今日と高瀬川沿いにあるギャラリー「高瀬川四季AIR」で開催されていた陶芸家の三人展「縁」でお会いした若い作陶家さんです。
今回「縁」有ってこの「三人展」のお一人になったそうです。

この三人の中の中心人物で千葉の作陶家さんの石井啓一さんとは旧知でしたので、ご紹介いただきました。
石井さんがここでの2度目の展示会の時にお目にかかったのではないかと思います。
まだ搬入のための梱包をほどいているときにその作業の様子を撮らせていただき、その写真は繰り返し彼のプロフィール写真として役立ててくれているそうです。

周囲を見渡すと公の場から退場される先輩たちの姿もあります。
そうして新たにこうした若者が登場します。
「ゆく川の流れは絶えずして・・・」 全く諸行無常ですよね。
私自身はかろうじてまだ動いてはいますが、時間の問題です。

この人の様に作陶の学校を出てすぐにこういう機会を持つ人もいれば、私の様にリタイア後に何を思ったか「殿 御乱心」を遊ばす人もいるわけですね。

そういう色々な人々の綾と「縁」でこの世はできている訳で・・・。
これからもよろしくというメールをいただきました。
- 2022/11/30(水) 00:00:05|
- 陶器
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この日はα900を選んでしまった。
というのも少し前に持ち出したときに案外ご機嫌が良かったからだ。
ところがこの日はほとんど初めから症状が出て使い物にならなかった。
この「撮ってもいいですよ。」と好意を示してくれた青年には申し訳ないことになった。
これからは二台体制でない限り持ち出さないようにしようと心に決めた。

大変にたかなボリュームで音を出していたが、今日の狙いはそこにあったようだ。
ずいぶん久しぶりに吹くので顎回りというか口回りの筋肉の負担が強く感じられるようだ。そうだろう、毎日毎日の練習で常に鍛えられているのならともかく、久しぶりでは辛いものがある。明日この人は食事に不便はないだろうか。
しかし、そうしてしばらくぶりに好きな楽器を持ちだすにはそれ相応の理由があるはずだ。 私のα900も同じ・・・かな。

今日は曲を吹くというより「取り戻す」のが練習の狙いらしい。
多分吹いているときにはかなり本格的にやっていたんでしょう。取り戻す地点が高いからちょっと好きな曲を吹いて満足するという訳にはいかないようです。
写真を撮るときに「ロングトーンだけで撮った人もいましたよ。」というと、じゃあ僕もそれに近い形で、と。

この少し上流に エレクトリックバイオリン を弾いている人がいました。
部屋で鳴らせないのでしょうかね。電源がないのでここでも小さな音でした。
それに比べてこの人の音量は堂々たるものです。
何か魂を吹き込むような音でした。
管楽器は呼吸で表現しますから、一層、肉体的でエモーショナルな音、音の連なりになりますね。
そこが魅力的なんでしょうねぇ。
私もやるならこれがいいですが、

人生の中に楽器がある、強い味方でしょうね。
写真(カメラ)はどうなんでしょう。 今更なんですが。 音楽をやるとしたら、私には声しかないかな。でも今はすっかり呼吸器がおんぼろで、体力もシャッタ^ボタンを押すぐらいしかありません。

どんな思いを込めて吠えているんでしょうか。
- 2022/11/29(火) 00:00:02|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
レンズが85ミリですから下らねばなりません。
下がればそこは流れの中。 どうするの。
確かにズームレンズは便利なのですね。そういう意味で。

お二人がかすかに声を出して歌うのですが、お二人ともきれいないい声をしています。
周囲に人がいることに遠慮してでしょう、声を張らないので、余計に良かったのかな。
夕暮れの空の色がいいですね。 右側の人の額にあたる光で夕陽の高さが分かります。
この夕暮れの感じとお二人のちょっと意味の深い歌詞を優しく歌う声とがマッチしています。

いい時間帯でした。

ISOを上げるとこういう写真になります。
お二人の思い出にこういう写真も必要かなと思いながら。

でもやっぱりこうなっちゃいます。

明るく撮れるから明るく撮る。
今はデジタルカメラの能力がすごいですから、つい自分がどうしようかということではなくて、撮ってしまいがちです。撮れちゃいますからね。

選択肢を増やしてもらったと・・・そう考えましょう。

次回の写真展は、また音楽関係になると思いますが、この人たちの写真の中からも選べそうです。

青春の「靴」が中心。
- 2022/11/28(月) 00:00:02|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
出町柳の通称『デルタ』は京都の宝物でしょうね。
神社仏閣、美味しい食べ物・・・そういうところに観光に行く人もいれば、少数でもここにわざわざ足を運ぶ人もいるようです。
そして地元に住む人もここを好んで憩いの場にしています。
声をかけて撮らせてもらえることになりました。
この石垣の斜面の下は20センチから25センチほどの草の生えた平面があって、すぐに水面です。

若い時には若い時なりの運動能力、平衡感覚がありましたが、今は昔です。
足元を念入りに確かめても危なっかしくて。 落ちても「年寄りの冷や水」を笑われるばかりでしょう。

夕方の陽はますます西に低くなっています。
西の空は白飛びしています。
それでもここにしか立つ位置がなければ、ここから撮るしかないわけで。
お二人は、「移動しましょうか?」と訊いてくれたのですが、「いえ、そのままで。」

お二人は同じ学校のお友達(だと思います)
今日が外での練習、なかんずく出町『デルタ』での練習・デビューだそうです。
記念すべき日に写真を撮れました。 メジャーになったらこの写真は歴史に残るモノになりますよね。
そして私の名は永遠に不滅に・・・・なるかな。

学んでいることは音楽とはちょっと遠いところにありますから「二足の草鞋」だと言っていましたが、今流に言えば「二刀流」。
それを二刀流と言わないで二足の草鞋というところに好もしさを感じました。
- 2022/11/27(日) 00:00:04|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「2年ほど前にも声をかけてもらいました。」
そうなんですって。
いや、最近こういうことが増えてきていて、「ごめんなさい。覚えていなくて。」なんです。

秋の風景の中で撮りたいなあと思っているときに見つけました。
でも、こういう時に85ミリだと背景が入りきらないんですよね。 そして広さが出ない。
シグマの35ミリはどんなかな。50ミリはいいものかな。知っちゃうと買っちゃうかもしれないので…ブツブツブツ。

秋色を入れる工夫をしたつもりの構図です。
風景はいいですけど、やはり肌色が暖色に触れる感じのニコンです。
まあ秋の陽の色も被っていますが。

この前の写真展では「こんな風に人物写真ばかりを展示している写真展は初めてです。」という話をいく人もから耳にしました。
「すべてあなたが撮ったのですか?それも一般の人をモデルにして?!」という海外の人の反応も。
ネット上でいろいろな人の人物写真を探すと、海外の人の迫力のある、堀の深いものに対して、まずも迫力も弱いのが日本人のそれですね。
迫力のあるなしは趣味の違いででもあるので、いいとして数量が全然違います。

街のあちこちで見る写真展でも人物写真の少ないこと。 何故なんでしょうねぇ。
もっと人物を被写体に選んでほしいなあ。
まあ、好みの問題でもありますから、もっと人を撮りましょうよというのも意味があるのかどうか。
私が参加しているこのFC2の人物写真のくくりの参加写真を見ると「サムイ」です。ホントに。
公序良俗に反するようなモノの方が多いくらいですしね。 これは私が参加し始めた10数年前から変わりません。だからランキングは私にとってはほとんど意味を持ちません。

