
高瀬川は今では水深の浅い川です。いや、もともと人口の運河ですし、たいして深かったことはないと思います。高瀬舟の構造を見ても分かります。 船の底が平らで喫水が浅いのです。

その高瀬川になぜか人が入っています。
通常は川に入ることも、この川の中に構造物を置いたり築いたりすることもできません。 4,50年前までは子供たちが自由に水遊びをし魚とりもしていたんだそうですが。
春近しといってもまだ川の水は冷たいはずです。
向こうにいる人は長靴を履いていますが、こちらの男性と左手の女性は長靴を履いていません。
「冷たくないの?!」「 いえ、ちょうどよく冷却されていいです。」
う~ん、どれだけ熱く燃えているんでしょうねぇ。

何してるんですかぁ? 考古学です。 えっ?!
そうなんです、考古学研究なんでこうして高瀬川に入れるんです。

この方、Sさんという考古学者です。
ご無沙汰しています。 お久しぶりですね。と、ご挨拶。 そうなんです、一応、顔見知りの方なんです。

それにしてもこのコスチュームと考古学。この格好と、高瀬川で「欠けた焼き物、土器」拾いとはなんと不思議な組み合わせ。
ミスマッチを絵にしたようです。
通りを行く人は、やっていることにも、この方の服装にも{????」で見ていかれます。

ご本人の言によれば「着たい服が見当たらないので自分で作るほかなかった。アクセサリーも同じ。」
ただそれだけの事なんだそうです。
ふ~ん、ただそれだけのことかぁ。 ですか?!

高瀬川の岸に沿って町屋が並んでいました。東側の岸に沿って道路が拡幅されて路面電車がとおっていた時期もあって(五条通から北ですが)、この辺りは西側にだけ町屋が残ります。民家や喫茶店・レストランなどが並んでいます。
それが昔は町屋ばかりが並んで、囲われた方たちもお住まいだったようです。

ご存じのとおり、この高瀬川は角倉了以という豪商が江戸幕府の意を受けて開削したもので、伏見までつながって、やがて淀川をへて大阪に舟運がつながります。
その後、何度も改修、開削されてきたようですが、元来は川の両サイドに船を曳く人夫が綱を肩に巻いて歩く細い通路があったのです。
それはともかく、町屋での暮らしの中で割れてしまった陶器をゴミ箱代わりに高瀬川に放ったらしいのです。
江戸期の終わりころからのものが出てきます。

最近、川の改修をして、川底を掘り起こしましたから、そのせいもあって、欠けた陶器がザクザクと出てきます。
それがどこ産のものか、どの程度の品質なのか(高価なものなのか、安価なものなのか)、その比率などを調べると、この界隈の人々の日常の暮らし、京都の経済的な地位、流通の姿などが浮かび上がってきます。まさに近世考古学なのです。
細いガラス瓶の口が出てきました。 この細さだと現代のモノじゃなさそうです。何でしょうねぇ。

、
拾ってはスポンジで汚れをふき取ると「これはすり鉢の一部じゃないか?」とか「なかなかいい絵付けがしてあるね。」などという話になるのです。「これ信楽ですよね?!

時には「これとこれは繋がりますよね。元は一体だったんだ。」なんてものも発見されます。
そして拾われたものを囲んで歴史講義です。
実は私の長靴がここから見えるギャラリーに預けっぱなしなんです。
ですから使ってくれても良かったのですが。

私の場合はここに床を置いて楽しいイベントをした時に、撮影係として流れに入って歩きまわっていたために長靴が必要だったんですが。

そのギャラリー「高瀬川四季AIR」はこの辺りの文化センターの役割を果たしてきました。
ただ、オーナーによれば、あと2年しか続けられないのだそうですが。
誰か後継者は出てこないですかね。 このギャラリのロケーションは抜群ですから、作家たちからは・・・ことに京都以外の方には…とても評判がいいんですがね。
「これ、なんだと思います?」

それにしても、お腹まで冷えて痛くならないかなあと、つい心配になってしまいます。
若さですかねぇ。


この高瀬川、私のリタイア後の8年間を様々に彩ってくれた場所です。
それもあと2年間ですか。 その2年を私なりに大事にしたいものだと思います。

恩返しの個展もしなくちゃいけないかなあ。
- 2022/04/01(金) 00:00:01|
- 楽しいね
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