こうした室内では被写体の立つ位置や向く方向によって大きく光の条件が異なります。
光の強さ、差す方向・角度、光の色。
それをその都度最適に撮ることはとても難しいです。 私は、たいてい失敗しています。

すべてオートにして撮れば、ほぼ合格点は取れるのでしょうかね。
カメラのメーカーごとの性能にもよるんでしょうけど、どうでしょう。
いつまでたっても読み切れません。 ピントを合わせて構図を決めて・・くらいの事にしか神経が届かないのですね。
溜息、吐息です。

ミラーレスのEVFのカメラなら出来上がる像を見ながら撮りますから、調整が比較的楽なんでしょうね。
私のα99では、多少そういう対応ができます。
ところで、実は、私はこれくらいの年齢の女性写真家に期待しているのです。
人を撮るにしても風景を撮るにしても従前の撮り方を破ったものを撮る方が多いように感じます。
以前からあるギャラリーでよく見せてもらう写真は「とても上手で、撮るために健闘してるんだけどなあ…。」と感じて終わってしまいます。
だから、おやこんなところで、という場所にいいものを見つけるために足を運びたくなります。
私の写真も後者ですからね。
京都はさほど大きな街ではありませんが、(メガ・シティーというほどでは、全然ないですね。)、あちこちに文化的な活動があります。
こういう小さな住宅を改装してギャラリーをする人がいてくれます。
それはとてもうれしいことです。 ここは建築設計事務所(OHArchitecture)がひらいているのですが、それで建築模型も置いてあります。これも楽しい。
- 2023/02/28(火) 00:00:02|
- 写真
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街中にはまだ私の知らないギャラリーがあります。
あるギャラリーに置いてあったDMの中に、「このギャラリーはまだ行ったことがないなあ。」というものを見つけて、探していくことにしました。写真展(二人展)をしているようです。

細い路地を入って突き当りを左に曲がって・・・・あれ?普通の住宅しかないよ。
看板もないし、それらしい入り口の建物もないし・・・・地図で見ると、曲がり角から3軒め?! あ、ここか!はがき大のギャラリー名のある表示がありました。 それにしてもつつましい。入り口のドアは一般住宅そのもので、しかも閉じています。

自転車を停めようとした中で人の気配があって窓が開きました。それで「どうぞ。」と呼び掛けられてはいることができました。
つい先ごろまでここに住んでいて、出た後を建築設計事務所が改装してギャラリーにしたんだそうです。
ですから建築写真(と言っても商用でないイメージ表現したものです)も一緒に展示されていて、この写真の人、ジャスさんの写真が展示されています。

この建物の周囲の路地風景を撮ったものやドバイの町の寸景を捉えたものなどが展示されています。
「生活の中で現れる静かな時間をフィルムで切り取っている。」とDMには書かれています。

ご両親は日本人ですが思春期の終わりころまでニュージーランドに暮らしていたので完璧なバイリンガルです。
二つの言語をネイティブレベルで読み書き話すことができるなんて現代では最強ですね。
そして二つの国の文化を重ねて体験しているところから出る発想というのはどんなものなんでしょうね。

ニュージーランドと日本では時間の進み方が違って、日本では『忙しい!』 で、「静かな時間」が流れる情景を求めたようです。
( いやほんと、日本人は「人生」を取り戻すべきですよ。人生の主人公になっていない。企業の奴隷ですからね。と、私はそう思います。)
中盤カメラで風景をじっくりと撮る一方で「、「小さな『35ミリ』」を使って撮るようにもなりました。」とのことです。
「小さな」というのは使っているカメラのボディーが小さいというのではなくてフォーマットとして35ミリ版が小さいということです。
- 2023/02/27(月) 00:00:03|
- 写真
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写真を撮らせてもらってややあって「あの、よく職人を取材している方ですか?」
「うん? 取材ってことでもないですが、ここでも多くの職人さにを撮らせてもらってきましたが・・・。」

「実は9年前に、この仕事について間もないころですが、ここで実演デビューの時に撮ってもらいました。」
「ええ?! そうだったんですか。ごめんなさい記憶がなくて。」
「撮ってもらった後で、先輩職人さんに『おまえ、ブログに出てるぞ。』と教えてもらいました。」
その教えてくれたという職人さんはそれより先に撮らせていただいた方で、このブログで紹介していた人だそうです。

西陣織や友禅などの職人さなっちの中では「知る人ぞ知るブログ」になっているんですね。 「エッヘン」

それでこの人の仕事歴は9年ということで、でもこの業界ではまだ若手ですね。
職人仲間で作っている若手の会(「京の伝統産業わかば会」)があるんだそうですが、その中で頑張っているそうです。

この人の「金彩」は着物の仕上がりの最終工程に出てきます。 絵柄にきらびやかな加飾する仕事ですね。
金箔や金粉を使う仕事はここではできません。エアコンの風で飛んで行ってしまうからです。
使う素材は金や銀ばかりではなくてアルミなどもあるわけですが、最近はロシアのウクライナ侵攻戦争の影響で金の価格が高騰していますから、困っているようです。
そうでなくとも仕事部屋は常に真空掃除機で箔や粉を集めて再生業者にちゃんと引き取ってもらう訳で、そうでなければ高コストになってより高価になってしまいますね。

この人は御父上がこの仕事をしてきたのでそれを継ぐ形で仕事を始めたわけですが、金彩の仕事の、先輩とも後輩ともずいぶんが年が離れているそうです。
やはり後継者は少ないそうです。
でも、着物の仕事がなくなるわけではありませんからと職人の技術継承に意欲を燃やしています。
- 2023/02/26(日) 00:00:05|
- 伝統工芸
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芸術をする人はこの世界の違う見方を教えてくれます。
モノを作り出して、そこに世界の新たな面を発見してくれるのですね。
・・・写真では、多くの場合作り出しはしません。在るものを見てそこに何かを発見して、ほら!と示すのが写真かな。・・・

場所は白河のほとり、古川商店街はすぐそこ。

細い針金を、まるで編んでいくといったような、造形です。
ヨーロッパの街並みを思わせるような建物群が描かれます。そしてやがて・・・・向かって左の方に行くと・・・林の中に溶け込む街。
A4程の中に納まるのが一つの作品で、それを合わせてさらに大きな空間を描いています。空には気球も飛んでいますしね。
(戦争好きな連中に撃ち落とされなければいいですが。)

