
もう11月も終わりに近いですね。
知人の漫画家が「サンタ漫画展」の案内をくれました。 そういう時期ですねぇ・・・ちなみに彼はミャンマーの軍事独裁政権の暴虐を非難する取り組みをしています。
しかし、毎年年末は、軽薄に浮かれる人々の陰で年を越せない苦しみを味わっている少なくない人々がいます。
にもかかわらず、政府はそのうちに「路上生活税」などさえ作るかもしれませんね。
声なき民のままでいいのかなあと、そう思います。

さて、そろそろ「今年はどんな年だったかな。」と振り返る時期でもありますね。
まだ早いかな。
やらなければならないことがまだまだたくさんありますものね。

急に冷え込んだ日に、つい寒さに負けてストーブを出しました。
今年の冬は「暖冬」だと言います。
このところ雪の降らない12月というイメージですが(京都市内では)、翌年の猛暑の夏とどう関わりがあるのか。
私のe・メールの受信トレーに様々な角度からの地球環境を守れという呼びかけに力を貸すようにという呼びかけがたくさん入ります。
世界の農業にも異変が出てきています。食料自給率が特段に低い我が国ですが、「安全保障」という面からも大いに脆弱ですよね。
もちろんそれは対米依存度を高める(アメリカの)政策の一環でもあるわけですが。

年賀状を書くときに、またひどくまじめな気分にさせられるのではないかと思います。
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- 2023/11/30(木) 00:00:05|
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ギターを弾いて歌っている人は東京から来ているのですです。お隣の人は京都の「サポーター」かな。
今まさに同時配信中です。
私が「撮らせてくれませんか」とお願いした声も入ってしまっているかも。

最近の私の頭の中は極めて不便、不都合な働きをしていて、ここに掲げられているボードを見て「違うなあ、違う。『停戦』というんだからウクライナ・ロシア戦争かイスラエルのパレスチナ侵略戦争のことだろう。でも、ウクライナの国旗ともロシアのそれでイスラエルの旗でもない。私たちが忘れがちなミャンマーの軍事独裁政権の凶暴な暴力支配をやめろと言っているんだろうか。」などと考え巡らして、パレスチナの国旗に思い至らない。で、「違うなあ、確実に違う。」と思いながら「ミャンマーですか。」と口に出してしまう。
この頭のぎくしゃくとして不合理な動きはますます暴走しているというのが現状です。

遠い国の空の下の人々を思って歌う。
人間にできる素晴らしい能力です。
東北の震災の時には、やたらと「自粛」を叫んだ同じ国民が、今この瞬間にも病院が焼き尽くされ破壊されて老若男女が殺害されているのに、ボールゲームにどこやらのチームが優勝したことで、乱痴気騒ぎをしている。
誰か、ちょっとだけ自重しませんかと言わないものだろうか。
本当にうれしいことで小躍りして祝いたいところだろうし、何もしないってわけにもいかないだろうけれど、そこにさらに万博や賭博場建設まで乗っけて騒ぐような人間性を欠いたことはするような輩を支持はすることだけはしないでほしい。

「話し続ける、歌い続ける」
遠いこの場所で戦争を止める力は無いかも知れないけれど、そうしないではいられないという。
同感です。
関心もをち続けると言うこと、それさえ力になる。

ここにこの人達がこうしていなければ、出町のデルタに遊ぶ人たちの誰一人として「エルサレムの地にいますぐ『停戦を!』をと叫ぶ人はいないという日本を歴史を作ることになる。
私がそれに関心を持って撮り、共感を明示的に示さなければ、二人以上の広がりはないと言うことになる。
二人が始めたら、一人が足を止め、また別の人が話しかけた・・・そう言うことが人々をまっとうな方向に進む勇気を励ますことになる。
だから、私はこのお二人に感謝したい。
歌声よ ガザの空に 届け
世界の人を動かせ!

私(蒼樹)は言いたい。
「奴ら(イスラエル)を 通すな!」と。
- 2023/11/29(水) 00:00:02|
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いま世界は多くの戦争や紛争を抱えている。
ウクライナ・ロシア戦争然り、イスラエルによるパレスチナ侵略戦争然り、ミャンマーの軍事政権の軍事的民衆弾圧。
アメリカが無法に軍事攻撃したアフガニスタンではアメリカのご都合主義的な「放置」で、事後は四分五裂の軍事紛争が続き人々は死の恐怖におびえ続けている。
アフリカでは日本ではほとんど知らされない紛争対立がいくつもある。
そういう中で日本も着々と戦争をする国へと変貌してきている。

第一次大戦後の世界を「ベルサイユ体制」といったが、第二次大戦後を何というか。
いずれにしてもいわゆる東西冷戦状態が終わり、一瞬アメリカの単独の世界支配体制が生まれた。が、しかし、今はまるで違う局面へと進んでいる。
それを多極化の時代というかどうかは別として、こういう世界の様相の変化の底流に何があるか、その特質は何か、その中で日本はどういう位置と働きを持っているのか。 実は多くの日本人(私も含めて)はほとんどわかっていないのではないかと思う。

