昔、「沖縄を返せ」と歌った私はそれを多少後悔しています。
沖縄は私たち本土の人間が「返せ」と言えるほど「本来的に日本の一部」だというのではなかったし、「琉球処分」の過程は、沖縄が「明治」維新以来、最初の植民地でしかなかったことを物語っているからです。
大戦後の天皇とその「赤子」たちは沖縄を犠牲にして、自己保身を図ってきました。
未だに沖縄は本土並みではないし、本土の人間は沖縄に対して罪があると私はずっと思っています。
そういうことを思うので、初めて沖縄に行ったときには足の裏がひりひりとしました。
その沖縄の苦渋に満ちた歴史の中で人々の口に何度となく上った『なんくるないさ』という言葉が、ある時期の私を支えたこともありました。
沖縄は私の意識の中では単に47都道府県の一つというのではないのです。
さて、そんなわけでシーサーが目に飛び込んでくるとそれだけで私の心が動きます。

本土の神社にある狛犬はいかにも恐ろしげな顔をしてあたりを睥睨しています。
無論、何事によらず例外というものはあるとして、しかし、おおよそ魔的なモノを寄せ付けない威厳や恐ろしい威嚇性があるようです。
ところがシーサーには実にほのぼのとしたものやかわいらしいもの、滑稽なものがたくさん見られます。造形が自由なのです。

私が瀋陽に行ったときにそこで見た獅子たちもまた恐ろしげな形相ではなくてどことなくユーモラスでかわいらしさのあるものがほとんどでした。図体ばかり大きくともこれでは魔界のモノを退散させられないだろうと思わる愛嬌モノでした。

この人によると日本の狛(高麗)犬は韓半島から、沖縄のシーサーは中国大陸の獅子の流れをくむものだといいます。
そうかそれで中国の獅子も沖縄のシーサーもどこかユーモラスで強面がしないのか、などと一人合点がいったように思ったのです。が、それこそ私の一知半解だということが分かりました。

沖縄のシーサーは瓦職人の余技として始まったもので個々の家庭の屋根や門柱におかれたのです。ですから神社信仰などに規制されて上から目線で民衆を威嚇する狛犬とは違うのだというわけです。
何か格式があって、神社やお上に奉仕して神仏≒支配層を民衆から守ろうとする狛犬を制作する職人集団が作ったものでないから自由なのです。民衆的ユーモアが入り込む余地が大いにあるというわけです。
沖縄県のある島でシーサー作りを学んで今は京都で制作しているのだそうです。

「ユーモラスなモノもいいのだけれど、やはり元来は家々の魔よけだから、そういう表情をしたものをキチンと作りたいとも思っている。」とおっしゃいます。
一番気に入っている作品はという私の質問に、

なるほどよくできています。色もいいですね。
目の穴は屋根から人を見下ろして、見上げる人に焦点があうように作るんですよと教えていただいた。
なるほど目の穴は外から内へと傾斜して角度を持って掘られています。 そういえば寺社の屋根瓦につけられて、下を睨みつけている鬼がわらの目もそうだと聞いたことがあります。
願わくばシーサーの目は上をにらんでほしいものだ、とその時思いました。

うん?! そう思ってみると、・・・・。
- 2014/10/13(月) 00:01:56|
- 陶器
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おじゃまいたします。
沖縄について同じように思っていましたし、沖縄に行った際にも、そのことでどきどきしたことを思い出します。多くの日本人は、沖縄の歴史をもう少し詳しく学ぶべきですね。
小さいシーサー、かわいいですね。魔除けを意識されていても、作り手の人柄が出るような気がします。
- 2014/10/13(月) 07:34:31 |
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- やや #YgKj3tPc
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コメントりがとうございます。
私の場合、沖縄に降り立つところに本土から侵出している自衛隊と居座り続ける米軍が大きな顔をしているのを見て、なおのこと思いが強くなったのかもしれません。
シーサーは何を見てきたのかななんて思ってしまします。
「やや」さんのブログをいつも楽しみに読ませていただいています。私にも幾分は古代史好きの気がありますから・・・出雲史は一層意味を感じますしね・・・・興味深いです。
- 2014/10/13(月) 11:15:19 |
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- soujyu2 #-
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