少し前に制作されたものはクロームメッキをしたようにくすみ、新しいものはまだ銀色に光っています。
制作していく過程で・・・意図してかしないでか・・・針金が微妙によじれたような小さな凹凸を作ります。それが照明に光る様は、ちょうど安野光雅のかすれた鉛筆の線のようです。
作品の中に人の姿も犬や鳥の姿も見えません。 それを入れると、例えばその人物の視点に制約されるような気がして入れていないのだそうです。
それだけに風景を、作品を見る人自身のイメージで膨らめることができるという趣旨です。
この抽象度がちょうどいのかもしれません。

私はこういう可能性のある、よくできた作品を見るとあれやこれや発想を飛ばしてごちゃごちゃやりたくなります。
そのアイディアを話して一緒に楽しみました。楽しんだのは私だけで彼女にとっては迷惑だったかもしれません。
それにしても、ずいぶんいろいろなことができそうです。ポテンシャルの高い作品だと思いました。

そして一通りいろいろな可能性を考えてみたうえで、元に戻って、この自制した単純さがベストなのかなあとも思いました。

若いカップルのお客さんが本当に楽しそうに作品を見て回っていました。
私は絵本作家とコラボして絵本を作ってみたらと提案してみましたが、そういうものも作ってみたいですと言っていました。
- 2023/02/25(土) 00:00:09|
- 美術
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オバマ元大統領が訪日した時に夫人のミシェル・オバマさんが来ていた洋服の図案を提供したそうです。会場の来し似たときの写真がありました。
・・・・大統領がトランプではなくてオバマでよかったですね。・・・・

表情を見ていただくと、撮影を始めて間もなく、力みや衒いのないお顔になっていることが分かってもらえると思います。
長年、友禅の世界でよい仕事を積み重ねられてきて、しかしその仕事の中でも浮き沈みを経験されてきたでしょうから、そういうことを滋養にしたよいお顔なんだろうと思います。
が、同時に深刻な大病を経験されて、ほとんど奇跡的に、お元気になられた経験、死の淵を見てきた経験から、「生」についてブレークスルーしたお顔かもしれません。
私は「大家然」とした写真を撮りたくなかったですし、それはこの方にふさわしくないと思いましたので、色々話しかけながら撮りましたが、終始、品を失わない表情でした。

実は写真をとらせてとお願いした時には洋服でした。
和服で過ごそうと思って準備されていたのですが、会場の設営をやり直したり、お客さんの対応をされるのに忙しくて着替える暇がなかったのです。
それで、せっかく撮ってもらうんなら着替えようといってくれて、実は二階に用意されていた着物に着替えてくれたというわけです。
「若いころちょっとお茶もしたので・・・。」と着物姿も堂に入っています。
私としては「おじさんシリーズ」を頭の片隅に置いていますからこの貴重な機会を無駄にしないように集中しました。

写真を並べたら、写真同士がこごもご人生を語りだすようなそういう「おじさんシリーズ」にならないかな、と。
写真にできることは、その人を見つけることだけ・・・かもしれません。
- 2023/02/24(金) 00:00:05|
- 伝統工芸
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四条室町角の「ギャラリー・ちいさいおうち」で、長年にわたって友禅の意匠図案をされてきた片桐嘉正さんが、個展をされていました。
意匠図案は着物などの元になる絵柄を描く仕事で、その図案を着物の生地に下絵が描かれるなどの作業が始まります。

傘寿というわけですから60年以上もこの仕事をされてきたということになります。
片桐さんのお師匠の指導は、「絵が描けるように修行しなさい。」ということだったそうです。
えっ当たり前じゃんとお思いになるかもしれませんが、図案はもう長い間に多くの人が描いてきていますから定番の物、人気の柄などがたくさんできています。そういうパタン化した絵柄を上手にこなすという人は多いわけですが、それを越えて芸術品としても耐えられる「絵」が描けなくてはいけないという指導だったようです。

それで植物を初めてとして熱心に写生を積み重ねてこられたそうです。
こういう図案をのちに有名な画家になったような人が口に糊するために描くようなことがこの京都ではよくあったそうで、そういう逸話を時とに耳にします。

職人さんたちも過去の作品をよく研究するだけではなくて日本画や水墨画や書などを広く学び、また茶の湯や立花の素養も身に着けたりします。
ですから相当な『教養人』なのです。
そして知的に学ぶだけではなくてて技を磨くための描く修行をするわけです。
京都には植物園がありますが、名だたる画家や職人さんたちが画板やスケッチ長を並べていたりするわけです。

このギャラリーに1,2階の全部を使っての展示ですから、壁面が相当あります。
それでも所狭しと絵がかけられている様子は壮観ですが、「家を探してみたら思いのほかたくさんのものが出てきて・・・。」と職人人生の総集約ですね。
職人さんのこうした図案は手を離れて下絵として写し取るときに傷つけられてしまう時代もあったそうですから、全画業というわけではないのですね。

会場には同様の仕事を永くされた知人、友人、同業者が足を運んできますから、見る目は厳しいかも知れませんが、この方はこういう図案を描く職人さんたちを教えてきた方ですからその点は大丈夫。
傘寿の晴れ舞台です。
- 2023/02/23(木) 00:00:03|
- 伝統工芸
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蚕の繭、さなぎ、成虫が作品の中にあります。
彼の横に見えるのが成虫です。
彼の体を照らしているのは彼の作品を使ってパフォーマーが演じたものの動画が上映されている光です。
そのパフォーマーも彼が探してきたそうです。
そして動画撮影しているカメラマンも。

私が彼を撮っていると指導教官が来て「彼はインスタグラムを通じてフランスの人に見いだされて・・・。」と活躍の様子を話してくれました。
ところが彼はポートフォリオで過去作品を見せてくれたりしたのですが、そういうエピソードは全く触れませんでした。
「なんだ、話してくれたらよかったのに。」