イスラエルの「ガザ侵攻」に対して国連の総会では「【ニューヨーク=佐藤璃子】国連総会は27日、イスラエルとイスラム組織ハマスの衝突をめぐる緊急特別会合で、人道回廊の設置や「人道的休戦」を求める決議案を採択した。採択に必要な投票全体(賛否のみ)の3分の2以上にあたる121カ国が賛成した。米国やイスラエルは反対し、日本は棄権した。」と報じられました。
国連加盟国は日本を含めて196か国です。121か国というのは約62%に当たります。
アメリカ、イスラエル、NATO諸国、および日本などは、世界の少数派です。
日本では、例えばG7などを極めて重視していて、そのG7こそ世界を主導しているのだというような考えが一般ですが、果たしてそうなのでしょうか。
主要7カ国(G7)はが40年前には世界の国内総生産(GDP)の6割ほどを占めて世界を主導するだけの力がありました。しかし、最近では4割ほどです。中でも、アメリカはただ一国でも国際経済の中に占める力は、GDP表示で1970年には31.7%もあり、(ちなみにこの頃は二位がソ連邦で12.7%、日本が6.2%。)ました。これならG7で決められたことが、良かれ悪しかれ否応なく世界を規定していくでしょう。中小国はそれを拒否しようがありません。ですから国連などはあってなきがごとしでした。最近国連の無力が取りざたされますが、今に始まったことではなくて、それはアメリカを中心とする大国に責任があったわけです。

それが、2020年ではアメリカが21.9%へと凋落しています。
(ちなみに第二位は中国で18.4%、日本は5.3%、そしてロシアはなんと1.7%。)
アメリカの実力は、数量的は21.9%だとしても、その質、つまり軍需生産の水準や世界経済の金融情報・システムを握り食料やシェールガスといったエネルギーに関しも戦略的に重要な世界経済の管制高地を握っているという点で、中国の18.4%と単純な比較はできませんが。

ここで、私たちが注目しなくてはならないことは、
国連で121か国がアメリカに異を唱えてとしても、それの弱小国がいくら束になっても世界を動かせるわけではないという人もいるわけですが、次のことに注目してほしいと思います。
すなわち、世界のGDPに占めるいわゆる「北」の先進資本主義国と「南」の発展途上国の割合です。
今の性情を念頭に置いたときに、・・・つまりグローバルサウスなどの台頭… 中国+インド+その他のGDPシェアです。
1970年には、それ等の合計は31.6%でしかありませんでした。それが、2020年にはなんと、57.8%になっているのです。
これを国連の動きとして考えたときに、1970年ころには、先進国以外の意思が国連総会で一致して示されたとしても世界のGDPの30%の声でしかなかった(しかも先進国の経済的支配下にあり、貧困にうめいているうえ、独立性や自主性は大いに制限されていた国々が多数でした。)ものが、今や世界のおおよそ60%の経済力を代表していると言うことになるのです。

だが、そんな数ばかりの烏合の衆が何ほどのことかというでしょうか。
確かにその通りです。 そうした中小零細国がいくら多くを占めてもそれが力になんてなりはしない。
しかし、例えばASEANは内部的に利害や歴史的な対立を含みながら、非軍事的に解決するちうう明確な意思を示して東南アジアにおいて重要な地歩を占めて、ここに紛争が起こることのない世界を築き始めています。
ラテンアメリカでは、それぞれに国々の利害の対立はあっても・・・かつてとは違って・・・反米では広く一致する結合があります。
中国は「一帯一路」戦略で東アジアから中東、さらにはアフリカまでの、彼らなりの経済的な「結びつき」を提唱しています。
イスラエルのパレスチナ侵攻に対して、アラブ諸国の反米、反椅子ラルの結合はますます強化されています。
アフリカ諸国がアメリカやイギリス、フランスなどの先進資本主義国に、そろいもそろって賛同しないのは、19世紀20世紀の梃櫛木諸国の植民地支配や約束の「独立」を台無しにする干渉政策の煮え湯を飲まされてきた「共通の」経験があるからです。
- 2023/11/28(火) 00:00:01|
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年に幾度あるでしょうかね。街中での会食。
ちょっとお酒も飲んで気持ちよくなって「もう最終は行っちゃったかなあ?!」などと不確かな記憶でバス停に向かいます。
もし最終のバスが出てしまっていれば、大きく回って地下鉄に乗って、嵐電に乗り換えて、遠回りで帰らなくてはなりません。

夜になれば町は夜の顔をします。
最近は木屋町当たりの繁華街では過半数が外国人旅行者のような印象を受けます。
清水寺や嵐山は外国人観光客で、文字通りあふれかえり、「まるで祇園祭の宵山のような状態。」だという人も少なくありません。

この外国人観光客の激増は、円安の影響が大きいのでしょうが、この歯止めのない観光行政がまともなのかどうか、大いに疑問です。
大阪・維新万博で外国人観光客がどんと増えるので大阪以外の各地方でも、そのおこぼれをいかがですかと、大阪維新府市政は万博開催の仲間づくりに懸命ですが、これ以上、また劇薬的に増やしてどうするっていうんでしょうか。しかも、それは一過性で観光客の前どりみたいなものになるわけで、その時に乱雑に儲ければ、事後安定的に観光客が来ることにつながるかどうか。
万博も「儲かるから乗りませんか?」が主たるコンセプトですよね。そして「後に控えし賭場づくり」です。
周囲を多くの若い外国人観光客が取り巻いています。
結構楽しんでいるようですよ。
これから寒く隣こうした路上パフォーマーの姿も少なくなるでしょうが、クリスマスくらいまでは、盛んな活動があるでしょうね。
数年前はよくここからさほど遠くないところfで打ち合わせやミニコンサートやワインパーティーやとこれ位の時間帯に外に出ていたものですが・・・・。