「人間にとって最も根源的な存在は人間である」
私は改めて、このモットーで撮り続けようと、先の個展を終えて思いました。

二年越しにお会いできたこの人も次の春には関東に行くようです。
- 2022/11/26(土) 00:00:02|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
先日、この人をここで見つけて写真を撮らせてもらいました。
その時に「写真展に見に行きます。」と言ってくれていて、実際に来てくれました。
そして、「僕を見つけた時は、断りなく撮ってくれていいよ。」とも言ってくれていたので・・・。

この時期は陽の沈むのが早くて、光はいい感じです。
こうして光が当たっているときは「暖かい」のですが、日が隠れた瞬間からグッと気温が下がります。
「寒くなると出てこられないからこまるなあ。」と言います。自宅では音を出しにくいのです。
まあしかし、まだまだ12月くらいまではいいのです。
でも1月2月になると「京都は寒いですねぇ。」になります。
そうなると鴨川の岸は寂しくなります。

弾いている曲は・・・・「どんぐりコロコロ」でした。
えっ?どうして。
どうやら、神戸で子供たちを相手に演奏する機会があるようです。
そして、「ジャズが好きなんですか?」ということで弾いてくれました。

いいねえ、ビールを飲みたいねぇと私。
じゃあ、今度一緒に呑みにいきましょうか、と彼。
こんな風に書いていると会話はスムースに行われているかのようですが、私の英語がボロボロで彼は大いに理解に苦しんでいるのでした。

そうだ、
君にこの写真を送ろうと思ったんだけど、どういう訳か以前のメールを見つけ出すことができない。この記事を見たら僕に、もう一度メールをくれないか。そうしたらこれらの写真を君に送るよ。.>I was going to send you these pictures, but for some reason I can't find my previous email. If you see this article, can you email me again? Then I will send you these pictures. 
彼は、「一人でいるけれど友達はいる。アローンだけどロンリーじゃない。そしてイナーフだ。」と言っていました。

夕陽が優しく暖かく彼を包んでいました。
- 2022/11/25(金) 00:00:01|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
人物の写真を撮るときにその被写体の近くにその人の知人友人、あるいは恋人などがいるのはどういう影響があるか。
周囲が乗せたり笑わせたりしていい影響があるか、却って緊張するか。どうなんでしょうねぇ。

「人の目を気にする」と言います。まあこれは「世間をはばかる」という事でしょうが。もっと単純直截に「人の視線を気にする」のはまるで知らない人が見ているからではなくて、旧知の人が見ているからじゃないかと思いますね。

「へ~ あんな表情するんだ?! いつもと違うねえ。かっこつけてる??」なんて言われる気がしませんか?
だから友人知人にカメラを向けられると案外、ぎこちなくなる。

撮る側の私も「その表情がいいなあ、ちょっと優しくなって・・・そうそう。。」なんて言うのをその人の彼氏に聞かれていたらやりにくい。

勿論、友人・知人がいてくれて維写真になることもある。
この人の場合はどうだったろうか。
この人は私の知り合いでもある人と一笑に会場に来てくれた。
そしてもう一人たまたま会場においでの人も注目していた。
部屋の向こうの方にも見に来てくれた人が・・・。 そりゃ平常心ではいられませんよね。
それを解きほぐすのが私の役目なんですが、なかなかどうも、修行が足りません。

ちょっと建物の前に出て撮るなんてことも考えられましたね。
- 2022/11/24(木) 00:00:02|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
個展の期間は自分の写真を見て暮らします。
そうすると「何か決定的に足りないなあ」という印象がじわじわと湧き上がってきます。それは今回に限ったことではないのですが。
ことに今回のように若い女性たちの写真を展示しているときにはそれを感じます。
自分の好みの女性を、しかも魅力的な女子を撮れたことを自慢しているだけじゃないのか。
「もしよければ、まあこの一枚は気に入ったかかなという写真があったら教えてくれますか?」とお訊ねすると大概の方は、一瞬迷ったり、あるいは即座に「これがいいです。これが好きです。」とどれかの写真の前にいかれます。
その時ん密かに自慢の写真であった時にはうれしいものですし、自己満足だけじゃないんだなと思う訳なんです、が・・・・・それでも何か、得心のいかない何かがあるんですよね。

ある米国青年は「あなたの写真を見ているとあなたの視線に人間を大切にする気持ちが見えます。」(これは多分そういう意味のことを言ってんだろうという意訳ですが)
出口に向かった若い外国人女性に声をかけると、振り返って「Beautiful work!」だと言ってくれました。
だから多分、それほど悪いことはないんだろうと思います。
でも、・・・・なんですね。
それが自分の感覚だから仕方がない。
そうかといって・・・・何がどう足りないのか。
言語化できないもどかしさがあります。
人間追及が甘いんだよ!! かも知れませんねぇ。

この方は、お友達と来られて、一緒に、ぐるっと写真を見てくれて、もう一度廻って・・・、出口にいかれたのです、が。
また戻ってこられて・・・・しばらくベンチに腰を下ろして・・・。
その間私は別のお客さんと話していたのですが。
意を決するように、「写真撮ってくれますか?」
私たちの会話を妨げてはいけないと思って遠慮されていたんでしょうか、それとも「写真を撮ってくれ」ということが言い出しにくかったのでしょうか。
ずいぶんお待たせしてしまいました。

こんな狭い空間の中で、それぞれ小さな人生が展開します。
そして私と交わってできたこの写真が「人間交差『点』」。
続きを読む
- 2022/11/23(水) 00:00:04|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
個展会場で…誤解とはいえ写真家に・・・写真を撮ってもらえると思うからかもしれませんが、このように申し込んでくれる方々が居られるということはうれしいことです。
展示された写真を見て、私もこんな風に撮ってもらいたい。こんな写真を撮る人になら撮ってもらってもいいかな。・・・、どんなお気持ちなんでしょう。

のちのメールでこんなことを書いておられました。
「元々写真展に興味があったり、ギャラリーに行くと作家さんとよく話したり、する人ではなかったんですが、先週はなんとなく1階のポスターも気に入って入りました。
写真もかなり気に入りましたし、蒼樹さんとの話も楽しかったんですし、写真も撮っていただいて、なかなかない楽しい経験になりました。
他の作家さんの写真展も見かけたら見に行きたい気持ちになりました。
いい写真とは何だろうか、これからも考えていきたいです。
蒼樹さんのブログも見させていただきます。 」
写真展に興味があったりはしなかったこの人が、 「いい写真とは何だろうか、これからも考えていきたい」というところまで思考を深める。この人は相当な知性の持ち主なんでしょうね。

すぐれた知性の人を撮るのは楽しみです。

もっといろいろなお話をしたい人でしたが、何しろ写真展会場で、次のお客さんも来られますし。
そのために引き留めるワインもあったのですが、成功しませんでしたね(笑い)

それにしてもこの会場は、会話のしやすい会場です。
さすがに元お料理屋さん。

この写真は、写真をクリックして、更に右上の虫メガネ❓をクリックして見ていただけるとよいと思います。

ここにも「人間交差点」が生まれます。
続きを読む
- 2022/11/22(火) 00:00:00|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
11月も下旬間近だというのに暖かいですね。 いえ、私としてはありがたいんですが紅葉の色付を気にしている人は心配でしょうか。
でもケヤキもイチョウもきれいですよ。

今回の個展ではDMを1500枚作りました。 そのうちの200枚ばかりを私が配りました。
来るはずのない遠方の友人知人に年賀状代わりに送りました。
「えっ?! 京都まで来いってか?」なんて思ったことでしょうね。