とにかく緑が好きそうです。
暗くて照明の色も撮影には難しい場所でしたから、「自然光のあるところでもう2,3枚撮らせてくれない?」
と場所移動をしました。
その時、「コートを持て来てもいいですか?」
そのコートもまた緑色でした。

あまりに条件が違うので大慌て。
今年も、卒展シーズンは最終盤です。
そしてこれが終わるといよいよ卒業式ですね。
彼は「バイトをしながら制作していきます。」と言っていました。
その彼に奨学金返済の重荷が負わされていなければいいがなあと思いました。

この記事を書いた翌朝のこと。「あっ、あのとき学生か?!」と思い当たりました。
昨年でしたかマロニエというギャラリーで芸術系の学生がグループ展をしていて、マスクをはじめ全身黒づくめの女子大生に会いました。彼女の作品も黒づくめでした。「緑ばかりという子もいますよ。」とその学生が教えてくれて、そこに現れた青年がなるほど緑づくめでした。今日の写真の学生がポートフォリオを開いて「マロニエでも展示をしました。その時の作品がこれです。いまとはだいぶ違うでしょ?!」と話していたとき「思い出してくれないかなあ。」と考えていたかもしれませんね。
それで2095人目のはずのこの青年は既にカウントされている学生でした。
- 2023/02/21(火) 00:00:03|
- 芸術
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やはり大学の卒展は楽しい。
いろいろな発想、頑張りを見せてくれる。
伸びようとしているから『聞く耳を持っている』・・・・もっとも私の話など見当はずれで役に立つのかどうかわかりませんが。

この人も実に丁寧に制作の意図や苦労を話してくれました。
通常これだけの素材を集めるだけでも大変です。費用も随分かさむでしょうし。
学生の制作にとって材料集めからお金の負担が大変です。
とにかく日本の大学は学費が高すぎる上に、自己負担の領域が広すぎます。

当面大学の入学金を廃止し、授業料を半分にすべきだと私は思います。
様々な理由をつけて徴収される実習費だとか材料費だとか人件費用だとか研修費だとか…とにかく高すぎますし、授業料の二重、三重取りです。
芸術系や医学系などでは学生負担が多すぎます。
たまたま廃棄するはずの素材を大量に大学に寄付してくれる業者さんがいて彼は助かったようです。
この素材の大半は生糸ですからね。

入り口付近で休んでいた彼のコスチュームのセンスがいいなあと思い声をかけました。
そして〔まずは君の作品を見せて。〕とお願いして案内してもらいました。
広い会場の市場の奥にありました。 専攻はファッションなんですが、相当はみ出た作品です。一見、力作だなあと思いました。
センスもいい。

通常はこのコースには1,2名しか男子学生がいないのに彼の学年には4名?5名だったかな?例年より多い人数がいてとても仲良く切磋琢磨したようです。他の人のもそれぞれに個性的な力作です。
作品にパワーがありますね。

「大学生活は楽しめましたか?」
「はい、とても楽しかったです。」
- 2023/02/20(月) 00:00:04|
- 芸術
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スワヒリ語が国語ですが英語も公用語ですから・・・欧米の様々な国の植民地化がされましたからね・・・英語で応答してくれます。

写真を撮らせてくれませんかという求めは度々されるのでしょうね。
初めは「描いているポーズ」をしてくれました。 ですから筆が止まっています。
で、私は描くのを続けてください。」とお願いして、撮りました。
でも、こういう一枚も・・ね。

以前アフリカのどこの国でしたっけ、少年少女のダンスチームが京都に来て、リハーサルの写真を撮ったことがありました。が、そのリズム感と姿態の自由さと魅力的な表現力に驚きました。あの子たちも素敵だったなあ。

外国人観光客が立ち寄って「素晴らしい」を連発していました。

もう少しお客さんが少なければマスクを外してもらうところでしたが、そうはいかない繁盛ぶり。

ギャラリーの中は色にあふれています。

彼はビザの関係で3か月しか日本にいられないようですが、全国のデパートを回っているとのことでした。

後日、撮った写真のプリントをお届けしました。
とても喜んでくれて、あの日描いていて仕上がった絵を指さして「見ろ。」と。
そしてマスクを撮って撮影です。
- 2023/02/19(日) 00:00:04|
- 絵画
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タンザニアはオルドヴァイ渓谷を持つ国である。
日本がひっくり返ったって逆立ちしたって、皇紀2600年をでっちあげたって、その文化の長さはとっても追いつかない、比べ物にならない国である。
その国から来たティンガティンガの画家である。

ティンガティンガについてはウィキペディアには「ティンガティンガ は、1960年代にタンザニア・ダルエスサラームにおいて、エドワード・サイディ・ティンガティンガ、1932年 - 1972年) が生み出したポップアートの手法。」と説明されている。
だからその手法の歴史は浅い。

工事現場にあるエナメルペンキを使って描かれる絵は彩度の高い鮮やかな色彩に満ちている。
そこにはピカソらが取り入れたアフリカの民族的な嗜好が見える一方で、西洋絵画を吸収した現代的な表現も見られる。
私は色彩や特異で魅力的な形状と共に、画面に満ち溢れるリズムを感じる。それがいい。

彼は最初の写真にあるボードに書かれているようにマサイの人たちを多く描いているが、その身体表現と・・・部族を示すのだろうか・・・それぞれがまとった衣服のデザイン性が素晴らしい。

この鮮烈と言ってもいい表現。もし私がレストランとかcafeでもやっていたらぜひ壁に架けたいと思うだろう。

実は撮影させてもらった前日にこの展示販売会を見つけて、しかもアマニ氏が制作実演をしているのを知り、…カメラを手にもしていないのに・・・「どうぞ写真を撮ってください。」と会場スタッフに促されて、「僕が撮るとブログやFBなどで公開しますがいいですか?」の問いには「どうぞ、どうぞ。」ということになったのです。
でカメラを取り出すと大失態で、電池切れでした。 外出する時には必ずカメラを取り出して一枚シャッターを切るのに・・・この日は。

