それぞれの絵のキャプションや作者はひとまとめにして入り口付近に掲示されていましたから、私の記憶には残すことができず、最初の一周ではどの絵がどちらの方のものか、判然としませんでした。
絵を専門にしている人が見れば「これだけ絵柄が違うのだから間違えようがない。」とおっしゃるでしょうが。

私はさほど広くないギャラリーの場合はできるだけ二周はしたいと心がけています。
私に絵などの素養がありませんから、初見で何かを受け止めることは難しいからです。
他の絵との関連で見ると、それでも、少しは見えてくることがあります。
疑問も浮かんできます。

この人たちの描く女性たちはなぜ目を閉じているのか。一点だけ目があいているものの、絵の中の人は何も意識的には見ていません。
大きな公募展で見る大作の女性たちの多くもまた何かを意識的にみているというものが少ないように思えます。少なくとも全身全霊で見る、あるいは聴くでもいのですが、そういう物があまりみかけられません。
なぜ、女性をそう描くのか(あるいは「人をそう描くのか」かもしれませんが)という疑問がずっとあります。
この人たちはそれを意識していました。そこに現代の女性のありようを見ていました。

うずくまり、何ものかに深く包まれたポーズというところにもそれは見えました。
こういう意識性はいいなあと思いました。

手が描かれた作品が数点ありました。
なにやら仏さんの指、掌をしていました。 仏画を専攻された人かな?と思いました。やはりそうでした。
この方です。

仏画をする人は「模写」をします。
私はこれをとても大切な過程だと思っています。
模写をして線や面やタッチや色を獲得することは本当に重要なことだと思います。
別のあるギャラリーで女性画家の絵を見ました。若い方ですがそれでも卒業して10年ほどの方です。
初めから自分風の絵をかいてしまったのではないかと思いました。いえ、この方ばかりではありません。ほかにも多くそういう方がみられます。

…実は私の写真もそうなんですが・・・・・
そういう意味で私は仏画など模写に取り組んだ人に期待する面があります。
久しぶりに堅実に意識的に絵にとり組む若い画家に会いました。
- 2015/03/06(金) 00:02:32|
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