もう五月が間近ですね。
季節の進行が早いなあと感じます。 つつじもすでに満開の時期を過ぎたような感じです。
私の故郷には『つつじ公園』というのがあって、私の記憶では5月初めころに楽しんだという感じなんですが。
京都国際写真祭は5月14日までですから、まだ先はしばらくありますが、まだ見ていない会場はあまり多くはなくて、うっかり見過ぎして会期が終わってしまったものもいくつかあります。
さてこの人はその写真祭のある会場のスタッフさん。

この会場の責任者だということでした。
この会場の写真は世界中が「薬(ドラッグ)」にあふれていて、世界がその薬で病んでいるということを強く伝えていました。
むろんなぜ薬が世界中に蔓延しているかと言えば製薬会社がもうかるから、それを追求して政治も動かしてむやみに宣伝、販売しているということです。

この会場の床には、地面に捨てられて散乱したドラッグ、ピルのプラスチック包装の写真が敷き詰められています。
ドラッグは途上国の人々にも先進国の人々の体に、心に異常に大量に入り込んでいます。
かくいう私も毎日、二錠のピルを服用しています。
世界には薬剤師の資格などない、くするの知識も病気についての知識もないただの売人が路上で販売している実態がたくさんあるようです。そしてそれが生活の苦難から一時的に逃れる手段として大量の消費されているのです。
その生活の苦難は、空腹や暴力的な抑圧や将来に対する絶望のように「貧しさ」が起因している者もあれば、それなりの豊かさが、・・・・実はここから、次の文に至るまでには大きな飛躍があるのであって、日本国内で見聞きする言説の多くは、知ってか知らず可ここをワープしてしまいす・・・・・かえって人々に心理的な苦難を耐えて大量のドラッグが消費されるという切った胃が伝えられています。

また、例えばことに男性において「マッチョな体系」を得るためにプロティンをはじめとした薬物が大量に消費されて見かけ上大変筋肉隆々とした「男性的」で「雄々しい」体形を得た人々の筋肉は、力を発揮できないもので、そうした薬剤によって骨は細くなり、生命的な躍動する感情は低下し、性的には不能になる人が多いのだと報告されています。まさに「張子の虎」「見掛け倒し」の「男らしさ」の追求です。
生命体としての力を衰弱して「生命力」を演じるこの矛盾が現代の一面です。
軍隊などまさに同根の社会的な現れだと私は思いますが。

この写真祭では・・各会場で異なることもあるのですが・・・写真撮影は許可されています。インスタグラムなどで拡散されることの方を選択しているのでしょうね。
京都でちょっと名の知れた同時代ギャラリーも、私が11月に個展をする京都写真美術館も、原則撮影OKデス。これが新しい考え方のようです。
「動画も含めて、全体的(全てという意味)に撮影をしていただけます。」と言っていただきました。
そこで、私は「ではスタッフも含めて撮影OKなんですね?!」とこの人の半身をフレームに入れるようにして冗談を言ってみました。

一瞬、「どういうこと?」と、あなたが言っている意味が分かりませんというのと「どうしよう。」の混じり合った逡巡に続いて、「はい。」という返事でした。
この「はい」は「はい?!」だったかもしれません・・・が、撮らせてもらえるんですか?と一歩踏みこんでOKをいただきました。

受付の場所ですから、来場者のご迷惑にならないように高等部にも目をつけての撮影です。
こういう場所で一番難しいのがホワイトバランスの設定ですね。 その点ではEVFは便利ですが、私のはOVFですから。
そして空間を自由に使えない場所・・・つまり被写体との距離を自由に選択できない場所・・・ではズームレンズが便利でしょうね。
でも、ひたすら単焦点にこだわるんですね、私は。
- 2023/04/30(日) 00:00:05|
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「遠い呼び声の彼方へ」 秋田京花さんの 写真個展です。
KG+(京都グラフィーのサテライト会場)としてGallery G-77で開かれていました。
一時、女子写真?みたいなことでたくさんの女性が写真を、それもフィルムカメラで撮って話題になりました。
いくつか特徴がみられましたがその一つがややハイキ―調で色目はかなり薄い青。青というより水色かな。そして何よりソフトフォーカスレンズをつけたようなカスミのかかった感じの「透明感」のある絵でした。

ちょっとその傾向も意識しているようなんですが、トレンドだから乗っかっているというようなものではない個性を感じました。
私は全般的な感じとしては対象をどんどんあいまいにして、見えなくなってきている傾向に対しては批判的なんです。
今は、撮影において「見る…あるいは発見する」を飛ばして「撮る」ところから始めてしまう傾向があります。そしてプリントの仕方、見せ方にも熱心です。
対象あるいは世界を「見る」が、どんどん軽視されているように思います。
ですから対象は好みに合わせて作るという傾向になってきているように思います。

前半拾い上げた特徴からすれば「女子写真」みたいな淡い写真ですが、後半の「見る」が軽視されていないところが、私が歩みを止めた理由でした。
もちろん私のイメージする「見る」に比べれば重くはない感じはしますが、対象世界へのまなざしがあるのですね。

最初はマスクをつけたままとらせていただきましたが、たまたまスタッフもお客さんも出た後でしたから、マスクをとっていただきました。
小学校の2,3年生でマスクをとらない、撮れない子が少なくないようです。COVID-19の大流行の波の中で学校生活おうぁじめたこらは素顔をクラスの皆に見せていない。それで2年もたってしまった。
いまさら顔を見せてどんな反響があるか怖くて見せられないのだそうです。
職場でも同じじゃないのかな。

ネット上の動画でカワイイ、あるいはきれいな若い女性がマスクをつけて現れ「実はこの美人は・・・・。」と言ってマスクを外すのを見せるものです。 マスクを外したらやはり?カワイイ、きれいな子だった。ということのようですが、目だけを見ていたときに抱いたイメージとはずいぶん違うなあという人が少なくありません。
このギャップをどう受け取られるか、怖いと感じる子供や青年は少なくないように思います。

この人がマスクをとったら少年顔が出てきました。 撮った写真を見てもらったら「弟そっくり!」だそうです。
昔から言いますが少女のころに男の子のような子は美人になるし、少年のころに少女のような子は美男子になる。その程度当たった家うか知りませんが、経験的にそう言えなくはないと思います。

「こんな風に撮られることはまれだ。」とのことでしたが、そういう人を撮るのもだいご味の一つですよね。
笑顔を誘えばいいってわけでもないですが、ほほの筋肉が柔らかくなって、レンズを怖がらなくなてtくれれば一段とその人の魅力が出てきます。
と、同時に少し緊張している表情も、そこにその人らしさが出ていたりして貴重な何枚かになります。

こういう撮り方のためには50ミリを使った方がいいかなと、やはりちょっと思うときがあります。
- 2023/04/29(土) 00:00:05|
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堀川御池にある「堀川御池ギャラリー」では数人の人の写真が展示されていましたが、この人の作品がいいと思いました。
韓国人写真家のSeok-Woo Songさんの作品です。
私はどちらかというとあまり主観的観念的なものは好きではないのですが、こうして現実社会との緊張関係に立って自分や人々の意識の在り様を形象化していこうというモノには惹かれます。
抽象表現を形式的にとらえて、単に非具象、心象表現としてしか考えていないような作品をよく見ます。が、抽象はどこまでも具体とつながっていないと作品は遊戯になってしまうと私は思っています。抽象するということは、何がこの際に本質として取り出されねばならないのか=抽象、何を非本質的だとして捨象してきたのかが意識されていなければ、哲学的な抽象の資格がないしそれは芸術においても同じだと私は見ているからです。
その点、彼の写真には具体≒現実との緊張関係がはらまれてこその作品になっていると感じられた点が良かったです。