で、すぐ翌日、出直したのですが、「禍福は糾える縄の如し」でして、昨日はまだ薄い淡い色の線でほとんど下書きのような状態でしたが、今日はこうしてティンガティンガの特徴も見えるまでに描き進んでいました。
何が幸いするかしれませんね。
- 2023/02/18(土) 00:00:02|
- 絵画
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裸体の女性を描いた絵を街中のギャラリーで展示するというのはなかなかレアなことではないでしょうか。
私はDMを手にした時からぜひ見に行こうと思っていました。
増田さんは、被爆1世、2世の肖像をたくさん描いてこられて、昨年、このギャラリーで個展をされましたが、それを見たときに氏の存在を知りました。

氏はあることを契機にして50歳の時に絵を描くことを初めて、その後、とある大学の通信制で絵を学んだそうで、以後ずっと描かれています。
・・・ちなみに、絵を描く際に対象を写真に撮ることがありますが、その経験から写真にもたいへん強い興味を持たれてやはり本格的に学ばれているようです。なにごとも、やるなら本気で本格的にという信条のようです。

きちんと謙虚に学ばれたればこそ今日の到達があるのでしょうね。
私とは大きく違うところです。私のように学びのない人間は結局詰めのない人生になりますね。

モデルを引き受けてくれた人とは、氏がなぜ、どのように描きたいのかを十分お話しして、始めたそうです。
会場の絵はすべて同じ人がモデルです。
「女性の美やエロスの表象とされてきたヌード写真が、実は男性の性的幻想による、男性が理想とする女性の美やエロヅを描いてきた」(笠原美智子『ジェンダー写真論 1991-2017)、そして、男性が支配的であり優位である社会では、男性のということが「人間の」と読み替えられてきたのが歴史の真相だということを笠原氏は言っている。
写真を絵に、彫像に置き換えても同じことです。

私は自分の写真展で「若い魅力的な女性たちの写真」を展示するときにいつもこの問題提起を頭においてやってきました。
と言っても笠原氏の問題提起に対して、問題を正しくクリアしてというのではなくて、皆さん、どうですかと投げ出すという姿勢で。
ほとんどこういう問題意識でコメントしてくださる方は性差、年齢の如何を問わずありませんでした。
で、なおさら増田さんの絵を見たかったのです。

増田さんからは絵に関することだけではなくて多岐にわたることについてお話を聞かせていただきました。

多方面について、非常に問題意識の高い方で、しかも行動的な方です。
そして何より・・・写真で見てお分かりのように・・・「真面目」な方です。

ですから、撮る人間としては初めの増田さんの表情を崩すために、とても苦労しました。
いろいろ取材を受けて…大手五紙の取材を経験されているそうです。・・・・作品とともに写真を撮られる経験は少なくないけれど、「プロのカメラマンに、ちゃんと撮ってもらったことはないよなあ。」と後ろに見える・・・・展示会場のお手伝いに来ておられる・・・ご友人が言っていました。
おやおや、私はプロだとか写真作家だとか、一言も言っていないんですがね。
「前の個展の時に…」とか言ったのが誤解の元でしょうかね。
- 2023/02/17(金) 00:00:02|
- 絵画
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この方は型染友禅の実演をされている。
多色刷りですので型は8枚くらいありました。

実演会場ですから実際の工房とは大いにその様子が違います。
ここではエアコンも入り湿度も低いですから染料の調整がいつもと大変違います。
実際の工房は湿度が高い状態に保たれていますし、空気も動きません。

今は型を切る職人もごくわずかです。多くがパソコンを活用して機械でプリントをしてしまいます。
職人の手わざで作り出すグラデーションもどんどんデータとして取り込みますから今や職人の出番は極少です。
それで「よいもの」ができるかどうかは別問題ですが安定した生産はできますし比較的廉価になります。
職人は一日中、何十年もこのような姿勢で仕事をしますから、街を歩いていても腰が曲がり背が傾いていますから、一目であの人は・・・と仕事を言い当てられます。
職人の仕事は体形や指の形に定着します。

この丸い刷毛に染料が含ませてあり、タンポンのようにとんとんと軽くたたくようにまた擦るように押すのです。

21世紀後半には日本、京都から失われる姿です。
- 2023/02/15(水) 10:21:27|
- 工芸
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寒さが緩んだ日、鴨川の人出が増えました。
そんな中でまだ枯れ色の芝の斜面に仰向けに寝転がって、開いた本を顔に乗せて、一休みの青年がいました。
そののんびりまったりした様子がいいので、ちょっと顔を上げたときに、近づいて声をかけました。

一方で、のべつ幕なしにスマフォをのぞき込んでいる若者を見ているので、こうして読書する人を見るだけで、何かうれしくなります。
断言します。青春期にはどしどし読書しなくちゃだめです。いえ、それは青春期に限りませんが。

この人は大学では、私の理解を数等越えたことを勉強しているようですが、その頭を実感のある現実に引き戻すためにも?それとは違う分野の読書をしているようです。
よくここにも来るようです。

ちなみにここのところ、私が読んでいる本は『ジェンダー写真論 1991-2017』(笠原美智子著)です。 再読でようやく意味の輪郭が見えてきたように感じます。
こういう本に語られている写真家が残した写真と私の写真との懸隔はなんと大きいことでしょう。
彼の咬肌?の強さを見てください。 きっと強い意志、集中力を培うような勉強や運動をしてきたのでしょう。
目の力を見ても、たぶん読書力もかなりのものだと思います。

「撮らせてくれませんか?」を手掛かりにこうして若い世代の人と話すことで刺激を受けたり、忘れていたことを思い出すことができます。
何より普段使わない「単語」を使えることはうれしいことです。
私たちには頭にはあるけれど表立って使わない言葉がたくさんあります。 そういう言葉を使って対話することのできる人に出会うことは稀だからです。宝の持ち腐れですかね。
この人が自然科学系の勉強をしているということで昔、科学誌や技術史を少しだけかじったときに覚えた言葉を使うことができました。 普段こういうことはありませんね。
だからこうしてたくさんの人に出会うことが私の脳を少しだけ活性化してくれているんだと思います。
老化防止、ボケ防止、認知症進行防止・・・・。
向こうにも読書する若い女性がいます。 相似形になっていますね。

好青年でした。 家に戻って確認したらこの青年が2091人目の人でした。
- 2023/02/14(火) 00:00:06|
- 人物
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他府県から来られているのです。
鴨川ではそういう人が良く見受けられます。
例えば神戸の異人館が立ち並ぶ当たりとか、そういうところでも他府県の人がパフォーマンスをしたりしているのでしょうか。