その機会を作ってくれていた拠点が閉じてしまいますので、私の人生も華もアルコールも激減することでしょうね。

でも何か口実を作って外に出るようにしないと「枯れ」てしまいますね。

先ほどまで参加していた今夜のイベントの中では、いつになく何人もの演者の口から「平和」という言葉や選曲が見られましたね。
直接的には言われなくても、ロシア・ウクライナ戦争やイスラエルのアラブ諸勢力への侵攻戦争は人々の心に重く影を落としているように思います。
海外から「遊び」に来ている旅行者でも「平和」「戦争を止めよう」という呼びかけには敏感です。
- 2023/11/26(日) 00:00:01|
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撮影のために街中を行き来しているとこんな人が声をかけてきました。
アメリカからの人だそうです。

「あなたたちはいい仕事をしているねえ。」と流暢な日本語です。
アメリカで日本語の教師をしているんだそうです。そして日本旅行の後には韓国へ…だそうです。

時々英語も交えるんですが、何しろ私の英語がひどすぎて・・・・。

私が撮った写真を送ってほしいと言うことで、目下Lineを繋いでいます。
彼の方が、ずっと電子環境に詳しい。
こうして地球の裏側の人とつながっていきます。

彼は自身写真も撮るし芸術関係にも活動実績があるらしくて、私と一緒だった方が書家でしたので、その点にも興味津々。

こんな風景を開国直後の人々が見たらいろいろな意味でびっくり仰天でしょうね。
ネット環境と言い、スマフォの開発と言い、そしてそれらの圧倒的なダウンサイジングと言い、私たち世代は目を白黒させています。
もう30年前は想像できないほど違った世界ですね。少なくとも表面的には。

第一、写真をペーパーで見てもらうことは写真現象の中でもう1%のシェアもないのじゃないでしょうか。
もしペーパーでしか写真を見てもらえないとしたら、私の写真が皆さんの目に触れるなんてことは、ほとんどそのチャンスは絶無だったことでしょう。
こうして、海外の人と繁華街の路地裏で偶然に会って話し込むなんてことも、です。
こうした変化を世界の平和、人権の擁護につなげたいものです。
- 2023/11/25(土) 00:00:02|
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もしよかったら君たちの写真をブログに掲載したいが・・・。
というと、「たぶんそう来るんじゃないかなと・・。」とこれまでも時々拙ブログを覗いてくれていたS君。
プライベートな写真をアップすることには私も幾分かの戸惑いがある。

まるでダボハゼのように何でもかでも撮ったモノを掲載するのでは「素敵な人たちと」の名に反する。
しかし、この3人ほど「素敵な人たち」にふさわしい者もそう多くはない。
ふさわしいと言えば実にふさわしい。少なくとも私の主観においては。

「(仕方がないなあ。)、じゃあ『その他大勢扱いで、』」という。
誰が主人公で、誰を「その他」扱いにできるというのだろう。
確かに私たちは「名もない大衆」の一人だろう。決して「勝ち組」とやらでもない。
だが、「名もない大衆」であることを恥じてもいない。

だが、彼らの生き方はくっきりとした個性を持ち、天下国家のことを我がこととして引き受け発言し行動する気概を持っている。
決して「砂のような大衆」ではない。 「その他大勢」として「顔の無い」大衆にはなっていない。

市井の一個人として、しかし、歴史の中に生きる一個の人間としての矜持を持っていることにおいて、マスコミに踊っている「偉そうな」あれこれの人たちとは比べようもなく尊い。

英雄であるとも「一騎当千の兵」とも言えないが、70年代初頭に学生であったものの実にまっとうな未来の姿を実現している。
私たちは歴史的存在であった。それを単なる受動性において生きるのではなくて、主体化し自覚して生きて来ているということが、正しく評価されなくてはならないと私は思う。
そして、そもそもこういう価値基準があまりにも希薄になり、理解もされず、むしろ遠ざけられている今日の世の中。

こんな話を書きつけてもいったいどれほどの人が注意して読み解いてくれるのか。
だが、こっそりこのブログを覗いてくれるこの三人や、別の友人たちは、大いに照れながら、「過大評価、過大評価」などと言って笑いながら、少しだけ頷いてくれることだろう。
私の長い長いブログにこういうページを刻むことができたことは何よりうれしいことです。
- 2023/11/24(金) 00:00:05|
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お互いもうそこそこの年齢ですから、持病の紹介もあれば、家族の話も出ます。
まあ、そこは多くの方たちと同じです。
「二階に用事があって階段を上がるんだけど、ふと別のことに気づいたりすると、『何しに来たんだっけなあ。』と思い出せない。」などという「自慢話」も山ほどです。

ある人が書いていましたね。
物忘れがひどくなるのは、痴呆が進んでいるからなのか、それともこれまで多くの知識を身に着けてきて、もはやメモリに余裕がないので、新しく学んだことで過去の知識が追い出されてしまったせいかもしれない、できれば後者であってほしいね、と。
最近は読んでも読んでも若い頃のようにスムースに記憶できない。それは過去の知識がもう頭の中で押し合いへし合いしているので、一つ消さないと一つ記憶できない…のかな。

