四条小橋で、若者が4人して演奏していました。
こういう風景は久しぶりでしたので・・・私は、陽があるうちに帰宅するという品行方正な高齢者ですので、・・・・最近はなかなかこういう若者に出会えないのです。
先ほどまでご一緒だった人に、この近くにある電車の乗り口に近づいたので、お別れの挨拶をすると、その人をお見送りすらしないで、この若者に、持っていたカメラをかざして「撮ってもいいかい?}というサインを出しました。
こっくり頷いてくれたので、止し久しぶりに・・・・、と、間もなく曲が終わってしまいました。
「5分間休憩させてください。」というので、私は再開を待つつもりだったのですが、
曲が終わるまで待つという「粋な計らい」をしていた警察官が「ここで演るのはまずいなあ。撤収してくれないか。」
あちゃあ、残念そうな彼らが不承不承、それでも不満を漏らすこともなく楽器を片付け始めました。
私も、残念無念です。 アンプを使っていたのも、まずかったかなあ。
- 2023/10/30(月) 00:00:10|
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つい先ごろこのお店の前を通り、この人に声をかけて、お店の中を見学させてもらいました。
シンプルでよい感じでしたし、その時とても良い光が入っていて、それで、撮らせていただきました。

その時には何人かで交代で店に入るのだと言っていましたから、今日はいないだろうなぁと思いながら前を通ると、なんとお店の奥の、ちょっと暗いところにいました。

この前送った写真は家族で見てくれたそうで、喜んでくれたようです。
今日は、ビルの谷間のこの辺りには光が届かず、建物の上の方ばかりが照らされ、反射光もうまく回手は来ていませんでした。
何時くらいなら良いのかなあ。昼頃なんだろうか。

ロケハンをするとしたら、ただその辺の景色や道順や、トイレの確認だけでなくて、何時ころの光というのをよ~く調べないといけないですね。
この日の二日後にはこの辺りで撮影するつもりなんです。

このお店の近くにしないでは有名なギャラリーがあって、その4階で展示しておられた女性の作家さんに「自律する女性は美しい」といテーマで写真を撮ろうとしているとお話しすると、もう70代半ばかと思われる知的な女性作家がおおいに賛同してくれました。
ただ、その場で撮ることについては「今度、いつでもいいから来ていただいて私の知らないうちに撮ってくれたらいい。」という「隠し撮り許可」をいただきました。
いい写真が撮れそうに思います。
二日後の写真も、この「自律する女性は美しい」を意識したものになるはずです。
なる「はず」なんですが、まだ方法論が分かっていませんから、旧態依然かもしれません。
- 2023/10/29(日) 00:00:04|
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京都府立文化博物館の別館で「転生する超絶技巧 大塚オーミ陶業の芸術 ≪展覧会≫」が開かれている。
11月5日(日)までです。
鳴門市に大塚国際美術館という施設があります。 (もう少し世界各地に目を向けた展示であると、さらにうれしいのですが)、非常に充実した西洋美術の「陶板」による再現展示会場です。
下のモノは、京都文化博物館別館に展示されていたレオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」です。

私がこの絵の前で近づいたり下がったりして見ていると横から歩み寄る人がいました。
それがこの方。
大塚国際美術館のために、「美術的な陶板」作りから、美術館の建設までかかわったというMさんです。

初めは、単なる会場の責任者かななどと思っていたのですが、お話を聞くうちに、これは大変な方にお会いしているんだという感じになってきました。
先般、私は妻と共に鳴門市の大塚国際美術館に行きましたので、氏のお話を具体的なイメージと共に聞くことができました。
そして、あの時に抱いた幾つもの疑問を、直接にこの事業にかかわった当事者であるMさんにぶつけることができました。

お話の中身は、まるで宝の山を掘りあてて、ザックザックと宝が彫りだせれてくるような、興奮するような興味深いものでした。
元も単純な質問として「あのミケランジェロの壁画、天井画のあるシスティーナ礼拝堂の実際のモノより少し明るく撮色も白っぽく見えましたが、あれはどういうことでしょうか?」「確かにそうですね。あれは照明を実際よりいくらか明るくしているためです。」
こんなことでも当事者であるからこそ、簡単に疑問を解いてくれます。

陶板製造の技術的な事、絵の具の色や材質のこと核国、各美術館で異なる名画の著作権のことやら撮影の難しさのことなどなど・・・。ピカソの絵は撮影や複製が大変厳しく制限されているのだと言うことでした。
資本主義的な経営としては、こういう技術開発や美術館の建設、運営は必ずしも「割が合う」仕事とは言えないでしょう。
それでも実現した背景もお話しいただけました。

いろいろ興味深いお話を聞いていると、私の例の病気が発症してくるのは避けられないことで・・・・。
お願いしましたら快く受けてくれて、自然光の届く場所に移動してくれました。
大塚国際美術館は、まだ半分も見ることができていません。
ぜひ再訪してみたいと思ったことでした。
- 2023/10/28(土) 12:45:23|
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こうして演奏をしているとその近くでそっと耳を傾けている人がいます。
曲が終わると、そこここから拍手が起こることもあります。
2,3歳の子供連れの若いお母さんが立ち止まって、子供さんと一緒に耳を傾けていました。

京都の街のあちこちに「ようこそ文化庁」というペナントのようなものがぶら下がっています。
官公庁が移転してくることに「歓迎」とかいう情緒的な反応をすることに違和感を覚えます。
来てくれてありがとうというのは「ありがとう」と感じる利害が背景にあるからでしょうね。
例えば裁判所とか労基署が移転してきて「歓迎」なんてしますかね。
そうした官公庁が特定の一部自治体や個人などを優遇するのはご法度だし、行政はニュートラルでなくてへはなりません。
(まあ、もっとも、沖縄の一部自治体では「ようこそ、自衛隊」なんてやっていますが。)
行政機関が来たから京都の文化が増進するという発想も、どうかと思いますね。
そうではなくて、日日の生活の中で現に音楽をしたり、絵を描いたり劇をしたり、あるいは地域や世代ごとの楽しい集まりを持ったり・・・というようなことが文化であるわけで、・・・。
市民の生活、生産の在り様にこそ文化があるという発想が希薄だなあと思います。

