「生化学」を学んでいるそうです。いや「生科学」かな。
日本語で教えてくれたので最初は「性科学」かなと思ったのですが、ここが日本語の難しいところです。
音が50個しかありませんから同音異義語が実に多い。学ぶ人は大変でしょう。
漢字表記のほうが分かりやすいですよね。
・・・・・・「明治」期に漢字を廃止する案もあったようですが、そんなことをしたら日本文化は相当なダメージを受けたでしょうね。漢字の表現力は実に壮大ですからね。(日本語を廃止して英語にしようともしていたようです。そうすれば今頃日本人はネイティブの英会話者だったわけで、いろいろな苦労がなくてよかったと思う人もいるいるかも知れませんね。そうなれば俳句も短歌もなくなっていたでしょうし、盆踊り歌や民謡も消えていたんでしょうね。そしてもっと声高に「美しい日本」を取り戻せなんて言う人たちがいたに違いないでしょう。)・・・・

留学生といっても学部に入学しているわけではなくてて院生ですから、そこはさすがに精神的にはずっと大人です。
お国柄もこの方の個性もあるわけでしょうが物腰が柔らかく落ち着いています。

写真を撮る(撮られる)ということについての意識も育った国の文化によって異なるでしょうか、誘うのに気を使います。 そこは率直に質問してこそ交流の意味があるんでしょうし、今度はよく訊いてみたいと思います。
「話せばわかる」 これを世界の公準にしないとね。
私のように外国語ができない人間は、こうして写真を撮るときに掛ける言葉に困ります。
単にポーズを求める言葉だけではなくて、そうでない言葉のほうが大事ですからね。そしてこちらの言葉はニュアンスが大切ですから。 例えば「あなたはスマートですね。」といったら「あなたのファッションは端正ですね。」とか「あなたは賢いですね。(小賢しいというニュアンスを持つ場合もあるから難しい)」ということで「体の形がすっとしてるね。スタイルがいいですね。」ということではないですからね。私の英語力では誤解を招くのがおちなんです。

習うより慣れろとは言いますが、そこに私の壁があります。 なんて言ってもう人生も終わりなんですが。

知性と深いやさしさを感じさせるまなざしですね。
- 2023/01/31(火) 00:00:05|
- お店
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こんな言葉が残されている。
『実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。なぜって、夢はその人が死んだ後もいき続けるのですから。』 ( ココ・シャネル )
とても素敵な言葉だと思うしシャネルはそのように生きた人だと思う。
そう、問題はどのような夢を追ったかなのだろう。 「一喜一憂の種」でごまかしていてはいけない。
・・・・・・・
私は今年写真展を一つ増やそうとしている。
何やらに背中を押されているからです。 大げさに「メメント・モリ」を意識しているわけではないけれど、「誰でも死ななくちゃいけない。 でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。」(ウィリアム・サローヤン)と慌てるに違いない私ですから少しだけ考え始めているような気がするのです。
何せ、お年頃ですからね。

さて、そんな話は脇に置いて・・・。
私の愛すべき若い友人たちは、日本への留学生だ親し、そのうちの一人がボストンに勉強に行っているせいもあって「留学生」と聞くと何か肩入れしたくなります。
この人も海を越えてやってきました。 いや、今は大概空を飛んでのほうが表現として当たるのでしょうが。
そういう留学生の交流を支援するカフェで写真展ができたらいいなあと思って、今、色々と調整中です。
この人たちは日本人のお客さんと積極的に日本語会話や英語会話をしてくれて、お国のことも話してくれます。
月に3回ほど来るらしいのでいつもこの人と会えるわけではありませんが、だれか留学生がいます。
よい交流の場ですよね。
ご常連のお客さんも少なくないようです。 そのうちのお一人が今回の写真や絵画の作家と様々なお店とを結ぼうという撮り雲の仕掛人の一人です。
その人はご自身が写真を撮っておられますのでその風景写真を展示されることになりそうです。
そうなんですここでは壁を分け合って何人かの人が展示することになりそうです。

私はオーナーとお話ししてもう少し踏み込んだ提案をしようとしています。
さてどうなりますことやら。
私の会話をお店の方が通訳してくれています。むろん彼女は日本語がかなりの程度できるんですが、英語のほうがストレスがまだ少ないですからね。
- 2023/01/30(月) 00:00:05|
- 人物
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身の回りにあるものをデザインして「絞って」表現してるんだそうです。
ですから、描かれているものはいろいろあります。
これはスプーンでしょぅ。

カメラは二台体制。
一台はフィルムカメラでオリンパス・・。フィルム時代の一眼レフ機のデザインはかっこいいですねぇ。

何かそれに比べて今どきのレンズ交換式のカメラのデザインは明後日の方向のような気がします。
個人的乾燥です、いえ感想です。

この人が卒業生。
ネットで卒展の開催期間を検索したんですが…あれれ、なかなか出てきませんねぇ。
2月の・・いつなんですかねえ。 毎年行くようにしてるんですが。

メザシをデザインしたものもあったんですが、あれは何なんですかね。
それにしても、こういう発想が私にはできませんね。
手作り市や各芸術系大学の制作展に行くようになって少しづつ理解できるようにはなってきているつもりなんですが、理解するのと発想するのとではずいぶん開きがありますからね。

手前のは、がま口をデザインした?!

いろいろ教えてもらえます。
- 2023/01/29(日) 00:00:03|
- 芸術
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京都は大学が、狭い地域にいくつもありますから、こうして若者に出会って話すことができます。
私の郷里などでは若い人の割合は少ないでしょうね。
高校を卒業すれば就職や進学で陣とを離れる若者は、今も昔も少なくないでしょう。
これ位の年恰好の人は少ないでしょうね。

東京解体が日本の課題の一つだと思います。
税収を含めて富の多くが東京とその周りに集中しすぎています。そして人々もです。
人間こそ「生み出す」源泉ですからね。(あえて「富の」とは書きませんが。)

二十数枚の作品をとっかえひっかえ広げての撮影です。
この傾斜は撮影には都合がいいですね。
しかもこの日はまだ比較的暖かでした。
後輩たちが大活躍。
今度はフィルムカメラの登場ですか。
絞りのデザインはキャンディーですね。

これは何を描いているかわかりますか。
布が傾いているからわかりにくいでしょうが、こういうものを描くところに世代的なものと、女性らしいところとが出ていますかね。
少なくとも私には、前にも書きましたが、こういう発想はないですもんね。

三人で過ごした冬のある一日でした。
- 2023/01/29(日) 00:00:02|
- 美術
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何してるんだろう? 私が近づくのは大概そういうことを感じるからです。
何か赤い風呂敷ずつ見みたいなものを土手の斜面に広げています。しかも、写真を撮っている。
それも全体ではなくて、部分を????