時々スタンドマイクにアンプにスピーカーという道具立てで演奏する人を見かけますが、私はあまり好きじゃないんですね。
対岸まで声を届かそうという人でもマイクなしで歌える人がいいなあ。
少々周囲を人が囲んでも声をその外まで届かせられるようであってほしいなあ。
と、思います。

それでやはり河原の外にまで音をぶつけるような演奏じゃなくて。
それはまた別の場所で、どうぞ…というのが私の希望です。

この人の歌を聴いているとつい一緒に歌いたくなります。

これから暖かくなると、またこうして聞かせてくれる人が徐々に増えますね。
そうするとまた鴨川は楽しくなります。
- 2023/02/13(月) 00:00:04|
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気候は暖かくなったり寒くなったり。
「三寒四温」かな。最近あまり耳にしないけど。
この日は少し暖かい日でしたが、それでも橋下は陰になっていて「寒い」。 風も通りますしね。

私はしばらく聞かせともらいながら「街の灯」などは密かに一緒に歌いながら、グルっと周囲を回りました。
とても歌がうまいし声もいい。 これはライブをしてる人だな、と。
そして撮りにくい場所にいるなあ、と。

そうなんです、明るいほうでは暗いほうに向いて演奏していますから。
・・・・ISOを上げたがらない私には、・・・・厳しいなあ、色も悪くなりそうだし、なんてまだお願いもしていないうちから。

’60年代の曲を中心にしているようです。
で、私にはなじみの歌が。
たぶんリアルタイムで聞いた年代ではないと思うんですが。

これから音楽仲間と新年会なんだそうで、もう約束の時刻が近づいてきているようでした。
「それ打での短時間、いいですか?」と足止めをしてしまいました。
音楽仲間がそれぞれが気を持って集まったら楽しい会になるんでしょうねぇ。

マフラーをはじめファッションがいいですよね。

「写真家」「カメラマン」然とした服装をしないといけませんねぇ。
時々そう思ってはみるんですが、じゃあどうしろと?!
どなたかコーディネートしてくれませんかね。
続きを読む
- 2023/02/12(日) 00:00:04|
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私は自分自身の大学生活にいろいろ忘れ物をしてきているので、つい大学に思い入れをしてしまうようです。
と同時に大学は、この社会の中の貴重な理性と自由の「資源」だと思うので・・・。
たぶんそれで卒展巡りもするのだと思います。 そんな中で・・・。

自身の実際の行動によって思い≒思想を現実化する人こそが思想家(含む:芸術家)だと思います。
そういう意味でkの人がキャンパスの片隅でこうして行動していること…例えば背後にたこ焼きの赤ちょうちんをぶら下げた小屋を作ってしまったことなどなど…は立派に芸術行為だと、私は思っているのです。

ここで火をたいたりテーブルやいすを置いたり、簡易店舗状の構造物を置いたりして、そこに誰かが何かのイメージを持ち込んで動き出したら、この場がそのイメージを体現して変容するというモチーフはとても面白いと思いました。
その一方あのたこ焼き店に踏み入って「たこ焼き屋のお姉ちゃん」を演じることを楽しむことができる人がいて、ほかの誰かが、お客の役割を演じれば、ここは一つの舞台です。
保育園などの実践にそういうものがありますが、コスプレを楽しむ人たちがいるように、他者になることは楽しいことですし、自己発見のきっかけになることさえあります。
そういうことを勘定に入れてこの場を作ることは実に意識的なことです。ですからだれがどういうイメージを持ち込んでもいいような曖昧さや多義性の仕掛けがあります。
そこが大学で研究する人の研究者たるゆえんですね。

そしてそういう仕掛けを楽しむ学生がいることが大学の質の豊かであるか貧しいかということを示すでしょうね。
こういうことを規則にないとか言って排除するようなものは既に大学としての資質を疑われていいでしょうね。

まあ、制作を事とする大学ですかこそ道具も『廃材』もふんだんにあるわけですが。 たぶん発想も。
この方といろいろ立ち話をして「ところで人物写真を撮っているんですが・・・。」
「そういう風に交流をしたうえで撮ることの了解を得るっていうやり方、いいですね。」と言っていただきました。
さて、下の女性は先ほど彼女の作品の中で(一部屋を使った展示でしたので)いろいろな対話をしたばかりの人です。
他を一周して戻ったらここでお二人でまったりとお話ししていましたので、撮らせていただきました。

北西の風が強くなって時雨れてもきました。
この辺りは彫刻を学んだ人たちの作品が展示されているのですが、古い観念で見て回ると「どこの彫刻があったのの?」ということになります。
ここの彫刻の人は「はみ出したり変容したりしている人が多い。」のだそうです。 学生の自由の意識と自律の意志をとても強く感じます。

例年『もう少し遊んだらいいのになあ。』と思わないではありませんが、多くの学生が真摯に探究の姿勢を見せています。
う~サブ。

学生のころ、中部地方のある大学に行ったときに、夏休みの暑い一日、ひたすら大きな石と格闘して鑿とハンマーをふるっている学生がいて、とてもうらやましく思ったものでした。
そうでしょ、そうでしょ。

熱いお湯が沸いています。
- 2023/02/11(土) 00:00:02|
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京都市内には4つの芸術大学があり、そのほかにも京都教育大に芸術のコースがあったりしますから、今の時期卒展ラッシュです。
すでに嵯峨芸術大学の卒展は終わり(せっかく京都市立美術館でやってくれていたのに、残念ながら見逃しました。)、京都芸術大(旧造形大)があって、8日からは京都市立芸大、その次が精華大です。
造形大が大学名を、大方の批判を押し切って、京都芸術大学と改めたことに釈然としない私は「瓜生山」に行くなどと言います。
さて学生には罪はないですから私は楽しみに見に行きますが、今年も各所に力作が見られました。
と、そんななかで 写真の展示のある建物に行くと・・・・。
私の一歩先にいて熱心い作品を見るこの人がいました。
ポートフォリオまで丁寧に見ています。 その恰好がとてもいいんですね。