文化は「票」にならない。自公維などの考えそうなことです。

絵画展や写真展、演劇やコンサートを市民が稽古したり発表したりする施設がどれほどあるか。
路上パフォーマンスができる空間がどれほどあるか。
公園もダメ、市役所前もダメ、商店街もダメ、駅前もダメ・・・・「自由に使わせたら誰が何をするかわからない。どんなクレームが来るかわからない。」 そういう文化の住民自治の成長に期待し、信頼することのできない状況をただ後ろ向きに「対策」するのでは、果てしなく殺伐とした社会になります。
そしてその反面は「金を出せば(民間の活力を生かして)やれる」ということに。

民間の力で(≒利潤になることしかしないし、利潤になるような仕方でしかしない)・・というやり方に喚起して賛成する維新や維新の支持者たちもまた「文化」を食い散らかすだけなんですよ。
大阪万国博の経緯を見れば、よ~くわかりますよね。

大切なのは、こうして腕を磨いて、今度ある施設で演奏するよというこういう人たちでしょう。
- 2023/10/28(土) 00:00:04|
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セミ・プロかな。
私が若い頃によく耳にした曲をメドレーで練習されていました。
サックスの音が魅惑的ですねえ。そこにギターが加わるとなおさらです。
キャリアは、半世紀?!

ギター兼、ボーカリスト。

このサックスの古びた感のある色合いが、また堪りませんね。
色を再現すると言うことが、私には、存外難しいんです。

「絞るか、絞らざるべきか。」それが問題だ。
私は結局、開けて撮りますね。

音楽のある人生、いいなあ。

- 2023/10/27(金) 00:00:03|
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ギャラリー・マロニエに故沢田としき氏の作品が展示されていた。
魅力的な作品の数々を見せていただいて、さて次は・・と会場を出ようとする刹那この方の笑顔を見た。
おっ!!この人はいい。そう思った。
当然、どんな仕事をされてきた方かはもちろんのことお名前さえ存じ上げない。
文字通り「初めまして」の方で、「撮らせてくれませんか」という願いを受けていただけるかどうか。
ただ私には、この方はそういうお願いを無下にはしない方だという感覚はあった。
充実した人生を送ってこられて度量を豊かにされてきている人だと感じたから。
案の定でした。

「写真を職業にしているとかいうのではなくて『好きで撮っているだけの者』なんですが、撮らせていただけませんか。」
「好きで撮るってのが一番ですよ。 どうぞ。」
写真など、何につけ人が何かに取り組むことについて、これまですでに思考を深めてこられた方だと言うことがその言葉だけでわかります。

大手広告代理店で、CMづくりに活躍してきたそうです。
私の知人で、つい先ごろ「3人会」で歓談した人がいるのですが、その人はたぶんこの人と熾烈に競争したライバル会社のCM制作者です。
おそらく強敵として受賞会場などで顔を合わせた旧知の仲なのではないかと思いましたが・・・。

DとHですからね。

ひとしきり撮らせていただいてカメラをリュックに入れて担ごうとしたその時に、私が初めに見たあの笑顔が現れたのです。
「反則だなあ。」と思い、すみませんが・・・といいながらもう一度カメラを撮りだしたのですが・・・事象はすべてそれのおこるに先んじることはできないのです。
それが写真の運命ですかね。
- 2023/10/26(木) 00:00:05|
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京都の町のとある路地。京都では「ろ~じ」という。
でもその「ろ~じ」も京都に生まれ住んで「ろ~じ」を駆け回った人たちにはすでに過去のものになっているのかもしれない。
毎週のように訪ねるギャラリーに行ったり、帰ったりするときに潜り抜ける「ろ~じ」に最近できた開放的なカフェバー。

私はバーなどというところには、そう幾度も行ったことがない。
けれどバーのイメージはホテルのそれだったり、「BARレモンハート]」のそれだったりする。
でも最近あちこちで垣間見るBARの様相はちと違う。

壁面もテーブルも真っ白。小ぶりでシンプルなバーです。
道路に面して開いている窓はやや低めに作られて西からの日を少し抑えています。
だからあまり広くはない店の奥は少しくらい。これがうまくできている。
制約した光は白い壁やテーブルで程よく回るからいいのだ。

外から覗いて気になったから内装を見学させてもらった。
以前はこういう、ただ「見るだけですが。」をよくやらせてもらった。コーヒー一杯も注文しないで「ありがとうございました。」と出てくる。
が、・・・。

この光の演出を見てはただでは帰れない。
あそkにモデルさんに腰かけてもらって、ここで遠くを眺めてもらってと、あれこれ妄想の大量生産。

お店にいたスタッフさんにお願いしてモデルをしていただく。
親戚の方が経営者だそうで・・・時々入るのだそうだ。

写真は「光画」だと言うことを意識することから始まる。
ある人が「人物の撮影には非常に専門的な撮影技術が必要」だといい、「専門技術を身につけてこそ、人物の魅力やユニークさを本当に捉えることができる。」という。
そういうことが全くないとは言わないが、それはあまり本質的な事ではないと私は思っているし、レンズのついたカメラさえあれば、人を撮ることはできる。
問題は「非常に専門的な撮影技術」ではない。

その同じ人が「あなたが撮影した人物写真はとても専門的だと思います。」という。
私の写真を見て「だから私はあなたを尊敬しています。」と言っている時点で、その人の言っていることは当たっていないことが分かる。

ここに来る前に、たまたまある大手の広告代理店でCM制作で活躍したらしい人に出会った。
「好きで撮っているだけなんですが、撮らせてくれますか。」というと「好きで撮るのが一番だ。」と言っていた。
この人はよく分かった人だと思った。
人物写真は難しいですよね。
確かにそういえる「難しさ」はあるけれど、人物写真を、他の被写体を撮る写真と違って何か特別なものの様に言うのは、適当ではないと、私は思っている。
- 2023/10/25(水) 00:00:05|
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この個展会場では、正直に言ってポートレート写真を撮るのに適した場所はありません。
でも、やはり撮ってしまうんですね。
モデルをしてもらった人との会話にはいつもカメラがありましたから、カメラを撮りださないことを予想するのは難しくて「そのつもり」できてくれているのです。
挨拶みたいなものですかね。

この人にお二人のお子さんが生まれて育っているのですから、私の方も、それにふさわしい時間が流れているわけで、・・・・。

その時間にそれぞれ変化してきているわけですが、私の方の写真はどうなんでしょうね。
会場を訪ねてくれた親しい人でかつて大手のテレビCM制作現場を指揮していた知人は「はじめてあったころに比べてうまくなっていると言ってくれました。あまりおべんちゃらを言う人ではないので真に受けておこうと思います。