商品撮りかなあ。
それにしても何か、どこか違うような。

訊けば、この中の一人の人が今年で卒業で、卒業制作の作品の撮影をしているんだそうです。
そうか。染色専攻の人なのかな。
じゃなくてファッションの勉強そしているうちに伝統的な服飾に関心が移って、そうしているうちに「絞りの魅力に触れて」自分でもやりだして・・・ということらしいのです。
絞りって難しくて忍耐も必要だし、なかなか大変だったんじゃないかな。
この人が今日の主人公。
スプーンをデザインして「絞り」をしたようですね。
「知り合いから借りられるだけたくさんのスプーンを借りてデザインしました。」

その卒業を目前にした先輩の卒業制作の最終段階をお手伝いする後輩たちだそうです。
こんな大学生活の一幕。 先輩後輩のやり取りもあと3か月後には二度と経験することができなくなりますね。
私はこうした写真をほとんど残せてないですから、つい、撮っておいてあげようという気持ちになってしまいます。

当時ももカメラは持っていたのに未来の自分に向けて写真を残そうと思う気持ちが生じなかったのですね。そういう意味では、普通の人生に何が起きてどんなことを感じるようになるかということについてまるで無知だったのです。
家族の写真についてでさえそうですからね。
一言で言って小説を読むことがあまりに少なかった。

で、つい他人事ながら、残してあげようという気持ちになってしまうんですね。
こんな瞬間を作ったということを、もう永遠に忘れてしまうんですから、人間は。

またかつての経済学会学生委員会の仲間に「集まろうか。」と声をかけてみようかな。
- 2023/01/28(土) 00:00:03|
- 美術
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この四月には統一地方選挙があります。
私たちの京都府や京都市には問題が山積みです。今や全国を見ても東京の一人勝ちで、他の自治体はことごとく沈んできているといってもいいかもしれません。そういう全般的な地方の沈下に加えて、ここ京都では行政自体が京都を破壊する挙に出ているといってもいい状況です。
というのも例えばリニア新幹線。たとえば北陸新幹線伸延、例えば府立植物園の「開発」・・・・。
◆リニア新幹線も北陸新幹線も京都を通してはいけない。
≪水が危ない≫
リニアにしろ、北陸新幹線にしろ、京都駅と結ぶつもりだということはこの京都盆地の下にトンネルを掘らねばなりません。
京都市地下鉄の建設で痛い目を見たはずの京都です。地下水が枯れたり水路が変わって従来の生業ができなくなった豆腐屋や料理屋があったりしたはずです。そのうえ地下鉄は京都市財政の膨らむ赤字の一大元凶です。今日の財政ピンチは自然現象として生まれたのではなくて保守市政の政策の失敗によるものだということを見逃してはなりません。

京都盆地には琵琶湖の水量に匹敵する地下水がたまっているといわれています。それで地名にも出水だとか壬生だとか伏見だとかがあって多くの伏流水が京都の人々の暮らしを支えてきました。が今では、おいしい井戸水を失っています。
京野菜などと盛んに宣伝していますが、その京野菜を育ててきた水も保証の限りではありません。
トンネルにより濾水はくみ上げて川の上流に戻すなどと言いますが、濾水した同じ地域に水が戻るわけではなく、水質も同じではありません。
北山に行くと今でも台風の被害が放置されている痛々しい姿を見ることがありますが、この地下水脈が変われば当然にも樹木などの植生に影響が出て、それに従って獣や昆虫などのいいものの生態にも大きな影響が出ます。
京都の景観は周囲を囲む山々が大きな要素です。その山の緑がどうなるか正確なアセスメントができているでしょうか。
≪土が危ない≫
トンネルを掘れば「残土」が出ます。その残土は、当該自治体の区域内で処分することが義務づけられていますから新幹線やリニアの利用者の多い東京に持って行って東京湾を埋め立てることはできません。先年静岡県で盛り土が大雨で流出して大きな被害がありました。トンネル掘削の残土は谷を埋めて処分されるでしょうが、その盛り土が治山治水条件を大きく損ないます。谷川が盛り土の流出で埋められて、さらに大量の雨水が集まってその盛り土のダムが決壊すれば下流は洪水となります。由良川水系でそう言うことが起これば、ただでさえ洪水になりやすい嵐山付近はより一層心配になります。
しかも、掘り出した土にはさまざまな金属が含まれていますが美山や北山周辺には『ヒ素』を含む地層が確認されています。むろんそれは「処理」して「処分」するとJRや当局は説明します。しかし原発事故のあとの放射能汚染土の処理がどうなっているか私たちは知っていますし、すでに各地で建設されている「新幹線」の工事がどのように行われているかを知っています。それに対して納得のいく処理法を説明されていません。

≪科学もなければ説明もない≫
私たちは経済生活を進めていくうえで自然の変革を余儀なくされます。
一人一人が小さな畑を耕し田んぼを広げることでさえ、それが集積すれば地球環境を変えるということが分かってきています。焼畑農耕が熱帯雨林に致命的な打撃を与える要因の一つになっていますし、放牧の牛のげっぷが地球温暖化にとって見過ごすことのできない原因の一つになっているとも報告されています。
今や人間の生産や暮らしの行為がその地域はもちろん地球全の命運にかかわっているという自覚が必要となっている、そういう人類史的な段階だということを知る必要があります。
そこには地球科学や地域の科学的真摯なアセスメントが必要ですが、政府や財界はそういうことを端折り、住民に懇切な説明もなく、ましてや批判や疑問に答えようとしていないのが現実です。
リニア新幹線工事が静岡県で行き詰まっていますが、行き詰まらないほうがおかしいのです。北陸新幹線を京都駅につなげる必要がありますか? (被害をよそに押し付けるという意味ではなしに)米原接続ではいけませんか?
・・・JR東日本の北陸新幹線とJR東海の新幹線とでは、信号システムの互換性がないので、車体の相互乗り入れは出来ません。ですから、京都終点(始発)で乗り換えなくてはなりません。そんなことをあの京都駅でしますか?駅の拡張の費用も膨らみ、どれだけの費用負担が京都府市(民)にかかってくるでしょう。そうまでして京都財界の言いなりになりたいですか。・・・

コロナ以前から京都は「オーバーツーリング」状態でした。この上さらにその需要をほかに分けることなく京都が独占したいですか。強欲な亡者に映りませんか?
近視眼的な利益追求が「後は野となれ山となれ」になっている姿は、到底人類史や日本史に責任を持つ態度とは言えません。
≪行政の態度がおかしい≫
話が大きくなりすぎましたが、身近な問題でも困ったことがあります。
京都市ではせっかく国から保育園に補助金が出ても、「それだけ増えたのだから京都市からの支出は減らしていいよね。」と取り上げてしまう悪政です。それで少しも保育条件が良くならずに子育て世代は京都市を忌避して他の県や市に出て行ってしまっています。人口減で税収減です。保育園などで保育士らの不適切保育が喧伝されていますが、そうした背景には保育や教育を株式会社の儲けの種にして保育の考え方をゆがめ保育水準を抑えに抑えてきた行政があることを見逃してはなりません。
何しろかつての革新府市政時代に積み重ねてきた「全国水準を上回る」施政をことごとく憎々しげに・・・「市庁舎に赤旗を立てるな」などという品のない掛け声で・・・・はぎ取ることに執心するような行政です。他より良くしようというのではなくて他より良いことすべて削って全国並みに悪くしようというのでは行政としての資質さえ疑われます。

「貧すれば鈍する」の図なのか「鈍しているから貧する」のか。
・・・・
写真は嵐電白梅町駅前で、北陸新幹線延伸についての問題点を紹介して、なんとして食い止めなくてはいけないと訴えている方たちです。
- 2023/01/27(金) 00:00:02|
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今年は4月の終わりから5月の連休ころにかけて「ギャラリーちいさいおうち」のオーナーの企みに乗っかって、あるカフェでほかの方と写真を並べようかなと思っています。
ただ私が提示する写真をカフェのオーナーさんが「それを壁に浮掛けたい」と言ってくれたらの話ですが。
私が撮っている写真ではカフェの要求にこたえられるものはないですが。まあ、物は試しです。
和服の女性たちの写真家、職人さんの写真です。

8月の最終週には京都文化博物館で例年のごとく「京都ファインダー倶楽部」の写真展です。
これには長いこと懸案だった写真を出そうと思っています。高橋という仏師(ご本人は仏師という名称を避けておられますが)の一連の写真で行こうと思います。これは結構、自信がありますから。