パンツと言ったらいいんですか、ズボンというのが適当なんですか、ちょっと腰の下あたりからふくらみがあって・・・ちょっとにっかぼか的な・・・・、しかもウールの質のよさそうなものを穿いています。
上背がありますからそれで様になっています。

途中で追い越して、私は先の会場を見て戻ってきますと、まだこの部屋に一人で熱心に見ていました。
かなり写真い関心がありそうですし・・・・思い切って声をかけました。 「写真を撮らせてくれないかなあ。」
何かしているところに声をかけるとか、出品者で話しかける機会を持ちやすいとかではなくて、まるっきり何かの前提がないのに男性に声をかけることは稀です。
ちょっと驚いたようですがOKしてくれました。

それもそのはず、と言ったら侵害だといわれるかもしれませんが彼も写真を撮っている人でした。それだけではな・・・一方ですでに働いていますから・・・この大学の通信で写真の勉強をしている人だったのです。
仕事は映像関係だそうです。
ズボンもグリーン系で、上着の下に来ている服もグリーン系です。
このざっくり感もいいんですが、フランス軍のものだというこのズボンの質の良さが全体をスマートに決めています。
ザクりしても、垂れない、撚れないんですね。意識されたコーディネートです。
- 2023/02/10(金) 00:00:03|
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この写真ギャラリーは、私にとって案外大事なギャラリーです。
というのはここでは写真に何ができるのか、写真は何を写すべきなのか、どう見せたらいいのかということを相当真面目に突っ込んでいる人が写真展をするからです。
今日の人はそのギャラリーで、自分として現に模索していることを自身で明確に突き止めようとする「過程」を外化しようという作業を見せている写真家です。
先ほどまでいろいろと対話してお互いの考えを交換していたのですが、「撮らせて。」という私の求めに、じゃああそこで・・とずいぶん難しい課題を投げてきました。

明り取りの屋根の窓から強い光がここにだけ差し込んでいます。 会場全体はかなり光を抑えていますから、差し込んだ光は相対的にかなり強いです。
つまり明暗差がとても大きい。

その効果と難しさを知っていながら、ごく普通のスキルと知識しかない私に撮れというのです。
「売られた喧嘩は買わざるを得ない。」なんて上等なことではなくて、とにかく普通に写ってねとカメラ頼みです。

「これじゃあ顔が黒つぶれになっちゃう。」といえば
「そのほうがいいんです。僕は。」
かれこれ20年も写真に取り組んできたといいます。
以前にもここでお会いして、いくらか言葉を交わしていますが、私の名前と共にそれを覚えてくれていました。

写真を撮っているということでいくらかでもお付き合いのある人はごくごく少ない私です。
1,2,3,4…片手の指で余ります。 これでも満12年撮っているのに、です。 よほど人徳がないのですね。
この人のように写真を誠実に探究している人に会うといろいろ気づかされます。
私の写真がそういう問題意識にかなうようなものでないとしても、それはそれです。

このイベントの中心人物です。
- 2023/02/09(木) 00:00:02|
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以前ここから50メートルほど北でお会いしました。
その時とは服装がずいぶん違っていて「おっ カメラマン。」という感じです。ことに帽子が決まっていますね。
「やっぱり写真を撮らせてもらううえで服装は大事な要素ですから。」
つい私自身の服装を見直してしまいました。
目をつむった写真になってしまいましたが、このポーズのカットを他に撮れなかったので。

私は中版カメラを触ったことがありませんし取り扱いの知識もありません。
付いているレンズは50ミリだそうです。フジノンでしたね。
こういう写真を撮る若い人と話すといろいろ教えてもらえます。 楽しいですね。

大阪からきているんだそうです。
こういう行動力に若い力を感じますね。
「ちょっと写ってもらえますか?」と言われてモデル(笑い)をしました。「自転車を押して歩くリュックを担いだ高齢者」です。
2000人余りを撮ってきても自分がどう撮られたらいいのかわかりません。
撮るのがうまい人もいれば撮られるのが上手な人もいます。

今日は久しぶりにちょっと暖かな日です。 光もたっぷり。

実は私もカメラを構えたこの人を撮っているのです。 当たり前ですね。この写真があるのですから。でもそういう事実を忘れることがありますね。
撮る人が意識されない写真。
写真を撮る人は案外自分が写った写真を持っていないものです。「あるある」ですね。
私はどう写っているんでしょう。

長く撮っていると時々こういう楽しい再会をすることがあります。
実はこの後にもある写真家さんと再会してとても有意義な対話ができました。

ソニーのα7にキャノンのFDレンズをつけています。
気に入っているレンズだそうです。私もFDレンズは数本持っていますがレンズアダプターがないので遊ばせたままです。
85ミリ、135ミリ、180ミリに50ミリと一通りそろっているんですがね。しかも85ミリはなかなかいいレンズなんです。でも・・・。

写りを決める大きな要因はレンズですから持っているレンズの活用を真剣に考えるべきですよね。
- 2023/02/08(水) 00:00:11|
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ここは普段から写真ギャラリーのはずです。
そしてこの日も写真が展示してあります。
こんなポスターも貼られていました。

その会場にこんな人がいました。
私は元来「変な人」が好きなんですが、それにしてもおかしいじゃないですか?!
ヘルメットをかぶってライトまで付けているなんて。しかもそのいでたちでやっていることが「オカシイ」
ここで問題です。この人はこの普段は写真ギャラリーであるこの会場で何をしているのでしょうか?
まず当てられる人はいないと思いますよ。

答え。
「脂(やに)」を採っているんです。
どうです、正解しましたか?

この建物はもともと倉庫だったんじゃないかという風な建物なんですが、建材がかなり太いのですが、ただ室内をきれいに装うような部材ではないのです。
それでその部材が「脂」を染み出させているんですが、その脂に目を止めて採取しているというんです。
で、脚立に上って削り取っているという訳なんです。

仮にこの部屋に入ってヤニを見つけたとしても、それに気を止めて、「集めてやろう」なんてことを考える人が世の中にどれくらいいるでしょうかね。 そして集めた脂を固めて展示しています。
「オカシイ」でしょ?! いいなあ、こういう人。

高いところに上って、上を見るのですから、不安定です。 危ない!! で、ヘルメットを被り、暗闇の中に脂を探すからとヘッドランプまで装備する。
まあ、その辺は元来建築関係のお仕事だそうですから。

ヤニを集めている家庭ではワクワクテンションが上がるのだそうですが、集めた脂を固めてきれいな形になってしまうとテンションは急激に下がるんだそうです。
「オカシイ」でしょう?!

