京都の街のあちこちにこうした若者が集まる場所が何か所かあるようです。
私はその多くを知りませんが、ここは三条大橋の下。いつものところです。

私が対岸を自転車で走っていると何やら太鼓の音がします。目を凝らすとジャンベのようです。
あれは以前ちょっと声をかけたことのある若者かな?そう思って橋を渡りました。案の上彼でした。

今日は朝の10時からここで、時々の休憩をはさみながらジャンベを叩いているんだそうです。
ずっと以前ここでは7,8人の若者が三々五々集まってジャンベを叩いていましたが、最近はその姿を・・・私は・・・見ません。
彼に聞いても、「う~ん、あまり見てませんね。他には。」とのことです。
私が、「なかなかいい角度が見つからないなあ。」とつぶやくと「僕が動けばいいんでしょ?」と自ら場所を移動してくれました。
なかなかのサービス精神です。

バイトにしても定職にしても休みの日はまちまちですから、こうした若者が金、土、日に出てくるとは限りません。
彼など前日遅くまでの仕事を終えて寝る間も惜しんでここに来ているようです。

単に日常の一コマとして演奏を楽しみ人との出会いを楽しんでいるものも入れば、将来に大望をもってここに来る者もいます。
三条界隈は、先斗町、木屋町と言った地名を周囲に持つところですから飲食店などは「京情緒」が台無しになるといってこうした青年の存在を迷惑がったりもします。

ピープル、あるいはシトワイヤンが自然に集って政治討論や音楽やダンスをこもごも楽しむパブリックスペースの発達が未熟な京都≒日本では、こうした若者たちは居場所を見つけるのが困難です。スポーツ青年も同様です。
私たち写真を撮ったり絵をかいたりする者にとっても、公的な展示場所は希少です。
そういう場所も金になる場所としてしか提供されません。
人々の権利として保証するという思考が政治にないからでしょうし、経済界にもないからでしょう。

コンサートホールのようなものは建てられますが、もっと出入り自由で気楽で使用料が格段に安いものものが必要なのです。
学生や素人演劇など小屋探しに苦労しているはずです。合唱などの練習場にも困っているようです。

公的施設の命名権を金にするなどいうことが何か素晴らしいアイディアであるかのように蔓延しているところに文化行政の貧困が見えるように思います。
- 2014/10/24(金) 00:00:52|
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