そして11月の中旬には京都写真美術館で「人間交差点・・・音楽に誘われて(仮)」として京都駅ビルで演奏する人や鴨川などで楽器を楽しむ人たちを取り上げます。 こちらはギャラリーの「厳しい」審査がありますから、いまだに仮押さえのままですが。
この「審査」には少々不平・不満を感じています。たわしはこういうことについては極めて気が短いので、事前審査するギャラリーなどこちらからご免こうむると言い出しかねません。公序良俗に反する内容はお断りなどということを言われたとしても、それをああそうですかと受け入れるわけにはいかないでしょ?!そこは実に微妙なことなんですから、よく作家と話し合いをしてほしいものだと思います。まして世間からいろいろ言われるのを避けたいのでなどというようなへっぴり腰はことに「愛知トリエンナーレ」事件があったのですから、なおのことです。ギャラリーはむしろ作家を励まして実現に道を開く役割を果たすべきだと思います。問題は政治的なことだけではないですからね。どうも事なかれ主義が各地の自治体やこうした表現にかかわるものなどにも進行しています。
「暴力的なものはダメ」だといっていますが、世界の暴力があるのにそれを描かない芸術なんてありえないでしょ?!それをどうとらえどう表現するかですよね。
今年の院展などもそういう点では多くの作家が、もうまるで現実世界と切り結んでいないということを感じますね。院展て意味があるんでしょうか。
話が逸れました。

だから、今年は3度、広く写真を見ていただく機会を設けようとしているわけです。
だって余命はますます短いんですから、慌てず急がないと・・・。

こうして駅に来てピアノを弾く人にも様々な人生があります。
昨年は、明日大学の入学試験の日で、ここにきてピアノを弾くんだというような人もいましたね。見事に合格されましたけど。

どうも有り難うございました。
- 2023/01/26(木) 00:00:05|
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ここに来ればいつも誰かが弾いている・・・という訳ではない。
それに撮る側の都合とわがままな好みから言って・・・うまいでしょ?!という感じや何か乱暴な感じのする人、演奏・音がガサツな人、ましてやエチケットも守れない人などは撮りたくないので・・・・ピンとこない人もいるから手ぶらで帰ることも度々です。
で、こんな人がいると俄然、撮りたくなるんですよね。

この人が一度弾いた後に女性二人がクラシックの曲を弾いていました。
その間、この人は傍らのベンチにいて膝の上の手指でエア鍵盤を弾いていました。

「先ほどの演奏、よかったですね。」と声をかけて、もう一度弾くなら撮らせてくれませんかとお願いしました。
「ただ、僕が撮ると写真は公開することになりますが、大丈夫ですか?」
「ええ、いいですよ。」
いや、この人のピアノはちょっと楽しみになんてものじゃなくて、多分・・・・。
「お酒がおいしくなるようなピアノですねぇ。」
眉間の盛り上がり多々がいいですねえ。

あとで話してくれたんですが「お酒をおいしくするピアノ」を弾いているんだそうです。 東京で。
やっぱりね。

「ちょっと僕にもバーボンを・・・。
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- 2023/01/25(水) 00:00:01|
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「もしもし亀よ亀さんよ。」と調子をとってけん玉に興じた子供たちと同じ年頃の今の子供たちは何して遊んでいるんでしょうか。

こんな単純な組み合わせの「おもちゃ」から実に創造的な技が繰り広げられます。
単純だということがかえって広い可能性を持つんですよね。
カメラだって同じでしょう。…どうしても話がそっちに行ってしまいます。
これから「ケン」はどうなっていくと思いますか?

逆手で「ケン」を握り「ケンサキ」を玉の穴に入れる、「ケンサキ」に玉の穴を着地させる・・・・う~ン、なんというすごい技でしょう!!

体操に「白井」なんて個人名のついたものがたくさんありますが、けん玉にもあるんでしょうかね。

きっと伝説のけん玉競技者がいてそういう人の名を冠したものがあるんじゃないでしょうか。

彼にもそういう人になってほしいですね。
- 2023/01/24(火) 00:00:05|
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私が高校生の頃から好きな言葉に「男子三日会わざれば括目してみよ。」というのがあります。
まあ、古い言葉ですから「男子」を「人」に置き換えないのは許してください。(三国志演義の中に出てくる言葉だそうで「士別れて三日、即(すなわ)ち更(さら)に刮目(かつもく)して相待すべし」という呂蒙が訪ねてきた魯粛に向かって言った言葉だそうです。)
話が変なところから始まりましたが、「けん玉」と言えば大昔、学童保育の指導員をしたころに盛んにおこなわれたものでした。
小学校などでもあっちこっちでやっていましたね。
それが何だか変なんです。

玉のほうをもってやったり「けん」と球を交互に持ったり、両方を放り上げたりと、あの頃見たものとは格段に違う技が繰り出されていました。
「けん玉もしばしやらざれば括目してみよ。」

こんな動きモノを撮る自信はなかったのですが、これも自分の運動神経というかセンスの問題だからと思って挑戦させてもらいました。(しかし、これはカメラの性能に負うところが大きいですね。)

彼(大学の一年生だそうですが)の背が高いので動きの幅が大きくてついていくのが大変です。
ジャグリングの部活に属しているんだそうですが「けん玉をしているのは僕だけかな。」
けん玉のワールドカップの大会もあるんだそうですね。広島で。

1964年の東京オリンピックの時には体操競技の超人的な技を「ウルトラC」難度と言ってアナウンサーは連呼、絶叫していました。が、今では男子では「I」,女子では「J」まであるともききます。体操の技も「三日観戦しなければ括目してみよ。」ですね。

まもなく会うことになっている友人が来るというのを無理にお願いしたら、じゃあと上着を脱いで演技してくれました。
これで「けん」の先が玉の穴に入る、なんて「お茶の子さいさい」 まるで当たり前すぎる技にさえ見えます。

中高時代、ほかの友達がテレビゲームに夢中になっているのに、一人けん玉にふけっていたんだそうです。
こういうことが大事なんですね。本当にそう思います。自分のやりたいことをして「はみご」になっても、ちゃんと友達も作るし、いじけもしないという精神世界を持つこと。文学少女や少年も同じでしょうね。今、流行ることの中にいて、少数者を排除したり押しつぶして安心したり、多数派であることの力を自分の力と勘違いして生きている人のなんと多いことか。

こんなこと、どうしてできちゃうかなあ。
動きの中ではなくて、制止させた状態でバランスをとって球を乗せるのだってとっても難しいでしょうに。

そこに待ち合せの友人が来ました。
なるほどこういう青年を友達にできる人かと思いました。互いにいい感じの友達同士でしたね。
- 2023/01/23(月) 00:00:01|
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私のこのブログはFC2ブログをご利用の方だけではなくて、アクセスの履歴ののこらない形で見てくださっている方も少なからずおられます。
その中には・・・・面映ゆいのではありますが・・・・私の従姉とその夫君もおられます。
今年、私の孫が「新成人」となりました。
そこでカメラ好きの「ジイジ」に「撮ってくれる?」ということになり、むろん喜んで撮りました。
その写真を先ほどの従姉に送るべきかどうか迷ったのですが、そうだ、いい方法があるじゃないかと思いついてこのブログを利用することにしました。
孫の了解も得られましたので・・・。

今やインスタやラインの時代ですから、本人やこの子の母親(つまり私の娘ですが)などの世代は、彼女たちの従姉妹たちや友人たちにはさっさとスマフォからスマフォへと拡散しているようです。
私たち世代では紙にプリントして送るのが常道なんでしょうが、新時代の私としては(笑い)

工夫あってしかるべしということで・・・・。
ほかの皆さんも巻き込んで・・・私の高校以来の旧友も見ていることだし・・・

この子が小学生としてランドセルを背負う姿を見るまではと、言っていた私の父は母、残念ながらずっと以前にこの世を去っているのですが、その父母の写真に見せるようにも撮ってみました。
それにしても20年の年月。

本人は周囲の友達のような着物を借りたいといっていたのですがお金も随分かかることだし、母親も着たこんな良い着物もあるのだしと寄ってたかって説得して。
成人の日のニュースに「晴れ着に墨をかけられた」というものがありました。