彼は「SPECIAL EXHIBITINOS」の一つとしていわば招待作家として展示がされていた人です。
協賛企業やKG+の主催する展示です。ですから、かなり期待されているんでしょうね。
- 2023/04/28(金) 00:00:01|
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ワクワクな気持ちで京都グラフィーの各会場を回っています。
このイベントの良い点は、・・・当たり前のことではありますが、・・・・上手に撮った写真をならべるというようなものではないということですね。
そこに思想というか世界観がしっかり投影されて撮っているのでないとここには現れないということですね。
このイベントの企画・運営の中枢を担当している方々の文化性がとても高いということを感じます。 現代性があります。

私がうれしいのが毎回私の蒙を啓いてくれる側面があるということです。蒙が開かれる快感をさえ感じます。
もちろんその逆に、なぜこれを写真の作品としてここに展示しなくちゃならないのというものがあることも事実です。
KG+というサテライト会場ではより一層そういう作品が見られますね。
私がここに参加しないのは当然のことです。その水準に達していないのですから。(あるギャラリーのオーナーが何度も何度も参加を促すんですよ、この私に。さすがにもうあきらめたと思いますが。)

いい写真作品や刺激的な展示法に接すると「撮りたい病」が昂じてきてやむに已まれなくなります。
毎年このイベントを見て回って思うのはお客さんもスタッフも、素敵なファッションだったり容姿だったりする人がたくさんいるということです。 まあそう見えるのは「撮りたい病」の副反応かもしれませんが、いやそんなことはないと思います。

それで、これまでとてもいい方に出会って、撮らせてもらってきました。
今回の第一号がこの人です。インフォメーションの拠点になっている会場にいました。 忙しそうに立ち振る舞っていましたので、声をかけるチャンスもなかったのですが、別会場に行った帰りにこの入り口で別の役割をしていましたので声掛けをすることができました。
この人英語がとても堪能なんです。外国人の中年女性に対してとても懇切な対応をされている姿が印象的でした。
それにこの服。

今回の京都、グラフィーのイメージカラーにぴったりでしょ?!
それに今回のコンセプトが《BORDER=境界線》なんですが・・・・。
「いえ、たまたまなんです。」と言いますが、実は・・・・かな。
声をかけたときには撮影OKをためらっていました。そして、今までこのような形で撮られることのなかった者が声をかけられた時に消極的になってしまう心理を率直に話してくれました。賢い人です。 勉強になりました。

電動アシスト自転車の貸し出し手続きをしていました。
もしE・メールをくれたら写真をプレゼントしますよという二つ目のお話をするタイミングで中に戻らねばならない用事ができてしまいました。
しばらくお待ちしていましたが、どうも出てくる気配がないので失礼しました。
もしこのブログ記事を見てくれましたら、お渡ししたけーどもメールアドレスまでご連絡ください。
幸先の良い、京都グラフィー見学の第一歩になりました。
- 2023/04/27(木) 00:00:02|
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昨日から国立博物館と道を挟んで西側にある「世界カフェ」でほかの絵を描く方や写真を撮る方と一緒に作品を展示しています。
桜の季節以後多くの海外からのお客さんが少人数の団体で訪れているそうですが、これからどうでしょうね。
個展の時のように会場に張り付いているわけではないので・・・京都グラフィーの期間ですから、私のお尻が落ち着きませんし。・・・皆さんと交流できるわけではないですが、お近くに来られるようなことがあれば、覗いてみてください。
ただ私が気に入らないことに「作品を見るだけですが入れますか?」が通用しないかもしれないのです。
最近、PENTAX K-3 Mark III Monochrome と ライカM11モノクローム というモノクロ専用機が相次いで発売されたようですね。
ライかは以前から専用機を出していましたが、モノクロしか撮れないのになんであんなに高価なのという方もおられましょうね。

ここで日本のカメラメーカーがモノクロ専用機を出したのはどう受け止められますかね。
私はフジのモノクロへの拘りは歓迎していて、専用機を出さないかなあなんて思っていたのですが。
たまに見る銀塩フィルムでのモノクロ写真はデジタルのそれを比較してまだまだその魅力は大きいと感じるのです。

私はこうして白黒で撮ることが多いですが、あの諧調をぜひ欲しいと思うことが多いです。
幸いシグマのレンズとニコンのカメラの相性がいいのか、白黒の感じは良好だと思いますが、やはり諧調の豊かさと光を描く世界の底まで維持する絵はなかなかできません。あるかないかの足し算では限界があるんでしょうかね。

それにしてもペンタのモノクロ専用機が約30万円。ライかに至っては 「ライカM11モノクローム」がライカオンラインストアの価格で1,386,000円(税込)。記入ミスなんじゃないのと腰を抜かします。それでも早速購入という人たちがたくさんいるのですから世の中狂ってるね。(嘆息)
- 2023/04/26(水) 00:00:07|
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四条大橋の下でした。
とても楽しそうにヴァイオリンを弾く人がいました。 そして一人の日本男性が話しかけては耳を傾けていました。
どうやら会話は・・・・う~ンよく聞き取れないけど、日本語に英語混じり? イヤ日本語かな。

アメリカ人だそうです。奥さんの故郷が日本。
そういう訳でもう長く日本との行き来をしているとのことです。

京都にマンションをお持ちで、だから京都についても一家言以上の思いを抱かれています。
話しかけたら、京都の現状の悲惨さについて話が弾んで・・・・こんな悪い状態について話すが「弾む」というのはおかしいですね。と言って「盛り上がる」ってのも・・・しまって、なかなかカメラを向けられませんでした。
ここが難しいんですよね。
それで話がひと段落した時に、演奏を続けてくれますかとお願いして(実はこの時に人と会う約束があったので時計も気になるし)撮りました。しかもkの方、絵になりそうなんで。
いつでも度の撮影のチャンスも千載一遇ですから逃がせないんです。

このヴァイオリンは1750年前後のものだそうで…、でも特に名器という訳でも高価というものでもないとおっしゃるのですが、その年代のものを現役で使っておられるということが尊いですよね。
どうやらバロックの時代のモノでその後にネックを長いものに取り換えられているらしととのことでした。背面を見ると確かに塗料に塗り替えの跡が見えます。弦を長くして音量を増したりする要求があったのでしょうかね。

この日の数日後にはアメリカに帰るという予定だそうで、出会えたのはラッキーでした。

写真データをお送りするとお礼のメールをいただきましたが、「I’m very happy to see those photos - You’re a fine portrait photographer! And I enjoy talking with you. Let’s meet in November when I come again to Kyoto!」と書いてくれて、こういうことが本当にうれしいんですよね。
私はこれまで一度も写真コンテストに応募したりしないできました。だから入選だ入賞だとかという経歴もありませんが、こういう方たちの言葉が「自信と誇り」になっています。
- 2023/04/25(火) 00:00:02|
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世の中には『決定的瞬間』なんてものがあるようですが、すべての今はすぐに過去になり、そして二度と取り戻せないのは「決定的」であろうがなかろうが同じです。
写真の魅力の一つは「今」を過去にしてしまうことに抵抗することでしょうかね。決して過去のすることを押しとどめることはできないのですが、今の痕跡を残しているというような。

私のいつもの失敗は「撮りたい。・・・・・ぐずぐず愚図・・・・、あのう。」
で、「スミマセンが写真を撮らせていただけませんか?」に至るまでの時間が長い。それで撮りたい情景を過去のもの、つまりはトリカ戻すことのできないものに、みすみすしてしまう。
それで何度後悔したことか。
南禅寺に向かう途中で壁の補修をされている左官の仕事を見かけました。
地塗りをして、そのあとで漆喰を塗るわけでしょうが、別の場所にも地塗りを終えた個所がありました。
写真をご覧になると、もう右端を塗っていることがお分かりだと思いますが、もう作業「終わり」の直前なんですね。
漆喰を塗るには地がしっかり乾かなくてはなりません。それには「直接日が当たっていれば季節によって一日で乾く場合もあるけど・・・。」 ここは北向きですし「三日はかかるかな。」とのこと。

