もうすぐこの建物での職人さんたちの実演がなくなる。
「以前、高齢の婦人が見に来られて『地方ではなかなかこうしたお仕事を直接見ることができない。自分も和服が好きで仕立てもしたいのだけれど、こういう本当の仕事の様子が見られてうれしい。』といっていただいた。
私らの仕事をそういう風に見てくれて涙が出るほどうれしかった 。」とおっしゃっていた。

以前も書いたけれど、全国に四千人余りの伝統工芸士が居られるけれど、そのうちの千人余りが京都にいる。
「伝統」工芸士が居られなかったり数人という道県もある。
「伝統工芸」ばかりが工芸ではないので、地方地方にすばらしい工芸の職人さんはおられるが、なかなかその姿を直接見る機会は少ない。
第一人数自体が減っている。ことに伝統工芸では。

ミシンの仕事が大半を占めるようになって「手縫いの良さをわかっていただける方ももうあまりおられないん違いますか。」ともおっしゃる。
良い仕事を見る力を持ちそれを楽しみとすることができる人々がいなければ、糊とテープでできた服でもいいわけである。
背広上下を「2万円!!」それにさらにスラックスをプレゼントなどと言われると、到底職人の仕事は入り込む余地がない。 生地と付属品だけでも2万円で背広を仕立てることはできない。
この布を負った人々た縫製をした人々の賃金はどのようなものなのだろう。
そうしてつるされている「紳士服」の襟は波打ち、そでぐりは乱れ、胸にも胴にもしわがよっている。
アイロンで無理やり型をつけた服ではひとたび雨にぬれれば・・・・。

しかし、私のような平均的な給料取りには「誂えの背広」など夢のまた夢だ。
昔からスーツは給料1カ月分と言われていたが、服にそれだけ金をかける文化は大衆的だとは言えなさそうだ。

この仕事は帯の生地に芯を縫いこむものだ。
待ち針りで止めている。その待ち針は年季が入っていて、グねっと曲がっている。

縫いこむ芯となる布は「数字的には表現できませんが、ほんのわずか、たるませて縫いこむんです。使うと布が伸びますさかい、ちょっとそれに合うようにしてあげるんですな。そう線と突っ張ってきしんでしまうんです。」
出来上がり、実際に着て、しかも一定の時間が経過した先を見通す仕事。
ちょうど法隆寺の塔の軒などが瓦の重みでしなるのを計算に入れて切られ削られるように。
それは単に、技術誇りではなくて、着る人への思いやりでもある。
売ってしまえばこっちのもの・・・むしろ早く壊れてほしい、壊れるように作っておこうなどという・・・という資本主義的論理では失われがちな価値観だ。
職人さんでもこの方たちの世代と、私より若い世代とではこうした点でも考え方が違ってきている気配はある。
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- 2014/03/10(月) 00:05:14|
- 伝統工芸
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