ひどい話です。
が、その反面、その服を着ていた人は一年も前から試着を何度も繰り返して選んだ着物だったと記事に書かれ、着物自体のレンタル料ではなくて選ぶ過程で30万円もの費用が掛かったと。
そんなに気持ちを込め、お金もかけた晴れの衣装に「墨をかけるなんて!!」という記事でしたが、私はその記事の誘導とは違うことを考えました。

こんな晴れ着を着られない子たちは「式」にはもちろん、久々の同級会を兼ねたような会にも出られていないのじゃないでしょうか。
私たちの世代では、普段着と変わらない服装で集まったものもいれば、私のようにそんなお仕着せの「成人式」なんて出席なんかするものかと、「無自覚に体制に巻き込まれるなんて恥ずかしくってやってられない・・。」なんて友達の下宿でふて寝していたようなものもあったわけです。
体制、大勢を相対化する思考が衰弱した今の時代は様々な生き方を選べない、物事を自律的自立的に相対化できないとても息が詰まる世の中です。記事を書く人にもそうした視野の広がりが感じられません。
その体制、大勢に乗れない、いや、切り捨てられ押しのけられた半数の人の中でルサンチマンが募るのは当然です。
アメリカのように、日本もすでに社会の破綻が進んでいます。 それがこれからますます顕著に露呈するのではないかと、この子の世代の将来を心配します。
- 2023/01/22(日) 00:00:03|
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生徒さんで在廊されていたのが先ほどの方とこの方でした。
撮影の工夫やご苦労について伺った後で「撮らせてもらえますか?」
すでに先ほどの人に撮らせてもらっていますから、比較的ハードルが低くなっていますし、何しろご自身たちが「撮る」「撮られる」を意識し、経験されていますから、快諾していただけました。

初めに撮らせていただいた方とは「撮らせてもらうにはどう話しかければいい? ポーズを指示するには?」などノウハウ的な話をしながらの実演でしたが、この人の時にはそうした話の後で「あなたも撮らせてくれますか?}でしたから、もう撮り方が変わって、通常モードに近いです。
わたしはこのギャラリーの窓が大好きなんです。

そして展示用の壁が白いですから光がよく回ります。
すでに西に回った陽がこの窓から強く差し込んでいますから「逆光」状態になりますが、少し腰掛けるベンチの位置を移ってもらって、いい感じに撮れました。

先に撮った方とは窓から入る光に対して、直接にどうするかということがテーマでしたが、この方の位置では、その窓の光と室内の壁からの反射光をどう生かすかが決め手になります。
そのことを先の方にもお伝えしたかったのですが、お客さん対応をされていましたので機を逸しました。
それに写真教室の卒展会場でたまたま見に来た人間が「人物写真の撮り方」なんて話をしているのは会場スタッフにしてみればいい気持がしないかもしれないなあなんて言うことが頭の隅にありましたので、何となく腰が落ち着きません。

こういう場所でいろいろ変化をつけて撮るには85ミリは長すぎますね。
素性の良い28-70くらいのズームレンズか50ミリの単焦点くらいが役に立ちますね。
冬の午後の光はどんどん変化します。
室内光はさほど強い黄味を帯びてはいませんが、太陽の光が黄に振れていきますから、加乗して黄色くなります。

かつて「写真教室をしてほしいなあ。」と言っていた方が幾人かおられましたが、ご希望にこたえられていません。
今でも楽しく撮られているでしょうか。
- 2023/01/21(土) 00:00:03|
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「amu design 写真教室の第25期卒業制作展」だそうです。 「en-つながる、ひろがる-」がテーマ。
写真教室の生徒さんたちの作品展とあって、入場には少々緊張します。
私は全くのずぶの素人、自己流も極まる撮り手ですから、基礎基本や理論をきちんと学んだ人たちに前に出ると緊張してしまいます。

会場をぐるっと見て驚いたことがあります。ここに作品を出している生徒さんの総数23。 そのうち男性とみられる名前の人は5人です。
女性率=78%!
会場に見られる写真が見せている情景や被写体には、男性の多い会場とはまるで違う雰囲気が漂います。

この方は琵琶湖の「空」をテーマに撮っておられました。 『空に憧れて』
撮った季節が違うので、それぞれの青空は色調や明るさが違います。それをこうして一群の写真作品として並べるにあたって微妙に調整しています。
編集ソフトの使い方も学ぶんですね。

「やはり人を撮るのは、難しくて。どうやって話しかけて撮られるんですか?」
と言われますので、
「こうしてお会いした人に、・・・ちょっとそこに掛けてみてください。」とうながして、「はい、こうして撮るんです。」と実演して見せました。
「ポーズをつけたり、どんな表情をしてもらうかが難しくて、どんな風に声をかけたりしたらよいのかわからなくて、撮影が止まってしまうんです。」と言われますので・・・。
「じゃちょっと窓の枠に肘を乗せて、そうそう手を伸ばして・・、左手を右の腕に乗せてみましょうか? とこんな感じでいいんですよ。」
「光が窓の外からさしていますから、こうすれば半逆光になるし、側面からの光で顔の半分い影を作れば…、こんな感じで撮るのを学んだでしょう? そうして顔の半分の影を濃く撮ればちょっと大人な感じになりますし・・・。」とシッタカブッタを演じました。

まあ、いったん撮ることになればという話ですが、実はすでに『初めてお会いした人に撮らせてもらうには』というハードルは越えているんですね。
つまりこちらに撮る強い気持ち(どういう魅力を感じているか、撮りたい理由は何かということが自分の側に濃くあると言うこと)があれば、多くの人は応えてくれるということです。
商業カメラマンが「この秋物のハーフコートを大人かわいい感じで売り出したいから・・。」とか注文された場合はモデルに撮ってつけたポーズをお願いしなくてはならないわけですが、私のようなものにはそれは無縁です。
その人が見せているものさらに拡大し延長させればいいだけですから。

写真学校で教えてくれるのはたぶん商業カメラマン式の撮り方でしょう。
ライティングなども学ぶんだと思います。
- 2023/01/20(金) 00:00:00|
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空気が冷たいと楽器が収縮して音階が狂うそうです。逆に夏の暑い時、野球場のスタンドなどでは膨張して音が下がるのかな。
楽器はその素材によって変化率が違うでしょうから、事前の調整と音合わせがややこしいですね。
太鼓などは本当に大変でしょうね。

こんな寒い冬の日は楽器が縮むだけでなく、唇にも冷たいでしょうし、触る指が凍るように冷たいんじゃないでしょうか。
少し暖まって初めて本来の音が出るんでしょうね。楽器も人間も。
でも心の温度はまた別です。
そして、こういう風に吹いてくれるとこちらもますます力が入ります。
人物写真は撮る人間と撮られる人間との共作ですからね。
以前は、個展を繰り返していても、ほとんど写真展を意識しないで撮っていましたが、ここ2,3年はかなり意識していることに気づきます。
見てもらうことに耐えられる写真と言ったらいいんでしょうか、それがおかしな風にならないことにも気を付けたいなあと思っています。

フードや袖の赤い色とサックスの鈍い金色、そして服の黒(実は紺なんですが)。
これもまたいいなあと思いました。

ここまで明るく撮って情報量を増やすのはどうなものかなということ。
橋脚の壁もものを言いすぎるように感じますし。どうでしょうかね。

とても親和力のある笑顔ですね。
また会えますように。
- 2023/01/19(木) 00:00:03|
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橋脚が川の堤と接近した暗がりで吹いていました。
多くの人はこの橋脚ともう一つ流れに近い橋脚との間で練習します。そちらは間隔も広いし光ももう少し差し込みます。
たぶん大阪からきていてちょっと周囲に対する遠慮があったんじゃないかと思いますが、この暗さが練習に集中するにはよいのかもしれません。