でもそれは記憶に関することで、理解力は多少増進しているようには思ううんですが、錯覚かな。
創造力、想像力や構成力の衰えは感じますね。
でも深く理解できるようには思います。
う~ん、申し訳ないなあ。どうせ間違えて持ってくるんだったらα900にすればよかった。
このα99はα900より便利になっているんだけれどその分使いにくい。

どういう表情にピンとくるかということは多分撮る側の年齢や経験や思考の深さによると思う。
そりゃ当然そうだろうと思う。
撮る側の年齢とともに共感するポイントが変わってくるだろうと思うし。
だからこの三人といると撮りたくて仕方なくなる。
楽しい旅行に来てやたらとカメラを向けられては迷惑だろうなあと思いながら。

モデルはいいのにこんなへたくそに撮ったんでは、リタイア以後ずっと人物と追いかけて写真を撮ってるよと話しても全然説得力はない。
でも撮らないと残らないから。

それにしてもいい顔してるなあ。
いい顔≒いい人生。
- 2023/11/23(木) 00:00:01|
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私は人の気持ちの機微のわからない人間である。
だから、こういうことになったことを説明できない。
しかし、良い朋がいて、大いに談笑すれば、万事、「良き哉」である。

大学時代の友人である。
この三人が、ここしばらくの間、年に一度?旅行をしてきたらしい。 卒業して再会の機会を得たのはそれぞれ別の機縁のがあったからだという。
そして今回私もここに加えてもらった。

現地集合。
集合場所のホテルの駐車場に車を停めると、彼らは手に手に新生児の体より二回りくらい大きな白菜やら柿やら生姜やら山芋やらサツマイモやらクルミやら・・・を新聞紙を巻き袋に入れて、「土産だ持って帰れ。」と差し出してくれた。
普段から農作業に励んでいるらしい。

私一人「都会人」であり、猫の額も大威張リの狭小な土地につつましく暮らしている私にはできない芸当だ。
それにしても、三人の計画に直前の参加となった、私にさえこれほどの歓待だ。
かしこまった再会の挨拶もない。実に気分よく話の輪に入る。
この集まりのほんの少し前に同じ大学の旧友とミニミニ同窓会が京都であった。
北九州に住むK君が、一度京都で皆に会いたいと言っていた希望をかなえる手はずだったが肝心のそのKが役を仰せつかっている会の大切な集まりが重なってこられなかった。
その会の際にも大学時代に議論していたあるテーマなどでN君と遅くまで議論して心地よい興奮を味わった。
おいしい夕食後には、この三人とも酒も飲まないで飽かずに深夜まで様々な事柄について意見交換をしたが、さきのN君と言いこの三人といい、まさに現代を生きてものを考え勉強し続けている真面目を感じて、自分を振り返らずにはいられなかった。

普段の「素敵な人たち」との出会いの中でも、なかなか出てこない問題について、そして出てきたとしても、容易に踏み込めない水準で話ができる喜びは実に大きい。
大学時代の学び合いが根底にあるからこその議論だ。
- 2023/11/22(水) 00:00:02|
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あまり間を置かずに大学時代の湯人たちと会食をして、しかも、かなりの時間意見交換をした所為か、それ以後少し情緒的に不安定です。
落ちてきているのではなくて、幾分の高揚感を交えた浮遊感があるという感じですかね。
でも、不安定だと言うことには違いありません。 乙女チックに言うと「感じやすくなっている」ということでしょうか。

たぶん「人生」という文字がちらつくからでしょう。
友人たちとの味わい深い時間を共有して「人生」という文字が濃く浮かぶようになりました。

それだ、何かしらこうして撮らせてもらう雰囲気が重くなっているかもしれません。

写真は撮られる側の気持ちを反映するのはもちろんですが、ある意味でそれ以上に撮る側のメンタルが映るような気もします。

ですからこうしてブログに投稿したり個展をしたりして自分自身のメンタルをさらけ出す作業を続けていると言うことは、いったいどういう意味があるのかということを、また振出しに戻って考えてみる必要があるかもしれません。

- 2023/11/21(火) 00:00:01|
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先日、こりゃもう冬の入り口だなあと感じる日がありました。
あれ?! 雪?なんていう白いものも舞ってきたりして。
その後、また少し秋に戻りましたが・・・。

寒くなったらこんな風に水辺には立ちたくなくなりますよね。
幸いこの日は天気予報が伝える感じに比べて光もあり、気温もましでした。
そしてこの人は林の木々や水が好きと言います。

TVの「京都○○殺人事件」じゃありませんが、舞台は一挙に飛びます。
どの地方を舞台にしてもそうでしょうが、刑事ドラマなどでは、地元の人から見れば笑っちゃうような遠いところに歩いて行ったことにったことになっていますよね。

この時は地下鉄を乗り継いでのワープです。

たまたまこの時は中高生の下校時間で、近くに大きな学校があって、生徒たちと観光客との混じった人の流れが絶えません。
その2,3秒の間隙をぬって撮ります。

そしてまたまたワープです。
- 2023/11/20(月) 00:00:03|
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この人を、一言で言い表すのは難しい。
経歴も複雑。