それにしてもこの人の「可愛らしさ」は独特ですね。

私はリタイアとともに旧職に関した人間関係を保つことをほとんどしなくなりましたので、写真を撮り始めて形成されたこうした人との関係が貴重です。

今度また撮りましょうね。
とお約束ができました。

会期中に皆さんとあれこれ話すうちに11回目の個展のテーマもほぼ決まりつつありますから、また一歩ずつ進んでいこうと思っています。
- 2023/10/24(火) 00:00:03|
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この人がモデルをしてくれたのは、もう5年も6年も前のことですね。いやもっと前のことだったかな。
とあるギャラリーで見つけた人です。
戸惑ってはおられましたが、話だけは訊こうと言うことで近くのちょっと大きな喫茶店に入りました。
結局、引き受けてくれたのですが・・・。

浮ついたところがなくて控えめで、普通に考えて見も知らぬ人間が「写真を撮りたい」と言ってなかなか引き受けるような人ではなかったわけですが。

しかし、人にはそれぞれ心の成長というか変化というか、その波があるんですね。
その波が彼女をして「いいですよ。」と言わしめたのでしょうね。

私にとって貴重な良い写真が撮れました。
いつも自慢げに個展に出せます。と言っても実際には2度ほど展示しただけだと思いますが。
私の自信になりました。

それ以後、「一身上のおめでたい変化」が続いて、ブランクとなりました。
でも3年前でしたか、個展を訪ねてくれて、「また撮りましょうね。」ということでしたが、なかなかチャンスは訪れず・・。

でも、今回の個展にも足を運んでくれて、懐かしい話ができました。

何よりうれしい来訪ですね。
続きを読む
- 2023/10/23(月) 00:00:04|
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時々書いていますが、私は「おじさんシリーズ」などという冗談のような枠組みでも写真を撮っています。
大雑把には還暦5くらいの高齢の男性の「いい顔」に注目して写真を撮ると言うことです。
「おじさんシリーズだって?! おじいさんシリーズじゃないの?」とはこの人の言葉。

それはね。「爺さんシリーズ」にしてしまうと、わたしも「爺さん」に入ってしまうので、
それにまだ「おじさん」の方が元気そうでいいでしょ?!
実際、88歳の川上力三さんなどを「おじいさん」と呼ぶにはどうも落ち着きが悪い。弟子たちより先に川に入って重い作品展示を率先するようなエネルギッシュで知的に活発な方を呼ぶには「おじさん」の方がまだしものような気がするんですね。

いい具合に枯れた人というのも、私が撮りたい対象なんですけど、それでも、やはり顔に光がないとね。
この世代の人の顔には多様で複雑なニュアンスがありますよね。

このシリーズは私が私を総括するという意味もあるかもしれませんね。
「年をとると言うことについての考察」もありますし。

女性タレントや女優の写真にやれ太ももががどうしたとか胸が背中が開いてどうだとかのコメントばかり毎度毎度付けている連中のあまりに愚かなことに対するアンチの気持ちも多分にありますしね。

近々大学時代の友人たちと小さな集まりを持つことになっているんですが、そこに集まる面々の相貌はどうなっているでしょうかね。
皆、撮りたくなるような顔つき、面構えになっているといいのですが。
そういう私は鏡を見ては溜息、吐息ばかりです。

「おじさんシリーズ」 これからも充実させていきたいテーマです。
- 2023/10/22(日) 00:00:05|
- 人物
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あるギャラリーで薬研彫をする方が作品を展示されていて、その制作実演もされていました。
それで、何はともあれ「職人がモノづくりをする」となったら撮らないではおられない私としては、写真撮影の承諾を得たのでした。
たまたまそこに、その人の作品い関心を持つ方が現れて、「しばし待て。」ということになりまして・・・・。

皆様、薬研というモノをご存じだと思います。
ウィキペディアの説明をお借りすると「薬研とは、薬材(生薬など)などを碾(ひ)いて粉末化したり、磨り潰して汁を作ったりするための伝統的器具である(その日本語名を代表する一つ)。舟形の溝を彫った碾(字義は石臼)の「薬研(やげん)と、軸の付いた車輪状の碾き具「薬研車」からなる。」とあります。
「中央に窪みのある舟形の器具」とされています。断面はV字状になっていて、側面はやや婉曲して、全体として船形をしています。
薬研彫というのは、線を「V」の形に切り込んで描くもので、鋭いエッジの効いた線ができます。

両刃の小刀で切ります。

今、1センチ弱角の木片に菱のような絵柄を彫っています。
これに漆などを施してイヤリングやペンダントなどにします。むろんもっと大きな木の板に精細な模様を刻んでさしものの一部に使うこともあります。

小さな木片を彫っているので、その小刀の切っ先の動きを追うのはなかなか大変です。
まして切っ先の光を捕まえるためには、手指の陰にならず、かつまた光を反射する角度に小刀の面が来る瞬間を待たねばなりません。
その上に職人の表情、呼吸にも注意を払わねばなりません。

彫った線を見せるのは、なお一層、難しくて、私は成功していません。
そのためには光を傾ける必要があり、職人さんの要求する光とは違ってしまうでしょう。
何かポスターとか職人さんから依頼があって撮影に協力を得られるのでなければ、難しいと思います。

職人の仕事振りを撮るのは本当に難しいです。
- 2023/10/21(土) 00:00:02|
- モノづくり
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とある所用でお隣の県からおいでだと言うことで、時間調整のためにしばしここで演奏を楽しんでいるのだとか。

この小さい楽器、さすがに音量は控えめですが、癒し系の意音がします。
でもそれを体をゆすって奏でると、それはまたそれで楽しさあふれる音になるのが不思議です。

この人の演奏は周囲巻き込み型。
私も筒にマメか何か入った楽器を渡されてちょっとだけ経験。
使っている楽器が簡単な構造だけに誰でもいつでも参加できます。 そういう単純さがいいですね。
結構、顔でも表現もしています。

そして話していることは結構、哲学的です。

やはり世界を回ると視野が広くなりますよね。
- 2023/10/20(金) 00:00:05|
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世界中にはいろいろな楽器があるようですね。
この方が指ではじいて演奏しているのはカリンバというんだそうです。

元来はパーカッショニスト。
今、足に鈴をつけて体を動かす全体でいくつもの楽器を鳴らそうとしています。

そしてこんな楽器も。
それぞれ実に素朴な楽器ですね。
そしてこれを私に渡して「お前も鳴らしてみろ。」というわけですが、ステップを踏んで体をリズミカルに揺らし、その中で腕を上下に振って鳴らします。