聞くと、この日の夕方からライブ演奏に参加するんだそうで、
「もうしばらくするとリハーサルがあるんですが、少し早く来すぎたんで練習です。」

先ほどまで2歳児くらいの子が橋脚の壁から何度もこちらに顔をのぞかせて興味深そうに見ていました。
近づきたいのに何か得体が知れなくてこわごわという感じ。背後にいるお母さんの存在を確かめてはまた少し前に出て覗き込みます。
その子の体の大きさからみればこの暗い空間と大きな音を出すあの大人は何か『ものすごい』ものに見えるんでしょうかね。
それでも興味津々というところが類人猿であり人間だという特徴ですかね。
この好奇心がこの子にこれからもぐんぐんと育つといいなあ。
高校のブラバンの経験からサックスを吹いているといっていました。
高校で美術部だった、テニス部だった、天文部だった・・・・大きいですよね、のちの人生に与える影響。
私の場合、中高でほんの少しばかり経験したバレーボール。それが高校三年で校内バレーボール大会で優勝でき(これが一年から3年まで全クラスのトーナメントなんですよね)、大学の体育で役立ち職場の懇親バレボールー大会を楽しみ、退職後に中国の学校に行った時も若者たちと興じ会いました。
写真部ではなかったですが、やはり高校生の時にほんの少しばかり写真を撮り、そのために乏しい家計の中から無理して一眼レフカメラ(トプコン・ユニ)を買ってもらったことが今の写真生活に結びついています。
父母に感謝です。

撮らせていただくことになって、本当に力を込めて吹いたり弾いたりしてくれる方が多いです。
それだけに、「はい一人撮影」などという風には決してならないようにしたいと念じています。
交わりができたから熱が生まれる。「人間交差点」が生む熱です。
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- 2023/01/18(水) 00:00:03|
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昔、若狭街道がここまで伸びていて、京への一つの入り口だったんですね。
近くには近江の国から入る「粟田口」があります。
そういう意味でここは京の交通の要衝の一つです。
この地点から少し北に上がると金戒光明寺がありますが、そこが幕末に京都守護職を務めた会津の松平容保が陣を置いたのは、そうした交通の要衝≒軍事拠点だったからですね。
東海道五十三次の西の終点である三条大橋もここからわずかに西にいったところです。

今は市営地下鉄の「東山駅」のこの商店街の北の入り口に接していますから、商店街をしての立地条件は抜群なんです。
近くには知恩院、青蓮院、国立近代美術館、京都市美術館、京都会館、京都メッセ、平安神宮、南禅寺などがありますしね。
こんな気さくなお兄さんがいれば呑んでいても会話が弾むでしょうねえ。

話をしていたら、この奥の人も含めて、私たち3人は、たぶん直径数百メートルの範囲に住んでいるんだと思います。

600グラムのブロックです。
このポーズやらせじゃないんですよ。この人のサービス精神あふれるポーズです。

肉と特製のタレに浸しているところですが、それを動画に撮っています。
インスタグラムに投稿するんだそうです。いまやこうしてお店が直接動画投稿してお客さんを獲得します。
どこかの広告会社に任せているなんてのは古いんでしょうね。チラシも作りませんしね。
そんなところから電通や博報堂も行政依存を深めて寄生的な体質を強めて腐敗してきているんじゃないでしょうか。

系列のお店はほかにも二店あるそうです。
この年末年始は「猛烈に忙しかった。体はガタガタ。」だそうです。

それでも若いし勢いを感じますよね。
その勢いで古川町商店街全体を引き上げてくださいね。
- 2023/01/17(火) 00:00:01|
- 働く人々
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一人飲みができない、アカンタレな私は、ホルモン店に行きたいのに行かれません。
子供のころ、外で飲むことがごくごくまれな父が何を思ったか珍しく駅前のホルモンの露店に連れて行ってくれました。その美味しかったこと。今でもそれを超えるおいしい焼き肉、ホルモンを食べたことがありません。

ここは古川町商店街。「一時は「東野錦」と言われた歴史ある商店街です。が、今は活性化の試みはいろいろされているようですが、今一つパッとしません。
そこに私の知るギャラリーがあって、・・・そのギャラリーの移転も商店街の活性化に貢献する意図があったようです・・・週一くらいではこの商店街に行きます。

まさに昭和を感じさせる惣菜屋や魚店がありますがシャッターの降りている店も少なくないです。
そこにこぎれいな若者向きの店が参入するのですが、受け入れる古株のお店の方たちの気持ちは複雑なようです。
TVのいろいろな番組で紹介されたり、ドラマの舞台になったりしていますから、案外若者の訪問は多いのですが。

周囲を透明のシートで囲ったホルモン屋さん。まだできて間がありません。
透明なシートですから店内が見えます。目下仕込み中。
それで「食べるんじゃなくて申し訳ないけど・・・。」と入らせてもらいました。
焼き肉・ホルモンの「安東」さん。

ここが自宅の近くならなあと思います。
ホルモンを食べすぎたり酒を呑みすぎてはいけない体なんですが。
- 2023/01/16(月) 00:00:01|
- 働く人々
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手作り市に参加する人にはいろいろな人がいますが・・・。
この人たちは猫の保護に尽力している方を支えている人。
芸術系大学に通ったり、卒業したりした人たちが「支援金」を集めるために作品を販売しています。

学部生かなと思ったら院生だそうです。まあ。4回生と院の一回では一年と離れてはいませんけどね。
こういう若い人たちが、「手作り市デビュー」と聞くと何となく肩入れしたくなります。
ここには、今へ東京の大学の院にいっている人が制作したものも並べられているんだそうです。
繋がりが広いんですね。
「デビューと聞くと撮りたくなっちゃうんだよね。」と言いますと、「ぜひお願いします。」と言ってくれました。
こういう表情はそう何年も先までできるものではありませんね。

手作り市を覗くときは「何か奇抜なものはないかなあ。思わぬ工夫のあるものはないかなあ。売り買いを超えた思い入れのあるものはないかなあ。」と思って歩きます。

猫の保護のサポートですから、商品は猫関連です。
今や猫は犬をかなり凌駕していますね。 我が家は軟弱な犬派です。
庭が猫の通り道になるのを何とか阻止しようとしていますが、「奴らは」は平然とのっしのしいと通っていきます。
せめてフンさえしなければいいのですが。
それにしても猫関連の商品はどこでも人気ですね。
出せば必ず売れる。
冬の京都は『時雨れ』ます。 「時雨」秋の終わりから初冬の現象だといいますが、冬の間中「、さっきまで晴れていたのに降ってきた」を覚悟しないといけません。
この時も降ってきました。ああ、我が家の洗濯物は・・・・。
早速、商品を並べたテーブルをテントの奥に引っ込めます。そこに強い風が吹いてくると軽い商品は飛ばされるし、テントは浮き上がります。さてどちらを優先して対応すべきか。デビューのこの人たちの試練です。

しかし、何があっても楽しいのがこの時期ですね。

また終了制作展で会えるかな。
- 2023/01/15(日) 00:00:02|
- 手作り市
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若い人たちが群れていると、「何?!」と構えてしまうことはありませんか。
まして、たばこを喫っていたり、ガンガン音を鳴らしていたりすると。
そんなところに変なおっちゃんが黙って近づいていくと、向こうの若者たちも「なんだ、何か文句でも言いに来たのか?!」と気持ちが身構えがちですよね。

群れている、座り込み、たばこ、大きな音、ロック…などなどに対して大人が何か言いたがっているというのは彼らもよく知っていますから、それで予想して身構えるのですよね。
でもそれらは彼らのごく日常的な態度的な語彙なんです。
私が「君は・・・。」と語りかけてしまうのと同じです。 若い人たちが「君」なんて呼びかけられたら、ここは関西ですからなおのこと・・・ちょっと違和感を感じるのじゃないでしょうか。
でも、私は「君」とか「君たち」と呼び掛けます。

