三条御幸町にある同時代ギャラリーです。
鉄を素材にした立体作品です。 作家は若林亮さん。
周囲にあるのは鉄の板に植えられた鉄棒。

この作品だけでもかなりの数があるわけですが、さらに数倍を並べたものをみたいものです。
しかし、それは言うは易く作るは大変なんですね。 こうした作品を作るには費用もバカにならないわけです。
やりたいからできるという訳ではないわけで、私のように勝手なことを言うものがあると作家としては・・・・・。

これは私のは水田の波打つ稲に見えたのですが、・・・・、彼としてはもっと丈の高いものも入れて、人が隠れるほどにもしてみたいのだとか。

鉄を素材にして造形を作る彼はこれまでにも何度かこのギャラリー(同時代ギャラリー)で個展をしてきたそうです。
私はほぼ毎週ここには立ち寄っていたつもりなんですが、過去の作品を見ていません。
それでポートフォリを見せてもらいました。

壁いっぱに鉄の板を張り巡らした作品でした。
その時も搬入・搬出が大変だったでしょうね。
今回の作品はすべてパーツごとに分解できるようにしてあり、この会場に来て組み立てるのだそうです。

この「生えている」鉄の棒も10本ほどまとまればかなりの重量があるでしょうし、土台の鉄板も重いでしょう。
とても一人じゃ搬入もセッティングもできませんね。
会期前日には深夜までかかってようやく設置できたそうです。

写真展の反悠などは、たかが知れていますね。(なんて言うと本格的に写真展を企画、展示している作家やキュレーターさんに、きっと叱られるでしょうが。)
- 2022/05/31(火) 00:00:02|
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おやおやもう6月が目の前ですね。
そろそろ今年のグループ展のテーマを決めなくてはいけません。
京都ファインダー倶楽部のファインド・アイ展です。
昨年、一昨年と二回続いて中止になりましたから,今年は何とかできるといいなあと思っています。
写真は昨日の続きです。
作品の完成度が高いので素直に撮影の気持ちに入れます。

作品を個々に紹介していますので、どのような構成で展示されているのか紹介できないのが残念です。
見る者の視線を巧みに誘導して、突然、死体のように床に横たわるこの作品に目が行くように仕向けられています。
一瞬ぎくりとしますね。



会場には油絵もあって、少年が跳び箱を見事に「跳べた!」瞬間を描くものもありました。
この作者の揺れ幅を感じて、一度会ってみたくなりました。



エロスとタナトスなんでしょうか。
光の状態によってはこのD850で白黒も撮れるかなと思いました。
- 2022/05/30(月) 00:00:02|
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寺町のヒルゲートで「黒田冨紀子~卒寿を迎えて~」展を見せていただきました。二紀会委員である黒田さんの作品は以前から時々見せてもらってはいたのですが、今回は版画も含めてみることができました。魅力的でした。作家の黒田さんと少しだけお話ができました。
二階の版画作品について「いいですね。」と生意気なことを申し上げましたら「どれの事ですか?」と、足が少しばかりご不自由なのにわざわざ二階に上がってくださって、お話ししてくださいました。
その後、同時代ギャラリーに立ち寄り、続いてライト商会に行きました。
ライト商会は他所では見ることがなかなかできない作品を見ることができるので、必ず覗くようにしています。
今回は木村龍氏の関西初個展がされていました。調べてみると木村氏は私と同い年のようです。たまたま一人の若い女性が「やっぱりこのまま帰るのは惜しいので一つ予約していきます。」と・・・何を購入されたのかはわかりませんでしたが・・・予約表に記入していました。聞くと東京からわざわざこの個展を尋ねてこられたのだそうで、「東京ではこれほどたくさんの作品を見ることができないから。」と言っていました。数年来のファンだそうです。絵も球体関節人形もあり、独特な空気を作っていました。
写真撮影はOKですよと、会場のお留守番をしている木村龍氏の弟子だという方が言ってくれて、「個別に撮ってもいいのですか?」と確認したうえで、喜んで撮らせてもらいました。
今日の写真は、それです。





- 2022/05/29(日) 00:00:05|
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天候の悪い日が続いたり、体の一部に不調があったりと、外に出にくい条件が重なった所為もあって、「素敵な人」を撮れていません。
そうして家にじっとしているときには、しぶしぶ本を取り出すのです。
すると本の世界から戻って来にくくなって、写真を撮るというモードになりにくくなります。
そんなわけで、ポスト オンの機会を逃していた写真を掲載することにします。
この人はもうすでに京都にいないので、もう撮らせてもらうことはないのだろうと思います。
まあ、何事もなるようにしかならないのですから仕方がありません。
今ごろはまたインスタグラムやユーチューブで活躍しているんだろうと思います。




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- 2022/05/28(土) 00:00:04|
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大学もキャンパス内での活動が徐々に拡大してきてはいるようですね。
でも彼の大学では他大学の学生との合同で活動している団体では、まだた大学生の活動参加を認めていないようです。

この日は天候が良くてトランペットの演奏も気持ちがよさそうでした。
中高の頃からトランペットを吹いているんだそうで、「音の感じからして中学か、高校でかなりみっちりと指導されたんじゃないかな。」と尋ねますと、「そうですね中学ではかなりレベルが高かったと思います。」とのこと。

中高での指導者は大切なカギを握っていますね。
ただ厳しくて長い練習時間ならいいという訳ではないです。まず第一に音楽を好きになれるように育てることが肝要かと。
ブラスバンドなどでも「体育会系」ののりでコンクールの成績第一主義で根性論的指導をする人がいますからね。

橋の下は周囲に比べて暗いですから、露出に悩みますね。
こういうとき、EVFならファインダーで、どう撮れるか結果を見ながら、確認しながら撮れます。
が、敢えて私はOVFです。

最近の「瞳認識」オートフォーカスは眼鏡をかけていても眼に焦点が当たるようですね。
すごいですね。 苦労がずいぶん軽減するでしょうね。
このカメラの場合はそういう訳にはいきませんから…、追い込みたいときにはマニュアルに。

