ときどき伺うので、お邪魔に思われているかもしれません。
今度の個展では、この方の別の写真を入れようと思っています。
そのことでご挨拶に伺って、「すみません今日もいいですか。」とこれまたずうずうしく撮らせていただきました。
この場所では他の職人さんの写真も撮らせていただいていますが、静かな上に、この方たちが好意的ですので、呼吸を感じながら撮ることができます。
前回の不十分さを意識しながら、光と影を探して撮ります。
うれしいことにモノ作り人と通じる気持ちがあるからか、私が床に座りこもうと寝ころぼうと少しも意に介さずに制作に集中してくれます。

内心は五月蠅いなあと感じられているかもしれませんが、しかし、ここでお会いする方たちは、周囲でうろうろする私を度外視して、微細な工作に専念されます。
それは見事な集中力です。
ですから、私もそうして撮らせていただけることに対する感謝も込めて、集中して撮ることにしています。
この方を撮っていて「こういう写真が好きなんだなあ。」と自分で感じます。
撮っていて飽きません。
どこをどのように撮ればいいのか、食い入っていくと自分がどんどん高揚していくのが分かります。
撮影の機会を与えていただいていることに本当に、感謝ですね。
この像は地蔵尊です、半跏の姿勢を撮っている珍しいものです。
鎌倉期のモノを手本にしているのだそうですが、鎌倉期というより平安後期のような柔和なふっくら感を持った仏さんです。
首をほんの僅かに傾けています。
質実剛健の風のある鎌倉期とは思えません。やはり教科書風に決めつけてはいけませんね。

ご自身の創作については、「まだまだなかなかですよ。」と謙遜されますが、仏像彫刻の道は奥が深そうです。
ことにお顔を彫るのは、ことのほか難しいんじゃないでしょうか。
そして全身や手指の表情も。

このやり方は自分にしかできないとことだからと、ずいぶん早くから得意げな若手を見ることがあります。
自分にしかできないことを持っているのは優れたことには違いないのでしょうが、だからと言って、それを駆使した作品がよいかどうかは別です。

それを駆使して優れているという傲慢さが紛々としている作品を見る時ほど嫌味なモノはありません。
- 2014/09/25(木) 00:00:40|
- 伝統工芸
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