元来私は「参加型」は苦手でして。
ことにリズミカルの体を動かすのが下手でして。
沖縄でカチャーシーを踊りましょうと言われたときにも、阿波踊りなんだかカチャーシーなんだかわからないような動きしかできませんでした。両方からそれは違うと言われるに決まっていますが。

3年かけて世界を回ってきたという経験をお持ちなんですが、それで世界観が変わったようです。

まあ、こんな日本のような狭いうえに精神的に不自由な国から出て活動すれば、大きく目を開かされることでしょうね。
その経験を積んで日本で再び生活を・・となれば、相当な「不適応感」があったんではないかなあ。
日本は少々特異ですから。
知的、精神的な「鎖国状態」「ガラパゴス状態」が日本の現況でしょうね。
江戸時代の「鎖国」制度は、より一般的な言い方では「海禁制度」であり、特定の国としか外交、往来を認めない制度でした。
今は、ただアメリカに向いてしか玄関も窓もない国、アンテナもそっちからの電波しか受信できない、それが日本ですね。
それなのに日本良い国強い国と信じて疑わない人々の国ですね。
- 2023/10/19(木) 00:00:03|
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截至 10 月 5 日,截至今天发布的文章均被标记为“预定帖子”。 这就是为什么我直到今天才发布你从中国出现在小房子画廊的照片。 我终于可以发布它了。 这是一个漫长的等待。我有一封你发来的电子邮件。





- 2023/10/18(水) 00:00:02|
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截至 10 月 5 日,截至今天发布的文章均被标记为“预定帖子”。 这就是为什么我直到今天才发布你从中国出现在小房子画廊的照片。 我终于可以发布它了。 这是一个漫长的等待。我有一封你发来的电子邮件。 ポーズに指示は・・・といっても何も複雑なことはないのですが・・・・ほとんど身振り手真似です。
頭のいい人ですぐに対応して、それ以上にできます。

私が接してきた人の多くは留学生でしたから中国人は皆、聡明で韓の良い人ばかりでした。
調理人として働く在日の中国人も人の良い者が多かったし中国の4か月余りの生活で出会った人たちも大方は、そうした人たちでしたから、私は幸運なのかもしれません。
(まあ、もっともバスや地下鉄などでの話声のやたらに大きいことや店での食事の際に食べた残りの鳥の骨やティッシュペーパーを次々と机の下に落とす習慣などには、なかなか慣れることはできませんでしたが。)

ほら、上に地下鉄乗り場の標識があるでしょ?!と・・・言葉で言っているのではないのですよ。
あれを見上げると言うことですね。と。・・・・これも言葉に発せられたわけではなくて。

私たちがこうして路上で撮影していると、どうやらヨーロッパのどこかからか、来たらしい数人の男性旅行者が地下鉄駅から出てきmした。そして、そのうちの一人が、「俺も一緒に入っていいかと、この人に手を回そうとするので・・・イタリアなどでは、ほとんど何のこだわりも抵抗もなく、そうする姿をよく目にしましたが・・・・「それはダメだ。」と、顔を精一杯笑顔にして、お断りしました。
彼我の感覚の違いだから、仕方ありませんが、態度は明確にしないといけません。
私としては彼女を守らなくてはなりませんからね。

観光予定に突然割り込んでいるわけで・・・・・時間は大丈夫ですか?
大丈夫まだ余裕がある。

この日、着けていたのは85ミリ。
大分下がらなくてはなりません。 通行する人の邪魔にならないように常に背後に気をつけながら下がります。
で、ちょっと中途半端ですね。せめてあと一歩下がりたい。

85ミリだからあまり使づかずにとれるメリットもあれば、全身を撮るには距離を撮らないといけないデメリット。
- 2023/10/17(火) 00:00:05|
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截至 10 月 5 日,截至今天发布的文章均被标记为“预定帖子”。 这就是为什么我直到今天才发布你从中国出现在小房子画廊的照片。 我终于可以发布它了。 这是一个漫长的等待。我有一封你发来的电子邮件。 この人が現れたのは10日も前のことでした。場所は京都の室町通にあるギャラリー・小さなおうちです。

親しくしてもらっているギャラリーのオーナー氏と入り口付近で話をしていると、交差点で足止めされたこの人が、ふとこちらを振り返り、ギャラリーの中を覗きました。で、私はいつもの癖でオーナーに成り代わり、身振りで「どうぞ中へ」と。
すると、躊躇もせずに中に入って展示の絵などを見ています。

私は日本人だと思い込んでいたのですが、ギャラリーの中のことを訊ねる様子から、おやっ?と思ってはいたのです。
気に入ったブローチ様の品物について訊きたいことがある様子でしたので、オーナーにつないで私は離れたのですが、再び近づいてきたので、訊くと「中国人です。」とのこと。
非常に性格のよさそうな魅力的な人です。
京都にはこれまで二日間いるというのですが、どうやらお一人であちこち見て回っているような感じです。
どんな予定で歩いているのかわかりませんから、迷いましたが、自分は人物を撮っているモノだが撮らせてくれないかというようなことをお願いすると「その写真はどんなことに使うのか?」とスマフォとの翻訳アプリで質問してきました。
それでそれからのやり取りはその翻訳アプリの仲立ちで進みます。なんと、便利な。

中国語⇔日本語の設定にしてあるのに、私はつい「中国語ができないのだからせめてカタコト英語で・・・。」と汗をかきながら英語を使うと・・・無論、翻訳できません。
「ド・ウ・ゾ・ニッ・ポ・ン・ゴ・デ」と彼女。

どうです、今あったばかりのわけのわからない人間に写真を撮らせてくれと言われて、この落ち着いた表情は。
しっかりした人ですねぇ。
安心できるように、2,3枚撮ってはそれを見てもらいます。
「漂亮」しか知らないもどかしさ。