やはりこうした状況で撮るには85ミリは欲しいですね。
24ミリまで広角で撮れると楽しさも増えるのですが、やはり、「初めましての人」を撮る上で70ミリでは少々迫力に欠けます。
その人に寄るうえで心理的限界がありますからそれを補う長さが必要ですね。

COVID-19から完全に解放されるのはまだまだ先になりそうですが、何とかして多くの活動を広げる工夫はしたいですね。
- 2022/05/27(金) 00:00:05|
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大学もキャンパス内での活動が徐々に拡大してきてはいるようですね。
でも彼の大学では他大学の学生との合同で活動している団体では、まだた大学生の活動参加を認めていないようです。

この日は天候が良くてトランペットの演奏も気持ちがよさそうでした。
中高の頃からトランペットを吹いているんだそうで、「音の感じからして中学か、高校でかなりみっちりと指導されたんじゃないかな。」と尋ねますと、「そうですね中学ではかなりレベルが高かったと思います。」とのこと。

中高での指導者は大切なカギを握っていますね。
ただ厳しくて長い練習時間ならいいという訳ではないです。まず第一に音楽を好きになれるように育てることが肝要かと。
ブラスバンドなどでも「体育会系」のコンクールの成績第一主義で根性論的指導をする人がいますからね。
- 2022/05/26(木) 00:00:05|
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お店の名前を「鴨川」ではなくて「加茂川」としているところが、フムフムと思わせます。
カウンター12席ほどのお店です。

先代から継いで40年余り。

あるご夫婦が誘ってくれてこのお店にお邪魔しました。
居酒屋の暖簾をくぐるのはずいぶん久しぶりです。

こうして「呑み」に行くにもカメラは持って行きます。
もっともでかい一眼レフではお店の雰囲気を壊しますし、同伴者も白けます。それでX100Fです。
「この人写真家さんで、人物を撮られているんだけど、ご主人を撮ってもいいかしら。」とお誘いいただいた奥さんの一言。
このご夫婦はこのお店のお馴染みさんですから、お店のご主人も断りにくいでしょう。
「ああ、いいですよ。私でよければ。」

そのお返事の直後にはカメラを取り出しません。
忘れたころに・・・です。

壁も柱も古びたいい色をしています。
灯りは白いフィラメントがオレンジ色に細く輝く白熱灯です。
二台の柱時計の一台は止まっていて、もう一台は短針だけが動いています。 それでもおよその時刻は分かります。
白かったはずの文字盤はセピア調に変色しています。

どういう訳か、この日の一週間後にも誘われて会食に出かけます。
皆さん人恋しいのでしょうか。
人付き合いのへたな私には珍しい行動です。
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- 2022/05/25(水) 00:00:04|
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私たちは歴史の外では生きられません。
そのことをある意味で絶望的に感じさせられる昨今の日本であり、世界です。

変な話ですが、私は街に出てふとトイレを借りたくて商業ビルに駆け込むことがあります。
個室に入って用を足しているときに、「今自分がここにいることは地上の誰も知らない。」と感じることがよくあります。
ここで自分が忽然と消えてしまっても、死んでしまっても、誰も驚かないわけです。
無論、しばらく時間がたてば、家族が「あれ?!どうしたのかな、まだ帰ってこないけれど。」と心配して捜索願を出しても、1日くらいは見つけられないかもしれませんね。

人一人というのはそれくらいの存在です。
大きな世界史、日本史の中では、芥子粒みたいな存在です。ですから、自分ひとりの力が世界史や日本史に影響を及ぼすなんてことはほとんどないでしょう。
でもその小さな一人は確実に、世界史や日本史に絡めとられてその外に立つことはできません。

この辛い現実に対して私たちはどう立ち向かえばいいのでしょうかね。

蟷螂之斧という言葉があります。
ブログに記事を書き、FBで意見を言い、個展をして一つの意思表明をする。それは蟷螂之斧にさえ足りない小さな行為ですよね。

一方で「ハチドリのひとしずく」というお話が私たちに語り掛けてもいます。
- 2022/05/24(火) 00:00:02|
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多分、彼の目には私も周囲の景色も写ってはいないのではないか。
彼を見かけて撮影をお願いし、撮り始めて間もなく、まずかったかなという思いが浮かびました。

入り込めない、入り込むにはよほどの思いをこちらがもたないといけない世界を彼は彷徨っているように見えました。
じゃあ、なぜ撮り続けたのか、という事ですよね。

彼の目の表情をどう理解するかは、あくまで私の側の主観ですから、彼の本当の気持ちとは全く違っているかもしれません。
私は彼の表情に「2022年の4月」を見た思いがしたのです。 それは現代史上の「2022年4月」です。

ある意味で歴史的ドキュメント写真になってしまったと思いました。

まあ、そう考えるのは、私の勝手な思い込みかも知れませんが、
この下の写真の彼の視線はどこに届いていると見えますか。 多分、外界の何も見ていない、彼の心の中を見ているんじゃないかと、私には見えます。
彼の指は確かに弦をはじいていました。ですが、その音はかすかで曲を奏でているという力を感じませんでした。

2022年の4月には、この人をこうした眼差しにさせる世界史的な現実があったのです。
- 2022/05/23(月) 00:00:05|
- 音楽
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ギャラリーのHPにはこんな文章がありました。
「京都を軸として関西には美術・工芸を学ぶ大学が集まり、毎年優秀な卒業生が数多く巣立って行きます。しかしながら、卒業を(ママ)同時に作品制作の機会も、発表の場も、ともに切磋琢磨した仲間も、極端に減ってしまいます。せっかく育った優秀な才能を少しでも発揮できる場が提供できないものか、との想いを込めて企画しました。」
今回はこの企画の第一回と同じ「染織」です。