ですから、地を塗り終えれば今日の仕事はこれでお終い。
そのわずか1,2分前に声をかけるというタイミングの悪さ。
周囲をうろつくあの逡巡がなければ、少なくとももう5分や6分は撮れたはずなのに。
そうすればもっと観察できて、違う意識でも撮れたはずなのに。

後悔先に立たずと何べんも何べんも口にしても、もう12年も撮っているのに、この様です。
いやあ、ストリートで被写体を見つけるのは難しいですねえ。
この左官さんのように腕が立つうえに心の広い人は決して「出会えない」のではないのに、仕事の邪魔になってはなあと遠慮が先に立ってしまうんですね。
- 2023/04/24(月) 00:00:06|
- 働く人々
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後日投稿しますが、ここに来る前に左官職人さんを見かけて撮らせてもらいました。
働く人をもっともっと取りたいのですがね。
でもこういう写真も撮り続けないと瞬間に頭が回らなくなりますから「練習台をお願い」したのでした。
ありがとう。

この背景は整理すべきかどうか。
事と次第ですよね。

定番ですが、こういうのも撮らないと。 露出の感も鍛えねばなりません。
お礼に写真を送るのですし。

とっさの判断も。
先ほどの男性が撮っています。

ほらこんな風に撮れたよ。

絞りを開けたままでしたからこんな風になってしまいました。
同じパターンで左の人のピントの合った・・・というか、・・・合わせた写真もあります。

「おっちゃん、ツーショットも撮ってくれるっていってたやん。忘れてるで。」
「すまん、すまん。」
- 2023/04/23(日) 00:00:04|
- 人物
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いつものコースで自転車を走らせていたのですが、あるギャラリーが二週間続きで同じ作品を並べていたり、別のギャラリーは休廊だったりしていて、何か調子が出ないので、新緑を楽しもうかなとふとコースを変えてみました。
手軽に南禅寺です。

例によってここ水路閣にはたくさんの観光の人がいて、同じように写真を撮っています。
そして皆さん同様に、この景色を独り占めしたいのですが、それならさっさと場所を開けあって短時間でも気に入った写真が撮れるようにしたらいいのに、そういう気づかいのできる人なんかいませんから、まさに経済の自由競争状態です。
自分が良かれと思う行動を他の人が良かれと思う行動で互いに打ち消しあう。それが資本主義的自由の一面です。

まあ、そんなことはよいとしてそこにお二人の女性がいて、いい場所取りができないで困っていました。
それで「へんなおじさんですが・・・。」と声をかけて、「ちょっと撮影の相手をしてくれないかなあ。」

どうしようかとお互いに顔を見合わせていましたが、「いいですよ。」ということになり撮り始めました。
こんな光のまわり方の良い機会にシャッターを切れるのは心地いいものです。
少しずつ解説しながら撮っていますと・・・・。

カメラをもって近くにいた中年男性がいつの間にか入り込んできて撮り始めました。
私が交渉をして了解を得た人たちを「写真を撮らせてくれる人」だと私の了解もなくとり始める。こういう人がいるんですよね。いいんです大層に言わなくても「私も参加させていただいていいですか。」「お二人が了解すればいいですよ。」くらいの会話で済ませることをそれさえしない人。
いやだなあと思えばこちらの撮影が楽しくなくなりますから、そのままにしましたが。

大阪からきているんだそうで「おっちゃんン」と声をかけられて凹んでいます。
でも楽しい人たちでことにこちらの人は終始笑顔です。
「一日のうち七割は笑って過ごしてるんじゃないの?」「まあそうかなあ。」と屈託がありません。
いい感じの人です。

ご覧のように多くの人がとりたがっているアーチの中には入っていません。
後日「おっちゃんもフレンドリーで話しやすく、写真を見返すとどれも自然な笑顔ですごく楽しかったんだなと思いました!」と感想を送ってくれました。やっぱり「おっちゃん」です。
「大阪人やなあ。かなんなあ。」(笑い)
- 2023/04/22(土) 00:00:12|
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たくさんの方がお集まりなのはこのギャラリーオーナーのMさんのつながりの広さ強さの故ですが、それだけではなくてCOVID-19の感染がかなり沈静化しているこの時期に「集まって楽しみたい」という心理がおおいに働いているのだろうと想像します。
高齢者ばかりのこの集まりにはさらにもう一つ人生的な深層心理も働いているのではないかな、と。

男性の健康寿命の平均値が73歳をやや下回るくらいだと聞いたことがあります。
平均値がそうであるということはざっとしたことを言えば半数の人が、これ以前に無視できない体の不調を抱えてなくなったということですよね。
この会場には命にかかわる大きな病気をしたけれど幸いにも大手術が功を奏して、いまは以前より健康に生活できているという方がおられました。

私は幸運にもこの平均ラインをほんのわずかに越えました。 自転車で走っている時にこの年齢になってまだこうして若い人たちの流れに乗って走れていることはうれしいことだなあと思うことがあります。
これからの時間を大切にしたいと思います。

聴衆の年齢層に合わせて滝廉太郎の「花」や武満徹の、よく知られた現代音楽ではない、日本の音や言葉を大切にした小歌曲を歌ってくれました。

私の隣に座を占めていた、私より一回り先輩になる方が「ちょっと失礼。電話がかかってきたので・・。」とお客さんをかき分けて外に出ました。何しろ忙しい方ですから、こういうこともあるだろうくらいに考えていたのですが、なかなか帰ってきません。
どうしたのかなと思っていましたらかなりの時間を過ぎて戻られました。
そして曲の途切れたときに「皆さん、皆さんの若い時代(私たちの世代を、とおっしゃったのかもしれません)を象徴するこの歌を一緒に歌いませんか。」と楽譜を取り出して親しい間柄のピアノ演奏をしているHさんに楽譜を手渡しました。
初見で演奏しろということですね。むろん彼にとっては造作もないことでファゴット奏者もすぐにそれに応えました。
歌は「夢で逢いましょう。」
「私たちにとって六、八は大切な存在ですね。」とWさん。「九も入れてくださいよ。」と声がかかります。
永六輔、中村八大そして坂本九。 その世代にしかわかりません。

この譜面を持ってきたWさんは80才台。ご自宅が少し離れたところにあるのですが、皆で歌いたい。皆に楽しんでもらいたいと走って取りに帰られたのです。 この積極的で活動的な精神と行動力。

次のこの会はいつになるかなあ。
私がここで個展をすると言ったらオーナーのMさんはこういう企画をしてくれるでしょうか。
- 2023/04/21(金) 00:00:01|
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2020年の初めに新型コロナが世界に蔓延して、以来様々な生活領域で、感染防止のための変容が迫られてきました。
コンサートも同じですね。多く音楽家が演奏の機会を失い、私たちは音楽にじかに触れる機会を無くしました。
それでもネット環境生かした様々な工夫を重ねて、かえって新たな表現方法、視聴方法を獲得してきた面もありますが、やはりライブこそ命でしょう。

ここは高瀬川沿いにある・・・・これまで何度もこのブログ記事に登場してきた・・・ギャラリー高瀬川四季AIRです。
このギャラリーは今から約9年前にM氏が、良心的な不動産業者のW氏の紹介によって開いたギャラリーです。
W氏は京都の町屋存続のために日々奔走している方で「町家をこわすのはちょっとマチヤ」と呼び掛けている方です。
その方が「誰かいい借り手はないかしら。」と依頼されて目を付けたのがM氏。
彼がギャラリーの経験を持っていること、企画力や人をつなげることにたけていることに目をつけての抜擢でした。見事ご正解でした。
このギャラリーは今年度いっぱいで閉じられます。惜しむ人がたくさんいる中で、じゃあ最後の一年に花を添えようということでM氏の旧友のO氏が長年描きためた絵を展示することになりました。
そしてM氏は集客んために久々の記念ミニコンサートとレセプションを企画したというわけです。