世代ごとに語彙や文法が違っていたりします。当然です。
だから違うものとして近づきます。 それで「それは何?」「どういうこと?」と訊きます。 だってわからないのですからわかっている彼らに教えてもらうしかないわけです。
彼らはちゃんと親切に教えてくれます。

彼らのほうが私より断然「今」に慣れ親しんでいて、よく知っているんですから、知らない私は訊くに限ります。
私などは、こんな機材を外に持ち出せるんだなんてことさえ全く思いもよりません。

そして彼らはおっさんのすることを尊重してくれます。
「なかなかやるじゃん。」 関東ならそういうでしょうね。

私は関西弁が不自由ですから、それだけで違和感を抱かれてしまいますが、
「この人は年寄りだ(年代が違うんだし)し、関西の人間でもなさそうだから、『わからない』としてもちょっと大目に見てやろうかな。」と思ってくれているようにも思います。

こういう真剣な目をして何かに夢中になるのは今も昔も同じでしょうね。
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- 2023/01/14(土) 00:00:00|
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左の青年は以前ここでミキサーを操ているところを撮らせてもらった人物。
音が聞こえたときには彼がやているのかなと思ったのですが近づいてみると・・・右手のウサギ帽子?の青年でした。
まだ『松の内』だったから、それを意識して「ウサギ」なのかな。

どうも様子を見ていると左の彼が先輩で、ちょっとアドバイスしながらやっているようです。
周囲には10数人の若者が取り巻いているのですが、聞くと左の彼繋がりの人たちだそうです。
その彼に「こんにちは・・。」と声をかけると、すぐに「ああ、あの時の写真の・・・・。」と思い出してくれました。
それで、それまではこの輪に近づく変なおっさんだったのが、一挙に輪の中の人になれました。
ウサギ帽子の彼も「ええ、いいですよ。」とちょっと引く感じはありました撮影も写真の公開もOKしてくれました。

するとそばにいた青年が一冊の写真集を手渡してくれて、その人の友人で写真を撮っている人の写真集だということで、「え?!もらっていいの。」
そして彼はコンパクトなフィルムカメラを取り出して、最近これで撮っているんです、とのこと。

それでその彼の前でさっそうとカメラを取り出して格好つけて取り出そうとしたら・・・・なんて格好の悪いことになりました。
シャッターが切れないのです。 「充電切れですか?」と訊かれてしまいました。
昨夜データをPCに取り込む際にカメラからSDカードを取り出したままだったのです。
何たる失態。これが結婚式などだったらどうするんだ!!

急遽川向こうのコンビニに行ってSDカードを購入しました。
昔はどこのカメラ店、お土産屋さんいもふぃるもはありましたが、今はコンビニでもSDカードが買える時代なんですねえ。
しかし、それはSDカードではなくてSDカードリーダーにさしはさめるアダプター付きのmicroSDカードなのでした。
困りますねえ、私に断りもなしにどんどん商品開発をしてくれては。一瞬戸惑い、このmicroSDカードは、要らないものだとして捨てるところでした。
だって見かけ上大きいほうはアダプターで中身は空?で、本体はmicroSDカードなんて。

これが「電池が入っていない。充電切れ!!』なら対応のしようがありませんでした。
出かけるときには、いつもシャッターが切れるかどうか点検していたのになあ。なんていってもね。
だからダブルスロットにもなってるだろとかメディアや電池は予備をいつも携帯するものだよと・・・人の忠告は聞くものです。
- 2023/01/13(金) 00:00:03|
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こういう上手な方が弾いていると「うまく弾けるだろうか。」などと心配しないで、演奏の音に身を任せて撮ることができます。

それにしても「マスク生活」はいつまで続くのでしょうねぇ。
「人を撮る」私にとってはマスクは不倶戴天の敵です(笑い)。
冬になればCOVID-19の感染は広がるというのはもはや疑うことのできない事実です。今年はインフルエンザもCOVID-19に押されたままではいられないとばかりに流行しています。

感染者の全数把握を放棄した政府は、科学的・現実的な対応の方途を見失います。
いわば敵国から発射されたミサイルの数は把握しないが、空襲警報は鳴らすし、迎撃ミサイルは発射するというようなものでしょ?!しかも、人々にはミサイルが飛来するから頭を守るためにヘルメットをかぶって・・・・。
大阪も、一体何回同じことを繰り返すのか、反省が見えない感染の拡大ぶりです。
今年6日には15,957人です。これからますます増える気配濃厚です。
そんな中、大阪知事と市長は並んで今年の漢字は「飛」だとか「躍」だとかはしゃいでいる。
病院や医師・看護師は減らす一方で、万博誘致で「ワクワク」したいなどと税金を湯水のようにつぎ込んで能天気なことこの上ないわけです。

TV報道では「年末年始に関西の3つの空港を発着した国内線の利用者数は、日本航空と全日空ではいずれも感染拡大前と比べて8割以上の水準にまで回復しました。」なんて喜んでいますし、京都の観光地の人出も随分戻っていますが、京都の7日発表の感染者数は6,877人です。・・・そしてこの数字はそのまま信用している医療関係者や学校・保育所などの職員は少ないんじゃないでしょうか
感染は急増しています。どんどん京都に来てください。大歓迎でっせ。

幸い、この駅ビルピアノの周囲はあまり人が込み合いません。 聞く方も遠巻きにしています。
ピアノを利用される方も感染防止にかなり気をつけているようです。
第一、半オープンスペースで換気は抜群ですしね。

音楽・芸能関係は大きな痛手をこうむって、それぞれが様々な努力をして活動を続けていますが、悪戦苦闘は否めないようです。
しかし、そういうことに対して官民一体となって知恵を凝らし、投資もして・・・という動きは感じられませんね。
文化、教育には冷たい政治です。

だから、一層こういう方々の、個人的ではあれ小さな活動が貴重ですね。 心に潤いや励ましをもらえます。
ウクライナの戦争に関連して、人々は空襲警報が鳴り砲弾の炸裂音に脅かされつつも劇場に、音楽ホールに集まるのだ、人々はこんな時こそ芸術・芸能を求めているという記事を目にしました。
COVID-19の感染拡大は、まだまだ幾度も波を作りそうですし、今のところ重症化を防いだり感染初期に特効を現す安価な薬は普及していません。
経済活動も十全に展開できない鬱屈した状況が続きます。 政治のちぐはぐがそれをなおつらい見通しの立たないものにしています。そんな中でも芸術、芸能の火は大切に灯さなければならないと、私は思います。
- 2023/01/12(木) 00:00:05|
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このところ学童期の子たちを撮っていましたので、グンと落ち着いて貫禄さえ感じてしまいます。
ここにはよく来られている様子です。
周囲の状況を見まわして椅子に・・・・。

ピアノ演奏の動画を見ると、どうやって撮るんだろう、どんな工夫をするんだろうと演奏意外に気がいってしまうことがあります。
「見せる」「魅せる」ピアニストもいたりして演奏者自身が「どう見せるかを意識している場合も・・・。

それにしてもピアノの場合は演奏者の前がふさがっていますので、そこが難しいところ。
ジンバルに長いバーでも付けて遠隔的に正面から撮るしかないのでしょうかねえ。
せめて小さな脚立でも持ってきて正面から覗き込むように撮りますか。

「屋根」が上がっていれば、まだ正面から撮るのも絵になるように思いますが。
ここのピアノは、トプによってあおられる危険性があるとして、「屋根」は上げられないようです。
調律の時と駅ビルが企画した演奏会の時くらいですかね、「屋根」が上がるのは。
う~ん、やはり指先と鍵盤は入れたほうがいなあ。