芸術系大学を卒業しても、画いたり作ったりを継続できにくい現状。
無論、定年後にもう一度学び直したりして大きな公募展に挑戦されている人もいます。
が、芸術を深めることは生涯の課題として取り組むに足ることでしょうから、有為の青年たちが筆や鑿を置いてしまうことは残念なことです。
日本の文化の脆弱さを示す景色ですね。
この人はとある大学でアシスタントをしながら作家活動を継続しているそうです。
一般によほど恵まれた人でないと、大学を出たとたんに制作の環境が失われてしまいます。工房が持てないのですね。
作陶家は窯を持たねばならないし、土を保存し、焼く前の作品を乾燥させる場所もなければなりませんが・・・。
染織の人も広いスペースやにおいの漏れを心配しなくてよい制作環境が必要です。

富裕層や企業は新自由主義に浸りきって文化的な支出をけちるし、大衆は貧困にあえいで芸術作品を購入できないし。

心豊かな人生の集合が日本国でありたいものだ。
そのためにはこうした若い作家の活躍を支える必要がある。
- 2022/05/22(日) 00:00:01|
- 工芸
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「行動規制のない」連休の後で。
人々は解放感と楽しみを求めて外に出るようになりましたね。
音楽を楽しむ人たちもまた、広い空間を求めて出て来ています。

先ほどまでは足下にあるソプラノサックスを吹いておられたのですが。
ソプラノサックスと言えばクラリネットとかオーボエみたいな形に見えるまっすぐな菅のモノを思い出しますが。
それと管の長さは同じなんだそうです。

ここは橋の下ですから音の響きがいいです。
この壁の向こうでは若い男女がたくさん集まってダブルダッチの練習をしています。
そしてこちらではjazz。

風も心地よく、ジャズも明るく響きます。

85ミリ 1.4が欲しいなあ。
あ、また言ってしまいました。

ライカM10て、どんな絵を出すんだろう。
縁はないですが。
来年の京都国際写真展のサテライト会場(KG+)に参加しないかというあるギャラリーのオーナーさんの親切な勧誘がありましたが、お断りしてしまいました。
私のフィールドではないということは私がよく分かっています。
今年11月の9回目の個展に向けて頑張りましょう。
- 2022/05/21(土) 00:00:05|
- 音楽
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撮影をお願いしたら、スタンバイしてくれました。
アルプ・ホルンと現代ホルンです。

アルプ・ホルンと、この現代ホルンは管の長さが同じ。
長い管をぐるっと巻けばコンパクトになる・・・そう言われても、「ああ、そうですか。」とはなかなかならなかったろうなあと思います。
音が変わってしまうんじゃないか?
アルプ・ホルンの人が右手を上げているのは「指揮」をしているからデス。

それにしてもいつも思うのは現代ホルンの朝顔(ベル)がなぜ後ろ向きに開いているのだろうかという事です。
歴史的には由来があるようです。

ここから少し行ったところでトロンボーンを吹いている人がいました。
トロンボーンの管もぐるっと回っていますが、その長さはフォルンと同じだそうです。
オーボエは演奏が難しい楽器とだと言われていますが、一方でフォルンこそ「世界一難しい楽器・『神の楽器』だ」と言われているそうです。
今度、中高生のブラスバンド部員でホルンを吹く人に会ったら「神のごとき人」としてリスペクトしたいと思います。

アルプ・ホルンはスイスなどの高地に住む人たちが吹く楽器だそうですが、管の前に立つと開口部からかなりのボリュームの音が出ます。
それがアルプスの山々に響くのでしょうね。
横に立った時とは大分違います。
で、この方たちは常にマウスピースの側にいて吹くか、横に並んで演奏するので「実際に開口部の方向に出ている音はあまり聞いたことがない。」そうです。

アルプ・ホルンの長さは約
2.4メートル 3.6メートル。
分割できるとは言うもののここまで運ぶだけで大変ですね。
- 2022/05/19(木) 00:00:02|
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熊本は菊池渓谷でのことです。
観光の人たちがぞろぞろと行く中で、こんな青年が・・・。

熊大の院生だそうです。
どうやら石の上をはっている「ヤスデ(?)」を撮影しているようです。
オリンパスのカメラにストロボを付けて撮っています。
こういう場合には背面液晶で撮れるのは便利ですよね。ファインダーをのぞくのでは大変です。

ストロボに付けているのは、光がぎらぎらしないで、かつよく回るように工夫した彼のお手製です。
材料は「百均」で調達したそうです。 これがあればこそ生物研究もできるというもの。

私はと言えば、X100Fで、「暗いなあ」と言いながらの撮影で四苦八苦。
「撮った写真はお好きに使ってください。」と。 写真のことについてもとても意識が高そうです。

私はと言えば、家族が先に行っていて「まだ来ないかなあ。」と振り返るので、落ち着いて撮れません。
話も聞きたいのになあ。

世間は軽佻浮薄に「GW」だなどと言っているけれども、超然として研究を楽しむ姿はいいものです。
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- 2022/05/18(水) 00:00:01|
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ご両親と一緒に「駅ピアノ」に来ていました。
「ピアノを弾くんですか?」と尋ねると、既に一度弾いたようなんですが「もしよければ撮らせてもらえませんか?」に応えて挽いてくれました。

礼儀のしっかりした子で「お願いします」と深々とお辞儀をしてくれました。
お母さんにもお父さんにも了解が得られたので、じゃあということになりました。

ピアノの前の椅子に腰かけて・・・・・ちゃんと私の態勢が整うのを持っていてくれました。
落ち着きがありますし人とのことを思いやる余裕があります。

この時はまだ京都グラフィーの会期中で、この場もある写真家のKG+写真展会場となっていましたので背景がいつもと違います。
そしてこの日は休日でしたから普段よりオーディエンスが多いです。
そのたくさんの大人たちの前での演奏です。
よく練習していることをうかがわせる演奏で、人を楽しませようという気持ちが感じられます。
この直前に弾いていた青年男性の演奏がかなりの腕前でしたが、それに怖じずに弾けるのも大したものです。

