絵を描いている途中で「どこかの団体に属したり流派に与することなく、いろいろな描き方を追求してきた。」というお話の中で、「だから描き方はいろいろやているよ。」とこれを見せてくれました。
太い筆の軸のような木に「雑巾」・・・とご本人がおっしゃるのですが・・・布切れを縛りつけて筆にしています。
日本画や水墨の方が竹を筆にしたり孔雀の羽根などを筆にしたりしていますが、着物に絵を描くのにこれはまた大胆ですね。
「いい味が出るんですよ。」とおっしゃる。

和紙から転写したあとに筆を入れていきます。
見ていると自由自在という言葉が浮かんできます。まさに自由自在なんです。

私が写真を趣味にしている、ことに人を採るのが好きだとお話しすると、快く「撮らせてやろう」とおっしゃってくれて、今、工房にいるわけです。

私などには工房に踏み込ませていただけるチャンスはなかなかないので私も大喜びで撮っています。
(そうだ、個展が終わったら三上さんのところにも押しかけなくては、などと思いながら。)

こうしてカラーとモノクロで交互に撮っていると次第にそれぞれの特性が分かってくるように思います。


人物写真の楽しさも、また少しずつ分かってくるように思います。
この写真も次回の展示候補になりそうです。

「自然な表情」「自然な空気で撮る」とよく言われます。あらかじめ撮ることを伝えたのではそれは「難しい」とも。
私はそのように言われるときにまず「自然」とはどういうことか、「自然であるということには何の説明もいらずに価値があるのか。」 そして、自然であるためには被写体となる人が写されることに気づかないうちに撮るというのは正しい方法なのか、そうでないと「自然」には撮れないのかということについて疑ってきましたが、これからも大いに疑っていきたいと思っています。
「自然」という言葉が、日本の写真状況にとって悪しき呪縛ではないかとさえ疑っているからです。

今日はこのあと飲み会が控えていません。
4日、6日、7日、8日といろいろな人と会食をする計画です。
今回「レセプション」をすることも思ってみたのですが、旧友や以前の同僚たちが「おまえを肴に呑んでやろう。」とうれしい申し出をしてくれたので、それに甘えることにしました。
体力も金力も心配ですが、大変うれしいことですから。
ただ、写真を挟んで若い方たちとも交流をしたいし、普段お付き合いのある方やたまたま写真を見てくださった方たちともお話をしたいので次回は考えてみようかなと思っています。
それに私を交差点にして新たな人間関係が膨らんだらそれはまた素晴らしいことだと思うからです。幸いにして私の写真に共感してくれてり、好意的に迎えてくれた方同士が出会えば、意味のあるものにあるような気がします。
何か具体的な形や成果を求めるわけではなくて、とにかく『機会』ができるということが・・・・最近の私の経験から・・・貴重だなと思うからです。
ですから、「肝心の」私をそっちのけで議論が膨らんだり、目論見が広がるのも大いに楽しみだからです。
個展を私だけのものにしない、そんなことができたらなあと思う今日この頃です。
- 2014/11/05(水) 00:00:42|
- 工芸
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