今年の元旦は大雪の初詣になりました。大雪といったってあくまで京都市内基準ですが。
私は無信仰ですから、初詣に出かける義理はないのですが、歴史的風俗習慣、習俗への参加というところです。
というより私の「素敵な人」の一人が「お札を納めにまいります~」というのでうれしくお付き合いです。

私は、この人(たち)と居ればすこぶるご機嫌なのですから、今年の出足は上々ということになります。

それにしても大学合格祈願の「お札」をもらって、希望通りの合格を果たしたのですが、私から見れば神さんの采配というより、彼女らの頑張りのほうがずっと預かって力があった『運命』だと思います。
それでも、その後、東京に行ってもこうして京都に来ては「お札を納めに」通うのです。
そして今年も新たな「お札をいただく」のですが、「・・・・、どのお願いのお札をもらおうか」と悩むのです。
良縁? 健康? 家族の幸福? いえ、いえ、やはり今年も「学問成就」なんですねぇ。
希望の大学にはいった後でも天神さんに「勉学が順調でありますように」とお参りする人(家族や若者が)がどれほどいるでしょうか。
大方の人は、合格の翌年にお礼を言いに来ればいいほうで、その後「神頼み」したことも忘れているんじゃないでしょうか。
彼女は今年3年生です。

ほかにも頼みたいことたたくさんあるんです。
「でも神様に対して欲張るのはよくないと思って…。」やめておくんだそうです。
それに頼み事にも優先順位があって、ほかの若い女の子らしい頼み事も「やめておきます。」というのです。

私がこの人(たち)が大好きなのはこういうメンタリティーがあるからです。
本殿の前に並んで、…そこでは傘はさせませんし、むろん自然に彼女も傘を閉じて・・・祈願をしてきたようです。

それにしても思わぬ雪の日になりました。
さてそれでも「今年の運勢」は大いに気になるようで、…彼女ばかりではなく・・・ちょっと意外なほど熱心に御神籤を引きます。

おみくじの文章はなかなか分かりにくいですから、「どういう意味でしょう?」と尋ねてくれるのですが、彼女の日本語力は、ただの会話力ではありませんし、大概の日本人以上ですから、私も時に困ります。
それでもずいぶん神妙に自分に当てはめていろいろ考えるようです。
この人のこの一年もまたよいものでありますように。
- 2015/01/06(火) 00:00:47|
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