M氏と長年の親交のあるファゴット奏者Tさん。そして今日は編曲、ピアノで参加のHさん。そこにぐっと若い新卒の声楽家のTさん。Tさんはファゴット奏者のTさんが個人レッスンをしてきた教え子ですから、ファゴット奏者のTさんにとって教え子と共演。感慨深い日です。

聴衆は平均年齢がおそらく70歳を少しばかり?上回る多数の方々。
その年齢層に合わせてHさんが選曲、編曲しての演奏です。
お客さんの中には声楽家(ドイツ語系)がいたりシャンソンに異常に詳しく自らもとてもよい声で歌われる方がいたりと、レベルが高いので新人声楽家にとってはプレッシャーがかかります。
でも年齢でいえば三分の一、自身の孫に相当する若々しいTさんの歌声にうっとりし、時に口ずさんでひと時を楽しみました。

私は高瀬川沿いの席を占めて聞いています。 いつも撮影チャンスを逃すまいといち早く撮影に有利な席を確保するのです。
そしてどれほど込み合ってもここを死守するのです。迷惑な客です。
それでもギャラリーの―オーナーのM氏が「写真家の・・・」と紹介してくれるので、厚かましく振る舞えるのですが。

私が腰かけている眼の高さから足元に夜の高瀬川の流れが視界に入ってきます。
すると水の流れによって逆に自分の位置が動いているような錯覚に陥いってめまいがしてきて昏倒しそうになります。
これも年の所為ですかね。
この日、私は、大学の寮の後輩が、おそらくは今頃は既に最期の時を迎えているのではないかと想像しながらここにいたのです。そして「もっと生きたい」と絞り出すように書いていた彼に「君が願っていた生を、俺はこうして大事に続けるぞ。」と何度も何度もつぶやきながら写真を撮っていました。
そして、もうこの地球という舞台はこうした若い人のものなのだなあと思いながら。
- 2023/04/20(木) 00:00:00|
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お二人が楽しんでいる。その楽しんでいるお二人が「私たちは発信するに足ることをしている」と・・・たぶん…思っている。
それがいいです。自分で何をしているかということを時代や地域をきちんと認識してその中においてわかっているということはなかなかにできることじゃありません。
そういうことを分かっていることを、私は「聡明」だというのです。大概の人は、わかっちゃいません。

日本はもう本当に非文化的になってきているなあと思います。
京都に文化庁が来たからって何がうれしいというのですか。お役所が来たからって言って、何がそこまでうれしいのか。笑っちゃいますよ全く。 ばっかじゃないかってね。
しかも今まで文化庁が何をして来てどんな褒められることをしてきたかなんて誰もわかっちゃいないのに「歓迎、文化庁」だなんて、京都の文化性の情けない薄っぺらさを世界の皆様、こんな程度ですって自ら言いふらしているようで赤っ恥もいいところです。

同じ口で「植物園にカフェ作りましょ」とか言って植物のためのエリアを削るんですから。
舞台芸術のための小劇場はどうするんですか? 劇場なんて大きければいいってモノじゃないんです。京都グラフィーで活気づいているというのに写真美術館すらないのです。
すでに私営のギャラリーに京都写真美術館の名前をおさえられているんですからね。

向こうから外国の旅行者が来ましたね。
彼らはこのお二人のしていることを見てどう感じるんでしょうねぇ。

地面を見ると緑の草はまだまだこれからという感じですね。
住宅地の垣根の葉は粘りのあるしっとりとした柔らかさです。まだ表面に産毛が生えたようで硬さがありません。初々しさそのものです。
翠を楽しみたいですね。

桜の時期、紅葉の頃の京都はとてももてはやされますが、新緑のころも負けず劣らずいいですよ。

それを楽しめる力をこちらが持てるかどうか、そこが問題ですよね。
- 2023/04/19(水) 00:00:03|
- 楽しいね
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今日のタイトルは、粋でしょ?!
いい風情ですねぇ。
私は常々思っていたんです。 人々は桜が咲き乱れるころ一斉にこぞってその木の下に集って花を愛で飲食・談笑を楽しみます。
そしてソメイヨシノがピークを過ぎると潮が引くように・・・そして誰もいなくなった・・です。
これって何?と。 悪く言えば付和雷同じゃないの、と。みんなが楽しんでいることを自分も楽しんでいるぞという、そういう思いに駆られるているだけじゃないの? 先のWBCにたいそうな盛り上がりも同じじゃないかな。ルールも知らないけど感動したとか。
それで新緑の萌え出る今こそ緑の気持ちよさを満喫しながら緑陰を楽しんでみようとする人はいないのか、と。
そしたら、いましたよ。ここに。

こういうことをしているだけでこの人たちが「素敵な人たち」でないはずがないのです。 自律性のある美意識、生活信条の持ち主であることは確実でしょう。 粋ですねえ。
で、しばし観察すると、英語で会話しています。 それにスマフォを三脚に付けて立てていますから、動画の撮影中?
これでは話しかけられません。 音声も入力しているとすれば、文字通り『お邪魔』できませんよね。
それで散々迷った挙句に、こういう粋な人たちに、まさに無粋なことをしちゃいけない・・・と、諦めて先に行きました。
でもねえ、気になるんです。

四条まで下がって、戻ってきましたら、うれしいことにまだお話し中でした。
それで帽子をとり、一歩二歩近づいて「少し話してもいいですか? 動画撮影してますよね?」
「えっ?! ああ、これ止まってます。撮るつもりだったんですけど、撮ってないんです。」
あれ、そうだったの?!

で、少しお話を聞くと、和服の方が「四季の京都案内人 」だそうです。そして洋服の方が香港出身の陶芸家。
いま英会話の勉強を兼ねてお茶会です。
「四季の京都案内人 」さんのコンセプトが「"Chabako "is a box that holds tools for making matcha. Tea ceremony everywhere in the world.」(Chabako journey)だそうです。(名刺より)

「四季の京都案内人」さんのインスタグラムを覗くとこれまでもここで茶会をしたことがあるようです。
ここもまた少なくない鴨川人の密かな?人気スポットですからね。

桜の季節に京都に来られなかった私の大切な友人がバラの季節に来るかもしれないので、そうしたら、バラと一緒に京都の新緑を満喫させてあげたいなあと思っています。
あの小皿には美味しそうな酒の肴になる日本料理が盛られているのです。
そしておいしそうな日本酒。
陶芸家との会話。どんなことが話題になっているんでしょうねぇ。
- 2023/04/18(火) 00:00:02|
- 楽しいね
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どうやら韓国の人のようです。
本国の会社からの注文で撮影をしているのだそうで、イメージアップの商品は敷物のようです。
宣伝対象物は本国から送られてきて・・ということですね。
たぶん胸から下くらいしか映像には入っていないんでしょう。

仕事はますます多様になってきていますよね。
手作り市には中国や韓国の「バイヤー」がたくさん来ていますが、若い女性が多いです。
スマフォで商品を撮影しながら本国の担当者の意向を確かめている場面をよく見ます。
日本からフランスやスペインにワインの買い付けに行く・・・・とか、そういうのと同じですよね。
日本で結婚式前の写真を撮るというのが韓国や中国(台湾)、ヴェトナムなどの若者の間で流行しているようですが、そのために各国のカメラマンたちが活躍しています。
この人は日本で宣材づくりです。

一部の人たちがどんなに青筋立てて国境の壁を高くして国民的な憎悪を掻き立てても、世界の底では押しとどめようもなく、人々の国境を超えた活動と結びつきが広がっているのです。避けがたい、押しとどめようのない世界史の法則ですね。