この人が、あるギャラリーでほかの方たちと共に絵を展示している時にお会いした。
お名前は「「絵描き忍者 千sen」

壁に絵を描いたりライブペイントをされているそうですが、それは「今は」と言う条件が付くようです。

京都にはこの春からお住まいだそうですが、ここを拠点に広く活動されているようで、むしろ京都を留守にすることが多いらしく、「まだ京都の地理はあまりよくわからない。」様子です。

まあ、斯くいう私自身も、すでに半世紀ほど住んではいますが、京都のことはよく分かりません。

たぶん観光案内ども、全くできないと思います。
「○○の美味しいお店」とか、「庭のきれいな割烹料理店は」とか「大人な雰囲気のムードのあるバーは」とか言われても、「さあ?」としか答えられませんしね。
- 2023/11/19(日) 00:00:02|
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少し以前に、ここを通ったときにもこの青年が店の前に立っていて、「うん、この背景で彼を撮りたいなあ。」と思いはしたのですが、少し行き過ぎて振り返ると、店に中に入っていました。

この店は昼から開いているバーですが、外国人客が多く、目立ちます。
こんな感じのバーも楽しそうだなあと思いますが、私はどうも一人で飲むのが苦手で・・・。
そして、こんな雰囲気のバーと、ちょっと動画のこの青年との、どことなくミスマッチなところが妙に気になって・・。

この時にも、一旦は素通りしたのですが、やはり気になって振り返ると、「どうぞ・・。」と声をかけてくれました。
「やあ、ごめん、飲む方の客ではないんだよ。実はね・・・・。」と説明をすると、
「僕でいいんですか。」と了解してくれました。

京都の飲食店は・・・・そのことの良し悪しは、置くとして、現実的には・・・・彼のような若者のバイトで支えられています。

学費があまりにも高いからねえ。

「そうなんですよ。」 という話でこういう表情をしたのではありません。

「もしよかったらメールをください。そしたら返信位この写真を添付して送るから。親御さんに送ってこんな風に元気にしてるよと見せてあげたらどうかな。」
「そうだなあ、そうしようかな。」

一本の電話、一枚の写真・・・ですよ。

- 2023/11/12(日) 00:00:04|
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ご本人からメールをいただいて、それへの返信にこれらの写真を添付して送りますと言うことになっていて、残念ながらいまだにメールが来ないので投稿が遅くなりました。
ただ写真の公開のお許しは、得てありますので。
四条大橋の橋詰です。

今日がストリート・デビューだそうです。
私の感覚からすれば、すごいなあとその一語ですね。

色々な表現の仕方があるので一概に言えないのですが、私はマイク〔アンプ・スピーカー〕の助けなしに歌うことを目指した方がいいんじゃないかなと思ったりもします。
現実は、多くの方がアンプの支援を活用していますが・・・。まあ、雑踏の中でもありますしね。

夕暮れ時は退社する人、これからデートや会食や・・とお出かけの人。
そんな中で歌うのですから、なかなか人を惹きつけるのは難しいですね。
そういうことに挑戦するというだけで、私などは怖じ怯えてしまいます。
何にしてもそういう気概には拍手を送りたくなります。
私の個展だって、まあ、いわば同じようなものですしね。

ここだって、いわばステージのようなものですから、ここに立つには勇気もいることでしょうね。
(人から見たらどうであれ)一所懸命練習もしたでしょう。

人に歌を届かせるというのは、なかなか難しいものでしょう。
まして歌の心を届けるのは・・・。

経験を積んで積んで学び取っていくものかもしれませんね。
その経験が許されるのが「若い」ということの特権でしょう。

(などというステロタイプ化した考えはもう古いですね。いつだって始められるんです。)

そういう意味では、この人と私は同じようなものかもしれませんね。
- 2023/11/11(土) 00:00:04|
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大学時代の友人たちとともに書いた全国ゼミ参加用の『論文』。
今誰か手元に持っているのかなあ。
学内のゼミ大会、関西レベルのゼミ大会、そして全国ゼミ。当時は国際的に最大級の学生の自主的なゼミ大会だったわけで。
神奈川大学でやったときだったか、別のとある大学のゼミの論文を手ひどく批判した記憶があります。
私たち自身もそうでしたが、提出論文には、ゼミの担当教官の影響が濃厚に出るわけですが、事前に論文が配られていますから、皆で隅から隅まで検討して、他のゼミの論文は、ほかにおいてそのゼミを集中的に批判しました。相手の議論の勘所は分かっていましたし、私たちはもう2回生の頃から、そういう議論に対して、それぞれに学んで深めてきていましたから、相手の議論の誤りは手に取るようで、やっつけるのが楽しみで・・・。

そういうことを一緒に経験した友人は貴重です。
ただそれもそのやり取りをした教室の中の景色をおぼろげに記憶するだけで・・・もう他は霞の中です。
ただ一枚の写真があればなあと思うのです。

今はほとんどみながカメラ〔スマフォ〕を持っていつでも好きな時に写真が撮れますし、実際ことごとに撮っている人が多いのですが、あの頃は、そんな場面で写真撮影をするなんてことは思いもよらず、ただただ現実の中で実践あるのみでした。
未来のために記録するとか、思い出を残すみたいな、現実から距離を置くような「冷め感」や「他人事感」というか「傍観者的な気分」はたぶん皆無だったと思います。
だからこんなことを勉強したら就職に有利だとか不利だとか、そんなことも考えませんでした。
知りたいこと、未知の世界に分け入ることの面白さに浮かれていたのかもしれません。