これまでの個展ではDMをとても軽視していました。
今回は、私はDMができる前には私なりのビラを作り・・・・DMよりこちらのビラの方がいいものだったと思います・・・り、DMができてからはいつもリュックに入れて歩きました。
そして『初めまして』の人をとったときにも、たまたまであった作家さんたちにも配りました。別に必死の形相で配ったわけではないのですが。
そしてその直接に手渡して、きていただいた人の一人がこの人です。

学生さんです。
カウンター越しに撮ってくださいという要望。

写真も熱心に見てくれました。
将来に向けていろいろ思うところがあるようです。

一年間には、何人の学生と話し、また写真を撮らせてもらっているでしょうか。
鴨川の土手で、作品展のギャラリーで、大学の卒展や修了展で・・・・。
学生の色々な姿を見ます。

私の青春期は高度成長期の終盤、途絶えがちな「高度成長」に無理やりカンフル剤を注入して世界一の幻影を追いかけていた頃です。
今は「失われた30年」が展望なくだらだらと転げ落ちていく時です。
その中に生きる青年のマインド、価値観が違うのは当然です。

しかし、「未来は青年のもの」だということは不変の心理であってほしいものです。
今の政治も経済もその「未来」を施年から奪っているとしか言いようがないです。
青年から奪っているということは日本社会、日本国民から奪っているということに他なりませんが。
そんな現在に生きて未来を語る青年です。
- 2022/11/21(月) 00:00:00|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今回の個展で、DMに使用したAさんの写真、和服・日本髪のA’さんの写真、「人間交差点」というキャッチフレーズが今までおいでになったことの無い方々を惹きつけたようです。
「素敵な人たちと」の発展形というか進化形である「人間交差点」は次回にも使いましょう。私の思考の深化を表現もしていますから。

お子さん連れの方が来られました。
そして「あなたの写真 撮ります」を希望してくれました。
まず子供さんに慣れて楽しんでもらわないと。 これくらいの年齢の子供さんはお母さん〈親御さん〉が楽しく受け入れていることはほぼ無条件に受け入れてくれます。よほどお腹がすいた、疲れた、眠いというのでなければ。

そして子供さんを可愛がっておられる親御さんは、お腹がすいた、疲れた、眠いという子供さんの様子を見逃していませんから、親の要求、楽しみのために無理強いはしないものです。
この母さん、その点とても賢さをお持ちの方のようです。 子供さんがとても落ち着いて楽しめています。

まず、子供さんの反応や、子供さんをどう撮ろうかということに気が行きますが、

改めて見てみると魅力的なきれいなお母さんです。
部屋の中のオレンジっぽい色を調整しようとするとこうして外光が青くなってしまいます。

家族内でもよく写真を撮っておられるのでしょうねえ。

今回の写真展でも、私の助成を撮った写真の被写体は大半が20代の人たちです。
30歳前後から40歳ぐらいまでの方を撮りたいのですが・・・・その年代の女性は仕事、家事、子育ての負担が大きくて、それに結婚をした女性の在り方についての意識が影響して、なかなかレンズの前には現れません。
私のジェンダー意識ばかりが問題じゃなさそうです。

ありがとうございました。
- 2022/11/20(日) 00:00:02|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
個展の会場で「あなたの写真 撮ります」をして、こんないい写真が撮れると何だかとっても得したような気がします。
散歩の途中に立ち寄ってくれたんだとか。いいところにお住まいですねぇ。

私が勝手に命名している「おじさんコーナー」入選確実。
若い女性の写真も魅力的ですが、「おじさんたち」もとても魅力的ですし、人気があります。
どちらも、どう撮るか難しいことに違いはないのですが、私の感性のスイッチは違うものになっているようです。

客観的には「アラウンド 私」を撮っているわけですね。
「やあ、ご同輩」的な気分もあるのかもしれません。
そして撮られる方にも・・。

だから、色々な表情をされても何か共感できるのかも。
と言いながら、実は私はこの方くらいの人、あるいは後で聞いて少し私より若い人に対しても「年長者」「先輩」を撮っているという感じが強いのです。
まあ、ちょっと極端に言うと大学生くらいが、「おじさん、写真、撮らせてくれませんか?」と言った感じでしょうかね。

ただそれが実際だったら、私にビビりがもっとあって写真にならないかもしれませんが。
この写真はちょっとピンのずれがありますが、D850にシグマの85ミリを付けて白黒で撮るというのは、案外これからの私に可能性を与えてくれるのかなあと思うことがあります。(色は相変わらずダメダメですが)

「写真、撮ってもらおうか。」から二、三分で、ある「境地」まで行かなければいけないのがこの撮り方の妙なんですが、それだけに難しい。
職業カメラマンの方々、すごいですよね。

これが一番かな。
- 2022/11/19(土) 00:00:03|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
会場で「じゃあ撮ってもらおうかしら」と言っていただけるのは楽しいし、うれしいものです。
この方は実績のある書家さん。数年前のあるイベントで写真集づくりをとんにしたお仲間です。
今日の写真展にも来てくれました。

書道展でも芸術展でも異彩を放つ作品の書き手です。
先のイベントに関わってのちょっとしたパーティーか何かの時に隣の席におられて、私の写真集の構想を「放言」した折に、章の先頭のページにその章の内容を象徴する字を書いてもらえませんかとお願いしたのが交流の始まりでした。
いや実際そんな軽々しく「書いて」と頼める人ではなかったのですが、知らぬが仏というか、盲目者蛇に怖じずというか・・・。
世間知らずとは怖いもので。

それが、「面白そうね」と乗っていただいたおかげで写真集はただの写真の寄せ集めではない品のある格調の高いものになりました。
「写真家」も書家もノウギャラで実行推進に参加するシステムですが、後から考えれば冷や汗ものでしたね。

私は写真関係の方との交流は「京都ファインダー倶楽部」という「余技としての写真を追及するお仲間以外に写真友達はありません。
肌が合わないから仕方がないですね。
多ジャンルの方々の方が学ぶことが多いですし、学びの質も多様で豊かに感じます。まあ、半分は偏見ですが。
この方など、どちらかと言えば保守的で伝統墨守的な世界で革新的な表現を追及されておられますので、とても通じるところがあります。

今回も20代の女性の写真が多くを占めていますが、それでは飽き足らないので、もう少し対象年齢を上げて「素敵な人」の発見に努めたいと思っているのです。
- 2022/11/18(金) 00:00:02|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「あなたの写真 撮ります」は元来高瀬川沿いのギャラリー四季AIRでのイヴェントの時にそのギャラリーのオーナーさんと図って実行したものです。
そのイベントでも私の写真を展示していたのですが、イヴェントに訪れる人たちに楽しんでもらおうと企画しました。
その時にはその場でプリントしてお渡ししました。オーナー氏は「代金をいただくこと。プロが撮る写真と書くこと」を提案してくれましたが、代金は一枚500円、プロが撮るは書かないということで仲良く折り合いをつけました。
「プロが撮る」と「代金千円」が却って人を呼ぶというのがその方の意見でした。

私の、この場合は「撮影料、モデル料、送信料などはなし」に同意していただくということになっています。

jじゃあ、自分にメリットは?
「撮るのが楽しい」 「撮られることの楽しさを知ってもらえる」
写真撮影についてちょっとがんばっている人が撮るとどういう写真になるか知ってもらって、写真に対するイメージを変えてもらえる(かな?)
一面では、やがてお金を出してでも撮ってほしいと思ってほしいですもんね。