写真を撮らせてもらいながら、あなたが画面に入る写真を撮れたらうれしいなあ、・・・と。
マスクのことを言うと「まだ顔を出して撮るのは恥ずかしいンですから。」とのこと。
この言葉を聞くまでは日本人かなとも思っていたのですが。
・・・実はこの人の事情で翌日も撮影していて、私がここを撮るのはルーティンですから、またお会いしたのですが、その時にはマスクを(変なおじさんがいないので?)外していて、とても素敵な顔立ちの人でした。・・・・

ご本人の撮影構想のままにしているんでしょうけど、私も便乗させてもらいました。
私が誰かにお願いして撮るときには、こういう設定を思いつきさえしないのですが、なるほどこういうのもありなのかと思いました。
ただまあ、経費がずいぶん掛かりそうですがね。

昼食はごちそうするのがお決まりなんだからその分をこういう風に使えばどうだろうなんておじさんのぺっちゃんこの財布は考えるのでした。
でもね、これだけの物資を調達して運んできて、・・・う~ン、ものぐさオジサン委へできない相談かなあ。 そういう意味でもこの人がしていることはすごいことだなあと荷物入れのバッグを見て思いました。
- 2023/04/17(月) 00:00:04|
- 働く人々
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これも働く人っていえば、そうなんですが。
気持ちよく晴れた日に萌え出る草の上に敷物を敷いて何やらやっています。 どうやら動画を撮影しているようなんですが。

敷物の上には瑞々しいブドウや本やぬいぐるみなどが・・・バスケットからはフランスパンがのぞいていますね。
ハイキング仕立てにしては食べ物がいっぱいです。

おいしそうな羽牟果物ですが「フレッシュなの?」と訊くと「はいそうです。」と。
「明日まで大丈夫です。」 ???明日まで??

時々、カワイイ敷物に小さなテーブルをおいて、その上にワインボトルやサンドイッチなどを置いて、その上にこの人のようにふわりとした服を着て動画を撮っている若い女性の二人組などを見かけます。 男女のカップルもたまには見ますが、多くは若い女性です。
でも、この人はお一人。

どうも目的が違うようです。
カメラは持っているんですが、スマフォを三脚に着けて動画撮影らしいです。
ある企業から依頼されてこうした映像を撮るのが仕事のようです。
ご自身も映像に入るのでこういう服装らしいですが、指先のきれいな人で、ブドウに手指を伸ばして撮ろうという瞬間を撮ったりしていました。きっときれいな映像になっていると思います。

録音もしているんじゃないかと思ってなかなか声をかけることができません。ましてレンズの画角には行ってしまうようなお邪魔なことは絶対にできませんし。
ずいぶん熱心い息つく暇なく本などの並べ替えをしたり、撮影角度を変えたりして取り組んでいます。暇なおじさんの出る幕はなかなか見つかりません。

たぶん、色を出すには木陰がいいのだと思いますがつややかなブドウの輝きなどのためにはこの光がいいのでしょう。
それで明るい楽しげな雰囲気が出るのでしょうし。
こんなオープンスペースだしご自身が映像に入るんだからマスクをとったらいいのになあと、オジサンの下心が働きます。
- 2023/04/16(日) 00:00:05|
- 働く人々
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カメラマン氏を撮りながら、カメラを持ったポーズが一枚もないというのでは、ダメダメですよね。
彼はちゃんと私がカメラを持っているところを撮っていきました。

桜の花の下で休んでいるようでしたが、すぐそばにいいカメラが置いてありましたので「あなたはカメラマンか?」と訊いてみました。
案の定、そうでした。
海外からの人たちの中にも一眼カメラを持つ人が大勢いますね。 でも、この人はただ観光写真を撮るだけの人ではなさそうだなという感じは、時々受けることがありますね。

反論はあると思いますし、そういう考え方はどうなのかという意見も当然予想されますが、それなりのカメラやレンズを持っていると、「おまえも写真を撮っている仲間か?」とビビッと伝わるものがありますね。
私は、その類ではありませんが、「ライカ」族は独特の仲間意識を持つそうです(笑い)。 ハービー・山口氏が言っていました。
最近「シグマ・アート」族みたいなものを感じます(笑い)
彼はジャンルを決めずに万般を撮影対象としているようです。
海を撮った写真を見せてくれましたがスケール感が素晴らしく色もとても素敵でした。
そして私もこの「素敵な人たちと」の写真を見てもらいました。
こういう交流はうれしいですね。
またどこかで会えるような、そんな気がします。
- 2023/04/15(土) 00:00:05|
- 写真
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「おや、また会いましたね。 で、お隣の人は?」
先輩だそうです。
「大学の?」
「いえ、大学は違うんですが、ジャズ仲間として・・・。」なんだそうです。
その先輩が、手前のかなり年季の入っていそうなトランペトを吹いている人。

向こう側の「後輩」と、そんな話をしているうちに「じゃあ、先輩も撮られることになるなあ。」なんて無理やり被写体に。
それで、どうします?というので「何か吹いてくれればうれしいなあ。周りの人も喜ぶだろうし。」
で、先輩が「じゃあ、あれやろうか。」という訳で吹いてくれました。

この時に、この人に「実はね・・・。」と言ったら悔しがるだろうなあと思う話があったのです、が、三歩、歩いたらモノを忘れてしまう私です。
このブログを書き始めて、しまったと思い出しました。
で、今回はカードを渡して「メールくれたら写真をプレゼントするからね。」といったら、「欲しいよね。」と話をしていたから彼が悔しがる話を伝えられるでしょう。
先日(3/8)、鴨川で久しぶりにお会いした若いジャズトランペッターさんへ
もしこの文章を読んだら私にE・メールをください。素敵なお知らせがあります。 と何日もブログ記事の冒頭に書いていましたが、その「若いジャズトランペッターさん」がこの手前の、胸に「加香満菜」と書いている人です。

ジャズトランペッター界隈で著名な佐々木亮さんが京都に来ることになっていて直接会う機会があるよ、佐々木さんがメールアドレスまで教えてくれたよと伝えたかったんです。
彼は、どうやらこのブログを見ていないようで、惜しいチャンスを逸しました。
カメラをもって入り込める機会はありませんかと尋ねたらあるジャズバーでの演奏に飛び入りするつもりだからどうぞと言ってもらったんですが、あいにくその日は予定がバッティングしていていけませんでした。惜しい!!残念!!
パクチーを天敵とする私とパクチーをこよなく愛する彼。土台うまく連絡が取れるはずもないか?!
それにしても人生は好機とのニアミスの連続なのかもしれませんね。
その好機と「ニアミス」で終わってしまうのではなく、ばっちりヒットするにはよい人脈(いわゆる〔縁〕ですね)が必要だと、リタイアしてから思いました。
もっとも私にはそれを生かす意欲と能力が欠如している、つくづくそう思います。

でも、こうして写真を撮らせてもらえる人がつながっていくのもまた〔縁〕ですから、繋がりは大切にしたいものです。
そうしてそういう縁に絡むたびに人生を学びます。 やはり写真は「人間交差点」です。

この二人だって大学の枠を超えてラッパでつながる縁を持ったわけですからね。
- 2023/04/14(金) 00:00:04|
- 音楽
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高瀬川のほとり、一人の外国人青年が医師団に腰を下ろして読書中。
私は、このすぐ近くにあるギャラリーを訪ねての帰りです。
「あなたは観光の人ですか?」
・・・・
「では、ないです。」

「桜の花の下で読書するあなたの様子がとてもいいので写真を撮らせてくれませんか。」とお願いすると、即座に受け入れてくれました。
京都はとても素晴らしく、穏やかな気持ちになれるといっていました。

来日の目的を訪ねると「合気道を学ぶに来たんだ。」ということで、すでに母国のスイスで二年間、合気道を体験してきたそうです。
合気道には気hン的には相手に攻撃を加えるオフェンシブな技がないという点で、私はその精神がいいなあと思っているんですが、そういうことを彼に訊ねる言葉の力がないのが残念です。