それがあったればこその仲間でした。
この人たちも「🎼 学校出てから十余年、今じゃ○○の×× ♬」となって久々に会い、愉快にこの時を思い出すことでしょう。
- 2023/11/10(金) 00:00:04|
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お互いで分担したことをそれぞれ取り組んでいるらしいのですが、「それぞれの進み具合って共有できてるの?(そうでなくては面白くないでしょう?!)」
「はい、まあおおよそ雰囲気で。彼がかなり行き詰っていることは分かりますよ。」
と、この人は余裕ありげです。

こちらの人は「見通しはついています。」と。


「こんなことは初めてだ。」と頭を抱えています。
レンズが向けられているので多少オーバーな演出をしてくれているのかな。
実際は[胃が痛みます。」といいながらお腹を手で押さえながらも、笑顔でいろいろ解説してくれました。
私が出会う多くの若者たちはこの老人に親切です。

つい先日、私自身が大学時代の友人たちとミニミニ同窓会でしたから、この友達同士の会話がやがて思い出の霞が掛かっていくのだなあと・・・・。
お互いの記憶をパズルのピースにして埋め合わせても、欠けたままの部分はたくさんあります。が、その一方、「そこはそういうことだったのか!」と意外な符合に驚いたり、感謝したり、尊敬したり・・・・。
別のチームのメンバー?が買い出しに行って、差し入れです。
僕らの分もあるかなあと、ちょっと遅れていったのですが・・・・・ちゃんと確保して帰ってきました。
やっぱり楽しいですね。
- 2023/11/09(木) 00:00:05|
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「新人類」などという言葉はもうカビが生えているほど古臭いですね。
「1955年~1964年生まれ」の人たちを指して言う言葉だそうですからね。私より少し若い人たちです。
今日のこの若者たちは「新人類」と言われれば、また新語として、また新たなニュアンスで「何か言われてるな。」と思うかもしれません。

今日は初秋のような天気でしたが、その明るい空の下で、三つのグループがてんでに、ノートパソコンを手に手に何かやっています。
寝転ぶもの、机に向かうもの、PCを膝において丸くなって画面をのぞき込むもの・・・様々です。
まるでそれぞれがコンピューターゲームに取り組んでいるような感じです。
自分の部屋で過ごすようにマット迄持ってきています。

この三人はテーブルを持ち込んで・・・。
話を聞くと、出来合いのゲームを楽しんでいるのではなくて、この出町柳の〔デルタ〕地帯をテーマに、何かデジタルなイメージの世界に構築をしているようです。そのためのプログラミングをしているんだそうですが、私には何のことやらさっぱりです。
それを三グループがチームとして競い合っているようなんですが・・・・。
まあ、見るからに理系の秀才たちという感じなんですが、実に気持ちの良い青年たちです。

これが「遊んでいる図」というのが何か釈然としないのは、時代の変化があまりに急で私がはるかに追いついていないからでしょう。
私たちが中高生の頃、エレキギターなるものが野火の様の広がり、大人世代を慌てさせ、うろたえさせました。
「電気ギターだと、何じゃそれは?!」という世代もあったと思います。多くの家に灯りとして一灯だけがともって、それが唯一の電気製品だという家庭も、つい昨日まであったという時代ですから。

そういう世代間ギャップというのは、・・・いまでは、どの世代も継続的に新たなことを学習し続けるという、これまた人類史上まれな時代になっているのではありますが(ただ資本主義社会ではその学びが歪み、また階層間格差を助長する方向で働いていますが)・・・・これからますます激しくなるのでしょうか。

三人の中で一番この分野でのキャリアの長い、もっと力のあるこの君は、それだけにチームの中で一番重要な課題に挑戦しているらしいのですが、PCがうまく働かない状態に陥っているようです。

チームの浮沈のカギを握る人がこの状態です。
- 2023/11/08(水) 00:00:04|
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これもいいなあと思いますね。
普通に気持ちよい絵に撮れるというのもなかなかないもので・・・。
これもまた一つ、目指したい課題ですね

ご家族、親族に教育関係者が多いんだとおっしゃっていました。
ふ~む、然もありなん。
楷書をせめて行書くらいにしたいのですが、なかなかそうはいきませんね。


- 2023/11/07(火) 00:00:03|
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この方は、つい最近海外の大きな賞をとられて、外国での作品展示がかなうようです。
これまでしてきたことを認められて、今後への大きな足の踏み出しの時期ですね。
そういう、少し高揚した気持ちを抱いておられます。

実はこの人を街中で撮り始めてしばらした時に、外国人男性が話しかけてきました。
日本語をアメリカで教えているんだそうです。
ですから、まあ日本語の体験を増やす意味もあったんだと思いますが、撮影をしている私たちに興味を感じたようです。
話し終わると「これから銭湯に行く」んだと言っていました。
残念ながら目指した銭湯はお休みだったようですが。

わたしは、そのアメリカン人男性のかぶっている帽子のカラフルな織が興味深くて、おしゃれな人とだなあ、楽しい人だなあと思ってすぐに「私はポーツレートフォトグラファーだが・・・・。」とカメラを撮りだしましたので、この人が積極的にお相手していました。
この頃は見たものや自分の作品をスマフォの画面で見せあうことができますから、友好はすぐに深まりますね。

