今日の写真は以前から撮りたかったシチュエーションです。
実はある大きな書店sでは「お客さんが少ない時間帯や場所を選びますから・・・。」撮影をさせていただけないかとお願いしたのですが、断られました。
撮影が決まると間もなくロケハンにいって、意を決してこの楽器・CDなどを販売している京都では有名なお店にお願いしました。
この人がバレリーナですから音楽とのかかわりを絵にしたかったのです。
このお店に事前に伺った時には、フロアの責任者の方が熱心に話を聞いてくれて、さらにお店の責任者の方につなげてくれました。
責任者の方からも快くお許しをいただきまして、実現しました。

映画制作にあたって町全体がそれを受け入れるというようなことがあります。
神社仏閣、商店街、浜辺や河原などなど、映画撮影の許可を個別にとっていたのでは大変手間がかかるばかりでなく、ある場所が「映画に撮る?!」 そんなのはお断りだね、ということになれば企画はとん挫してしまいます。
そんなわけで町全体が受け入れ態勢を作ってくれると有難いわけですね。
様々な要素の中で映画製作なり写真撮影なりに対してリスペクトする文化的背景がなければ、こうしたことが難しくなると思います。
・・・・町おこしで自分の街を売り出したいというだけで、さっそく○○饅頭やら××弁当を売り出すことに熱心なだけでは 街の誇りにはならないでしょうが、
最近の大河ドラマ誘致の自治体や商工会などの動きは製作される映画やドラマの芸術的な質にはまるで無関心のように見えます。すぐに思い出すのは時代考証とは関係なく「わが町はこんなに汚くはない。イメージが悪くなるから改善せよ。」とドラマの内容に介入する発言をしたある自治体の長がいたことです。私たちが選んでいる政治家というのはこんなレベルなんですね。驚きました。
権力者の出身地を舞台にするときにある種の自粛や諂いが出てくるようなことにもつながりかねませんね。・・・・
(ただ、映画だとかTVの撮影だとか、私の場合写真ですが、そういうことをする者が一段も二段も高いところから横柄に自分を受け入れさせようとする姿にも時に出くわします。そういう傲慢な特権意識というものも実に顰蹙ですね。この文章もその変種ですかね。)

ですから、この楽器店やギャラリー「高瀬川四季AIR」さんなどはありがたく貴重な存在です。

加えて、ある扇屋さん、あるフランスレストランさん、あるギャラリーカフェさんなどもまた良き理解者です。

「お好きな曲は?」と尋ねると・・・・、
「プロコフィエフかな。」 バレーダンサーですね。

そういえば最近、五嶋みどりさんが演奏する(バレー曲も多い)チャイコフスキーのバイオリン協奏曲の演奏をユーチューブで拝見しました。
魂の塊みたいな演奏でしたね。 素晴らしい演奏でした。

それに加えて宮本文昭さんのオーボエ演奏(ピアノ伴奏がこれまた実に素晴らしい。)。カッチーニ作曲ともいわれる「アヴェ・マリア」は感動的な名演奏だと思いました。
この曲想で写真を撮りたいなあと・・・・ふと、できもしないことですが…思いました。その時フォトマヌカンをしていただきたい人のイメージも自然に湧いてきました。
写真って楽しいですね。

この写真、気に入っています。
- 2015/02/13(金) 00:01:52|
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