友禅染の一つの手法に「型染友禅」というのがあります。
多色刷りの版画に何枚かの版木が必要なように、幾枚かの図柄を切り抜いた紙をつかって色を重ねて絵を描いていく手法です。

以前、その方を切る職人さん(和田さん)をこのブログでもご紹介しましたが、その方を使って色を置いていく作業はあまり見たことがありませんでした。
実際、この手法で染めることはもうあまり見られないようです。インクジェットなどの機械的なプリント手法が駆逐してきたのです。

図柄を切った紙を置いて、その切り取られた部分に色を塗ります。…という表現だと、その切り抜かれた部分はべたっと染料がぬられて、その色の面が重ねられていくという印象を受けると思います。
刷毛などで、サーっと塗っていけば当然そうなるでしょう。
しかし、職人たちが極めてきたものはそんなものではありませんでした。
今、丸い刷毛で緑色を施していますが、・・・。
この丸い刷毛に直接染料をしみこませることをしません。
といのも、そうすると刷毛には多すぎる染料が含まれてしまい、切り抜いた型紙の淵から染料が横に染み入ってしまうからです。

「星」を合わせて、版を替えています。
これがずれれば絵はぼけたものになってしまいますし、色が混濁してしまいます。

染料は、いったんもう一つ大きめの丸い刷毛に含ませます。
そして、その大きいほうの刷毛に、小さい刷毛を、ほんの一瞬あてるようにして染料を移し取るのです。
それは女性がほほに刷毛でチークをするより軽い感じです。
まるで染料がついてはいけないかのようにさえ感じます。

そのわずかなわずかな染料を幾度も幾度も重ねることで、切られた型を超えて染料が広がらないようにするばかりか、微妙な色の濃淡を表現していくのです。
この技術はすごいものです。
例えば今制作しているの俵屋宗達の風神雷神図屏風の「風神」ですが、 足や腕の筋肉の盛り上がりはカットされた線では表現しきれないのです。そこで色を置く際に微妙なグラデーションを表現して筋肉の盛り上がりを見事に浮き出ださせていくというわけです。
何回も何回も刷毛を滑らせているときに、力の入れ具合、刷毛の傾け方、染料の含ませ方等で描き分けていくのです。

今年は「光琳派」が注目されて、京都のいたるところで光琳派が登場しています。
・・・・尾形光琳は17世紀後半から18世紀初頭に京都で活躍した人です。1716年に亡くなっていますから、来年が没後300年ということですね。・・・
室町時代の後半期から続いてきた文化の革新が、徳川封建制の中に体制内化していくまでの間、光彩を放っていたころです。
そこに江戸ではなくて京都だったという政治地理的な要因も大きかったと思いますが。

文科省は、中高生に室町期の文化は教えても政治経済は教えなくてもよいと言うスタンスです。
能・狂言・茶・立花・作庭・建築など様々な分野で文化創造が起こりました。それが私たちの現代に直接つながっていて、日本人のアイデンティティーの一部を構成しているからでしょう。
ですがこの時代を読み解くキーワードには下剋上、一揆(≒団結、決起)などがあります。文科省はそういう要素をネグレクトしてよいという姿勢なんですね。(むしろそこのところは目隠ししましょうと)
光琳派の作品は創造性に富み個性的です。伝統に拘泥せず革新していく力強さも特徴です。
それをその特徴のまま記憶させるばかりで、なぜそういう機運が起こりえたのか、その精神史に果たした意味は何かまでは、教室では触れられないのです。
ですから多くの日本国民は「文化」の受容者、消費者ではあっても文化の創造者にはなりにくいし、なる展望を持ちにくいのだと思います。
光琳派300年を機会に、私の好きな室町時代について、またちょっと勉強してみようと思います。
- 2015/01/24(土) 10:55:07|
- 伝統工芸
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