今日も今日とて、私は手作り市を目指して自転車で走っていました。
その途次で、いつも気になっているビル群のある地域で「ロケハン」を敢行しました。
というのも近代的でスマートな背景をいつも求めていたからです。
そのビル群には多数の企業が入っていて、なかなか面白いところでした。しかしセキュリティーもしっかりしていて立ち入りも、おそらく撮影も難しそうなところが多く、私にとってはいささか残念でした。
歩き回っているうちに大きなクレーン車を見つけました。
ふと運転席を覗くと
「えっ?! 女性?!」

そうなんです。運転していたのは女性でした。
「男女の本質的平等」の実現を…少なくとも言葉の上では…希求する私としては、これは素晴らしいとしばし足を止めたわけです。
そしてこれは『撮らなくては!』と思ったのですが、何しろ危険が伴う仕事ですから、うっかり声をかけて重大事故になったら大変なことです。
うまく見計らって声をかけねばなりません。
しかし、仕事を理解していない私にはそのタイミングがなかなか見つかりません。
で、長いこともたもたしていましたが、意を決して声をかけさせてもらいました。

今日、我が家を出るときに迷ったんです。
今日は手作り市だから撮らせてもらえる人がいたとしても50ミリでなんとかなるだろう。いや50ミリで工夫する課題を持とう。・・・・・と。
ところがこれまでの経験から言うと、お客さんがいたり、隣の店との関係などで「長いレンズがほしい!」と何度思ったことか、きっとそういうことがある。・・・・。
とはいっても私の80-200ミリは…重いのです。
きっと後悔するから、・・と思っても、でもなあと考えてしまうのです。
そこで、フジX20なら荷物にならないからと、一応の保険を掛けたのです。
でもやっぱり後悔しましたね。 (もっていけば大概、そのレンズの登場機会はないのですが)

男女平等は、単に理念の普及によって実現するものではないのです。また理念の普及や確信も理論の説得性によるものばかりではないのです。
何より女性自身の強い要求と、物的な条件の変化です。
自動車の運転は、アクセルやブレーキを踏む力、ハンドルを回す力があれば誰でもできます。
パワーステアリングがない時にはハンドルは「男の力」を必要としていたかもしれません。まして大型車はそうでしょう。
しかし、そういうことは技術的革新で解決できます。 なん10トンなん100トンの荷物の輸送は「女には無理だ」と言えるでしょうか。
自動車にしろ船にしろ飛行機にしろ運転席で必要とされる『力』は女性が十分に発揮できるものです。
特に筋肉の強い女性である必要はありません。私のような虚弱な男性にも動かせますし、高齢者でも操作できます。
要は女性に機会を与えようという技術開発がされているかどうかということですし、購買者の範囲を広げる資本の要求や労働力不足の解決を迫られる企業の工夫は必然的に「女性も働ける」分野を増やします。

これを遅らせる要因はいろいろありますが、女性の意識の変革もまたその一つでしょう。
「女性の敵は女性」ということも時に言われます。
頑張ってほしいものです。

高校生などに将来の仕事は…、と聞くとネイリストだとかトリマーだとか言いう返事がよく聞かれます。
それもいいでしょうが、そういうところにジェンダーバイヤスを内面化したままでいる女性を感じます。
男性が保育者や美容師になるように、女性が重化学工業に進出できる条件も、もっともっとできてほしいと思います。
そうすれば男性も劣悪な労働条件から少しでも解放されると思うのです。
今は「男性並みに働けない女性はダメだ。」と残業可、遠距離転勤可、育児休業や子供のための病休をとらないなどということが陰に陽に求められて「男女平等」にしようという動きが大きいです。
そのことは男もまたサービス残業を断れない、家族と離れた単身赴任を受け入れる、子供の授業参観にさえでられないなど「人間らしい生活」を犠牲にして「社畜」になる道を進んで歩かされるのと同じ道です。
この人も立派ならこの企業も立派だなあと思いました。
「きつい」・「汚い」・「危険」。これら3つを合せて建設業の「3K 」といいます。
現場に女性が気持ちよく使えるトイレがない。着替えられない。食事の環境がない。それは男性にとっても同じはずです。
現場労働をしている男たちがコンビニでカップラーメンにお湯を入れてもらったものを手にしている風景をよく見かけます。 あんなにきつい仕事をしているのに雇った側は何の配慮もしないのか。
私がこの人に声をかけた時に周囲の男性から「彼女は…企業名・・・のマドンナだから。」と。
それは揶揄するような調子ではなくて、リスペクトする語感がありました。
- 2015/02/15(日) 00:00:24|
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