私だって、ネットで私のこのブログを検索して見せれば、普段とっている写真を紹介できますが、そもそもそういう風に頭が働きません。
私はまだまだ、ネット民ではないようです。
時代の大きな変化です。

この一連の白黒写真が今回のお気に入りの一つです。
特にこれですね。
内に秘めた高揚感というか充実感が感じられます。

もう11月ですから京都の秋は日増しに観光客で込み合いますね。
でも今年のモミジの色付はどうなんでしょうね。
でも紅葉を楽しめるのはモミジに限ったことではありませんし。
- 2023/11/06(月) 00:00:01|
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11回個展に向けての私のほんの小さな野望に付き合ってくれた方がこの方。
10回目の個展でちょっとしたさざ波が私の心に起こっていたけれど、そのすぐ後に、大学時代の仲間とあって会食しておおいに呑みかつ語り合ったことで、そのさざ波はさらにざわめきを大きくしている。

しかし、このざわめき感は、そう悪くはない。

先ほどの大学からの旧友の一人が、意外なことに?私のこのブログを時々覗いてくれている。
「よくもまあ飽きずに続けているなあ。」と彼は言う。
その男は、私がある学内の学生の機関の長をした時に実務・渉外のほとんどすべてを担って活動を支えてくれた。
もう一人今回は欠席だったTと共に大いに活躍してくれて、それで名ばかりの「長」は、何かしている振りができた。
まあ、先輩にも後輩にも恵まれた。

私がこういう活動を続けられるのも人あってこそだ。
大げさに言えば「一肌脱いでやろうじゃないか。」という人がいてこそ。
ことに、おじさんシリーズや「自律する女性は美しい』シリーズは、そう言える。

「一肌脱いでもらわないと実現できない」方向に少しずつ向きを変える。
そうなると、活動の継続はやや難しさを増す。
もういい年なんだから、そういう方向に舵を切ってもいいんじゃないかと・・・・。

そうなると課題は大きい。
私自身が問われるという程度が大きくなる。それは、敢えて自分の脆弱な陣地に敵を誘い込むようなことになること間違いなしだから。
この人とのやり取りの中にもそれが垣間見えた。
地力にかけるなあと、つくづく思う。
めっきは剥げるものだ。

人物写真の先輩たちの写真を見ると、そういうことを痛感する。
しかし、そのことに気づいてああだこう出していくのが人生というモノで、そういうことにめげていても事は始まらない。
まあ、・・・実に大袈裟な大言壮語だけれども・・・写真を続ける。
そういうタイミングでこういう人を撮る機会が得られたのは大きい。
- 2023/11/05(日) 00:00:05|
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例えば、「男はつらいよ アジサイの恋」で、かがりさんが、不誠実な男性に裏切られて、失意のうちに故郷の京都丹後に帰る場面。
汽車の中で車窓を眺めるかがりさん。その髪がわずかに乱れてほほにかかる。
この髪のほつれの描く、かがりさんの内面表現は実に見事だと思う。見ているモノも思わず切なく悲しくて「嗚呼」と声が出そうになる。
映像の力はすごい。
そんな映像(画像)を夢見る私であった・・・・。

この人は役者顔と言えるんじゃないでしょうか。
写楽の「大首絵」のようです。

白い壁の壁バーで、ここの素敵なスタッフさんを二度撮らせていただいたことがあって、今日は「珈琲をいただこうかな。」と足を踏み入れたのです。
コーヒーはオーナーがこだわって選んだベトナム珈琲。 そしてこの方がオーナーさん。
この白い壁の壁バーの内装や椅子の仕立てテーブルの天板の角のアールの具合・・・、そういうところにこだわりを見てとれます。
この方の趣味です。 いいですねぇ。

単純さの中にこだわった複雑な思いが潜んでいるというのは実に日本人好みじゃないでしょうか。

宮崎駿氏が「私は元来この国が好きではなかった。しかし、私はこの国の文化に育まれて、その文化を身に着けてきたと言うことも事実だ。それがどういうものかを表現したい。」というようなことを語っていたと記憶する。
私も、この国の文化の在り様は好きではない。国民の心性もまた好まない。だが、否応なくこの国の文化をまとって今がある。言葉から離れられないこと一つをとっても、私がこの列島上で人々が築いてきたものを呼吸し肉体に取り入れてきたことは紛れもない事実。
それをただ拒絶するだけではこの国の「嫌い」な面を乗り越えることもできない。

というようなことはさておいて、先の10回目の個展やミニミニ同窓会などを通して、私の心にはさざ波が立ち続けている。
ざわざわと波立っている。

それでこういう方をお見掛けすると、もうじっとしていられなくなって「撮らせてくれませんか。」
もう少し頑張ったら写真を通じて何かが言えるかもしれないような、そんな気がするしそんな岸に立ちたいという気持ちがますます強い。

高校の友人だって大学の仲間だって、私がこんな風に道を踏み外しているなどとは予想もしなかったことだろう。
私自身だって、そうだ。
そうである以上『覚悟しなくては』

そして「大いに楽しんでいるぞ。」と。
だからこういう人に会えるととてもうれしい。
- 2023/11/04(土) 00:00:02|
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ここのギャラリーは最近は展示があったりなかったり。
でも道路方向に大きなガラスのドアがありますから、何かあればすぐに分かります。