指先と鍵盤を入れないでも肩や体の傾きや顔の向きなどでピアノを弾いているということが如実に表現できる場合もありますが。

私が85ミリにこだわっているうちは革新は難しいかも知れませんね。
24-70や28-70をつけている時には、広角側を使うことで、それなりにいろいろ工夫の範囲が広がるのですが。

やはり今持っているニコンの24-70の欠点を補って使うことも考えないといけませんね。
- 2023/01/11(水) 00:00:05|
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お父さんに聲をおかけしてお許しをいただきました。
一曲目の時はそのお父さんがビデオカメラをもって撮影されていましたから、声をかけることもはばかられました。
お母さんはスマフォで動画撮影。
よく見かける風景ですが、こういう場合、周囲で音(声)を出せませんから、私もただ聞かせてもらうことに専念。
お嬢さんの了解を得ないまま撮るのはちょっと気がかりなんですが・・・。
演奏後に「御免ね。了解なく撮ることになってしまって。大丈夫かなあぁ。」と声をかけると幸いにもにっこり笑って頷いてくれました。
本当はやはりちゃんと段取りを踏まないといけないですね。
急にできたチャンスで、しかも結果的にごく短時間の撮影になってしまいましたが・・・。

先ほど弟さんがスコアをもっていったり来たりしていたので、お姉さんのためにそうしていたのか、弟さん自身も演奏しようと思っていたのか。

自宅やピアノ教室で練習しているのとは違って、こういうオープンな場所で道の人々の前で演奏するのは・・・・聴衆はわずかではあるんですが…やはり独特な緊張を感じるんでしょうね。
その経験のためにと来ている人たちもいます。
- 2023/01/10(火) 00:00:09|
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一年の計は元旦にありと言いますが。
元旦が過ぎて早「三日坊主」の化けの皮がはがれて・・・。
かあさん、僕の今年の「計」はどこに行ったのでしょう。
今年は8月下旬の「京都ファインダークラブ」の写真展への参加、11月の個展を軸に、ひょっとしたら5月の連休ころにどなたかと一緒の写真展をするかもしれません。
ふと思いついたことなんですが、11月の個展までに「2222人」を達成しようなんてことにしてみようかななどと不穏なことも考えてみたりしています。例の「一喜一憂の種」としてですね。かなり高いハードルですが、どうなりますか。
こんなことを考えたのは今日、京都では成人式が行われているからです。
などということはさておきまして・・・。
大学で数人の友人と仲間を組んで演奏しているようです。

普段はキャンパス内で練習をしているんだけれど地下の狭い部屋で鳴らしているのでこうした広いロケーションでお見切り吹くのは気持ちが良いといっていました。
橋の下で音響効果もありますしね。 しかし、その音響効果を覗いてもなかなか豊かなボリュームで吹いていると思います。この人の力量ですね。
中高ではブラバンをしていて、そこで、この楽器に出会ったということです。
そういう出会いは一生ものになることが多いですよね。
この人の大学は遠くにありますからライブに行くことはできません。ちょっと残念ですね。
いい表情です。 次の音を期待させます。
管楽器を演奏する人を撮るときに「吹くとき」を撮るか「吸うときを」撮るか…考えますね。
ランナーが走っている時を撮るか、スタート位置で「位置について」の声を待ったり、クラウチングスタートの姿勢に入って神経を研ぎ澄ませている時を撮るか・・・。

こうして機会を与えてくれる人がいるといろいろ試せます。ありがたいことです。
最近、と言ってももうかなり以前からになるんでしょうがニューヨーク在住のプロのトランペッターの佐々木さんが盛んに同僚たちの演奏の姿をカメラに収めています。素晴らしい迫力ですね。立ち会える場面が素晴らしいうえに気心が知れているからでしょう、相当に踏み込ん撮っています。そのうえ演奏者の気持ちがわかるからでしょうね、本当にいい写真が多いです。
呼吸が伝わる写真です。
うらやましいなあ。
私はこういう写真が大好きですね。

今年も一枚一枚積み重ねて11月の個展に備えたいと思います。

もっとも会場をお借りするうえで当日展示する写真のポートフォリオを提出して審査を受けないと個展を開けませんが。
そのポートフォリオにはこの人の写真もはさみたいなあと思っています。
- 2023/01/09(月) 00:00:01|
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冬枯れの河原で一人サックスを吹いている人がいました。
こんな寒い日でも練習に来る人はいるんです。吹かずにはいられない・・でしょうね。
私も撮らずにはいられない。
たぶんこの人の写真は、あれこれグダグダと文章を入れる必要はないんじゃないかなと思いました。
撮ることで表す・・・という感覚がこの頃あります。
この前の「いけたに」氏や「イヌイ ジュン」氏の時もそんな感じでしたし、少年少女のピアニストの時も同様でした。
まあ、一時的な錯覚でしょうけどね。

最近、寝ていいて半覚醒のときに、D850にシグマの85ミリをつけてものを見たり、またシャッタ-を切ったりする感覚がたびたび現れます。 道具が肉体化してきたかなあと、大げさに言うと。
これもまずはなんといってもファインダーの所為だと自分では思っているし、それで撮って画像になったものをモニターで見ると、感覚的に納得できる感じです。

画家も筆や絵の具などにそんなことを感じるんじゃないのかなあと、想像します。
音楽は楽器に・・・・その他その他。
もう10年以上もやっているんだから何か手触りがないと・・・ですよね。

で、ようやく、これからかなという感じもして・・・。
第3次五か年計画のただなかでこういうことを言っているのはどうかとも思いますが。
余命幾ばくもないのに、これでは先が思いやられますね。
でもこの人のような雰囲気のある人を見つけて写真にできると、また個展をしたくなりますね。
- 2023/01/08(日) 00:00:01|
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マスク越しに見える目が優しいのとお若く見えるので「学生さん?」とお訊ねしたら「いえ、社会人で、もう30になります。」とのことでした。
三味線はおばあさまの残したものを整理していたら出てきた三味線で、数か月前から師匠について習っているのだそうです。

この三味線は長唄や小唄に使われる細棹のようです。
お座敷などで使われますね。と言っても私は三味線にも座敷にも縁がありませんが。
ほんの一時期、ある往年の祇園東の芸妓さんとお知り合いになって、長唄や小唄の発表会の招待券をいただいたことがありました。
とにかく三味線の弦が絹糸でできていることさえ知らなかったわけですから。

向こう岸にいても三味線の音がくっきりと聞こえてきました。
音の届く距離は結構遠いんですね。
それで反対岸に回ったのですが・・・。
こちらに来たら、もう三味線をしまって引き揚げようとされていました。
「ああ、残念。練習はもう終わりですか。」
「はい、何か・・・。」
それで事情を説明すると、再び三味線を取り出して「どうぞ・・。」と言ってくれました。

こんな寒い環境では手指がかじかんで思うような練習は抱きないでしょう。
マンションでは練習ができないので少しでも日差しがあってできそうなときには…。
仕事をしながらの毎日ですから土曜とか日曜は貴重ですしね。

きっと体もすでに冷えているでしょうし、手もかじかんでいるでしょうから、それが気になって・・・、早々に切り上げさせてもらいました。
風邪をひかれなければいいのですが。

また暖かくなったら聞かせてくださいね。
- 2023/01/07(土) 00:00:05|
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手にしているのはイケタニ氏から渡された灰皿。
たばこを喫うからと窓辺に尻を落ち着け、換気用に開けられた窓の隙間に煙を吐く。

「おじさんシリーズに入れる。」というと、フフンと、愉快そうに笑みを浮かべる。

どうも、若いときは若い時でやりたい放題をしたけれど「おじさん」になってなお面白がることをやめていないらしい。
面白いことなら「やりたい放題」になれるということが大事なんだろう。
それが両氏に共通した点かも。
この表情なんて、いたずら小僧のそれだ。

