京刺繍です。

糸は生糸を撚らずに何本かを会わせて使います。
その方が平たい面が出て糸の輝きが増すからです。撚ってあれば糸に凹凸ができてそれによって影ができ、冴えなくなってしまいます。

当たり前と言えば当たり前なのですが、針がどこに出るか、というよりも正確な位置に針を刺し、その先が出てきます。
それは裏側からでも、少しの迷いもありません。
私などはボタンつけの時に、裏からボタン穴に針を導くことができずに何度もやり直さねばなりません。刺したり戻したり。
「指先で呼んでやるから、思うほどに難しくはないよ。」とおっしゃるのですが。

ところで、以前、京扇子の制作を見せていただいたときでしたか、一緒に見ていた六十がらみの女性が「こんな仕事、男でもしはるんやね。」と繰り返し繰り返し口にしていました。
職人さんは顔色も変えずに、「京都では男の仕事ですねぇ。」と答えられていましたが、内心はどうでしたでしょうか。
この刺繍の職人さんも中国からの観光客が同様のことを言っていたとおっしゃっていました。刺繍は女の仕事だと。
国の文化の違いもあるでしょうし、意識に違いがあるのは当然ですが、・・・。

「急な上り坂を親子が荷車をひいて登ってきた。荷車には山のように荷物が積まれ親子は汗いっぱいにかきながらウンウンと曳いて登ってきた。私が前で荷車をひく人に『後ろで荷車を押しているのはあなたの息子んさんですか?』と訊くと『はい、後ろで押してくれているのは私の息子です。』と答えた。そこでやがて近づいてきた後で押している少年に『前で荷車を曳いているのは君のお父さんかい?』と訊ねると『いいえ、あの人は私の父ではありません。』と答えたのだ。一体こんなことがあるのだろうか。」
本立てから探すのが面倒くさいので文はそのままではないですが、多胡氏の著作にこんなクイズがありました。

たとえ先進国中最も「男女平等」が進んでいない「女性の人権途上国」の一つ日本だとはいっても仕事についてのジェンダー意識はもう少しましになりたいものです。
家庭においてその半数で男性が毎日の夕飯の支度を担っている中国でも仕事にたいする「性別分担」的ジェンダー意識はぬぐえないようです。
日本では、農耕は男性、織物は女性という性別分担をいつまでも人々の意識にしみ込ませる装置が依然として働いているからでしょうか。レイシズムと差別的性別分担論に凝り固まっている女性閣僚を何人も登用して「女性の地位を」どうにかしようという口先三寸の内閣が長続きするようでは、日本はいつまでたっても男女同権後進国ですね。

どの分野でも男女の別なく活躍できる社会にしたいものです。そうして作られたものが優れていれば、そのままに評価され、報われるのに性的差別がない社会にしたいものです。(逆に劣っている場合にもその責めを性に求めることがないようにしたいものです。)
そんなことを考えているうちに針は舞うようにして表と裏を行き来して、まるで夢のような絵柄が浮かんできます。
- 2014/10/20(月) 00:03:01|
- 伝統工芸
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