この方は、一体、年間に何度個展をされるのでしょうか。
絵でも写真でも「見てもらってなんぼだ。」という考え方がある。見てもらわねば作品として意味がない、と。
大いに一理ある。
年間に七回も八回もすれば、作品の緊張感はいやでも落ちてくる。はずなのだが、・・・。

ある方から20枚の屏風に仕立てた画材を提供されたので、その方のところに泊りこんで二週間で一気に17枚を描きあげたそうだ。
起床して食事をすると描き、昼食をとってはまた描き、そして夜は招いてくれた知人らと痛飲する。
その間川に降りてはカエルや水生生物をスケッチする。そういう生活もされたという。

「頭を柔らかく」が口をついて何度も出てくる。
先の泊まり込みの時も初日二日目の「まだ頭が固い時の絵がこれ。ようやく柔らかくなってきたらこういう描き方ができた・・・。」とご自身の不十分な状態での満足のいかない絵も正直に紹介される。
「この辺は紙をひっかいて・・・・」と。

この日私は比較的早くからギャラリー巡りを始めて、場所によっては二人目の来場者などということもあったけれど、北から攻める私に対して南から攻めあがってきたこの方は、すでに何か所ものギャラリーで来場者として私の書く前に署名をされていた。
ご自身が個展をされている時でさえそうだ。

氏は見るべき作品のない会場では会場を一周一瞥して無言で早々に立ち去る。
噛みつく価値もないというわけだ。

甘いおべんちゃらは言わない。単刀直入な批評をする。
私は若い画家たちに、あえてその批評を受けてごらんと言い置くことがある。
「ちょっと厳しいけどね。聞いてみる価値はあるよ。」と。

横に居られるのは今日仲間とグループ展を別会場でされていた方。その会場で個展を知らされてさっそく来場した。こういう前向きな人に出会うと氏の口調は快活となる。
ご自身の工夫を隠そうともしない。描いては描く、ご自身の「わが道」に対する自信だろう。
偉そうにされるのも嫌いなら偉そうにするのも嫌い。ただその自身の工夫ゆえの口吻が時に人をしてたじろがせるかもしれないが。
向き合う価値を持った方だと思う。
テーマ:ある日の写真 - ジャンル:写真
- 2014/03/14(金) 00:04:25|
- 絵画
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