本も合気道について書かれたもののようでした。

そのまま読み続けてくれたらありがたいといって、撮っています。

実は彼はもう次の予定の時刻が迫っていたのに、私のために時間を割いてくれていたのでした。
そして分かれる刹那、私の自転車を見て「お-っ 私の自転車と同じメーカーだね。」と。
ただし彼の自転車のサドルは私のより30センチも高そうに見えましたが。
- 2023/04/13(木) 00:00:05|
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少し前にミヤコメッセで漆器制作の実演をされていた漆器職人の「卵」です。私のこのブログにすでに登場していただいています。
あの時、撮らせてもらっている時に「この人いい人だなあ。」と感じたことが忘れられず、「写真撮影に協力してもらえませんか。」とお願いしてみました。
それで、久しぶりの「個撮」が実現しました。

年度替わりの時期で、この人も人生の岐路に立っているようです。そういう意味で青年期真っただ中です。

あまりプライベートなことを書かない方がいいんですが、この人の人となりをうかがわせる話を一つだけ。
この人、紙はお母さんか自分が切っているのだそうで、「美容院にはいかないんです。」とのこと。
それで、すっかりほれ込んでしまいました。

こういう撮影は初めての体験だそうで、はじめのうちはとてもぎこちなさが出ていて「それはそれでとてもいいので・・・。」と撮ってきましたが、今日の写真は、撮影した時間の中ごろです。まだ昼食もしていません。
撮影日を決めたりする事前のやり取りも「しっかりした人だなあ。」という印象でした。
天気予報では長く雨傘が消えませんでしたが、期待通り曇りから、晴れもあるよというように変わってきて、「これ位の光がちょうどいいよ。」と話しながらです。
この日約束の時刻に現れることができませんでした。というのも利用する鉄道で人身事故があって運行が一時休止したからです。
私は携帯電話を持つことに長い間抵抗してきて、若い友人たちが「ぜひ、持ってくださいよ。」というし、君たちが買いに行くのを手伝ってくれるなら行くよというほどわがままだったんですが、こういうときは実に役立ちますね。
今や「ガラ携」からスマフォに出世して、電車の遅れ情報も取れますから、待つのにも気持ちが落ち着きます。

撮影を始めるにあたって、いつものように「モデルの心得」をお話しさせてもらいましたが、常にそれを頭で反復しながら「ここではどうしたらいい?」と考える人です。
吸収が早いのですが、それ以上に、いち早く吸収して求めに応じられるようになりたいという気持ちが働く人です。
かみさんの職場に欲しい!!

ユーチューブやTik Tokなどに、自薦他薦の、カワイイでしょ?!美人でしょ?!という人たちがたくさん登場しますが、私の撮りたい人はそういう人ではないのですね。
魅力ある女性はそうした人たちとは違うというのが私の信条(好みで)で、これまで個展で並べてきた素敵な女性たちも、そういう人たちと違う人でした。

いつもいくらかアンダー気味に撮る癖のある私が、今日は久しぶりの個撮でオーバー気味に撮っています。
それで調子が狂っていることが時々見られます。
やはり、そういう意味ではコンスタントに撮りたいですね。

- 2023/04/12(水) 00:00:02|
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この人の前を自転車で走り抜けるその刹那、ギターの一節が耳に飛び込んできました。「おっ やるじゃん!!」
もし仮に、彼女が弾き始めるのがもう2,3秒遅かったら、もし私がこの平たんな道を調子に乗ってスピードを上げて走っていたら・・、その音は風にかき消されていたでしょう。そして、この写真は誕生しなかった。
「人間交差点」が生まれなかったわけで・・・。

強く弾くのではないのです。でも、小さな音なんですが確かな音なのです。そしてしっかりつながりのある音でした。
ちょっと楽しんでいるという水準じゃないなと思って自転車を停めて背後から・・・怪しくならないように…しばらく聞いていました。

向こう向きに歌っているし、張り上げることもないので、歌声はしかとは聞き取れませんが。
聞くと、これからステージがあるといいます。なるほど、納得です。
この写真を撮ったときはまだ桜が満開を迎えるころでしたので、この心地よい春の中で弾いているという雰囲気も感じられるようにちょっと彩度高くとってみました。
背景にも桜色がたくさん入るように。

そして、何か工夫はないものかと、いつもの仕方しか出てきませんが。

ほんと、能がないというか芸がないというか。
せっかく撮らせてもらえているのに。

FBの方では「 」なんてほめてくれる人もいるんですが、穴があったら入りたいとはこのことですね。
それはさておき、やはりこのシグマのARTレンズはいいですね。とても気に入っています。

こうなると50ミリも欲しくなりますね。 でもなあ、二本をもっては行動できないしなあ。
85ミリは1キロを超えるし、そこに50ミリを加えるのは・・・。
先日久しぶりに「個撮」をしましたが、やはり85ミリだけでは制約が多すぎるのを感じました。そうなるとなあ・・・・。それにしても開放だと被写界深度が浅いということを改めて感じますね。
暖かい空気のの中で、いい演奏を聞かせてもらいました。
- 2023/04/11(火) 00:00:14|
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京都市の上京区、西大路通りからさほど遠くないところに「源湯」という銭湯があります。地下からくみ上げた水を蒔きで加温しているお風呂です。
その「源湯」で吾郷 佳奈という若い絵描きさんが「 京都市 ·《まちかどドローイング 19-24》」と銘打って色鉛筆で描いた街角で見つけた風景を描いた作品の展示をしていました。

吾郷さんの作品は以前別のギャラリーで見たことがありましたし、彼女も撮らせていただいたことがありました。
Fbでつながっていますので、お知らせが届き、見に行ったというわけです。それにしても「銭湯」で絵画展とは。

そこは古くからの銭湯ですが今は若い経営者の下で、若いスタッフが働いて維持されています。
私が行ったときにも若い女性が番台に座っていて、正面につるされている湯音の状態を示すデジタル温度計を見ていました。
60度を切ったら薪を追加に行くのだそうです。

「絵を見に来たんですけど・・。」と伝えると、「そちらの奥の階段を上がって下さい。」というので踏み板をぎしぎしと言わせながら登ると小さな部屋が展示会場になっていました。
どうやらこの古い建物をかなり改装した模様で、古い太い棟木などがむき出しで、継ぎ接ぎの様子がよく見えていました。

妙齢の吾郷さんを見つけると、その反対側の床にこの人が座っていました。ギャラリーの運営スタッフの一人だそうです。
銭湯を経営する経営体からこの部分をレンタルして、ギャラリーに改装し最近スタートにこぎつけたのだそうです。
CVIDO-19もありましたから遅れに遅れたんだそうですが。
聞くところによると京都(この京都が京都市なのか京都府なのかわかりませんが)には新旧、大小300ほどのギャラリーがあるんだそうです。
一方でとじられるギャラリーもありますが、こうして新たに開設されるギャラリーが路地奥などにいくつもできています。
若い人たちが独自のセンスと人脈で新しい感覚と企画を取り込んでギャラリーを運営しています。

この業界の新陳代謝ですね。
むろん老舗と言ってよいようなギャラリーもあって全国レベルの各種の公募展入選クラスの人たちの作品を展示していますが、この会場に絵を出している吾郷さんのような若手の実力たちが案外?こうした新興のギャラリーにも参加しています。
京都の文化状況が活発に動いていますね。ワクワクします。
そしてそこにはこの写真のOさんのような人の力が発揮されています。ニューヨーク帰りの映像に詳しい方です。
頼もしい。
- 2023/04/10(月) 00:00:01|
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写真の方は植田正治氏の息子さん。といっても植田氏が2007年に87才でなくなっていますから、息子さんもそこそこのお年です。
みなさんご存じのように植田正治写真美術館は鳥取にあります。
私も数年前に行きましたが、「遠い」です。写真美術館の前にバス停がありましたからバスでも行けるんでしょうが周囲は、まあ田園風景と言ったところです。