「僕は町を徘徊して『おかしい』人を見つけて写真を解て散るんですが、撮らせてもらえます?!」と言いながら私のカードをお渡ししました。
そこには私のこのブログ「素敵な人たちと」のURLが記載されていますが、「素敵な人たちと」と書かれているじゃないですかといぶかしそう。
「それ、『おかしな人たちと』と読むんですよ。」
「オカシイ人」と素敵な人」とは紙一重ですからね。私にとっては。

だから人生が楽しい。

そう思いません?!
- 2023/02/07(火) 00:00:04|
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私が写真展をした京都写真美術館が面している通りを「神宮道」と言います。
そこにあるいくつかのギャラリーや土産物店などが共同で「第2回神宮道上ル下ル アート☆カルチャー」というイベントが1月29日までやられていました。
写真美術館もその一会場として写真ばかりではなくて立体造形や朗読、洋画なども加わった展示をしていました。

この方は「つまみ細工」の作家さん。
なかなか根気と集中力が求められるようです。
ワークショップの傍ら実演をしていました。

今日のお客さんには・・・・時間の制約もあるので・・・頭の上に着ける花飾りを作ってもらっているのだそうです。
春めいていますねぇ。

会場は作品展示に合わせて照明が暗くて、このような手先に集中しないといけない作業には適していませんね。
もう一つ専用の照明が必要なところです。
撮影にも・・・。

本当に世の中にはいろいろなことをする様々な人がいるものだなあと、いつもながら思いますね。

ほかの会場で織物作家さんとお話ししてFBのお友達になりました。
私のFB上でのお友達には画家や立体造形作家や写真家などが幾人も交ってくれていますが、これは一体どうしたことでしょう。
時々不思議な感覚にとらわれます。 私は全くそういう畑にいる人間ではないのになあ。
まあ、しかし、いつの間にか、本名で呼ばれることも10回に一度、あるかないかくらいになっていますね。
郵便物も「蒼樹」で届きます。
- 2023/02/06(月) 00:00:04|
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ミュージカル・ソーですね。
理屈から言うと一弦の楽器みたいなものでしょうか。それもその弦をのテンションを調整しつつ弾くという。
前日のチャップマンスティックほどではないけどマイナーな楽器ですね。(案外演奏者は多いのだそうですけど)
中国の二胡の奏者が注目したそうですが、音のひゅじょうから言えばよく似ていますね。

この人は既に奏者として様々な機会を得て演奏している人のようです。
鉄の板の端を掴んでいた全体をたわませて弾くのですから結構力がいるのかもしれません。
握りの部分大腿部で押さえるんですが、こちらのほうから揺らして音を作ることもあるようです。

ちょっと野外では演奏が難しくなる音量かなと思いましたので、あの握りの部分い筐体をつけて響かせてはどうかなと思いました。
この楽器の生まれた地では「のこぎり」のイメージから離れられないでしょうし、日本で改良してみたらどうでしょうかね。
ただまあ実際のところは、ノコギリを擦って音を出しているというところに興味を引く妙味があることは確かでしょうから、その形状には工夫が要するでしょうが。
この人はチェロ用の弓で弾いていましたが、バイオリンのものを使う人もいるようです。
傍らにマレット(ティンパニをたたくときにつかうような、先端に玉をつけた棒状の用具)を置いていましたから、たたいても演奏するんでしょう。

この人は電線に止まった雀などの並び方、あるいはタイルの模様などから音符の列を発想して演奏することもするんだそうです。
そうなれば山並みや夕方のビルの屋根の連なりの形状からも一曲できそうですね。

写真撮影をお願いしたら、自転車が邪魔でしょうからと言って動かしてくれたのですが、その自転車をわざわざ画面に入れて撮る私です。
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- 2023/02/05(日) 00:00:04|
- 音楽
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先ほどここに近づいてこの音を聞いたとたんに、CDないのかなという挙動をする女性がいました。
感じとしては中華系の人かな、どうかな。
CDを購入していきましたが、判断が早かったですね。迷っている様子はありませんでした。
曲はこの人の作ったものだそうです。

こんな風にして演奏しながらCDの販売をしたり、投げ銭を当たりする人は・・・季節がら今は少ないですが・・・それなりにいます。
でも道具立てはすごいしMCなんかもやっちゃったりするんですが、自己満足のレベルだなと思う人やバンドが結構多いように思います。
この人はこの演奏力でこの腰の低さ。 実力はネット上でお聞きください。
こういう場所で撮るときにはワンカットごとに周囲を見回さなくてはなりません。
みなさの通行の邪魔になってはいけませんからね。
何しろここは四条川端の交差点付近ですから。 四条大橋の東詰です。

道路を挟んで北側ではパンフルートを吹いています。
確か南米の方ですから「「サンポーニャ」というのでしょうか。

どちらかというと癒し系の優しい楽曲になっていましたが、かなり人を惹きつけるようです。
耳を傾ける人が多いです。

音楽の歴史は楽器の歴史でもありますが、また新たな可能性が切り開かれているわけですね。
- 2023/02/04(土) 00:00:01|
- 音楽
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おや?! あれはいったい何?
ふ~む、え?!なるほど、そういうことか、 と、いうことは。
しばらく腕を組んだままじっと見ていました。

この楽器の演奏法は「弾く」ではないし、「敲く」ではないし、「つま弾く」でもないし、・・・たぶん「押さえる」なんじゃないかな。
ギターでいうところの「フレット」のところで弦を抑えて、その時の振動をエレキギターでいう「ピクアップ」で電気信号に変えてアップで増幅する・・・・。
じゃないのかなあ、どうだろう。 ところでこの楽器の名前は?