その人の美点を見つけて、それを伝えながら撮るという私のやり方ができません。
歯がゆいですねぇ。
で、それを補ってくれるのが翻訳アプリです。
これで世界の壁が少し低くなりますね。
- 2023/10/16(月) 00:00:05|
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今日で10回目の個展はお終いです。 今日のお客さんどんな方たちかな。楽しみですね。
そして、明日からは次を目指してまた一歩ずつ・・・・。 フェイスブックでは「顔見知り」の方が中心のお付き合いですので、「ご近所さんへのお知らせ」という意味で、このシマヅヨウ氏の作品展いついては期間中に投稿しました。 (会期:10月3日~8日)
場所も京都の河原町通りに面した「ギャラリ・マロニエ」でしたから。
ブログの方は面識はないけれど遠い、近いに関係なしにお付き合いいただいている皆さんですので、こんなことがありましたよという感じになります。
・・・・それでも関西圏の方がおられますので自分の個展の宣伝は大いにしていますけどね。こういうのをダブルスタンダードと言います。・・・・
本当はマスクをされていたのですが、撮影の時間だけ外していただきました。
たまたま先客の方が退室されて二人だけになりましたので、「作品を撮っていいですか?」とお訊ねして快諾していただきました。
というのも、今回のメインになる作品が背景の窓に映る窓枠の影と重なって、面白い情景を作っていたからです。
残念な画ならすぐに雲が動いて、一瞬、氏と共に「あれ、面白いですねぇ。」と共感し、にカメラを出す間に変化してしまいました。

木彫です。三本に太く枝分かれして伸びた樹を利用して制作されています。
もしそのまま立てれば多くの会場の天井を突き破る高さの樹ですから、それを何とかできないかということで、ある高さから先を鎖状に削り出したところから可能になった作品です。

氏はDMになかでこう書いています。
「3mの枝分かれした欅を前に、一木で3mの作品を作っても、展示できる場所は限られる。そこで思いついたのが、「鎖」です。そしてそれは実に見事な発想に思えました。・・中略・・変幻自在に形と長さを変えられること以上に、「鎖」から想像される全てのイメージが2022年の出来事「戦争」を象徴しているように思えたからです。」と。

芸術家たちは私たちの「神経の戦端」です。そうであることを・・・芸術氏は物語っていますし、また人類も・・・私も期待しています。
まさに作家自身が生きているこの「今」の課題をすべての人々共に肌に感じ、呼吸している芸術家として、実にまっとうな感性の方だと思いました。

作品を写真い撮ると言うことは「図録のために撮る」という難しい作業を除けば、「私はこう見ましたよ。」というものにならざるを得ないですし、またそういうものとして期待されるべきものだと、私は思います。
それで、お恥ずかしながら「こんな風に撮りましたよと見せしましたところ、写真を撮る人にはこう見えるんですねということでお話が広がりました。

私のことは別に置くとして、芸術家諸氏の中には「写真家」に対する一定のリスペクトがあることを、時に感じます。
それは写真家のある部分の人たちが、いい仕事をしているからでしょうね。それの多寡は論じないとしても。

私は諸分野の作家さんたちとの交流が好きです。

また一人、「おじさんシリーズ」の候補者を見つけました(笑い)
- 2023/10/15(日) 00:00:01|
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以前にも書きましたように昨年の9月末に2000人撮影を達成した私は、「来年の個展(そのころは11月にやるつもり)の時には2222人を達成するぞ!」なんて妄想していたものです。
実際は今日は個展の5日目で、残すところあと二日ですが、この個展が始まる前には2235人の方に力を借りました。

最近の個展では「あなたのお写真撮ります。」と会場での撮影を受け付けています。そしてそれは毎回楽しい時間になってきたのですが、今回はどうでしょう。どうでしょうというのは、この記事は「予約投稿」だからです。
個展期間中は投稿する余裕がありませんから、こうして予約投稿をしているのです。

今回の個展の一つの特徴は、最近撮らせてもらった人が個展会場に足を運んでくれていると言うことです。
鴨川で楽器演奏をしていた方、そしてこの人たちのようにくつろいでいるところを撮らせてもらった人たち。
個展を始めたころは知人友人に案内を出すこともなく、ただ偶然にふらっとギャラリーに入ってくる人、普段はあまり写真を見ることのない人を意識していました。当然入場者はとても少なかったわけです。
撮影のキャリアも短かったですから撮影者としても知られていませんでしたしね。

それが、次第にリタイア後の撮影者として出会た方々との関係が増えてきて、今は少しばかり写真展を楽しみにしてくれる人たちもいます。
文字通り「有り難い」ことです。
今回もまたいわゆる「DM]を多数印刷して各所においてもらうということをしていません。
地元新聞にも案内記事を出してもらうようにお願いしていません。
それでどうしたお客さんが来てくれるのでしょう、そんな雲をつかむような期待は子供じみていますね。

このブログでお知らせしはしましたが、ここでつながっている皆さんの多数は京都から遠くにお住まいですしね。
気にしてくれたとしてもおいでになってもらえません。
吾ながら、おかしな人間だなあと、笑っています。
- 2023/10/14(土) 00:00:03|
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鴨川の飛石を向こう岸から渡ってきたお二人。
わたり始めるときに「跳べるかな」と一瞬躊躇したしぐさが良くて、すれ違いざまに「あの時の二人の様子がよかったですよ。写真をやっているのでつい見ていました。」と言ってすれ違いました。
そしてお互い遠く離れてから振り返ると、どうしてか、手を振ってくれました。
え、誰か他に友達が来ているの?と周囲を見回したのですが・・・。

お話しすると「え、どうしよう。私はいいけど? どう?」「う~ン、私もいいけど。」ということで。
今は講義の合間のお昼休みだそうで、「じゃあ食べる時間をもらっちゃ悪いね。どれくらい時間あるの?」
「大丈夫です、向こうでもう食べましたから・・。」

雲が広がっていて光が弱いのが残念ですが、顔に影ができないし、肌の感じはこれ位の方が素直に出ます。
左側の人は、ずっとレンズを見てくれています。右側の人は・・・・。でも右側の人は落ち着きがないというんではなくて、たぶんわかっているんだと思います。写り方を。
こういう個性と経験の違いが面白いですね。
違いはあってもそれぞれに賢そうです。
口の閉じ方を見ればそれがわかるように思います。(個人の感想です。)

このところ若い女性が二人でいるところを撮る機会が多いですね。何故でしょうね。
そしてこの背中合わせのパタンで撮ることも多い。
二人を同時に撮るポージングを研究しなくてはいけません。
でも二人とも足を伸ばせるし、親密な感じがあって、悪くはないと思いますけどね。

- 2023/10/13(金) 00:00:03|
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たぶん、今日ギャラリーを訪ねてくれるある人が、今の潮目の鍵を握っているのかな。
なぜか、今現在やっている写真展より次の個展に向けての意識の方が勝っているのですね。
こう飽きっぽくては身が持ちません。
でも、ああ、いい写真を撮りたいなあ、記憶に残る写真をと、思うのです。
少し前に同時代ギャラリーでとてもいい写真を何点か見せてもらったせいでしょうかね。
それともこうして協力してくれる人たちの積極的な気持ちの所為でしょうかね。
ともかく私の写真は撮られてくれる素敵な人がいないと始まらないわけですからね。

