「弁証法」という言葉は耳にされたことがあるかと思います。
私はこれまでこの「弁証法」というモノの考え方に何度も思考の混乱を救われました。あるいは考えの前進を応援されました。
やはり神羅万象、何事によらず変化発展にはこの弁証法的な法則が潜んでいるようです。写真生活も然り。
などと、ほとんど寝言のようなことはさておいて。
この人とここに来て、これまで思いつかなかった撮り方が浮かびました。 特に変わったことをしようと意気込んでいたわけでもないのに、この人に誘われて撮りたくなるんですね。
こういうところが面白いところです。

この建物の作る空間の良さを出したいという気持ちもありますから、建物×この人=・・・・どうなるだろうという興味です。

小中学校などで集会の時に「体育座リ」なるんものを支持されて、普段シュ-ズで走り回っていつ冷たい床に直接手やお尻をつけさせられている子供たちを見て、これはひどい仕打ちだなんて思っているのに「座れます?」と聞いてしまう私です。
「はいっ 。」と何の躊躇もなく座ってくれます。

影のできるところには光があります。
光があれば影が生まれます。
・・・・安倍政権のように大企業・富裕者・アメリカに強い光を当てようとするとより深い広範な影ができます。
強い軍事国家に進もうとすればやさしい福祉国家は後退します。
敵を作ってこぶしを振り上げ声高に叫べば、両手を広げて向き合い柔和な微笑みを広げる道はふさがれます。・・・・

ここは元学校です。大人世代が子供の未来を大きく膨らませようと期待していたことがその意匠から伝わります。
子供たちへの期待が大きく広いものだったことが伝わります。
が、今の政治は子供たちの小さな心を震えさせています。傷つけています。 戦争の予感ほど不安なものはありません。

人が伸びやかな肢体を持った若い女性に何かしらの心のときめきを感じるのは「生きる」美しさ、希望を感じるからではないかと私は思います。

先人が残したものからインスピレーションを受け取って生かしたいものです。
- 2015/02/21(土) 00:02:05|
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