その演奏に応えて撮らねばなりませんが・・・・。

そして彼女の方も撮ってくれていることに応えようと・・・そういう感じが伝わってきます。

この演奏の後、お父さんと二人でクラシックバレーの動きをしていました。
成程、それで音楽を体全体で受け止めた演奏ができるんだなと合点がいきました。
そして舞台度胸も。

終ると、何度も何度も「ありがとうございました。」と深い礼をしてくれました。
古い言い方ですが、良いしつけがされていました。 それが全然強いられたという感じがしないで、進んでしていると感じさせるところがこの子の良いところなんだと思います

写真のデーターを送って差し上げたらお母さんだけでなくこの子からのお礼のメッセージもありました。
こちらこそ、ありがとう。
- 2022/05/17(火) 00:00:04|
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ここは京都、三条大橋。東海道53次の西の始点です。
ここから江戸日本橋まではは約492kmだそうです。
江戸時代の人はこの間を2週間前後で歩いたそうです。 12日とかいう人もいたそうです。 一日40キロメートル歩く計算になりますね。

私が、明日ポストオンするギターを弾く男性と話しながら撮影をしていると、背後から「僕も撮ってくれないかなあ。」と声がかかりました。
振り返りますと缶ビール片手に「浜松から歩いてきたんだよ。」とのこと。
びっくりしました。

それを耳にした時には「浜松の人が歩いて京都まで・・・!?」と思ったのですが、実は千葉の人。
東海道53次を歩いてみようということでついに完歩した瞬間だったわけです。
それが「浜松から・・・。」ということになったのは、第一次として日本橋から浜松に、そして今回、その浜松から京都三条大橋までという事なんだそうです。

浜松まで、浜松からというのには理由があります。
今は浜松市に編入されているんでしょうか、 天竜川を西に渡ったところに「中ノ町」というところがあります。 今は浜松市東区「中野町」ですね。
でも小学校は「中ノ町小学校」です。
多分、その昔、江戸と京都との「中間の町」ということでつけられた名だと思います。
ですから、まずは東から中間点の「中ノ町」まで行って、それから今度は「中ノ町」から京都まで来たんでしょう。

江戸時代の人よりも少しだけ日数がかかったようですが健脚ですよね。
とても充実した満足げな表情でした。
「まだ時間があるので、このまま大阪まで足を延ばそうか迷っているんだ。」とのことでした。
自動車でも自動二輪でもかなり体力を要するのにすごいですね。途中で似たような挑戦をしている人、何人にも出会ったそうです。
そう言えば私の弟も旧東海道を歩いています。少し行っては電車で帰り、到達した地点までまた電車で行って歩く…、もう相当遠くにまで行ったはずです。歴史にも相当詳しい弟ですから、あれこれ楽しみながら研究しながら歩いているんじゃないかな。
三条大橋をバックに記念撮影です。
- 2022/05/16(月) 00:00:03|
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タイトルからは何のことかわからないですよね。
「池のかめが顔を出して潜る」というのは作者である野村さんが作品につけた表題です。
ここは京都市芸大のギャラリー@KCUAです。
京都グラフィエの「世界報道写真展 World Press Photo」を見に来たついでに覗きました。

巨大な泥団子です。
床もまた泥で汚れています。
塗りつけた泥はこの人の家の庭のモノだったりします。木の根や泥に混じった虫などもいたそうです。

手に持った噴霧器で乾燥を防ぎます。
そして閉館後は会場スタッフが噴霧して帰るのだそうです。

周りで見ているときに地震があったら・・・下敷きになる?!

昔、指一本でお寺の大梵鐘を揺らした人がいましたよね。 誰だったかな。

この巨大な泥団子で彼女は何を表現しようとしたのか、また彼女の内面と制作途中の作品とでどんなことを語り合ったのでしょうか。

以前ある芸術系大学の卒業制作展で、会期中にも「制作中」という人を紹介しました。
その人の作品もその人自身が中に入って制作するというかなり大きなものでした。 大きなものを作る、いや極めて大きなものを作るという衝動はいろいろな人にあるようですね。
旧京都造形大の教員で作家という人は巨大なおもちゃの人形を作ることで有名です。そしてその作品の引きはかなりあるようです。
私はどういう意味で芸術作品なのかトンと分かりませんでしたが。

でもこの泥団子を前にして数人がああでもないこうでもないと感想を漏らし合っていたのです。
人の心を動かしたことは間違いないようです。
「あの泥団子、良かったですよね。」と階段を上がりながら一人の女性が私につぶやきました。

この人は私を越えた意識世界を持っているわけで、そのこと自身が・・・あまりに当たり前の事なのに・・・・面白いことですよね。

芸術家というのは、私が見ている世界にいながら、私の見ていない世界を教えてくれる存在なんだなと思う訳です。
- 2022/05/15(日) 00:00:02|
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皆さん、最近、読書はされていますか。
書店が街からどんどん姿を消してファッション化した大型店舗ばかりが生き残っているような感じです。(一方かなり店主の好みがはっきりした小店舗があちこちにできてきていますが)

鴨川の岸を自転車で走っていると、いつも決まったこの場所で、そして必ずと言っていいほど毎日本を読んでいるこの方をお見かけします。
ずっと気になっていたのです。

今日読んでおられる本も随分分厚くて「約500ページ」で上下二段組みのボリュームのある本です。どうも翻訳本のようです。
本を読むときには赤いペンで傍線を施しています。それもちゃんと定規を置いて。
見ていると相当な頻度で傍線をしています。 大事なところ、記憶したいところに傍線を引いているにしては頻度が高すぎるなあと。
この方が言うのには、文の意味がなかなか頭に入ってこないからこうしているんだという事でした。その気持ちよくわかります。
「だから私の読み終わった本は売れません。」
はは、同じですね。

これまで勉強のお邪魔をしては悪いなあと思って声をかけませんでした。
が、今日は、ふとページから目を離して川の方を眺めた刹那に声をかけてみました。
つい二年ほど前までは定年前から務めていた会社で働いていたのだそうです。それがいよいよ職場を離れて「暇になったから」と時間を避けなかった読書に邁進しているとのこと。
「初めはすぐに疲れてしまうし、本の内容が頭に入らないしで、数ページ読んでは休憩でしたよ。」

