ご自身で制作をした仮面をつけるのですから、仮面に込められた思い、イメージはまさにご自身の体の中にあるわけで・・・・。

それにしても、ある時ある場所で、その機会に応じて表現するというのは並大抵ではかなわないことだと思います。
シナリオがあり伝統的な所作があるというのならば再現芸術としてある程度コンスタントな表現が可能かもしれません。が、二度と繰り返されない所作で、つまりはアドリブなのですから、ご自身の気持ちを高めイメージを創出するために集中するのは大変なことだと想像します。

ある意味で会場の観客の空気が担う割合も相当に大きいのではないかと・・・。
ですから、観客を引き寄せ、観客の空気を濃くする力といったものも相当に求められるのではないか・・・。

人は不思議なものだと思います。
ある別のギャラリーで若い女性の心情…かなり乱暴で、攻撃的で、自棄的な・・・を描いたイラストが展示されていました。 オーナーさんが、その作家さんは、「ごくごく普通といったおとなしくて礼儀正しいかわいい女性ですよ。」とーさんが教えてくれました。
仮面をつけて感情の激しい高ぶりや沈潜を表現するラショウさんは、やはり異様でも変哲でもない普通の方に見えます。

そういう方が仮面作りで仮面に込め、仮面つけた姿をとることで表出する感情のエネルギーはなんと大きなことでしょう。

この広いとは言えない空間で演じられる舞踏に10余人の観客は釘付けです。

踊りが終わると拍手喝采で鳴りやまず『アンコール』の声が重なります。
ラショウさんは仮面を換えます。

壁にかかっていた時には発していなかった呻き、すすり泣き、嗚咽、号泣・・・がほとばしり出てきます。
うがたれた空洞はほからぬ口であり喉であり、肺に通じる慟哭する洞となります。

体が「面」を突き動かし、「面」が体を揺り動かします。
求め合っていたお互いがお互いを得て存在の意味を獲得するように感じられました。
- 2015/03/18(水) 00:00:25|
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