私は日常行動はどちらかというと保守的というか、ものぐさというか、無精というか、怠けものというか・・・・というタイプの人間です。
それで外食をするときも、あちこちのお店に入って開拓していくというようなエネルギーのいる大胆なことはできません。
たとえば口コミ観情報を見て「おいしい」「安い」「雰囲気がいい」などという店を見つけ出すなどということができませんし、その一方で偶然見つけた店に「ちょっと立ち寄る」ということができにくいのです。
困った性格です。

ですから友人を飲みに行こうと誘える店も知らなければ、旧友が「今度京都に行くから美味しいモノを食べられる店を教えて。」などといわれても皆目見当もつかないのです。

だから?一度はいって、ここはいいなと思うとずっと同じ店に行くことになります。
ある店は、もう30年以上通っています。そこのマスターが「写真はだめだから・・。」と、奥さんが撮ってもらえばいいのにというのを「駄目なものはだめ。」と断るものだから紹介できませんが.。

美味しいお店を見つけるとうれしいですよね。
そしてそういうお店のご主人は大概魅力的な何かを持っているんです。
ある時このお店で「レバニラ(ニラレバ・・ですか?)」を食べたんです。
その時に調理してくれたのはこの方ではなくて、「ずっとないあの人のことは師匠だと思って」いるという方なんです。
食べながらふと自分の意識に驚いたんです。
お皿の上のレバーやニラがなくなったら、さらに残った汁を全部食べたいなあと感じていたんです。

私の経験の中では、大衆的な中華料理店では、こうした種類のメニューは塩や醤油、あるいは油が強すぎる上に、うま味調味料のいやな後味があることが多いのです。
口に入れた瞬間は美味しいと感じるんです。でも、・・・・。

味に棘がないばかりか油も強すぎず、お皿を最後までなめても大丈夫というか、そうしたい感じがしたのです。
今日は暑かったから身体が塩分を要求しているからだろうか・・・などとも考えてみました。
でもモヤシやニラの歯ごたえもとても心地よいざっくり感があるのです。

長年この系列の店に勤めて、味を作ってきた人といってもいい様な経歴の方のようです。
「あの人の味を受け継ごうと思って今でも勉強させてもらっている。」とこの大将がいうのです。
先輩を尊敬できるということはうれしいことですねぇ。そういう人だからかなり年下の後輩も、新米として可愛がれるんでしょう。

客として足を運びたくなる店には理由があるなあと思ったことでした。
- 2014/08/31(日) 00:04:37|
- 料理
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
料理も段取りや手際、道具の扱いなど、見ていて飽きないものがあります。無論、食べた時のアジが大きな比重を占めるとは思うのですが、それに加えたたくさんの要素を味わい楽しむのもまたよいものだと思います。
おっしゃるように真剣な眼差しが注目されます。
撮影に遠慮があって踏み込めていないことが残念です。もっとも厨房には「踏み込め」ませんが。
- 2014/09/01(月) 16:52:34 |
- URL |
- soujyu2 #-
- [ 編集 ]