植田正治の写真は今でも人気があり海外でも注目されているわけで、私も好きなんですが、なかなか現物を見る機会がない恨みがありました。
そこで息子さんが、じゃあこっちから見たい人たちのところに出かけようということで、巡回展をすることにしたのだそうです。
その初めの地として選ばれたのが京都。これから各地に行くそうです。

この展示会場では、彼の代表的傑作を目の当たりにできるのです。しかも、リ・プリントではなくて植田自身がプリントした多数の作品が並びます。
その写真を見られたのが三条通りと神宮道の交差点を100メートルほど上がったところにある京都写真美術館です。
しかも、なんと無料なのです。(この写真美術館で今年の11月に10回目の個展をする予定だということはくどいほどお知らせしてきました。)
そしてこの写真の方が植田正治のご子息である植田亮氏。氏が丁寧に解説してくれました。

植田亮氏は鳥取まで出かけないとみられない写真をより多くの人に見てもらいたいという思いを持たれて、今後、様々な都市でも同様の写真展を開きたいと計画されているそうで、植田氏とともに来られているスタッフの方々も丁寧に説明をしてくださいました。
以下、「独断と偏見」の私見ですが、・・・・
戦後の写真史の中で木村伊兵衛や土門拳と並んでファンの多い写真家に植田正治という人がいることをご存じでしょうか。
彼の写真は「植田調」などと言われて木村や土門などが「リアリズム」を追求し喧伝したのとは大きく違った「演出」した写真を世に出しました。東京を中心にした写真界、その核に木村や土門がいたわけですが、リアリズムが大きな力を持った時に鳥取の砂丘から、ここに植田ありと声を上げていた人物です。

◆木村や土門たちはリアリズム精神から「被写意識を少なめる」技法で撮るとした木村、「絶対非演出の絶対スナップを基本的方法」とするとした土門らだったけれど、その後リアリズムが形式論としてしか理解できない人々によって、戦後のあの時期(つまり、それは大日本帝国期の後ということですね)に何ゆえに彼らがリアリズムを主張したのか、「ありのままの現実を見る」ということを何に対する対抗意識、変革意識として理解するかというような問題意識の希薄化に伴って「乗り越えていく」人々が出てきます。・・・私の感想です・・・。
(つまり、大日本帝国期にはありのままに見ることができなかった、妨げられていたということであり、この戦争は負ける、皇軍は朝鮮や中国ではひどいことをしている、聖戦なんてものではありはしないというありのままを見ないで「万邦無比」やら「大東亜共栄」やら「八紘一宇」やらの飾り立ての中に「ありのままに見ること」を奪われた時代の「後」だという認識が希薄化していく。)

◆一方、植田の前衛的演出が持っていた(認識と表現を深化、正確化する方法としての)「レトリックとしての演出(この言葉は私のもの)」が、エンターテイメント的な演出、内容にリアリズムを欠く演出へと「乗り越え」られてきたのではないかと、思っているわけです。・・・「個人の感想です」
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- 2023/04/09(日) 00:00:04|
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この写真を撮ったころはまだ桜は満開までは少しあって、人でもさほどではありませんでした。
この桜の樹の下は毎年大勢の人がシートを敷いたりお弁当を広げる場所ですが、今日はこの人が独り占め。

川向こうの職場の昼休みだそうです。
ちょっと散歩がてらの昼休みですね。 いいですね。

そんなタイミングで声をかけられて戸惑ったかもしれませんが、私は少しでも人生を楽しくよいものにしようとする人が好きですから、つい声をかけてしまいます。
まあそれは私がそういうことが不得手だからかもしれませんね。

お話を伺うと、ちょうどおめでたいほうに人生の転機にあるんだということでした。
そんな心に余裕があるときだから撮らせてくれたのかもしれませんね。

この時には、まだ河原の草も枯れ色が目立っていますね。
でもこれを書いている時はもう明るい緑がぐんぐん萌え出してきています。
だってもうつつじさえもが咲いていますからね。

三月までの半年間と打て変わって四月に入ると少しも撮れません。
これまた何か変調があるようです。
山あれば谷あり・・・ちょっと違うか?!
いいですよねこういう表情のできる人って。

いつものようにカードをお渡ししました。
このカードをお渡ししていることで私も大きな間違いをしないで済んでいるのかもしれません。

人を守り、自分も守る、そんなことでしょうか。
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- 2023/04/08(土) 00:00:09|
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こんな格好で私の目の前に現れたのです。
鴨川の飛び石を跳んでくるのです。 本格的なロードレーサーはずいぶんと軽いと聞きますが、「これはそんなに高価なものものじゃないんですよ。」が本当なら、ちょっと私にはできませんね。

体の絞られ方からすればかなり鍛えられているんでしょうね。
山道を自転車で走るんだそうです。 マウンテンバイクではないですから、道自体はそう荒れてはいないんでしょうが高低差のあるところをどんどん走るんでしょうね。
すごいなあ。

とても快活な方で、いろいろお話をしてくれました。
仲間がたくさんいるようです。
30キロも40キロも普通に走るんでしょうね。 こういう人には京都盆地は狭すぎる?!

以前、仲良くしてもらっていた洋食店の店主は、ママチャリで琵琶湖一周したり富士山マラソンをしていましたが、そういうタイプの方なのかな。
こう、なんていうか自ら課題を大きくしていって達成するのを楽しみにしているような。
私とは別グループの人間たちですね。

こんなおどけた一面もあって・・・・。

飛び石を渡るのに、ほかの人たちの邪魔をしないようにとても気を付けていました。そして常にすれ違う人を優先にしてご自身はぎりぎりまで端っこに下がります。
今、直面しているすれ違いびとだけではなくて先の先まで読んで、ほかの人が難渋しないように気を使っています。
「こんなモノ持ちこんじゃって迷惑かけてるのはこっちなんだから、当然です。」という感じ。

とても楽しい人でした。
「こんな頭してますから、また見つけてください。」と言って去っていきました。
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- 2023/04/07(金) 00:00:01|
- 楽しいね
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例年になく早く桜の開花を迎えて、今はすでにピークをだいぶ越えましたが、この写真はそのピーク直前のものです。
外国からの観光の人たちも街にあふれるようになり、ここ木屋町も人であふれています。
COVID-19の感染対策からの一時的な解放感も相まってでしょう、内外の観光の人たちは明るく楽しんでします。
(政府はもう投げやりで、棄民姿勢ですしね。)

高瀬川の岸沿いにはたくさんの桜が植えられていますがその咲き誇る花をつけた枝の下でスケッチする青年を見つけました。
話しかけるとフランスから来たということです。
「撮らせてくれない?!」と声をかけると二つ返事でOKしてくれました。

サングラスをつけた人を撮ることがほとんどないので、何が起こっているのかよくわかりませんでしたが、考えてみれば当然でした。目の当たりが暗くて、どうしても目を捉えられないのです。
目に入る光を減ずるのがサングラスの役割!!