この写真。自分ではいいと思います。


- 2023/10/12(木) 00:00:05|
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今日は個展の三日目です。
昨日も貴重なお客さんを迎えることができて大変うれしく思っています。
大半のお客さんとはたっぷりとした対話ができていることが特徴です。
今までにないタイプのお客さんもあって今回のもう一つの特徴になるかな・・と。
一方で、来客数としては、予想外の少なさで、これまた今回の個展の目立った点になるでしょうか。原因は何か、気になるところです。 9回目の個展では6日間で240余名の来客がありましたが、今回は7日間でその半数程度化もかもしれません。
まあ、楽しくやりましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
印影を採っています。
この意識の集中をご覧いただければ、もう付け加えることもありますまい。

友禅や西陣織の職人さんたちもそうでしたが、こういうある水準の方々からはその姿所作自体からずいぶん教えられました。
写真はその所作のある一瞬を画像として定着できる手段として大いに力がありますし、期待できるものだと思います。

落款の側面にフリーハンドで仏画のようなものを「ガリガリ」と相当なスピードで彫っています。
その相当なスピードなんですが、しかし、それは一流の運動選手が、例えば、フェデラーがジョコビッチの200km/h以上のサーブに対応するように、ボールの回転の速さや傾きなどまでも見えてしまうような、そんな世界なんでしょうね。
後でこの印をいただいた方から「見せてくれますか。」と手に取らせていただいてまじまじと見ました。が、ちょうど円空仏のような切っ先の痕跡の迫力と美しさ、それに加えて何と滋味のあることかと感じました。いいものを見せてもらいました。

私の椅子の背後の壁に和田禅(故人)という友禅の型きり職人さんが型を切っている写真が掛かっていますが、京の名工にも選ばれた和田さんの息と通じるものを感じました。
和田さんは職人の域を越えようと冒険した人でした。

落款は書の添え物ではなくてそれ自体が独立して作品ともなります。
そういうこともこの小朴圃さんから教えていただきました。
このかすれた囲みの線によって一段と朱の印影が映えます。

これが単なる公開実演でもなく余興でもない真剣な作品作りであることは、小さんの口元を見れば明らかですね。

私は10回目の個展を前にして、このような撮影の機会を与えられたことをとてもうれしく思いました。
そして、大変に僭越なことではあるけれど、私自身にはできない私の評価を得たと思いました。
小さんが示してくれたご厚意に感謝し、それにふさわしく写真活動をしていけるように、褌を締めなおします。

ありがとうございます。
小朴圃さん。
- 2023/10/11(水) 00:00:00|
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今日は写真展二日目です。
たぶん雨模様の日ですね。
私はリタイアした時に写真を撮る、しかも人物を対象に撮ることを決めました。(最初の数か月は風景も撮りましたが、これは自分がやらなくてよいことだと思って止めました。)
やり始めて、何か目標を立てようと・・。
1、たぶん自分がある程度動けるのは今後の15年間だろうから、三次の五か年計画を立てよう。
第三次の5年では「写真家として写真を撮るようになる。」
2、「働く人」「人生を肯定的に積極的に生きている人を撮る」
現代のすさんだ人間関係に対するアンチテーゼとして写真を撮る。
3、人生において「10回の個展をした者になる」
10回の個展するとという言い方をしないところに児戯めいたニュアンスがありますね。
4、一喜一憂の種として「1000人」を撮る。

で、今現在10回目の個展をしているので「3」は実現できているわけです。
そして「1000人」の人を撮るというのは、いつの間にか「2230人」の方を撮ることができて、「4」も達成しています。
しかし、こういう目標は外見的、形式的な事ですから、問題は「1」と「2」ですね。

その意味で、今、10回目の個展をしている時にこのブログに、この方の写真を掲載できたことを自分では少々誇らしく思うのです。
この小朴圃さんがこの篆刻の世界で著名な人であるからというようなことではありません。
確かに別の三人展の時も、今日の会場でも、氏が大きな影響力を持つ方であることは歴然としています。
が、問題はそう言うことでは全然なくて、「俺は彫るからお前は撮れ」という以心伝心が生まれていると言うことです。

撮るに足る人の撮るに足る姿を、お前が撮ったらうれしいから撮れ。わかった、そりゃ嬉しい、ぜひ撮らせてもらう。・・・と、そういうことです。

この男は写真を撮りたがっている奴で、どうも仕方がないから、予定になかったけど彫るよ。

卑近なことを書きますが、この篆刻の素材だってイモ版のイモや消しゴムハンコにの消しゴムとはわけが違うのです。簡単にひょいッと扱えるものではないのです。
しかも、何十年にもわたる研鑽の上に、自分の銘の入る篆刻作品を残す。
そうしたことを思えばあだやおろそかな気持ちでは制作に向かえないわけです。これが人手に渡って、小朴圃「先生」の作だよと言って残るのですから。
この一作は・・・・これまた卑近なことを言いますが・・・うん万円では到底、済まない話です。
それを「彫るから撮れ」と。
私が今どの境地にいるかは、人によって表されるのだなあとつくづく思う今日この頃です。
- 2023/10/10(火) 00:00:01|
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今日から写真の個展です。
午前中に搬入と展示を済ませて、午後からは公開するというかなり乱暴な計画です。
作業に当たるのは私一人であり、運び込むのに使った自動車をいったん遠い自宅に戻して、再びバスで会場に来て作業するという離れ業です。
いろいろ問題のある開場になるでしょうね。(苦笑い)
でも、今回はこれまでと違った・・・・数の多寡はともかくとして・・・・お客さんの集まり方になると思います。
その点、とても楽しみです。はてさて、どうなりますやら・・。
・・・・・・・・・・ この写真の日の一番の収穫は「畦石舎作品展」で小 朴圃さんの篆刻制作の始終を見せていただいたことです。
私が会場について、入り口正面に展示されている作品を見ていると、お客さんの対応をしながら私を認めた氏が「なんだ遅いじゃないか!」と近づいてきました。