そのためには「やっぱりプロが撮る写真は違うなあ」と感じてもらわないと。
ただ私自身はプロじゃないですけど。

それに会場の雰囲気が楽しくなりますしね。
写真展のイメージもちょっと変えたい。
そうしないと写真オタクしか集まらない写真展になってしまう。もうすでにそういう傾向は濃厚だと見えます。
今まで写真展に興味も関心もなかったけどウインドウの写真を見てはいろうと思ったという人もいたのです。
そこからさらに・・・。

自分が撮っていれば楽しいというだけでは、生ま家でああだこうだといて散るだけでは写真文化は豊かにはなりません。
写真愛好者にもっと社会的意識を持ってほしいと思います。ましてやプロの写真家には。
志の低い写真教室でお茶を濁しているようではねぇ。

次の写真展でも「あなたの写真撮ります」はやるつもりです。
- 2022/11/17(木) 00:00:05|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今月の8日から13日まで、京都写真美術館で個展をしました。
こうして過去形になった写真展ですが、楽しい時間を過ごしました。
もっとも二つ? 不愉快なことがありましたが。
その一つは最終日に雨が降ったので傘を持っていったのですが、傘立てに立てておいたらまるっきり似ても似つかないおんぼろ傘に替わっていました。失ったのは孫に勝ってもらった、まだ一度しか使ったことの無い傘でした。
もう一つは・・・、それはまた後日。

さて、写真展にお越しいただいたお客さんは、不正確なカウントですが、カウンターに残った数字は256でした。
ちょっと覗いて、なんだこんなものかとすぐに踵を返すような方も含んでの数字ですから私の写真展(写真)の評価に、そのままつながる数字ではありません。

個展というのはありがたいもので・・というかそのための個展でしょうが・・・好きに演出できます。
ここのギャラリーでは作品を展示する高さは・・・・写真の中心を145cmにするのが標準のようでした。
私は従来、150センチから・・・天井の高さとの関係で・・・155センチにしていました。 小柄な方にはちょっと見にくかったかも知れません。

女性を撮った写真は2枚を除いて、おおむねギャラリーの標準にしました。
レーザー光線の水準器がありましたから、作業はいたって簡単にできて、それ以外のところに時間を割くことができました。
糸を張って、ちんたら(「ちんたら」って京都に来て初めて覚えました)やっている時代じゃないですね。

男性の写真は塊になるように展示しましたから、かなり自由です。縦位置写真も横位置写真も交じって全体で三段にしています。このところグループ展でもこのやり方です。
写真フレームの面(つら)を合わせなくてはならないという思いからは解放されています。

ギャラリーのスタッフさんのお話では、「写真のフレームが水準線に沿ってキチンを並んでいない。垂直線が出ていない。」とクレームにおよぶ人がいるそうで「出来るだけきちんと水平をそろえてください。」と言われました。
私は、そんなことは表現の自由の範囲ですからといって丁重にお断りしました。が、実際上は各フレームの水平・垂直自体はほぼ実現していると思います。斜めにかけないといけないような写真は、今回はありませんでしたから。 ただ、面はそろってはいません。
それにしてもおかしなクレームをするお客さんがいるものです。 何故そんなことを気にして、「おかしい≒正しくない」と訴えるのでしょうね。ご自身の中で「おかしなやり方をするなあ」と思われていればよいことだし、「これはどういう意図なんでしょう。」とやんわり作者にお尋ねになればいいことです。

この京都写真美術館はスタッフも親切ですし、建物の内外装も落ち着いていて、・・・・ことに妻はお気に入りなんです。・・・多分次の個展も、ここにお願いすることになろうかと思います。
近くには国立近代美術館、京都市美術館とその別館、細見美術館などがあって芸術に関心のある通行人が多いですし、また平安神宮、南禅寺などの観光寺社があって人の流れは多いですからね。 ギャラリーもいくつかあり、名作を所蔵する星野画廊もありますし。
そういう意味で環境抜群です。

このギャラリーはプロ、セミプロの方々がなかなかの個性をもたった作品や秀作を展示しますので、私も毎週立ち寄っています。
作品を販売する方が大半ですから、私のようなモノは少数です。

会場は2階です。
入り口には私のあいさつ文と一枚の写真。白黒の男性を撮ったのものです。
その写真を見て部屋に入ると明るい画面に若い女性を撮った写真がずらっと並びます。ちょっと意表を突かれてくれくれたと思います。
DMはとても印象的な若い女性の写真ですから、これに惹かれてこられた方・・・実は幾人もいてくれたのですが・・・この白黒の写真で意表を突かれて、そして更に意表を突かれるという演出でした。
- 2022/11/16(水) 00:00:04|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
読書する人、飛び石を渡る人、お弁当を開く人、シートを敷いて輪になって話す人たち・・・・、鴨川は楽しさにあふれています。
そんな人々を優しく楽器の音が包む。 そんな状景が私は好きです。

この先の斜面の石段では、お母さんの厳しい指導で、まだ小学一年生かなどうかなという女の子がギターの練習をしています。
楽器が嫌いにならなければいいのですが。

11月も中旬で、京都の秋色はますます鮮やかに、一方でシックに輝くようになっています。

寒すぎはしないので、個展に来ていただくにもあまりお掛けする負担・苦痛を心配しないで済みます。
それに下旬になると紅葉見物の人出で交通機関も渋滞し、混みあいますから、今年くらいの日程が一番かな。
紅葉見物のついでなら見に行くけれどお前の写真展だけじゃあ京都にまで行く気にはなれないなあなんて思った人も幾人もいるでしょうけど、まあそれは仕方ないですね。私の実力がないんですから。

9回目の個展も無事に終わって、また日常が戻ります。
早速、火曜日からは鴨川徘徊とギャラリー巡りです。

いろいろ収穫と反省点がありましたが、それはまた、おいおい。

やっぱり個展は、やるものですね。
是非、皆さんもどうぞ。
- 2022/11/15(火) 00:00:06|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
もし私だったらどうだろうか。
忙しく働いた後の日曜日。秋の暖かい陽射し。窓を開ければ並木の梢が色づいてきらきら光っている。
購入したばかりの木管四重奏曲のCD。 愛用のオーディオから流れる音を楽しんでいると・・・・・。
道路を隔てた河原から金管の音が飛び込んでくる。
あるいは夜勤明けにようやく布団に入れたと思ったら・・・・。
「バカヤロー 向こうへ行っちまえー。」と叫ばないだろうか。

狭い日本に金管を響かせることのできる場所はあるんだろうか、などという問いはあまりにも極端ですが。
現実的にはなかなかアパートやマンションの部屋では吹けないし、さりとてちびっこのための講演でも無理でしょうし。

寺や神社の敷地を快く貸してくれるところがあるかどうか。
ジャンベをたたく人、篠笛を吹く人、トランペットを鳴らす人。鴨川にはたくさんいます。周囲の方々の理解によって可能になっている面は見逃せませんね。
何しろ保育園の子供たちの歓声がうるさいと、後から住まい始めた人々が騒いで保育園を追い出すような国ですから。

だから、彼らも、いろいろ配慮して場所を選びます。
ここは却って音響がいいですしね。
この橋脚二つ越えたところでは、ウクレレを、少し上流に行ったところではバイオリンにギターに・・・そのまた少し向こうでは二胡を弾く人も。

実はこのごく近くの立派なお宅からはいつも複数の楽器の音が聞こえています。誰かが練習をしているようです。学生たちかな?
という訳で、この辺りには音楽が溢れています。
もっとも、この一つ向こうの橋脚の壁はラクロスの練習場です。