この人はUKのロンドンから来ているんだそうで、今は英語の講師もしながら制作をしているんだそうです。
その英語教室の教養のありそうなご婦人の生徒さんがお見えでしたが、しばらくするとまた別の生徒さんが。
講師として人気があるようです。

ヨーロッパにあってUKは少々、大陸の諸国とは異質な面があるようですが、私は行ったことがないので、本で読んで知る範囲の知識しかありません。
「なぜ日本に来たのですか?」
「日本の文化が好きなんです。」
こう聞くとずいぶん悦に入って「どんなもんだい、日本サイコー」なんて思いこむ日本人がいますが、表層だけで判断してはいけません。

いえ、彼の言っている言葉を社交辞令として受け止めよとか、そんなことを言うのではありません。
彼は誠実に真面目に「日本の文化が好き」だといっているのだと思います。

しかし、肝心のその日本文化について日本人は「哲学」的にきちんと深めているでしょうか。
空気だけ、印象だけ、何となくそういうもんじゃないの「詫びとか寂」とか言っておけば日本文化について買った多様な気分・・・でも自分の日常生活は俗悪なアメリカ文化の三番煎じくらいじゃないですか。

自分のことはなかなか自分ではわからない面がありますが、こうして海外から来た人と話すと見える面がありますね。

その意味では海外旅行もまた価値があるでしょう。そういう意識を持っての旅行ならばですが。
物見遊山の旅行ではあそこに行った、あれを見たという、どこそこの何は美味しかった自慢話にしかなりませんが。
- 2023/11/03(金) 00:00:01|
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私の個展と同じで、こういう場所で演奏しているからと言って、何もプロを目指しているというばかりではないでしょう。
こういうこと自身が楽しいし、よりうまくなってみんなと一緒に楽しみたいというような気持の人もいるでしょう。
それは話してみなくちゃ分かりません。

この人はどうなんでしょうね。
今度、また会えたら訊いてみたいと思います。

イタリアに行ったときに夜のベニスの水辺の街灯の下で、ギターを抱えて歌っている少女がいました。
足の細さが何かとても心もとなげで印象的でした。 アーク灯だったのかどうか、黄色い光が傘のように彼女を包んで、その周囲を大勢の観光客が取り巻いていました。
私は、カメラを持って、撮ることに夢中でしたが。
もし、この人が四条大橋の脇で一人で歌っていたら、海外からの旅行者はどんな感慨を持ってみるんでしょうね。

この人は故郷を遠く離れてここで歌っているのです。若い時には、そうだ大阪に行こう、そうだ京都で歌ってみようと思いが膨らんで、どんどん行動するんでしょうが、私のように「俺は今こんなところで(京都で)若い子に声をかけて写真を撮っている。何をしているんだろうなあ。」などと「思えば遠くに来たもんだ。」と思うお年頃の人間もいます。
そんな軌跡も、自分を写した写真のない私は具体像を持って振り返ることができません。
この人の写真を送るのですが、10年後に50年後に、見返してもらったらいいなあと思います。

この記事を書いている日の夕刻から大学時代の友人が七、八人集まってミニミニ同窓会です。
昔の自分を知ってくれている人間がいると言うことはうれしい、貴重なことです。
写真はその役目を、いくらか、しますね。

撮った私のことは、もうその時には思い出せないでしょうが。

「あなたの心の隙間、お埋めします。」ではなくて
「あなたの今を、未来のあなたにお届けしましょう。」でしょうか。

う~ン、ちょっと、かっこつけちゃったなあ。
わたしが、です。
この人じゃありません。確かにこの人、かっこいいですが。
- 2023/11/02(木) 00:00:03|
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鴨川で音楽の人にも注意を払いながら、その一方で、「目下モデル募集中」の私です。
「おじさんシリーズに」参加をお願いすると、意外にも好感を持って迎えてくれます。お願いしますよ、ご同輩。
そして「自律する女性」「素敵な人」 探し中です。
以前はよくここを夕方以降の時間帯に通りました。すると日中とは違う風景がそこここに現れます。

今日は活動拠点の大阪から来ているんだとか。
私は大阪にはほとんど行かないので様子がわかりませんが、梅田の駅付近にはこういう路上パフォーマーが集まっていると聞きました。
別の人がスタンドマイクをたたて向こうで歌っています。お知り合いのようで、この人が動画撮影をしてあげていました。
「君は・・・?。」
「私はこのあと7時から演るんです。」とのこと。
それで少し離れた場所に移動して撮影させてもらいました。

向こうに被って迷惑をかけられないから「小声で歌ってね。歌う表情を撮らせてもらいたいから。」
カバー曲も歌うけど自作の曲もあるんだそうです。
ケースからギターを出して歌ってくれました。

こんな可愛らしい笑顔もするんですが、口をきりっと結ぶと美少年的な美人さんです。

この時には訊けませんでしたが、お幾つぐらいなんでしょうねぇ。
どんな感じの音楽を目指しているんでしょう。
私が帰宅のためのバスの時刻が迫っていて…自宅方向に行くバスを数台見送りましたが・・・・対話が不十分でした。
- 2023/11/01(水) 00:00:02|
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