すでに横笛の演奏は終わり、氏自身が篆刻の制作を見せた後だとか。
非常に残念がってくれました。

たまたまその後にお客さんのお一人がその娘さん?と共に氏とさかんに交流したのちに、「彫っていただけませんか?」とお願いしたのか「彫ってあげようか?」と氏が言い出したのか、皆の前で、かの娘さんが選んだ文字を篆刻の作品として彫ることになりました。

しかし、氏が彫ると言い出したのは、・・・大変に僭越な思い込みですが、・・・私には「彫るから撮れ」ということのように思われました。
私に否やはないわけで、すぐにカメラを取り出し、氏にも周囲にも声をかけることなく撮りだしました。

氏は、先の京都ファインダー倶楽部の「ファインド・アイズ展」で、私が「仏師・高橋氏」を撮った写真を見てくれていました。
それで私に撮影の機会をくれたんだと、我田引水的に思っています。
急に彫ることにした氏を見てあちこちから人が集まり始めました。
彫ることをお願いした夫人が、どうもありがとうございますと恐縮しきりなんですが、「命をとるような人が来ているから彫るしかないじゃないか。」と。
夫人はその返事に戸惑っておられましたが、私にはすぐに合点がいきました。

そこにファインダー倶楽部の仲間である書家の上田さんが偶然に来て非常に驚いたのですが、小氏の篆刻制作の様子を、目下大活躍中のこの書家と共に見ることになったわけで、これもまた偶然とはいえとても意義義深いことだなあと思いました。
「う~む、まずいなあ。ちょっと良くないぞ。」
どうも少し思わぬ彫が出たようです。
しかし、この後の氏の集中力と緊迫した格闘は実に見ごたえがありました。

本気で制作に挑む人の迫力、こもる気迫というのは、やはり並大抵ではないし、技量に感嘆すること二度や三度ではありませんでした。自由にして闊達、繊細にして微妙。
初めに思い描いたイメージをなぞって彫るのでは線の力、勢いが失われる それが氏の考え方です。
初級者の理解でしかないけれど、写真を撮る私にもわかるような気がします。
むろん基礎基本や多くの「臨書」的な習熟の上に、さらに自分自身のイメージを形にする制作を重ねに重ねてきたうえでの話です。
・・・最近の大学での教えや若手の作家の制作活動には、この点を欠いた「自由な発想と自由な表現」があふれていて力量豊かな魅力ある作品の誕生を妨げているように、私には思われます。

撮った写真を見ると、氏が・・・ギャラリーの多い集中しにくい環境であるにもかかわらず、・・・・本気で彫っていたことがよくわかります。
いい写真を撮らせてもらいました。
- 2023/10/09(月) 00:00:02|
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明日が写真展の初日になります。今回は鴨川で楽器演奏を楽しんでいて私に撮られてしまった方々の数人も「見に行くよ。」と言ってくれていますし、「モデル」をしてくれた人も何人か見に来てくれるようです。逆にDMを遠くのギャラリーにまで配布してご案内すると言うことはしていませんから、未知の方との出会いは少ないかも知れません。たまたま入るというような方の少ないギャラリーですしね。ですから、今までと会場の雰囲気はすこし違うかもしれません。
いずれにしても10年余り前に建てた「人生で10回の個展」をという目標を実現できるというのは、・・・世間的にはどういう意味があるか知りませんが…個人的には感慨深いものがありますね。 まだ明日にならないと「やった」ということにはなりませんがね。新型コロナもインフルエンザもアデノウイルスも…交通事故もありますしね。
皆さん、会場でお会いしましょう。・・・・・・
林の中の小径を歩いてきました。
暑い日が続きますが、さすがに木陰に入れば真夏とは異なります。
こういう小径は情景としてもいいですね。
私の後に道はできる・・・。

女性の方見たら(あるいはこの人が送られてきた写真を見て)襟の乱れを指摘してあげればいいのにと思われているかもしれません。
この人のかばんはいつも重くて肩にかけると相当の重量を感じます(前回はもっとずっと重かった。金塊でも入っているんでしょうかね。)。 で、こういう軽い薄手の生地の服だとどうしても襟ぐりが引っ張られてしまいます。
・・・・。

写真入門的な解説ユーチューブを見ると「モードの選択」について触れていることが多いですね。
大概のカメラにはP,A,S、Mなどのモード設定ができるようになっています。
あるから、これを見つけた初心者に「これは何?」と質問されるでしょうから、あらかじめ説明しておくというのは、まあ親切というモノかもしれません。
が、○○○という場合にはAモードを、×××という場合にはSモードをなどという使い分けの説明などもあります。
そうするとそれを聞く者はこれを使いこなせてこそ入門者レベルを越えられると思い込みそうです。
が、私はこういう解説は本末を転倒していると思います。
構図の説明の時も同じですね。

つまり、こういう解説をする人は、上の写真や下の写真のようなものを撮る気がないと言うことなんですね。
いえ、ご自身は撮るんでしょうが、聞くものにそういうことを意識させる気がないと言うことでしょう。
つまり「写真を撮ると言うことはね。」という原則的な話をどこかに置いて話しているんですね。

写真を撮っていないけれども、この人にはそういう話がすぐに通じます。
さすがに芸術系大学で学んでいるだけのことはあります。

「適正露出」って何、ということをちゃんと考えなくてはね。
便利な道具は、時として物事の本質や原理原則を忘れさせますね。
- 2023/10/08(日) 00:00:04|
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前の写真とは状況がずいぶん違います。
こういう冷たい人工物と血の流れる身体とを併存させると・・・。

そして、それをW&Bで。
服の襞の面白さもW&Bだととてもきれいに表現されます。
こういう試みに、積極的にかかわってくれて面白がってくれる人です。

身体を美しく魅力的に撮るためにどうしたらいいのか、試行錯誤です。

カラーで撮れば、また別の面白みがありますね。

一つ一つ試しながら。


- 2023/10/07(土) 00:00:03|
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この方の3歳になるお嬢さんの写真を見せていただきました。
愛くるしいお人形のようにかわいいお子さんです。
夫君は男前。

先日は青息吐息のα900で、今日はリュクの中で触ってせて値を知らぬうちに変えてしまったd850で。
道具が不調だと、撮影に集中しきれませんね。良くないです。かといって今の体力で二台態勢も現実的ではないですし。

操作系はフジのように軍艦部で基本的なものが視認できて直接操作できるのがいいですね。
NIKONの操作性はちょっと問題ありが数か所あります。
いままで多くのNIKON愛用者、それも相当「俺は写真が撮れるんだ。」というような人たちの要求にこたえてきたはずのカメラなのに、使いにくい要素が幾つもあります。それは他社製品を使ってきたために慣れていないからというようなことではないと思います。

