々しいとしか私には思えないのです。
地方首長選挙に国政と地方政治とは違うなどと言って自民、民主、公明などがほとんどすべて相乗りしてきた政治の退廃の付けが、地方自治をここまで衰退させてきたとおもいます。
住民から遊離して地方政治の与党と中央・地方財界が利権を山分けしてきた地方政治は、大阪都構想に一定の支持を与えるほどに地域住民から離れたものにされてしまっていると思います。
どうせ議員がいても何の役にも立たないなどという空気を醸成してきたのは圧倒的多数の自民党をはじめとする保守党とそれになし崩し的に同調してきた民主党の先輩や今日の彼らと保守系無所属の議員たちです。議員定数を削除してもいいというのはどうせ役に立たないものだったらお金をかけなくたっていいということことでしょう。
今や「地方自治は民主主義の最良の学校」などという考えはどこからも聞かれません。大阪都構想などはこうした住民自治の方向とは真逆のものです。大阪の人々の見識が問われます。
京都の元知事・蜷川虎三氏は「憲法を暮しの中に生かそう」と呼びかけていましたが、人任せの政治ではなくて住民自身が生活を作る事業に参加する自治を期待して支援していました。
今は地方自治のわからない目先の利益追求の「政治家」ばかりが目につくようです。
京都の「伝統と革新」の気風を育てていくためにも今度の選挙を大切にしたいものです。
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- 2015/04/09(木) 00:00:05|
- 工芸
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