卒展の真っ最中だというのにこの人は依然として制作中だとのこと。
そうなった事情を話して担当教官には「いいよ、それで。」と言ってもらったんだそうです。
キャプションには「焼きたくな~い」とありました。 陶芸コースなのに「焼きたくない」ってどういうこと?
「それはですねぇ。」

「わたし、焼きしめた陶器の感じより湿度のあるこの粘土が好きなんです。」
成程、素の粘土と陶器ではまるで質感が違いますよね。
この場は共有部分ですから講義などの普段の活動が終わってからでないとこの制作作業に入れないわけで、こういうことになっているんだという背景もあるようで。

この木組みの周囲を覆うような形の、そして中に潜れるようなモノを作るんだそうです。
扇風機が幾台もぶんぶん回っています。 粘土はある程度乾かさないといけません。柔らかいままでは形が保てませんから。
会期中に完成する見通しなの?と訊くと、この通りの笑顔で「 間に合うかなあ。でも何とかやってみます。」
なかなかいい度胸をしています。おおらかな人です。いいですねぇ。
そもそもこんな大きいものに一人で挑戦すること自体が、この人、大物です。
この人は制作の間中に友人たちの展示作品を見に行くことも、友人たちとしゃべりしながら互いの写真を撮ったりすることもできません。
卒展は晴れの舞台でもあり最後の学生生活の一ページです。ですからどう過ごすかはとても深く記憶に残るんじゃないでしょうか。

私は卒業式を前にして、友人たちが卒業旅行だとか、最後のコンパだとか、あるいはまた就職先への引っ越しだ、郷里に帰る準備だとかをしているときに、まるで別の時間を過ごしていました。 卒業式の答辞を読んだ後も、友人たちが互いに最後の別れの挨拶をし先生に別れを告げているときにも、一人別行動でした。仲間たちが河上肇の墓に向かってぞろぞろと行く背中を一人見送っていました。卒業の感慨にふける暇もありませんでした。
何だかその時を思い出します。

でもこの人の場合は孤独感や寂寞感とかはないんだろうと思います。最後の制作に打ち込めるわけですしね。
そして案外注目もされています。声をかけていく人も少なくありません。
カードを置いてきたので連絡をくれるといいのになあと思いながらこの記事を書いています。そうすればこの写真を送ってあげられますから。
他の誰とも違う卒展を過ごした記憶を。
- 2022/02/28(月) 00:00:02|
- 芸術
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人生を目標に向かって計画的に生きることのできない私です。ですから予定を立てることもできませんし、予定を立てても間違いなく実行することができません。予定に脅迫されることが苦手でもあります。
それで毎年、この時期の芸術系大学の卒業・修了制作展に首尾よく足を運べた試がありません。
今年は京都立芸術大学の最終日にすべり込み、同じ時期の旧京都造形大にはいけませんでした。それでせめてもと思い精華大の卒業・修了制作展に予約をしました。 COVID-19のために予約制をとっているのですが、「予約」するとその時刻に行かねばならないこの制約感が私の足を止めてしまいます。
でもなんとか行きました。
このゲートをくぐった先に展示会場があるという風には思えなくて・・・・学生の遊びかなと・・・一度は見逃してしまいました。

しかしこの先の一段下がったところにある小さな部屋を会場にして展示していた人がいたのです。
この人です。
ヘルメットに彼女がこの4年間追求してきたキャラクターが描かれています。
そしてこの現場感あふれる服装。

彼女の作品を紹介しましょう。

雑然とした個人の作業場のような部屋が彼女が選んだ展示スペースです。

大学の構内、しかも芸術系ですから、あちこち雑然としていて汚れたりもしています。
そういう廊下を歩いていると、ここに多くの学生たちの色々な思いや楽しさ悩みが溢れているのだろうなあと切なくなります。

「君の作品を見て感動したら君の写真を撮りに来るからね。」と伝えて教えられたこの部屋に来ました。
彼女は「私は目立ちたいので写真を撮ってください。」と言いました。 芸術系の学生の中にはこういう意識が明確な人が少なくありません。
第一この服装とヘルメット姿がそれをよく表しています。

毎年こうして卒展に来ると彼ら彼女らの4年間を想像します。そして卒業後に向けていだいている感慨を。
私のあまりに無自覚で不消化だった学生生活と対比するからでしょう。

芸術系の学生がとにもかくにも彼らの4年間というものをこうした有形物に対象化していることが羨ましいのですね、きっと。
私も何篇かの文章を書きましたし、活動上発効した印刷物にも沢山文章を書きました。 それらが私の手元に何もないことで学生生活の記憶も実態も一層、時間のもやがかかってしまっていることは残念なことです。試験の答案にも残しておきたいものがあったのですが。
彼女が演出しとしてまとっている現場感を強調するために大学の重機と一緒に。

次の写真は彼女の作品ではありません。この辺りに生活した学生・教職員「皆」の作品です。
聞くと、一年以上はあそこにあるんじゃないかとのことでした。周囲の学生も「あれなんだろうね。」ということで、こんなものをずっと一年間「皆」が放置できる自由でこだわりがなくて雑然とした場所。こういうことが嫌いな人は勿論たくさんいると思いますが、私は好きで嫌いでたまりません。