リピーターもたくさんおられて、マフィンはついに完売。
この楽市の終了時刻はまだ大分先です。
完売してしまったためにちょっと時間の余裕ができて少しばかりお話ができました。

ひょとしたら・・・・。
- 2023/10/06(金) 00:00:09|
- 手作り市
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岡崎公園で開かれる平安楽市の一齣です。
上賀茂手作り市でも見られるオーストラリア人女性が焼いたマフィンを販売するお店です。
この人はその販売をお手伝いする人。笑顔の素敵な人です。
午前中にすでにたくさん売れてしまったらしくケースの中には、もうあとわずかしか残っていません。
完売間近ですね。
撮影のお願いをしている間にもお客さんが来て、話が途切れます。
早くOKを撮らないとお客さんと、あの笑顔でやり取りしているところを撮るチャンスがなくなってしまう。

接客がとてもお好きだというこの人の声と笑顔は通りがかりの人の視線を店の中に、ケースの中に誘います。
それで、また説明中に話が途切れます。
何とか聞いてくれようとしてわたしブログの常連さんはお気づきだと思いますが、写真がぴったりいっていませんよね。
なんとも情けないことに・・・いつの間にか絞り優先オートになってしまっている状態を解除できなくて、
私はいつもマニュアルで撮っていますので、このNIKON D850の操作法を知らないままなんです。
ドライブ・ダイヤルはどこにあるんだ?と右往左往。

たった一度しか無いかも知れないこの撮影チャンスをいただきながら、この様では「写真をやっています。」なんて言えたものではないですね。
天候は曇り、しかも鉛色の雲が覆っています。そしてテントの中はさらに暗いですから、絞り優先・オートではシャッター速度はずいぶん落ちます。
で、手振れが酷いんです。

それにしても人の気持ちを明るくする笑顔の方ですねえ。
- 2023/10/05(木) 00:00:02|
- 手作り市
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実はこの日の撮影はひやひやだったんです。
というのも「もう働きたくない。」と駄々をこねているα900を持ち出したからです。
というのも、この日は80-200 f2.8を使いたい場所で撮影を予定していたからです。
85ミリでは、きっと足りない、そう思ってのことでした。

私が持っている80-200ミリ f2.8はミノルタの一本しかありません。そしてこのレンズはとてもいいのです。
ズームだからなんだとか言わなくてもよい素晴らしいレンズだと私は感じてきました。

久しぶりにソニーの色味です。
マニュアルで撮っているのにシャッタスピードがいつの間にか私の設定値とは違う値になっていたりします。実にストレスフルです。が、しかし長年使ったカメラですからとてもしっくりくる面もあります。

私に思いにこたえて、いい服を着て来てくれました。
色の選び方もいいですよね。 暑さが続くとはいえ、もう秋ですからね。
こういう撮り方は200ミリだからこそですね。 と言ってもこのレンズを使いたい、当初の狙いの場所では、まだありませんが。
バラの季節はもう終わりですね。

私は最近はシグマのアートレンズをもっぱら使っていますが、今ミノルタのレンズは決して引けをとらないと思っています。
ペタッとした平板な写りをしないので人を撮るのに適しているなあとも思っています。
この人の程よい肉付きの肩から腕へのラインの魅力が出ています。

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- 2023/10/04(水) 00:00:02|
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「第10回 蒼樹 写真個展 人間交叉点 with 音楽」
10月9日(月・祝)13:00~18:00 10日~14日 11:00~18:00
最終日15日(日) 11:00~17:00
場所: ギャリエ・ヤマシタ 三条寺町上がる。
先日あるギャラリーで植田正治氏の写真を含む彼の写真をこよなく愛する写真家さんたちの作品展がありました。
その中に「植田調」を模した、このメンバーの中では最も植田氏に近いという方の写真も二葉ありました。
確かに一見して「植田調」には違いないのですが、私には、そこにおられた方々が口をそろえて「植田調」だ「植田調」だというほどにはピンときませんでした。ズレを感じるんですね。
真似は、やはり真似でしかないなあと感じつつ、それにもかかわらず徹底的にまねると言うこと自体至難の業だなあと思いました。

私は植田氏の構成的で演出的な写真が好きなのです。
そういう構成力も演出力もないし、第一ふりきる大胆さがないので、真似をしようにもそれもできませんが。

それはさておき、暑さは残るとはいえ、芸術の秋ですから、いろいろなイベントが目白押しですね。

私の個展もその一つですよなんて言ったら、笑われますが。

でもやる以上はそれくらいの意気込みはないとね。
「一寸の虫にも五分の魂」と言いますからね。

それにしても人殺しや破壊のためには湯水のごとくお金を注ぎ込むのに文化のためにはけちけちの自公・維の政治です。
ことに維新政治の足元には草も生えないという感じですね。 何しろ「ゴミの上にも半年」で2300億円円を、まるでどぶに捨てるように使うというのですからね。しかも、その後には賭博場。
上方芸能の代表でもある文楽を切り捨てる維新政治と「文化・芸術・学問」ほど似合わないものはないでしょうね。
まあ、もっとも行政機関である文化庁が移転してくるからと言って「歓迎」などと旗を並べる京都も大して違わないかもしれません。


- 2023/10/03(火) 00:00:02|
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「第10回 蒼樹 写真個展 人間交叉点 with 音楽」
10月9日(月・祝)13:00~18:00 10日~14日 11:00~18:00
最終日15日(日) 11:00~17:00
場所: ギャリエ・ヤマシタ 三条寺町上がる。
個展をされるときはブログを見ればわかりますか?とお訊ねいただいたことが何度かありますので、しつこいですが、ご勘弁を。
・・・・・・・

以前も撮らせていただいた方ですが、その時は金色のサックスだったと思ます。

色が違うと大分感じが違いますね。
カメラもブラックがいいとかシルバーがいいとか言いますよね。
でも最近はピンクや淡いブルーがあったり。

楽器でもプラスチック製で様々な色のモノがありますよね。ガラス製もありますし。
カメラの場合はスケルトンという訳にはいきませんね。

マットな銀色がいい感じです。

この間鴨川で楽器演奏をしている方に個展のお知らせを渡そうときょろきょろうろうろしましたが何せこの猛暑の連続でしたから大半の方にお目にかかれずに、残念なことです。
私の写真展もこれから幾度もできないのになあ。


- 2023/10/02(月) 00:00:05|
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