トロンボーンの彼は、中高では野球に取り組みかなりの好成績だったそうですが、大学では音楽=楽器演奏に転向。ずっと楽しみにしていたんだそうです。
そういうことってありますよね。いろいろな理由で。
- 2022/11/14(月) 00:00:03|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
写真展は、その準備の長い時間を経て、始まってしまえば、こうして最終日です。
今日は撤収をしなくてはなりません。 いつものことながらあっけないなあという感じです。
撤収は、まあ意外と簡単なんですが、車に荷物を積み込めば、明日からはまたこのギャラリーに外からくるお客さんの一人です。
次は、来年八月のグループ展ですね。5月はどうなりますか。 この人の目、印象的ですね。

聞けば、アメリカではモデルもしていたとのことで、初め「撮らせてくれますか?」に躊躇していたのはその辺の事情もあるのかも。
胸から首、そして頭の姿の良いこと。
改めて撮りたい人ですよね。

お手玉でこの「玉」を「おジャミ」と言いませんか?
京都や大阪などの西日本の言葉らしく、お手玉は東日本に使われるらしいです。
私の生まれ故郷では布で包むのは大豆や小豆ではなくて「数珠玉(ジュズダマ)」だったように記憶しています。
この人に教えてあげたいなあ。

お友達が川向こうから来たようです。
丁度、腰を下ろして近付いて話をする状況になったので、アップで撮れるなあと思っていた矢先でした。
惜しい。
下の写真のこの人の足元を見てください。
多分合気道の教えから地に足を付ける、足の裏に地を感じ取るというような趣旨から履いているのじゃないでしょうか。無理無理な推測ですが。

まあ、そういう偶然の流れの中でチャンスをつかむ、それが私の写真だということにしておきましょう。

さあて、明日からは・・・・。
- 2022/11/13(日) 00:00:04|
- パフォーマンス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日の京都盆地もまた「写真展日和」です。今日から明日にかけて曇りがちで明日には雨も降るようですが、かなり恵まれた気象条件で写真展ができています。
予想の通り、水曜、木曜とお客さんの数は減りましたが、それでも30人台半ばの数の方が来てくれて、累計170人を超す方が来てくれています。写真を出している人間がやたらと話しかけるこの会場では、このくらいの数が適当なのかもしれません。
昨日も楽しい時間が過ごせました。
開場早々に大学時代に入っていた寮の後輩が来てくれて半世紀ぶりに会うことになりました。寮友会のネットワーク上に私の写真展情報を流してくれたんだそうです。関西、ことに京都在住者は少ないのだそうですが、まさに早速の訪問を受けてうれしかったです。
毎年8月に京都ファインダー倶楽部のグループ展があるのですが、その時に毎回お隣になる篆刻の作家さんが来てくれたり、国際的な芸寿交流の団体の代表が来てくれると交代交替に時間を都合してスタッフが、団体あげて❓来てれるという名誉に浴しました。
出町柳でギターを弾いていたアメリカ人留学生も来てくれて「私の気づかないときにこっそりとってくれていいですよ。気づくと態度が変わってしまいますから。」と。
終わりの6時になってもアメリカ人青年と日本人の若い女性と4人で写真談義・カメラ談議に実中になって退出を忘れてしまいました。 今日は土曜日です。昨日スタッフさんが「土曜はお客さんが多いですよ。」と言っていましたが、果たしてどんな楽しさが待っているのでしょうか。文字色 出町柳の俗称「デルタ」は多くの人たちの憩いの場です。
私の鴨川徘徊はここを出発点として帰途には、ここから陸?に上がります。

最近は日ごとに多くなる外国人の姿を見ますが、その中には仕事で長らく京都にいる人も、留学生の姿もあります。
観光の人も荷物を預けて軽装で散策していますから、それを区別がつかない場合もあります。
そんな中華奢な体つきをした人が芝に腰を下ろして玉を使ったジャグリングをしていました。
カラフルな服がよく似合います。

日本語は目下勉強中。
でも日本語の留学生ではありません。
学びに来ているのは、なんと・・・・。

合気道。
今は一級ですが初段獲得に向けて練習に励んでいるようです。
母国にいるころからしているとのことです。

母国はUSA。
「これは日本語では『お手玉』と言いますよ。」と私が言うと、その「お手玉」の言葉にかぶせて大きく頷きながら「お手玉・・ですね。」と。 さすがに知っていましたか。

この近くに住んでいるとのことで、ここはよく気晴らしに来るところらしいです。
それにしては今まで見かけなかったなあ。
先日もそういう方がいましたが、私はここを離れて人を探しに行くのではなくて、「株」を見守っていた方がよさそうですね。
- 2022/11/12(土) 00:00:05|
- パフォーマンス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
昨日の個展会場には39人お方が来てくれました。大切な友人、知人が多かったのです。
大学時代からの友人が「近鉄で人身事故があって迂回するから遅くなる。」と閉場15分前にようやく到着。無論ぐるっと写真を見てもらって後の時間では久しぶりの話には足りませんから、その流れで食事に。久方ぶりの外食です。「珉珉」に行きました。モヤシ炒めのおいしいこと、鳥のから揚げもちゃんと一品になっているところが珉珉の嬉しいところ。中ジョッキの生も美味しい美味しい。 写真オジサンたちとの会話でつくづく疲れた気持ちがほぐされました。やっぱり私は写真オジサンたちが好きにはなれないようです。 私がちょっと幸せを感じるときは、このOさんの写真などを「撮れた」ときですね。
PCで整理していて、ふつふつと喜びが湧いてきます。
別に大物、有名人を撮ったからというのではないですよ。自分なりの、この人でしか撮れないなあという、いい写真があるなと思えるからです。

実は私はひそかに私の個展でも演奏してほしいなあと思っているのです。
そして出来たら、中国琵琶を弾く彼と共演してもらえたらなあと。それでその中国琵琶の青年を会わせたいと言いますと興味を持ってくれました。
ところがこれまで幾度もお会いしてきて、私のカードを「二枚持っているよ。」というのですが、こちらからの連絡を取るすべがなかったのです。
「名刺あるからあげるよ。」と差し出された名刺の字を見てびっくり。 「え~ッ 書家なの?!」
肩書が書いてるんじゃないんですよ。
「私、笛よりこちらの方が腕がいいよ。もともとは字をかいていて、ある時に笛に目覚めたんだよ。以来、ずっと笛だね。」
「おお、なんてことでしょう。」

それで字などについて話していると篆書が得意だということで、篆刻もするよとのことで、京都にも優れた人がいるね。
そこに出てきたのが「小朴圃」さんの名前。中国語読みだからとっさには分からなかったけども「小」は聞き取れたので・・・。
「えっ あの小朴圃さん?」 「そう。」

京都は狭いなあ。
私たち京都ファインダー倶楽部が毎年八月の下旬ころに京都文化博物館で写真のグループ展をするのですが、その時のお隣が篆刻作品です。
その篆刻のグループの「六轡会篆刻作品展」があるんですが、その主催なんですね。
小朴圃をweb上で検索すると写真が出てきますが、私の写真が一枚その中に紛れ込んでいます。

名刺の住所を中国琵琶の青年の教えていいかと言いますと「いいよ。それに私は週に3日か4日ここで吹いているから・・。」とその青年に教えてあげてほしいと。
きっといい出会いになるだろうなあ。

私は、今している写真展を「人間交差点」と銘打ってやっていますが、写真を通しての出会いもまたまさに「人間交差点。
その交差点と交差点が出合えばより濃密な点を作るでしょうねぇ。
私は個展でもグループ展でも「おじさん・シリーズ」をやっていますが、ここに又一枚候補ができました。