こんな顔に騙されちゃいけない(笑い)

こうだもの。

おじさんはもっともっと深堀しないといけないかもしれない。
私の写真展の大切なコーナーになりそうだ。

「えっ? 俺をおじさんの中に入れて括るの? じょうだんじゃないなあ。」とでも言いたげ。
- 2023/01/06(金) 00:00:05|
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氏の名は「イヌイ ジュン」と言われる。
名刺を二枚いただいた。つまり二つの顔を持つ『男』なのだ。
もう一枚のほうは置くとして、片方には「THE STALIN」と書かれている。
その界隈についてご存じの方は「えっ?!」と、相当な驚きをもたれたことだろう。
私は門外漢だから、「????」でしかなかったけれど。
この写真展のいけたにストは昵懇の間柄らしくて、盛んに冗談を飛ばしておられる。
イヌイジュンという名のドラマーがパンク・ロック界の象徴の一人であったころ、私はそれとはまるで無縁の生活をしていた。
写真家にハービ山口という、私と同い年の方がいるけれど、彼はよく自身の過去を振り返ってこんな話をされている。
「 写真家のハービー・山口氏がよくイギリスでの若いころの経験を語るときがあります。のちに世界的なトップ、パンクロックアーティストになったクラッシュのジョー・ストラマーに地下鉄で遭遇した時に旧知の仲ではなかったけれど撮らせてくれないかと頼んだら即座に「いいよ」となったことがあったというエピソードをたびたび取り上げます。地下鉄の列車を降りるときにジョー・ストラマーが言った「You can click away of whatever you want: That's PUNK」という言葉とともに。 」
これは昨年暮れに私が説ブログに書いた記事。
つまりハービー山口氏がイギリスで疾風怒濤の青年時代を過ごしていたころにパンク・ロックが隆盛を迎えていたわけで、それが日本にも波及してわけだから、私の青年時代に並行してパンクロックの広がりがあったはずなんです。そして、そのど真ん中にこの方はいたんですね。
80年代が中心ですか。(もっとも私の青春期は60年代終わりから70年代ですが)
「人間交差『点』」は不思議な縁で作られるものです。

まだ還暦を迎えたばかりのお年頃ですから、イケタニ氏よりも二回りも若い。
二人のやり取りを成立させているのは何だろう。
「この若造が。」でも「この老害が。」でもないのはこのお二人の懐が深いからだろうし、精神の先鋭さがまさに『生』だからじゃないのかなと思ったりする。

こういう人たちに対してはファインダーを覗いているしかない。
それにしてもこの愛嬌はどうだ。
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- 2023/01/05(木) 00:00:07|
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「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」というTV番組をご存じでしょうか。
いろいろな『博士ちゃん』が登場して大人たちをびっくりさせていますね。
子供たちは素晴らしくその能力を発揮しています。

最近は「オタク」と言われるようなことにも以前のような軽蔑感や排除感は薄まっているようで、私は歓迎しています。
芦田愛菜さん自身が、「天才子役」の一人でしたが、彼女の能力や意欲は「芸能界」などにとらわれていないようです。(『国民的女優』などにならなくていいです。そんなものになったら、生きにくくって仕方ないでしょ?!)
こういう子供の「異常な能力」は時として「十で天才、十五で才児、二十過ぎればただの人」などといわれます。
実際「天才子役」から成人した天才役者に変貌できる人はそうは多くないと思います。
『博士ちゃん』がみんな『博士』になるわけでもないわけです。

仮にそうだとしても私は少しもそれを「なんだ大したことはない」などとは思いません。
かつて「天才」だった子は大人になってもいいものを持っている場合が実は多いのだと思っています。
それに「ただの人」になるについては周囲の支援の在り方を反省させる場合が少なくないとも。

私は小5の時に、あまりに生意気だったせいか担任の先生から「十で天才、十五で才児、二十歳過ぎればただの人」という呪文を突き付けられて、以後その呪文にまといつかれて委縮してしまいました。(それで現今の末路を呈しているわけです。と、他人の所為にはできませんね。)
その担任に何の恨みもありません。むしろとてもよい先生でした。教育観も実践も戦後民主主義教育の良質な面を体現していた方だと思います。私の可能性を大きく開いてくれた人でもありましたしね。

『博士ちゃん』は必ずしも博士にならなくていいし、「天才子役」は必ずしも「天才役者」にならなくていい。
その子が成長すれば人生観だって価値観だって成長変貌するんですから。またそうでなくてはならないと思います。そのうえでなお音楽家や役者の道を選ぶならそれはなんと『幸福』なことでしょう。
こういう素晴らしい演奏ができるようにピアノが好きになり、音楽を楽しんで身にしみこませたことは、この子の人生を、この子の才能を豊かにするんですから。音楽を演奏するという表現する力や他者と共感できる力を得(る)たことはとても素晴らしいことです。
大いに励ましてやればいいし、だからと言って未来をコンクリートする必要はないのです。
このキラキラした表情をのできる、賢さを持つ子であることが大切なんだと私は思います。

それにしても素晴らしい演奏でした。
ありがとう。
これからもどんどんレッスンして、みんなを楽しませてあげてください。
- 2023/01/04(水) 00:00:02|
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10歳くらいまでの子が大人顔負けのことをするとすぐに「天才」だなんて言いたがる向きがある。
私はそれに賛成しない。
けれどこういう子に接すると何か妙にうれしくなるのは事実です。
お母さんと一緒にここにきてピアノの前に立ったらちょっと逡巡している。お母さんも励ましてはいるけれど、強いてはやらそうとしない。だから「ちゃんと」自分でたじろいでいる。 私はこういう風に「たじろげる子」は賢い子だと思っている。そのたじろいでいる壁を親の力で踏み倒していくのはよくない。
自分よりはるかに優れたものや人を想像したりることができるからたじろげるのだ。それは自分自身を相対化して課題を見つけることのできる、そして他を尊敬できる力だと私は思っている。
最近の「インフルエンサー」などと言ってもてはやされている「大人」にはこれが見られない。「偉そう」だが「偉い」訳ではない。
「おじさんに聞かせてくれないかなあ。」
そして椅子に掛けて最初に出した音。オッ!! ショパンをひくんですか?!

演奏が始まると周囲の大人たちを息をのみました。
私は、この子の挑戦にうれしくなってしまいました。 いや、これは撮らしてもらうしかない。
ただ演奏途中では手を出せませんね。

まだ、ここに来たばかりで冷たい空気にさらされて弾いていますから手指もほぐれていない。ちょっと躓くこともありました。
そうでなくともテンポの急な難しい曲です。間違えるのは仕方ありません。でも、途中で止めずにしっかりと弾き切りました。
大きな拍手です。

お母さんにお願いして、「ショパンだね。とてもよかったよ。難しい曲を上手に弾けたとおじさんは思うよ。おじさんもう一度聞きたいなあ。そして来年の写真展のために写真も撮らせてほしいのだけど、どうかな。」と、この子にお願いさせてもらいました。
「ハイッ」 実にきっぱりとしています。
そして胸を張ってピアノの前に進みます。先ほどの逡巡が消えています。

「写真を撮るから、何か練習曲を弾いてくれてもいいし、さっきの曲の初めのほうを弾いてくれてもいいなあ。」
すると、やはり迷うことなくきっぱりと「同じ曲を弾きます。」と。 しっかり背伸びのできる子です。 写真を撮られることことを、きちんと「注目してくれるんだ」と受け取れる子です。 緊張して上がるんじゃなくて、先ほどよりずっとのびやかに弾けています。

おじさんも一生懸命に撮らなくてはいけません。
その一生懸命を感じ取れる子です。
昨日の男の子も同じでしたね。
- 2023/01/03(火) 00:00:02|
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