わたしは今、退職前の仕事とは縁もゆかりもないこの写真という世界にどっぷりつかっています。
何の収入にもならず、何を目指すというのでもありません(・・・収入には確かに結びつきませんが実は笑ってしまうような野心はあるのです。)
ただ楽しく撮っているわけです。
私の過去を知っている人の大半は、私がこんなことに・・・写真家や真愛好家の方には失礼な言葉ですが・・・現をぬかしていることをいぶかしく思っているかもしれません。
(もっとも私がなにをしようとほとんどの人は特に何の感慨も抱かないでしょう。他人の人生に人はそれほど関心をもたないものです。)
世間ではよく「第二の人生」などといいます。
これについては一冊のパンフレットを書いてみたいくらいいろいろ考えるところがありますが、それはさておき・・・・。
ここにもその一つの姿がありました。

森の手作り市でお見かけしました。
お腹がすいたので何か手軽に食べられるものはときょろきょろしていますと、ホットドックの看板が目に入りました。
で、一ついただいたのですが、その際にこの方の奥さんとお客さんとの会話が耳に飛び込んできました。

定年退職されて、その後に一年間で調理師免許を取り、この仕事を初めて5カ月になるということでした。
それまでは学校の先生をされていたということでした。
23,4歳からずっと「先生」と呼ばれてきた人は、えてして、ある「心性」を身につけてしまいがちです。それはお客さんに対して、いかがでしょうか、ありがとうございました、と頭を下げ、腰を低くすることに抵抗感のある心性です。
全ての方がそうだというのでは無論ありません。現役の時から生徒や保護者の声に真摯に向き合う方々を私はよく知っています。
ですが、その反対の人もまたたくさん知っています。
(ただ、先生たちをスーパーなどに研修に出して生徒や保護者に対するサービスの精神を研修させるなどというのは見当違いも甚だしいと私は思っています。時として企業社会に存在する、お客様を神様扱いし、お金の前に膝まづく卑屈な精神を先生方は身につけるべきではないと思っています。)
この方のシャツの左胸に、ご本人と奥さんの似顔絵が印刷されています。
きっとこの新たな人生に踏み出すにあたって二人でよく話され、ともに道を開くことに喜びを感じておられるのだろうと思います。
それは素晴らしいことだと思います。 お二人の心が通い合ったお仕事です。
今日はあっちの手作り市、明日は向こうのフェスティバルにと毎日転々と仕事場をかえるのですが、いつもご一緒です。

以前、ある人の話を聞きました。その人が前職とは打って変わった仕事をしたいと思って奥さんに話すと、奥さんはそれは恥ずかしいからやめてとおっしゃったそうです。奥さんは何を心配され、何を恥ずかしいとお思いになったんでしょう。

この方の場合、一枚目の写真に全てが現れているように感じられました。なんて晴れ晴れとした誇らしい表情でしょう。

きっと先生としても生徒思いでよい先生だったのではないかと思ってしまいます。
(ただ、今の姿と退職前の姿を単純に結びつけるべきではないとも思いますが。とても皮肉な考えをすると先生という職業から解放されたからこんな風に晴れやかな心持ちになっているかもしれないのですから。)
いずれにしても、この方のように晴れ晴れとしてわくわくとした人生の第2幕を始められたらそれはとても幸せなことだと思います。

私もカメラと歩くこの人生を大切にしたいなと思いました。
- 2014/10/09(木) 00:03:15|
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