チャップマンスティック、あるいはスティックともいうそうです。チャプマンという人の発明だそうです。

こんな寒い時に外で演奏するのは指先が冷たくて大変でしょうね。
着ている服にデザインされている「十一」が演奏家としての名前のようですが。(ソプラノ歌手鳥井玲花さんと組んで)

京都を拠点に演奏活動をされているようです。
京都は狭いけど広い。

1970年初めに発表された現代楽器ですから、まだまだ演奏者は少ないようで「演奏者は100人見いない」と書いている記事もありました。
この方の使っているのは「十弦」です。 通常日ギターとベースギターを合体させたような音域をカバーでいるようで、ギターなら多々法の手指はフレットを抑えてもう片方は言をつま弾くわけですが、フレットを抑えることが同時に音を出す行為ですから倍の音を出せるということになり、それはまるでピアノのようですね。
- 2023/02/03(金) 00:00:04|
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私が昨年の11月の個展をした京都写真美術館は平安神宮につながる神宮道沿いにあります。
この神宮道にはいくつかのギャラリーやお店がありますが、それがら共同して「神宮道上がる下がるアート☆カルチャー」なるイベントに取り組んでいました。その中の博宝堂というギャラリーで「ゴリラ・ライブイベント」がありました。

楽器演奏をする、ライブで絵を描くなどというのは私の大好物ですから、早速入らせていただきました。
ちょうど、ライブの時間帯でしたからも勿怪の幸いでした。

描く人は木立 章氏。

この日はたまたま85ミリではなくて24-70ミリをつけていましたから「撮らせてもらおう。」という気になれたのです。
これが85ミリだったか初めから諦めていたでしょうね。
風景を撮るんじゃないかな(大雪の後でしたから)という気が少しばかりしたものですから。そうなると24ミリがいい働きをするんですよね。

お声掛けをすると、すぐに応じていただけました。
お願いする前からもし撮るとするならと事前にいろいろ想定していたわけなんですが、撮るために私が立てる場所はごく限られていました。

それにこのギャラリーの照明は電球色と白色の蛍光灯が混ぜてつけられていましたから、ホワイトバランスがとても厄介で。
電球色の黄色を避けると白色の蛍光灯は青くなります。しかも気持ちの悪い色になるんですよね。蛍光灯は厄介です。
という話は置いて・・・。
ゴリラとかチンパンジーとかオラウータンを動物園で見ると不思議な感情がわきますね。
あの瞳には何が写っているんだろう。
彼らを見ている人間が彼らにはどう受け止められているんだろう、と。
こんな狭いところに閉じ込めてしまって申し訳ないなあととも思います。

描く人の表情を捉えるのはとても難しいですね。
自撮り棒のようなものにゴ―プロのようなカメラをつけて撮るか、それとも直径3,4センチのドローンにカメラをつけて撮るしかないでしょうか。
そういうことはきっと誰かしているでしょうね。
- 2023/02/02(木) 00:00:01|
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京都市役所の西側に『余花庵』というギャラリーがあります。
1月24日(火)から2月の5日(日)まで「今のミャンマー あの頃のミャンマー』というテーマでWART漫画展が開かれています。
WARTというのは頭文字を並べたものですが「WART」は「いぼ(疣)」のことでもあるそうです。「疣」は体にあるとたとえ全身が健康でもその存在が気になって仕方がありません。このWARTは世界にとっての「イボ」であらんとする団体だそうです。つまり「虻」ですね。ソクラテスいうところの。市民に嫌がられても追い払われても、市民に「真実とは何か」を突きつける虻たらんとしたのがソクラテスですが、WARTは世界の人々に、「こんな大事なことを忘れていませんか?!」と常に気に障らせる存在であろうとしているようです。
(私は高校生の時に生徒会の新聞の編集委員として「気障であれ」という論説文を描いたことがありましたが、「WRAT=いぼ」の記事を読んで、そのことがふと思い出されました。「気障=心にかかり、気にかかること。」 私たちはそれぞれの思想を磨いて世間にとって気障になれというのでした。こんなことを書くような奴は「キザ」で鼻もちがならないですよね。)

世は「ウクライナを支援しよう。」の声にあふれていますが、ミャンマーの人々が軍部のクーデターによって憲法が停止されて軍部独裁政権下で自由を奪われ徹底的な抑圧され、生命に対する甚大な危害がにさらされていることはすっかり忘れている(度外視している)ようです。(同様なことはアフガン問題でもそうですし、私に言わせれば、今も続くキューバに対するアメリカの不当な抑圧問題も同じです。)

ミャンマーに起こっていることは国と国との戦争ではないので…などという人がいますが、中国のウィグル問題では「ウイグルで生産されているモノに対しては不買運動を!!」などといっている人たちが同じような熱心さで「ミャンマーに資本進出している企業の名を明らかにして、その生産・販売物を排除しよう!」などと呼び掛けているのを寡聞にして知りません。アメリカ政府や日本政府はどうしていますか。日本政府はほとんどだんまりですし、日本企業の進出は黙認です。

大手マスコミが沈黙しがちなのをWARTの活動は私たちに「痛くはないか?!」と問いかけてくれています。虻の羽音を立てています。

今日の写真の方は、ミャンマーで仕事をされていたけれど軍部のクーデターによる自由の抑圧で仕事にならなくなって帰国した方です。ミャンマーでできた友人たちの上に起きていることを日本の人々に、世界の人々に知らせようとしています。そして、自由なミャンマーの実現を支援しようと活動されている方です。

重いことを真摯に話す方は、言葉を選び言葉の背後に思いめぐらせますから、表情は複雑になり、「立て板に水」ではなくなることがあります。
レンズを向けているとうつむき加減になったり時に表情がゆがんだりします。
その表情がこの人の誠実のあかしだと思うのですが、撮れた写真を公開するかどうかには迷いが出ます。

人を撮るということのだいご味でもありますが難しさでもあります。
ポスターを映しこんだ写真(漫画家篠原氏のFbのページから無断拝借しました。お許しください。)も掲載しますが、私はこのポスターを見て沖縄の子供たちの姿を思い浮かべました。ポスターの少年が見上げる空には軍用ヘリコプターが飛び少年は地面に仲良く手をつなぐ子らを描いています。
- 2023/02/01(水) 00:00:03|
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