「おじさん・シリーズ」は案外好評なんですよ。
それで「おまえは女性を撮らせると今一つだけど、男性の方は、まあ何とかなってるね。」なんて言われるのです。
- 2022/11/11(金) 00:00:04|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
昨日の写真展来場者数はあまりはっきりしません。6、7人の方が同時にいたり、一時間以上おられて話が盛り上がっているところに入場されては退出される人がいたりしてカウンターに触れない時間がかなりあったからです。それで、まあ48人にしておこうと。多分、数人はそれより多いかな。分かりませんが。 で、都合98人。「主催者発表」です。これくらいがいいんじゃないですか。
ギャラリーのスタッフの「上司」という方も見てくれて話が弾みました。「今後ともよろしくお願いします。」とお互いに話をまとめましたから(笑い)、多分、次も、その次も借りられるのかな。有難いことです。 いつものように鴨川の岸をせっせとペダルを踏んでいると・・・・。
欲笛の素晴らしい音が風に乗って聞こえます。
それで、音のする方に目をやると・・・いつものあの人です・・・というのではなくして、どうも見慣れない人なんです。

ちょっとモンゴル方面で見かけると唸帽子をかぶって黄色の服を着て。
それにしても巧みです。
この辺りでこれだけ吹ける人が二人と居るとは思えないけど、すごいなあ。
そう言えば一音一音がちょっと整ってスマートです。言えば近代的というか・・・。 う~む、だとすればやはり別人か、あのOさんとは。
そうならこれはすごい発見!

川岸の石段を下りて、少し離れたところから耳を澄ましていました。
曲も「コンドルは飛んでいく」だし。

ですが、やはりこれだけ吹ける人がそんなに多く入りはずもなく、やはりあのOさんでした。
「ご無沙汰しました。」 曲の終わりに、そう声をかけると満面の笑みを浮かべて立ち上がってこちらを向いてくれました。
それで続いて曲が流れると期待されていた周囲の数人が腰を上げて散ってしまいました。申し訳ないことをしました。

中国の草原を、大地を、大河を思い浮かべながら吹くというOさんの演奏は、深々として駘蕩として、時に激しく渦巻き、疾駆するのです。
これで・・・・というとちょっと筋が違うのですが・・・・「プロ」じゃないのです。

私が写真を撮って「中国」という空気なんか出るはずもないのですが、そうしたいなあとは思いながら撮ります。
しばらく色々な話をしたのちに「Oさん、もう一曲吹く時間はありますか?」と訊ねると
「いいですよ。どちらを向きましょうか。」と撮影のことを気にかけてくれます。
曲は、演奏会の時にいつもアンコール曲として演奏するものだそうです。 プロじゃないんですが様々な機縁で招かれて演奏することは度々あるんです。
皆さんよくご存じの左利きの料理研究家とも親交があるんだそうで、その人のお母様の料亭に招かれて演奏したりしたそうです。
この石段のそこに腰かけて聴いていたのが縁でした、と。
まあ、誰が聞いたって「普通じゃない」と思いますもんね。
- 2022/11/10(木) 00:00:01|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は個展2日目です。 そろそろ紅葉(黄葉)が進んで人でも徐々に増えています。
桜の葉は散り、イチョウがきれいに色づいていますね。これから堀川通や紫明通りのイチョウが目を楽しませてくれるでしょう。今年も「モデル」がいないのが残念です。
昨日は50人の方が入場してくれました。外国の方も10人くらい? 意外にも?おおむね好評でした。
ある男性から「撮影場所を明記してほしい。あとでいきたい場所もあるから。」という注文をいただきました。かなり真顔でです。この方、自然の風景を撮っておられるという事でしたが、その方面では「当然、当たり前」だという感じでかなり押しつけがましい要求でした。
しかし、多分私はその求めには応じないだろうと思います。
さて、今日はどのような出会いがあるでしょうか。 個展案内のDMを高校時代の旧友に・・・・と言っても大変長らくのご無沙汰なんですが・・・・送ったら返事が来ました。
行くことはできないけど「写真集を発行していたら、着払いで送ってくれ」と書いてくれていた男です。
うれしかったので電話しました。葉書に電話番号を書いてくれていたのは、電話をよこせという意味かなと思って。

旧交が暖められて愉快でした。
お互い体のあちこちが痛むのは「お年頃」の通例ですが、その話にばかりならないで「今」のことについてこれからのことについて話ができたことは「彼らしいなあ」とうれしいことでした。

ところで、この川さん。
「個展をしてみたいとは思うのですが・・。」という事でした。いや、それは是非やるべきだと彼女の写真を見て思いました。
そして、きっと近日中にされることでしょう。私は確信します。
こういう人が「どうしようかな。」と思っているのに私がしている。そうなんですよ。そこを悟ったということが私のこの10年の奇跡、いや軌跡を作ったともいえるでしょうねぇ。
私のモットーの一つは「豚もおだてりゃ木に登る」ですから。
自分で褒めて自分で登る手だってあるんです。

誰かが褒めるのを待ってはいられません。
ただ「恥」を知らないといけませんが。

今日はGRで撮っているんだそうです。
ストリート系の人に人気のあるメーカーのカメラですよね。私は触れたこともありませんし、知識もありませんが。

多々色々なことを学ばせてもらえそうな人に出会うことができました。
- 2022/11/09(水) 00:00:04|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は写真展の初日です。さてはてどうなるんでしょうね。ワクワク感が募ります。
COVID-19の感染の広がりは、じわりじわりと進んでいます。何より感染者数が・・・・旅行にいけぇ、食べにいけぇを妨げないように、実態をはるかに下回ったものですから・・・・本当の怖い実態をを示していませんから心配は心配ですね。でも元気にやりますよ。 こうしてブログで自分の撮った写真をポストオンしたりFBに自分の考えを長々書いたりしている私自身、やはりどこかしら自己顕示欲があるのだと思います。
写真なって自分が見て良いと思ったものを、あなたにも見ろと言っているのですからね。
私のものの見方や考え方はおのずと露見してしまいます。

この時私が同世代だということで「曲は何がいい?」と訊ねてくれて「フォークなあ。でも四畳半的な奴は嫌いでけど。」とお答えしました。そうしたら「山谷ブルース(岡林信康)」を歌ったのはさすがですね。
でもその後が・・・北海道ですかでしょうかね・・・・松山 千春だったのは、私の全く個人的な趣味から言うと、残念でしたが。

フェイスブック「けんさく」と書いてありますね。
「1949年生まれ」だとも。
私ね。どうもこういう感覚は、あまりなじめないんですよね。
私、個展会場では「2000人を達成」みたいなこともかすかに書いていたりしますけど、それは「たくさんの人にカメラを向けることについて・・・」対話をしたいからなんですね。
え、それとどこがどう違うって?! う~ん、同じかなあ。

「自分がオープンになれば、人もまたオープンになる。」 同感ですね。

旧職を57歳で早期退職しての再出発です。
さて、そこに「橋の上からいつものようにこの『デルタ』の情景を撮っていたら、なにやら見えたので「何事やらん」と降りてきた」という人。
写真家の「川」さんです。 初めてお目にかかります。

