名刺には「芸術学博士」とありました。
私はギャラリーに入って、色の鮮やかさ、線の潔さなど、みずみずしい感性の画面にひかれて回っていました。
そこへ実に気さくに声をかけていただいていろいろなお話を伺いました。

もっとも印象的な言葉は「芸術は科学だ。」という言葉でした。
その言葉には私にも共感する点があり、お話に耳を傾けました。

お年は私より大分先輩ですが、この方だけではなくてこの世代の方は案外・・いえ失礼・・・私などよりもずっとダンディーでおしゃれな方が多く見受けられます。
まして芸術分野で来られたからなおさらなのでしょう。

「まあ、新古典主義くらいまでかなあ。見るべきは・・。」
と印象派やキュービズムなどには手厳しい評価でした。
日本では印象派がやたらと人気がありますが、ごくごく乱暴に言うと、対象の表面に踊る光の現象を描くだけに終わっているというのが私の印象派にたいする評価で、対象の本質に迫る世界観を衰弱させていると思うので、この点も共感できました。
「哲学における世界観と方法の分裂」と軌を一にしているのでしょうか。

旧知の方が訪問されました。
自説を展開されている時の表情とは打って変わって和らいだ人懐こい表情です。
といって議論のときに頑なだというのでは全然ありませんが。
描いているところ撮らせていただけないかというずうずうしいお願いに、「ああ、いいよ。ただ私は何度も下描きをしたり構想を練ったりして描くのではなくて、気持ちがそうなるときまでは別のことをしていて突然描き始めるので、その時には連絡してあげるからおいで。」

「文人光画」ということをコンセプトにさまざまな職業の方々で写真好きの方々を集めて交流されているとのこと。
またその一方で旧作の名(映画)画を鑑賞される企画も実行もしているということで大変旺盛な活動をされています。 大学にお勤めの時の研究紀要の抜き刷りなどもいただいて今勉強させていただいているところです。
氏は度々の渡欧体験も踏まえて日本美術界の在り方に疑問を抱き、日本の芸術の持つ力を再評価される。
ご自身京都生まれで京都の文化的空気を内面化してきていることを見つめなおして新たな表現を模索されてきた。
今回の作品の中にも表具師さんとのコラボの成果があり、表具が先にあってそれに描かれているものもある。
私自身、日本にはせっかく表装の力があるのになぜごてごてしい額にばかりこだわるのだろうという疑問を持っていたのでこの点も肯くことが多かった。
写真でも作品を表装されている方が居られると聞くが、それにふさわしい作品ももあるはずだと思っている。
町にはたくさん教えを頂ける方々が居られる。そうした方に出会える楽しさがいっぱいだ。
テーマ:ある日の写真 - ジャンル:写真
- 2014/05/06(火) 00:02:24|
- 絵画
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