私のことではありません。
つい先ごろ別のギャラリーで写真展をしている若い女性に出会いました。写真の個展です。
公募展でも、グループ展でもなく、また学生のサークル展でもありません。

写真のフレームの選択に気を配り、ドライフラワーや半円形のフェルト地を飾り、上下に互い違いに並べたり、渦を巻くように大きな写真小さな写真を配したり・・・・個展会場を全体として表現の場としている点に大いに感心しました。

それは私の問題意識としてはあってもまったく実行に移せない部分です。とても刺激されることでした。

入口をはいったすぐ左手には地平線を低くとった構図で、晴れ渡ったすがすがしい青空の下に田園風景が広がる気持ちの良い写真で入場者を迎えています。
こういう演出ができているところに彼女のなみなみならない研究があるように思いました。
友人知人たちの写真展などを何度も観てその時気付いたことを生かそうとしたのだそうです。

写真は年配で写真経験の長い・・・ことに・・・男性からすると指摘したくなることや異論をさしはさみたくなることはいくつもあるように思います。
しかし、一方でそうした固定観念からはとても撮れない素直な表現の写真が幾枚もあります。
私がこれまでに見せていただいた写真展で幾度となく失望し時には笑を禁じえなかったことの一つにキャプションのつけ方があります。あまりにもイメージが固定的で語彙が貧弱なことがまま見られました。
その点でもこの人のモノには見るべきものがいくつもありました。
随分勉強になりました。

若い人の作品を見てその未熟さを指摘することは簡単です。ですが、明らかに私にはないものを持っていますし、私を越えたものがそこにあります。

私は自分の個展を近くに控えていましたから、なおのことそれを感じました。

私は作品を選ぶことで精いっぱいでした。それさえ不満をいっぱい残しました。
フレームを揃えることさえぬかっていました。いえ、そろえなくてもいいんです。それが意図したものであれば。
先ほど書いたキャプションについても十分に練ったとは言えません。
今は今回の到達をきちんと総括して、次を目指したいと思っています。
この人もまた次を目指しているようでした。

昨日は個展3日目。
新たな経験をいくつもさせていただいて心躍らせています。
展示した45人の中のおひとりとなっていただいた方。
ふとお立ち寄りいただいた方。
おいでになった方に知らされてという方。
そして大学時代の仲間。
写真を挟んでご夫婦の来し方をしみじみ聞かせていただいて
写真をお届けする約束をした方もいます。
ぜひ部屋にかけたいとおっしゃっていただいて、深くうれしく思いました。
こうした写真を撮るならとさらにぴったりだというご推薦の方を連れて
来場していただいた方や
次の「フォトマヌカン」をお約束いただけた方などもおひとりならずおられました。
こうして人との輪が広がって「まっとうに生きてきた、生きて行こうとしている人」たちの素敵さが
共感されていくのは本当にうれしいことだと感じます。
人は正しいだけでもなく愚かなだけでもなくそのはざまで
けなげに自分の生を形作っていると思うのですが、
だからこそお互いに共感しあうことができるのでしょうね。
よりよく生きようとする人たちの共感の輪がどんどん重なるといいなあと思っています。
さて今日はどんな出会いがあるでしょうか。
わくわくして出かけようと思います。
- 2014/11/07(金) 00:02:42|
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