話が大いに弾んで早速、ラインでお友達に。
現代の名刺交換、みたいなものでしょうかね。

川さんのホームページ、ブログを見ました。 今度私の写真展を覗いてくれるそうです。いやあ、どぎまぎしてしまうなあ。
川さんの写真、素晴らしいです。中国の「おじさんたち」に魅力たっぷり。
「山谷」も撮り歩いたそうです。ディープな方向に行っています。
オジサンを通して現代を見るのもいいですよね。
今度の私の写真展にも「オジサン」コーナーがあります。
- 2022/11/08(火) 00:00:02|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は写真展のための搬入です。セッティングは一人でやりますが、事前に確かめられてないことがあって、「その場で解決事項」がありますので、それが気がかり。ワインも持ち込んで楽しくやろうと思っています。
明日から個展です。 京都写真美術館にて【三条通りを平安神宮の大鳥居に向かって歩いて1分余り。】 11:00からです。 すでに細君と共に2年半をかけて全国を一周したらしい。
そして今はその細君を残して単独で周遊。

世の中には私とはメンタリティーがずいぶん異なる方々がいます。それはまあ当たり前のことなんですが、この方もそのお一人でしょう。
リヤカーにギターを乗せ着替えなどを乗せて、それを引いて全国を回るんだそうです。
幟にあるように北海度を出発点として。

幟を立てているので「おや、あれは何?」という関心を引き、そこに何をしているのかが書かれていますから「へ~ なるほど。面白そう。」と。
自分が何者かを初めからオープンにしているので人は安心してそばに寄れるし、避けることもできるのでしょう。

私のようなモノが近づいて「ちょっといいですか?」と言うと、この男を避けるべきかよらせてもいいとすべきか判断今様ので人は不安を感じるのでしょうね。
だからこの幟作戦は良い選択でしょうね。
私も「素敵なあなたの写真をらせてくれませんか。 今まで撮った人は2000人」なんて書いたのぼりを立てて走れば状況は大きく変わるかもしれません。

まあ、しませんがね。そんなに自身をアピールする根性はないですから。
それに、そうやって撮らせてくれる人、寄ってきてくれる人と私が撮りたい人とは多分異なるように思いますしね。

それにしても、フェイスブックで自身の行動を公表している所為もあって各地に支援者というかサポータが居られて迎えに出たり、宿泊をどうぞと言ってくれたりするそうです。
幟を担いでいる方は京都の支援者。幟の方が、北海道旅行の時にたまたま会ってからの友人だそうです。
これから数日この人のおうちに宿泊するのだそうです。
ギターをもって歌を歌いながら全国を歩く。求められれば〔講演〕もするんだそうです。
トライアスロンで鍛えた体は頑健そうですね。スポーツはスキーを始めた種目ができるようです。
「体育会系です。」とおっしゃっていました。

以前、自転車で東海道五十三次を走破した方に三条大橋の下であいましたが、おなじようによ~く陽に焼けています。
- 2022/11/07(月) 00:00:01|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ある動画を見ましたら、制作者はフィルムカメラで撮影をする人でした。
フィルムカメラでは一枚一枚大切に撮らないと、36枚(とは限りませんが)は直になくなってしまいますし、次の被写体を見つけた時フィルムを入れ換えなくてはならないことになります。

そして現像や焼き付けには時間がかかります。
今の私のは現実的ではありません。 が、その動画を見て、せっかくのフィルムカメラがあるんだし撮りたいなあと何やら妙に気持ちが高ぶりました。できれば白黒フィルムがいいんですが、無論手元にありません。
多分近所のプリント店に行っても無いでしょうねぇ。

キャノンのAE-1はフィルムの巻き上げができなくなってしまっていました。多分グリースが変質したんじゃないでしょうか。
でも、NewF-1はお元気でした。 いい音でシャッターが切れます。こういう音をさせるデジタルカメラはごく少ないでしょうね。
いい道具だなあという感じがあります。

もうすぐ個展になります。
搬入の段取りを繰り返しシュミレーションしますが、毎度この時には心配と期待で気持ちが高ぶりますね。
故郷の「ご無沙汰しています」の高校時代の友人にあてて気まぐれに個展のDMを送りました。
流石に京都にまではいけそうにないなあとの葉書でした。当然です。(かつて横浜から来てくれた友人がいましたが。実に有難いことでした。今更ながら感謝しています。)
で、その葉書に「「お葉書の写真とても気に入りました。」と書いてくれていて、「写真集を発行されていましたら、お手数ですが着払いで一冊送って」欲しいとも。

なんて嬉しい言葉でしょうね。遺憾ながら写真集は作っていないのです。時々「写真集は?」と言ってもらうことがあるので、そろそろ作る潮時かなとも思うこともあったり、なかったり。
次の目標を写真集づくりにしてもいいかな。
- 2022/11/06(日) 00:00:04|
- 工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

ずうっと以前に撮らせていただいたことがあります。
日本画の円山応挙の流れを汲む方です。

最初撮らせていただいた時には、ただただ友禅の絵を描く人だくらいにしか思わないで、その風貌に感じるものがあって撮らせていただいたのです。
その後また別の二回りほど若い気鋭の職人さんとお話しする機会があり、「あの人は自分の師匠筋で、円山派の大御所だよ。」と伺ってびっくりしたのでした。

目が見えなければ蛇が出て来ても恐れないと言いますが、・・・こういうときに歴史的な言い回しができないことを、人権意識が高まったとだけ考えるのはどうかなと私は思うのですが・・・実に私などはそれを地で言っている訳でして・・。

ご自身を「やくざだ、やくざだ。」とおっしゃるのですが、そうした画流を継ぐ者として、未だに至らずという自覚をお持ちになるからだと感じました。
ご自身は若い時に日本画家になるつもりだったそうで、「その頃色々気負いもあって、既存の画き方に反旗を翻したのが、こういう始末かなあ。」とおっしゃっていましたが、南画に飛び込まれて、それが前後の世間の流れからは外れたということをおっしゃっているようでした。南宋の画流ですね。私は好きなんですが。

最近は油絵の世界で極めてリアルな絵を細密に描くのが流行しています。
現代画の「分からない」にくたびれた人々の反応ではないかなと私は思っているのですが、小木曽誠さんが、そういう道に入ったころはちっとも流行らず、精神的な苦悩も多かったようです。それが今や公募展でありふれた存在になっています。たまたま流れが後追いしてきたわけですが、この四条派の実力者の場合はそうはならなかったのですね。
けれど、「流行り」がいいものだとは、必ずしも言えないわけで、それがしかし、日が当たるか、経済生活にどう影響するかということに人生の色がつくわけですね。

自分が探求して、研究して、ようやくつかみながら実践していることが、気が付くと回りで「流行っている」ということもあるわけです。
そうすると「流行」に乗っているかのように揶揄されることもあるわけですが、自身の研究、試行錯誤の果てに確信をもってやっている人と「トレンド、日和」に乗って上手くやろうという人とでは自ずから、その理解の深浅が違う訳ですよね。
まあ、今はそのトレンドをかぎ分けて一時的に流れや風に乗って「うまくやり、美味しく」やればOK、流れが変わればまた帆の向きを変えればいいという御仁が多すぎますね。
お客さんが来て、私がその場を離れて、旧知の金彩の職人さんの方に回ってお話をして入ると、遠くから手招きをしてくれました。
「いいものを見せるからおいで・・。」と。
ちょっと他の人には見せられんから・・・と随分厳重に包装した絵を広げてくれました。
「おや、なんと、そういう訳ですか?! ふ~ん、こうれで結構稼ぎましたね(笑い)」
江戸期の画家たちもまた、表で流通するものよりはこちらの方に力を込めたとも言います。
旧知の職人さん・女性が「な~に、私にも見せて。」と近づいて来られましたが、「あ、いや、これはね・・・ははは」とまた華麗な包装をもとに戻してしまいました。
随分と奥座敷や蔵の奥の話をしていただきました。
- 2022/11/05(土) 00:00:02|
- 伝統工芸
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
二人のギター演奏も歌声もよく響き合っています。