昨年はおよそ100冊読んだそうです。 この日の様な分厚い本を含めてです。
毎日5時間を読書に充てているのだそうです。
ここに来る前に散歩して午後5時ころまで読むんだそうです。 ですから弁当持ちです。
雨や雪の場合は別ですがほぼ毎日なのでお馴染みさんができて声をかけてくれるとのこと。「ホームレスの人とも親しくなりました。」

こんなに熱心に読書するので・・・・たぶん世間一般の人が楽しむようなことに目もくれないのでしょう・・・・奥さんはこの方の事を「変わり者だ」とおっしゃるそうです。
私より5歳以上年長だという事ですから、この集中力や耐久力は大したものだと思います。
85歳までは「やれると思ってはいるんだけど。」とおっしゃっていました。

私も85歳まで頑張ってみようかな。

私もちょっと反省して本も読まないといけません。
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- 2022/05/14(土) 00:00:01|
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彼は、こうしてこの町屋に通い続けて、町屋での季節の移ろい、町屋に住む日本人の季節感、自然観を存分に堪能しています。

彼は京都の河原町五条を下ったあたりに住んでいるそうです。
そこは昔「五条楽園」と呼ばれた地域です。 そこは諸事情から開発が遅れてきました。それだけに却って古い京都が残された貴重な地域でした。しかし、行政は観光開発を進め住民たちが大切にしてきた木を伐り、花壇を閉じさせています。
人々の日常を支えてきた半間の広さしかない橋も「危険だ」という官僚的発想だけで取り除いてしまいました。
観光、観光と言いながら京都の京都らしさを切り捨てていくのが今日の自公立憲などの保守府市政です。

彼は、京都には山があり、川があり、木々草花があり、芸能があり、科学・学問があり、職人の工芸があり、現代の工業がある。それぞれがバランスしている稀有の街だと評価しながら、毎日毎月のように木が倒されている京都の現状に眉を曇らせていました。
私はその通りだと・・。
京都は早晩亡ぶでしょう。 またあの自公立憲などの保守府政を選んだんですから。
貧するものが如何に鈍するか、京都や大阪を見ていると悲しいくらいによく分かります。

京都に文化庁を呼んだのが、文化的な要求からでないことは明らかです。
文化庁を許認可の行政機関、補助金支給の行政機関だとしか考えていないのでしょう。

彼はこの町屋の庭がお気に入りです。
それで、ここで自分を撮ってほしいというので撮りました。
「ああ、いいよ。」という感じですね。

庭を背景にすると逆光になってしまうのですが、部屋の中からも一枚撮りました。ですが残念なことにタイミングがずれて目を閉じてしまっていました。
それを撮ってこそでしたのに。

彼が「撮って。」という時には彼なりに写真が思い浮かんでいるのでしょう。
私の写真を見てどういう感想を抱くのか聞いてみたいです。
写真家を撮る時はやはりちょっと緊張します。それと同時に気負いも生まれます。
- 2022/05/13(金) 00:00:02|
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この1,2週の間に、なぜかフランス人によく会いました。
と言っても4人・・・かな。
鴨川の岸を自転車で走っているときれいに咲いた八重桜の木の下で一人ランチをしている人がいました。
とても気持ちよく晴れた日でしたから、その人ものびのびと春の陽射しと桜を楽しんでいるようでした。
ついさっきまでは桜を写真に撮っていましたし。

話しかけていろいろ聞いているうちに「あなたは今、京都でやっている国際写真祭を見ましたか?」と彼。
「もちろんです。ずいぶんいろいろな会場を回りましたよ。」と私。
すると彼は急いで彼のバックから一枚の印刷物を取り出して私に手渡しました。

それはTHE TERMINAL KYOTO を会場としてKG+の一つとして開かれている写真及び木工作品の展覧会場の案内でした。
彼はそこに実物の北山杉をしつらえその中に彼の屋久島などで撮った写真を並べているのです。
私は既にその作品を見ていたので「おお、あの作品の作家があなたでしたか!」「作品を見てくれた人に、ここで偶然にも会えるとは。」ということになったのでした。

それで、「あなたを撮っていいですか?」ということで撮らせてもらいました。
写真家を撮るのは何となく身がすくみますが、少しずつ慣れてきたような感じもあります。
でも、私のカードを手渡して、その裏面にプリントしている写真を見て「この写真はいいですね。」などと言われるとかえって撮る手が縮みます。

この人の事や展示会場を紹介するためにFBにポスト オンしようと考えたのですが、だったら会場の様子を撮った写真も欲しいなと、再び会場を訪ねました。
THE TERMINAL KYOTOという普段は喫茶店になっている会場です。その前に到着すると一足早く自転車を停めている人がいて、全く偶然にもこの人でした。
「また会えましたね。」

THE TERMINAL KYOTOは町屋を改装したものですが、この町屋はよく保存されていて素敵な庭を持つ建物です。
奥行きが何と50メートルもあります。なが~いウナギの寝床です。
その二階に彼の展示があります。

彼は今は京都在住なので、毎日ここに通って北山杉や写真の位置を変えているそうです。それに北山杉はリアルな木ですから時間の経過で茶色に葉が枯れていきます。 それを取り変えたりもするんだそうです。
彼は屋久島に3か月も住み込んで写真を撮ったりと森が大好きなんだそうで「自然は日々刻々と変化する。私の作品もまた毎日変化していく。」というのです。

