たとえば大相撲の土俵入りの時のせり上がりとか、歌舞伎の見えを切る直前の一呼吸とか、ぐっと力をためていく瞬間と、ブワッとその力を解放するときの関係に似ているでしょうか。
枝雀師匠は「笑い」は「緊張の緩和」だといいましたが、笑いだけでなくここにも「緊張の緩和」があるのかなと。ただ「緩和」という解ける方向ではなくて、放出し高まる新たな興奮の方向へと力が解放されていくのですね。
踊っているところを撮りたいというより踊っている人を撮りたい、と分かったようなわからないようなことを呟いております。

この禅問答のようなところに私なりのこだわりを置きたいのですが、自分でもさっぱりわからないのです。
まあ「座右の銘」などというものが「案外分かりにくいもののほうが役に立つのと同じように、こういう問題意識もそういうものでよいのじゃないかなどと思っています。
一見わかりやすいお話には、えてして、仕組まれた落とし穴があるのです。安倍君や橋下君の話のように。
物事というのはそんなに分かりやすくはできていないのです。だからこそ科学だとか学問があるのです。
彼らの分かりやすさというのはそういう科学や学問が出てきて本当のことを明らかにされたくない、知られたくないから、そこを一目散に回避しようとする思惑のなせるわざなんですね。

閑話休題。

これまでほとんど経験のない場面での撮影ですから、ファインダーから目が離せません。
ときどき思いきってカメラを置きますが、そうしないと気合が続かなくなりそうです。
それにしてもダンサーのほうはハーフマラソンくらいを走るエネルギー消費でしょうか。

終わって背後の椅子に戻ると、肩で息をするのかと思いきや・・・。
本当に鍛え抜かれた人は違いますね。
それに比べて・・・・。
- 2014/06/29(日) 00:00:04|
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