実は9月の末頃に「2000人」に到達して、その後ちょっとゆっくりしていたのですが、「そうだ、11月の写真展までに、今年西暦2022年ということにちなんで『写真展までに2022人』達成を目標にしよう。そうすればもう少し気持ちもピリッとするんじゃないか。」と考えてみました。
1か月の一週間ほどで「22人」を撮るというのは、ちょっと意欲的過ぎる目標だなあ、非現実的だよねという思いもありました。
まあ、いいさ、写真展中に「2023人」を達成して、次の西暦年数を超えて「未来に向かう」とか何とキャッチフレーズにして、ほんの密かに騒いでみよう、なんて・・・。

それがこのお二人の協力で、・・・ブログアップ上では・・・期日前に達成ということになりました。
実態としては10月末までに達成したという事ですね。
たまたまお二人でいるところを撮らせていただけるというケースが重なったからなんですが。
(あえてそういうケースを狙ってお願いしたというわけでは、さらさらないわけなんですが)

この日は、α99に85ミリと50ミリという組み合わせで出たのですが、やはり度々〔道具〕を変えるのは良くないなあと思いました。
ただこの日は室内で撮るチャンスがあるかもという予感がしたので、この組み合わせを選んだんですが、なぜかピントが甘い。

この組み合わせだといつもこんな風、という訳ではないのですが。
さて、あまりプレッシャーになってはいけないなあと思いながらもグッと寄ってみました。
お二人はかなり集中して演奏していましたので、大丈夫かなと思って。

この後のライブ演奏は上手くいったかな。
本番前の緊張を楽しむことはできたでしょうか。

京都だからこそこんな若者の姿をたくさん見ることができるのかもしれません。
- 2022/11/04(金) 00:00:04|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
11月なんですよね。 霜月です。(もっとも陰暦の11月ですが)
リタイア直後の2,3年は各大学の「学祭」情報に気を付けて、いろいろ回りましたが最近はほとんど興味が無くなってしまいまいました。
学祭情報にはいろいろな演奏会の情報も交じっていました。
学祭だからということかどうかは聞き洩らしていますが、これからライブで、今、直前のリハだそうです。

そう言えば後ろで聴いていて、結構力が入っているなあと感じました。
ここは川の流れに向かっての斜面に二株の樹があって、ベンチの背後には木が壁を作っている、私が鴨川の岸で特に気に入っている場所の一つです。

耳を演奏に向けながらもぐるっと周囲を回って、何処からならいい感じの絵になるかと下調べ。
そしておもむろに声をかけました。「却ってうれしいです。是非。」と快諾してくれました。

午後には、こんもりとした繁みが覆っているこの場所は、案外暗いのです。

こういうシチュエーションだと、ついよくある青春映画みたいに撮りたくなります。
この人たちの思い出の写真になればいいなあと思ってしまうからでしょうか。

ちょっとピントが甘いですね。
私の足場は急な斜面の半ばですから、うっかり足を滑らす危険性があります。
そういう気配に対して、年をとるととてもぎこちなく体が反応するものなんだなあと、最近つくづく感じます。
そのぎこちなさで余計に、自分のセンサーが「危なっかしぞ!」と教えてきますから、ますます体が硬く反応して、悪循環になりますね。

とにかく足場はしっかり確認しないと。
二人にも迷惑をかけてしまいます。 救助の表彰はいらないでしょうしね。
- 2022/11/03(木) 00:00:04|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
以前、この人たちの初公演のゲネプロを撮らせてもらったことがあります。
そのご縁で「今度2回目をするので事前のフライヤーや当日のプロフィール紹介用の印刷物用に撮影してくれませんか?」と依頼がありました。
撮りたい病の私にとっては目の前に餌を投げられたようなもので、否やはありません。
都会的な場所で撮るのも考えたのですが、荷物もありますし、撮りやすいということも考慮して場所を選びました。
ファゴットなどは高価でもあるし大きな楽器でもありますから・・・。

この人は確か歌も歌えるんです。それも本格的に。
このユニットは同じ大学の交響楽団の先輩後輩です。実に仲がいいし、愉快な人たちです。

今回、中に入ってくれたしっかり者のリーダーです。
就職して毎日遅くまで残業をするような状態なんですが、やはり音楽好きで「ライブ演奏がしたい」という情熱の持ち主で、無論演奏技量は相当なモノなんです。
美術関係でも芝居でも、はたまた音楽でも、なかなか職業として生活を成り立たせながら焼ていくのは難しい。ですが、たくさんの人がそうした困難な中でも「やりたい」を形にしようと努力しています。
一旦は就職したけれど、もう一度学び直してプロの道に・・・などという人も珍しくはありません。
芸術系大学ではないこの人たちはなおのこと悩みが大きいでしょうねぇ。

だから余計に応援したくなるのかもしれません。

この人たちの今度の公演についての記事は以下の通りです。
「2022.11.5(Sat.) 開場13:30 開演14:00
会場:ドルチェ・アートホール Osaka
チケット購入:06-6377-1117 (ドルチェ楽器大阪店) 前売り:2000円 当日 500円増 (全席自由)」
- 2022/11/02(水) 00:00:04|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
私がストラップを付けるのにもたもたしている間に、声をかけてくれた青年はギター青年と会話を始めました。
なかなか堪能な英語力です。海外に行った経験はないと言っていましたから、国内での学習だけの語力ですが、なかなかのものです。

今ここで会ったばかりの若者同士です。
いいなあ、羨ましいなあ。
「撮るところを撮りたい」と言った青年は「星野道夫」氏の本を出してきて「このを人知っていますか?」
「ネイチャー写真家だね。北極などで撮った。」とかろうじて答えたのですが、そういう写真にも興味があるようで、私がギター青年をとっている状景が「映画に一場面みたいで」いいから撮りたいというのです。

ギター青年の方は「僕は黒沢監督の映画が好きで・・・古い映画が好きなんです。」といいます。
右手の青年は「黒沢」を知らなかったようですが、やはり時代なんでしょうねぇ。
漱石や鴎外などの様に教科書に出ているわけではないですもんね。(日本の芸術教育は偏っています。舞台芸術や映画などについても学べるようにすべきです。)

ギター青年は黒沢の映画で何が好きかというと「羅生門」だというのです。すごいなあ。大したもんだなあ。「七人の侍」とか「影武者」「乱」じゃないんですね。
「生きる」は見たかと聞いてみようと思いましたが、見て、あれもとても良かったなどというのならこの青年は大したものです。

私も時々混じって、時ならぬ交流会です。
この後、二人はお互いに英語と日本語を学び合うために交流を深めようということになりLINEの交換をしていました。
この辺もまさに現代的です。
それで私は旧式人間として私のカードを渡し、そして11月の個展のDMを上げました。

解散するときに「じゃあ、今度は僕の個展会場であいましょう。」と言いましたら、ぜひそうしましょうと答えてくれましたから、多分、二人とも来てくれるんじゃないかなあと、そんな感じがしました。
それにしても、今回は、今までになく、外国の人が他にも何人も来てくれそうで、会話のできない私はまごまごしっぱなしになりそうです。

さて「撮っているところを撮らせてもらえませんか?」が実現しないままになっていましたので、
ワン モア チャンス でトライです。
そうするとこんな写真になりました。

私もギター青年も『振り」をしてしまっていますね。
- 2022/11/01(火) 00:00:04|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0