できることなら春夏秋冬、四季を表現したいくらいのようです。
この会場となっている町屋は大切な文化遺産でもありますから傷つけることは絶対にできません。
ですからこうした長い幹を持つ杉の木を搬入するのはとても大変だったようです。廊下や階段を通って、もっては上がれませんから二階の窓から運び入れたようです。天井にもぶつけられないし窓枠も傷つけられないし・・・・。
- 2022/05/12(木) 00:00:06|
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こちらが「黒の人」です。
会場に近づくと薄暗い中にこの人が一人立っていました。 「これはなかなかいい感じだ。」と思ってつい立ち止まってしげしげと眺めてしまいました。
その非礼をお詫びしながら展示会についてお話を聞かせてもらいました。
一枚目の写真に写っているいのが、今回一緒に参加した4人の共作だそうです。
そして上のがこの人の作品。やはり黒づくめです。
黒の服にはゴールド(金)を合わせるのではなくてシルバー(銀)を合わせるのが好みなんだそうです。バックルも銀ですし、イヤリングも銀です。

服は既成のものをただ着るのではなくて、自分で少しアレンジしているのだそうです。さすがに芸術系の人です。
胸元のチェーンも面白いですね。
昔ファッションの工夫として、この人のように少しお腹を覗かせている人のセンスを褒めて「そのお腹がいいね。」と言ったら「セクハラだ」といわれたことがありました。
今日は独眼です。
昔、目病み美人という言葉、ありませんでしたか。(「目病み女に 風邪ひき男」だそうです。 後半はあまり興味ありませんね。)

学生がこの時期に個展やグループ展をするのは珍しい。
本来であれば3月にするはずだったそうです。 やっぱりね。
この目の表情を見ると、私が最初に受けたこの人の印象は大分修正されます。
話しているうちにちょっとなごんできましたか。

前髪は眼帯があるから右の額にかけているんでしょうか。それとも普段から何でしょうか。聞きそびれました。
- 2022/05/11(水) 00:00:01|
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ルーテインワークとして通っているギャラリーです。
相当に腕の立つ人(プロ作)から学生まで利用しています。
絵や写真をやっていて、あそこのギャラリーでやれたらなあと思う幾つかのギャラリーの一つです。

フェルトのような手法で作品を作っています。
実は、会場に入るエントランスのところで全身黒のいでたちの若い女性がいて、そちらに気を撮られていました。
その人は学内では「黒の人」と呼ばれているそうです。「で、あの人が『緑の人』です。」と教えてもらって振り返ると、なるほど上から下まで「緑」でした。

私はこういうこだわり方が好きです。
彼のはめている腕時計もバンドが緑ですが、その時計は動いていないのです。 時計としての働きをしていないのに「気に入っているんです。」とのこと。

芸術系の学校にはこういう人がいるから楽しいですよね。
それに同じ緑系を重ねても、組み合わせにメリハリがあってオシャレです。
上着とパンツ、セーターと靴の緑が近いですね。
いや腕時計のバンドと靴かな。

こういうの、なかなか見つけにくいんじゃないかな。
若者が何かを探しに行く場所と私が徘徊する場所が違うんでしょう。
メールをくれたらこれらの写真を返送してあげるんだけど、メールくれるかな。
- 2022/05/10(火) 00:00:05|
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晴れた日にはずいぶんたくさんの人が出てくるようになりました。鴨川です。
ブルーシートを敷いて歓談する人もいれば、こうしてオーボエを吹く人もいる鴨川です。

いろいろ楽器を演奏する人がいますが、オーボエは少ない。むしろ稀と言ってもいいでしょうね。
ただ、私はこのオーボエを音が好きでして。
ですから、余計に気になります。

同じ「カッチーニ(実はウラディーミル・ヴァヴィロフ?)作曲 アヴェ・マリア」聞いても宮本文昭氏のオーボエで聴くとまた一段と興趣が湧きます。
交響曲の中でもオーボエの音が聞こえると情感がより深くなるような気がします。
でもこの楽器の演奏はことのほか難しいんですってね。
この人は中学のブラスバンド部での活動でオーボエに出会ったそうですが、オーボエまで揃っている中学ってなかなかのものですね。
余っていた楽器だったそうで当初はかなりてこずったそうですが。

今、学内のオーケストラなどには属して活動はしていないそうで、時々求められて学外のいろいろな編成の中に参加して演奏しているんだそうです。
勉強が忙しいんですね。 多分この人がいる大学のオケは、もうほとんどセミプロですから理系のこの人は参加しにくいんですね。

でも中高と一生懸命吹いてきた楽器です。せっかくオーボエが吹けるのに止めるのはあまりにも勿体ない。そしてこの人もオーボエの音が大好きそうです。

オーボエ・・・・いいなあ。
- 2022/05/09(月) 00:00:02|
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ちょうどこの記事を書こうとしていた日の朝、遠く海の向こうから私の誕生日を祝うメールが届きました。
家族以外ではただ一人祝ってくれた人です。
そのメールの中で、その人もまた将来の選択を迷っている様子が伝わってきました。

この迷える少女は、写真については高校の部活動でもしていたようです。
初めはあまり興味もわかなくて…と言っていました。 この人はそうは言っていなかったですが熱心な顧問が指導しすぎていたのじゃないかなという気配を感じました。
でも、今はっきりと写真を撮りたいという熱が湧いてきているのだと。

私は、彼女の選択の当否についてとやかく言える立場ではないのです。
この時、それにしても時代は動いているなあと感じていました。
私の世代の女子たちに「写真家になる」というような選択肢はあったでしょうか。
この人のことを置いて一般論としてみれば「いいぞいいぞ」という感じですね。
こんなに一生懸命に話を聞いています・

すでに少なくない女性写真家が輩出しています。 しかも比較的若い世代に。
そういう姿もまたこの人を応援しているのでしょうね。
写真も「思想・哲学の表現」ですから、そこさえはっきり意識して精進すればいいんじゃないかなと、私は思いました。言葉には出しませんでしたけど。
成実氏と私とでは同じように人を撮っていても合意う人を対象に撮るかということについて「自分がもっている既成の価値観を越えた枠で撮りたい。否その枠自体を取っ払って撮りたい。」という成実氏に対して、「私が『素敵な人』だと思う人を撮り続ける」という私とで随分違うスタンスをご披露しました。

