背広を誂えるほどの給料はなく、吊るしの背広を着るには抵抗がある。
父親が仕立ててくれた服を着ていた若い時はともかく、それができなくなったころはセーターなどでごまかしていた。
もっとも仕事に対する考え方から上司がなんと言うおうと「背広は着たくない。」という思いもあった。
町のショウウインドウを覗くと、あまりにお粗末な仕立ての既製服が、こじゃれたディスプレーで飾られている。
価格もそこそこだ。
作るほうも作るほうだが、売るほうも売るほうだ。加えて、買うほうもまた買うほうだと思っていた。
そんなときに全く偶然に入ったお店がこの店だった。

当時はこの方のお兄さんが居られて、私に懇切に服の話をしながら勧めたくれた。
私は服を裏返しにしては糸目や仕上げの出来を見ていた。

胸に入っている芯の布を丁寧に一目一目すくって縫ってあった。
「いい仕事している。」と思った。

肩から胸へのラインにしわがないのはもちろんのことそのシルエットは申し分がなかった。
既製服だから、人の体に服を合わせるのではないことは無論理解していたが、これほどまで見事にシルエットが作れるのかと驚いた。
私の体は右肩が下がり、両肩の先がやや中に向く。だから胸の前にしわができるのが普通なのにそれが出ない。

そういうことを喜んでいると、「これを着てみますか?」と出してくれた高級ブランドの服があった。
私は一目ぼれした。

私は流行の先を行こうとも、遅れて嫌だとも思わない。高級ブランドにも興味がなかった。第一そういうものは財布が許さない。
だが、それから以降、ほかの「季節の服」は安いワゴンから買っても、背広やジャケットは「分不相応」にそのブランドを着た。

裏地の高級感、釦の品の良さ・・・・。
ブランドのマークを表に出しがちな服飾業界にしては控えめだったことも好感材料の一つだった。
フェンディーだシャネルだとブランドのロゴだけでできたような鞄をぶら下げて歩く気持ちが私にはわからない。
まずデザインからしてそのことだけで話にならない。
この店では決しておし売りはしないしブランドだから良いという話はしない。
そして私の小さな挑戦心をその時々に上手にくみ取って提案してくれる。
小売り展のプライドと商品知識が素晴らしい。
テーマ:ある日の写真 - ジャンル:写真
- 2014/05/11(日) 00:05:50|
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