そんなわけで、じゃあどうすればいいの?というところまで考えが及びませんでした。
困難では困りますね。と言ってももう遅いか。
日本の観光の人は行く先、やることの目標を決めて計画通りに時にはふん秒刻みでどんどんこなしていく感じですが、欧米の人たちは積極的に寄り道する感じです。
ですから見つけたギャラリーに入ったり横道にそれたりするのをよく見かけます。
人生観、教養の質が違うというか。

拝欧米主義に陥るつもりはないです。が、むしろ日本の人たちの行動様式、傾向にはあまり肯定的に見るべきものがないのが寂しいです。
でも次第に多様にはなってきているのかなとは思うのですが・・・その進み方が遅々としていて歯がゆい。
それにしても桜の花は人の心を浮き立たせますね。
本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」の桜はヤマザクラですが、浮き立つ気持ちとはかなり違う感覚ですよね。むしろすがすがしさですかね。山桜はソメイヨシノみたいに一斉にさぁーっと潔く散りません。
特攻や玉砕を促す花にはなりにくいですね。

赤い「前ボケ」は紅カネモチノ葉。
京都の住宅地にも急速に植えられ、我が家にもありますが、ここは低い丈で切りそろえられています。どんどん伸びますから手入れが大変でしょうね。
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- 2023/04/06(木) 00:00:05|
- 絵画
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カメラのレンズを川面に向けていましたが、「あれで鳥が撮れるとは思えないし、三脚に据えているということはかなり意識的に撮ろうとしているんだろうし、はてささて・・・。 」
カメラの形状を見て「静止画を撮っている」と思うのが既にオールドジェネレーションという訳で。

観光についてのインタビュー動画を撮ろうとしていたんだそうです。
「日本のどんなところを観光しましたか、またお薦めは?」というような。
なるほどね。
放送とか情報とかエンタメとかがユーチューブやTikTokによって世界中の個人のレベルから発信がされるようになっています。
(そこに目をつけてユーチューバーを囲い込んだり、雇用して会社組織として収益を上げようとする動きも活発です。)
そこには迷惑系ユーチューバなるものが出てきてそれと同根の旧N国党のような政党が国会に議席を占めるような事態さえもあるんですから、ことは大きくて深刻な様相を呈していますね。
また、そのことは個人にも大きな可能性を開いているということで、その広がりや深さはまだまだ計り知れないのでしょう。

ここにいれば内外の観光の人たちと出会えますからよいインタビューができるでしょう。
それにしても70年安保世代からすれば「現代」というものの表層の変容の仕方の速さに、実に舌を巻きますね。
京都の町の変貌もまた同じですが。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。」
それだけにこうした発信のコンテンツをどれくらいの社会的・歴史的視野で世界に届けるかということが、肝要な点でしょうね。

私のブログはこのFc2ブログという狭い範囲のものでしかなく世界どころか京都にさえ広がりませんが、世界を視野に入れられる現代というものを意識できる世代は確実に育っているんでしょう・・・・、そうであってほしいと切に望みますね。
この人はとても好青年で心配りのある接し方をします。インタビューを成功させる一つの大事な要素を備えているなあと思いました。
目の表情がとてもいいんですね。
色々な人がコンテンツを積み上げていくことでこの分野の文化も醸成されていくことでしょう。
期待したいと思います。
- 2023/04/05(水) 00:00:03|
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若い人は・・・と決めつけてはいけないのでしょうが・・・柔軟なんでしょうね。
そして現代では「音楽」に対する狭い固定観念は次第に緩められているんでしょう。
いことだと思いますね。 勉強だとか学校だとか仕事だとか職場だとか、家族制度だとか…もっともっと柔軟になっていけばいいなあと思います。

私が撮影をお願いして、ちょと一息ついていたところで、じゃあちょっとと演奏してくれました。

ただ撮リャアいいってもんじゃないわけで、チャンスは短い時間ですが、それなりに頭を使わなくっちゃ駄目じゃないか、と声がするんですが・・・・。

この3月は、今までにない数の人に撮らせていただけましたから、結果的には撮る腕や頭を鍛える機会があったということになるわけですが、やはり「ぼーっと撮ってんじゃねえよ!」と。
男性の方は、私が写真を撮って「(人相から見て)どちらかと言えば山登り系の方かなあ。」と言ったら、このあと数日で遠くに仕事のために行かれるんだそうですが、「そういう系の仕事」だそうです。
当たるも八卦、当たらぬも八卦ではありますが、そんな空気を感じました。

何か、坊がつるに行く径で、 「こんにちは~」とか声をかけあって、すれ違いそうなお顔じゃないですか。
いい表情をされています。

たくさんの荷物に囲まれたお二人でした。
- 2023/04/04(火) 00:00:05|
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鴨川の、いわゆる〔デルタ〕で。
よく似た楽器ですが、この女性が持っているのが、ハンドパン。スイスの工房が初めて製作したものだそうです。
こちらは依然見たことがありますし、演奏も聞いたことがあります。
たたいたり、丸くへこんだ部分の淵を指でこすったりして音を出します。
周囲の人たちは興味津々。
打楽器なんでもちろんリズミカルな音を出すわけですが、ちょっと神秘的に揺らぐ音も出ますね。

暖かくなってきたからこその「はだし」です。


向こうの男性が演奏している楽器が「グーダドラム」と言って、ウクライナで誕生したもの。
両方とも2000年以降に作られた新しい楽器です。
でも何かアフリカかどこかで伝統的に継承されてきた楽器のような感じですね。

ガムランにも似た音が出て、アジアンテイストも感じます。
- 2023/04/03(月) 00:00:05|
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斜面に寝て目をつぶっていたので「眠ってるの?}と声をかけてみました。
一応、英語で話しかけて、写真を撮らせてもらえる?ということになったのですが、ちょっと様子が。

それで「日本語、話せるの?」と訊いたら「少し話せるよ。」と上手な日本語で。
な~んだ、じゃあ日本語でいいかなあというと「外国人が日本語を話したら何か変な感じでしょ? だから日本語を話さなかった。」ということでした。
私:「Hello.」
外国人:「こんにちは、ご機嫌いかがですか?」
なんていうときもありますけどね。

たぶん何度も何度も日本人が話しかけてきた時の経験で、日本人に不安を感じさせたり驚かせてはいけないと思ったのでしょうね。

コンゴ民主共和国から日本に染色を学びに来ているんだそうです。
私が「コンゴ共和国からなの?!」というと「コンゴ民主共和国です。」と訂正されてしまいました。
そうですね、「民主」で「共和」なんですよね。日本みたいに古代の遺物を頭に乗せた君主国ではありません。そんなことを彼が言ったわけではありませんが。

すでに長く日本にいるのですが、「永住するつもりだ。」とも言っていました。
ということはまたこの人とどこかで出会えるかもしれないということですね。
そうなると楽しいですね。
空に彼の作品を見せてもらわないとね。

私もお尻を地面につけて話し込んでいますから、撮るために移動をすることができません。
同じ写真にしないで彼のいい感じを撮るにはどうすればと頭の一部を働かせながら・・・。

こういう人が写真展に来てくれると委員いなあと思います。
- 2023/04/02(日) 00:00:05|
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学校を卒業して、次の生活が始まるまでの、いちばん穏やかな日々だそうです。
こちらの人は京都を離れる。 そういう人には、何故か京都の思い出を作ってあげたい気になる。

スケッチブックのおかげでキャッチライトもちゃんと入っています。
これだけ反射光があるならシャッタースピードをもう一段速めてもよかったかもしれません。

私はフェイスブックもしてるんですが、時々、写真いついて教えてくれないかというメッセージが入ったりします。
そんな無茶なことを言っていただいては困りますとお返事したいところです。
実際いろいろなことでお茶を濁して遠慮させていただいています。
何によらず「教える」というようなことは尋常なことでできることじゃないですよね。簡単に講座開いたり、ユーチューブなんかで「…入門」みたいにやってますけど、ほとんど教えるってことを理解していないですね。
それで免許なしの先生とか保育士でもOKなんて空恐ろしいことが平気で出てくるんですよね。
教育委員会でさえそうなんだから一般の保護者が「先生なんて教科書をかみ砕いて話すくらいのことなんだから誰にでもできる。」なんて思っちゃってるんですよね。ひどい話です。もっともその程度の自覚しかない先生もちらほら見かけますが。

だから少年野球だとかサッカーだとかの世界が荒唐無稽なものになってしまうんですね。
なんて、話が逸れました。


私がここを離れて、食事をして、その辺を一周して帰ってきたときにも楽しそうに描いていました。
そんな仲良しお二人でした。
- 2023/04/01(土) 00:00:08|
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