こういう話ができるということもまた、写真『展』を開く醍醐味でしょうね。
- 2022/05/08(日) 00:00:09|
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京都グラフィエK・G+20です。
写真はどれも目をつぶった人たちを撮っています。
というより「目をつぶって撮らせてください。」とお願いした写真です。
撮影者はこの方。成実憲一さん。

会場には88×3人の人の写真があります。 1シートに88人の写真が印刷されています。それが3枚吊るされているという訳です。
この250人を超える人々をこの1月から約3か月で撮っているわけです。
私のペースからすれば考えられない速さですね。 まあ、問題はそこに在るのではなくて・・・。
そこにこの人が現れました。

「あなたも写真を撮りますか?」と尋ねると
「はい、・・・・実は。」
今ある学校で写真とは全く異なる分野の専門的な勉強をしているのだけれど、写真の道に進みたいと思っているんですとのこと。
それで、是非この人の写真展にきていろいろ話も聞いてみたいということで来られたんだそうです。

親御さんはもとより高校の担任の先生も驚く進路変更ですね。
ご両親には反対されているんですけど・・・・でも。

どういう思いで「目をつぶる」人たちを撮っているのか話してくれています。
同じようにポートレートを撮っている私としても興味津々です。

「食べていける」ということを価値基準の真ん中に置けば、多分、この進路変更に賛成する人は多くはないでしょう。
彼女がその学校を卒業して国家試験に合格すれば、今の日本の女性としては高収入で安定した生活が待っているでしょう。
でも時として青年はそれだけで自分の運命を決めることはできないのですよね。
- 2022/05/07(土) 00:00:10|
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京都グラフィエでは主催者が招待した国際的な写真家に加えて、審査に通った写真家たちのKG+があります。
このKG+は様々な施設が会場になります。ホテルのロビーだったり町屋だったり。
そしてこの日訪ねたのは曼荼羅茶という「喫茶店」です。
「喫茶店」というと誤解を与えそうですが、コーヒーやサンドイッチを提供する店ではなくて、煎茶、玉露などを楽しめ、また購入できるお店です。
店主はフランス人でニコラウ アレクサンダーという人。
日本や中国の茶葉生産地を自ら訪れて、単に美味しいとか優れた生産管理をしているとかだけではなくて背景に「物語」のある茶葉を選んで「MANDARACHA」の商標で販売しているのです。

私はこのお店を探し探ししてそこに展示されている写真を見に行ったのです。が、お店の方により興味を感じてしまいました。
ある意味作戦通りだったのかな。
私は静岡県出身で長い間川根の新茶を愛飲していました。 そして中国に行った時に現地で買った鉄観音茶が従来私が愛飲していた緑茶と違って三煎、四煎でこそより深い味わいを楽しめることに驚いたことを思い出しました。無論、日本のお茶とは味の違いもあって中国のお茶文化の多様性や深さを想像させられました。
アレクサンダー氏はそうした緑茶を故国の人々にも伝えたいという思いをもって商っているという訳です。
店内は日本文化を意識したしつらえがしてあります。まあ、しかし、そこはやはりまだ外国の人の理解かなと思う面がないでもありませんが・・・そしてそれは仕方のないことですが・・・・彼が日本を理解し共感しようとしている心持はとてもよく伝わりました。
私が店内をきょろきょろしているときに「水出しのお茶です。どうぞ。」と勧められたお茶はとても爽やかで、しかも長く甘さが舌にのこる美味しいお茶でした。

お店は宮川町に近いところにあります。曼荼羅茶という命名もアレクサンダー氏によるものだそうでこれまた日本文化に対する造詣の現れのようですね。
NIKON D850はよくできたカメラです。が使用感をよくするための工夫が裏目に出ている面もあるように思います。
フォーカスをマニュアルでするのかオートにするかを切り替える小さなレバーが前面あります。そしてオートフォーカスのフォーカスポイントをロックするレバーが背面にあります。これを切り替えるときに触れると節度のある動きを見せて気持ちがいいです。が輸部がかかりやすいデザインであることでリュックからの出し入れの際に意図せずに切り替わってしまうという難点にもなっています。
この時も二重に切り替わってしまっていて、困惑しました。 今までのカメラでは経験がなかったからです。
- 2022/05/06(金) 00:00:01|
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地図に会場として記してあったビルに行くと、まだ展示作業中でした。
この会場については昨年の恨みがあります(笑い) とにかく分かりにくくて、散々探しました。でも、ここは案はいよく使われているそうで、知る人は知っているんだそうです。
今年はすぐに行きつけましたが、まだ準備中。
けれど私がよほどっかりした顔をしていたのでしょうか「写真は全部そろっていますから、見ていってください。」と招き入れてもらえました。

このパネルは台湾の企業が開発したものだそうで、金属のフレームそのものに印刷されています。それがなかなか綺麗なプリントなんです。発色がいいです。
写真作家さんは台湾の方です。
そしてキュレーターもまた台湾の方。

キュレーターが日本にいて写真家が台湾ですから、この情勢の中では色々と大変ですね。
ちなみに今写真を並べている人は香港の人。写真を撮っている人は日本の京都の人。

東アジアを平和にするには、圧倒的にこうした出会いを増やさないと・・・ですね。
ですからこのKYOTO GRAPHIEのような国際的なイベントはとても大事だと思います。 そして主催者もそういうことを真剣に追求しているように感じられます。

それで見て回る私としてもできるだけ写真家やキュレーターに声をかけています。
そうすると普段見せてもらう写真展では経験できないことがたくさん出て来てとても楽しいのです。
- 2022/05/05(木) 00:00:03|
- 写真
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京都ではKYOTO GRAPHIEという大きなイベントが4月8日から開かれてきました。 それに加えてKG+ということで約50人の比較的若い写真家の写真展が各所で開かれています。 会期は5月8日目でですから、もう少しで終了してしまいます。 来年まで寂しいですね。
実は私もあるギャラリー・オーナーが自分のギャラリリーを使わせるからKG+に参加しないかと言ってくれたのですが、・・・・その時点では、まだ会期が公式は発表されていなかった・・・・なんとギャラリーが空いている期間が5月9日からの2週間ということで、ニアミスもいいところでした。 それに私、全然若手じゃないですしね。

毎年とても楽しみにこの写真展を回っているのです。
写真撮影愛好者と写真作家とでは明らかに質が違います。それをいやというほど感じさせてくれるのでとても楽しいし刺激を受けます。
写真だけではなくて会場設営を担当する人たちの感性にも触れられることが、またもう一つの楽しみです。
それに加えて、何年も前からこのイベントの中で「素敵な人」を見つけることがまた、もう一つの楽しみになっています。
何しろ写真い興味・関心を持つ人たちが集まるのだし、写真に触れて表出されるその人の感情の振動が伝わるからです。
この人はある会場でボランティアとしてスタッフをされていた人です。

私がその会場で写真を見ていると、青い服に身を包んで会場案内をされていました。
その服の色と目の魅力に注目しました。 その会場の展示のための設備もまたこの人の魅力を増幅していたと思います。

そのうちに交替の時刻が来たらしく姿が見えなくなりました。
私は、そこの写真をじっくりと見た後で別の会場を探しにいったのです。 会場に付くと昨年まで置けた自転車が「駐輪禁止」ということで、インフォメーション会場に回らないといけないことになりました。その会場は大変立派な町屋でその公開も兼ねていました。で、その町屋見学のために中に入ったのですが・・・・。
印象的な人はどこにいてもやはり目をひくのですね。
「あなたは○○にいたスタッフさんではないですか?」「はい。」
で、事情をお話して撮らせていただけることになりました。 私が怪しい動きをしていたのでこの人の方でも印象に残ったようです?

何しろ町屋の二階に上がる階段を昇ったすぐそこで出会ったので、その場で撮らせていただくという、即席撮影会でした。
「写真を見ていただく仕事をしに来て、写真を撮られることになってしまった。」と笑っていました。

他のお客さんがちらほら来られますのでマスクを外してはいただけないのです。
実過去の先に進むととても感じのいい洋室があって、そこの椅子やテーブルも和空間も乱さない感じの欧州テイストのもので・・・。
私はまだその部屋を見ていなかったので、そこで撮りましょうとは言えませんでしたが。それが残念でした。

こういう写真を撮る時にはやはり単焦点の明るいレンズで撮りたいですね。
今付けている24-70ミリ F2.8というレンズは少し甘いです。 それでいてふぉわっと柔らかくという風にはなりにくいような気がします。

プラナー 85mm f1.4 で撮れるといいのになあと思います。
- 2022/05/04(水) 00:00:03|
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実はこの人が腰かけている石垣の手前は水際まで急な斜面になっています。
私はそこに這いつくばるようにして撮っている訳なんですが、足がずりずりと滑り落ちそうで。

NIKONできれいに撮れていますね。
ちょっと顔が赤くなりすぎていますが、まずまずです。
順光は得意かな。
それに何より、手に入れて間もないカメラとレンズですからレンズにもセンサーにも汚れがなくて青空もきれいです。

この人はグループでも演奏をすることがあるんだそうですが、ソロが多いようです。
ギターを弾きながら歌う、この形式が好きだと言っていました。
それにしても豊かな声ですし、低音も響きます。

この人の仕事相手は、どうも世界にいるようで、〇じには帰らないと、仕事の連絡が入ると言ってました。ある意味で24時間〔仕事中」で、キチンと自己管理して働かないと休みもとれない。逆に言えばこうして陽春の光の中で練習もし、気晴らしもできるという訳です。
時代はそういう風に動いているわけですね。
何しろ私がLINEをしたりQRコードを読み取る操作をするくらいですからね。
私が「日本語はできますか?」と英語で尋ねると、大概の人が、「ほんのちょとなら」と日本語でいうのです。
それで今では、私はその答えを聞くと、それなら大丈夫、ほとんどネイティブ状態だろうと思う訳なんです。
そしてこの人もそうでした。

京都にも沢山外国から来ている人たちが暮らし、仕事をしています。
春の陽気の中で仲間を集めて桜の下で楽しい会を開いています。

また楽しい方にお会いすることができました。
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- 2022/05/03(火) 00:00:02|
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反対側の岸にまで声が届いていました。
まずその豊かな声量が私の足を止めましたが、さらに何よりその声量でこうした場所で歌えるというミュージシャンとしての気持ちの在り様に惹かれました。

当然プロだと思いました、が。
「いえ、プロではありません。との返事でした。
しかし、話を聞けばアメリカでプロとして活動する決意で演奏活動をしていて、CDの製作を進め、CD自体まではできたのに、時悪しくリーマンショックで販売元とのなる会社が倒産してしまって、プロデビューの機会を失ったというのです。

日本に来て十余年が経過するそうですが、こちらでは時々ライブをしてはいても、その活動だけで生活できるような環境ではないので、本業を別に持っているのだそうです。

日本とアメリカとではミュージシャンを取り巻く環境があまりに違い過ぎると言っていました。
つまり、平たく言えば、日本では音楽で食べられない。

彼の好きなジャンルがフォークなどだったことも日本のトレンドと合わなかったのでしょう。
「流行のモノを聴く(見る、やる)」ことに意識が流れる日本ですから、それを外すと、この人の音楽いいねということにはなりにくい。

何につけてもそういうことが言えますね。
ウクライナ・ロシア戦争についてもそうです。 とにかくロシアが悪くてウクライナは助けられるべきという構図でしか考えずに、もう日本のあちこちにウクライナの旗があります。 アフガニスタンの戦争?それって何?状態です。 医師の中村哲氏の呼びかけのこと、彼の死のことなどはすでに忘却の彼方です。アフガニスタンの内戦…しかしそれは外部勢力の代理戦争でもあるわけですが・・・のことなど、新聞にも一行も出てきません。 事態の解決はまだまだ困難を極めているのに。
今、ウクライナが流行りなのです。 御覧なさい来年の今頃はすっかり忘れていますから。
いや、話が逸れました。
- 2022/05/02(月) 00:00:04|
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