彼女だってこの鍋の置かれた場所を通って下の部屋を展示会場として搬入、飾りつけをのために何度もそれをチラ見しながら通っていたわけですからね。
中身は何なんでしょうね。もう変質した元はカレーだというようなモノ?! おたままで残されていますが、これを「なくした人」はその後どうしたんでしょうね、お母さん。

もう卒業の日は近いです。
- 2022/02/27(日) 00:00:07|
- 芸術
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精華大の卒業・修了制作展に行こうとして自転車で走っているときでした。
とても寒くて雪も降ってきました。 北山も西山も雪に煙ってかすんで見えます。
早く叡山電車に乗り換えたいなあと・・・。

そう思って走っているとその雪の降る中でポツンとこんな人が。
「豆腐・・・・・」
「えっ?! こんな寒い中、住宅地でもないこんなところで豆腐の販売?!
自転車を近くの駐輪施設に預けて、電車の時間まで少しあったので近づいてみました。

さすがに「豆腐」ではなくて「米粉ケーキ」を売っていたのです。
だろうね、それにしてもこの寒空の下で・・・・。
でも人が商売をして生活していこうとしたらそんなやわな根性では食べていけませんよね。リタイアして長いのでつい甘い考えをしていました。 電気工事だって、工事現場の誘導員だって、・・・・・雪だから休みますって訳にはいかないわけで。
野菜の行商の人だって多少の雨や雪では休みません。お客さんだって待っていますからね。私は甘い。

趣味が転じた商売だそうです。
この場所にはよく来るんだそうです。 私も週に3回はこの近くを通るのですが、ここからは陰になる辺りを通るので全く知りませんでした。 たまにおにぎり屋さんも横に立つそうです。

この通りは叡電を利用する人や枡形商店街に行く人などが通るところですから、案外いい場所かも知れません。それに下賀茂神社への通りでもあります。なるほどと思いました。
たやすく移動できる車に乗せていますから、固定して販売しているわけではないのです。 まあ、移動販売の範疇なのかな。

寒くて少し体を動かしたくても離れられないから辛いねといいますと、「いえ、これを弾いて歩けば身体は直に暖まります。」と。
そう言われるまで車輪に気が付きませんでした。ここに来るまでだって車輪がなければ難しいということはすぐにわかりそうなものなのに。
商品の入った箱は・・・・今はその必要はないのですが・・・・保冷できる工夫がされています。

撮影した時には雪は降り止んでいましたが、傘をさしたまま歩いている人がいました。
この日帰るときには風が冷たくて、向かい風が額にあたってキンキンと痛むほどでした。脳の血管がどうにかなってはまずいのでネックウォーマー頭から耳に被りなおして帰りました。それくらい冷たい日でしたから、彼の足元も冷たいんじゃないでしょうか。
風、ひかないようにね。
- 2022/02/26(土) 00:00:04|
- 働く人々
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60の手習いです。
わずか?2年間のレッスンですが十分人を楽しませる演奏です。

毎日の常務をしていても生活に張りがあるでしょうね。
「音楽かけてもいいですか?」
「ああ、いいよ。運転手さんはどんな曲がお好き?」
「ショパンの夜想曲2番・・・・。」
「!!」

「実はこれわたしの演奏の録音なんです。」なんて日も近いんじゃないでしょうか。

いずれにしても生活の中に音楽があるなあと・・・・思いました。

就学前からピアノのを弾いていて音楽大学を出たというような人がこの人の指を見れば、「素人だねえ。」なんて言うかもしれませんが、皆がプロとして音楽に接するわけではないですしね。
そう、私の写真も同じですね・・・と私自身の言い訳に引き込みましたね。

まあ、世の中にはいろいろな素晴らし人がいるものです。

度々この駅ピアノを弾いておられるというのですから、また近々お会いできるでしょう。楽しみですね。
- 2022/02/25(金) 00:00:05|
- 音楽
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私が「猫踏んじゃった」の子たちと話していると、そこに割って入ってきた方。
明るい楽しい人です。
「お先に!」と弾き始めました。 上手いです。 ベートーベンの「月光」まで弾くのです。 ただモノじゃありませんね。

でもピアノを弾き始めたのは2年前だそうで「習いに行ってるんだけど・・・。」とおっしゃる。
お宅には電子ピアノはあるんだけど、お仕事の合間に時間を見つけてここに弾きに来るんだそうです。

「お上手ですねぇ。」
「いや、2年間毎日一時間、弾いたらいたらこれくらいにはなるよ。」
確かに何事につけ一日一時間毎日練習すれば何事かできるというのは本当でしょう。
ダイエットだって3か月続けるだけ第一次の効果は見えてきますよね。
それが三日坊主ならぬ3か月坊主で大方の人が挫折するんですよね。 というか、私がまさにそういう挫折組です。いや<挫折>なんて言うような立派なものではないですね。

その点この方は・・・・。
で、仕事の合間にここに来て弾いているというのは?
タクシーの乗務員をされているんですって。 京都駅前にたくさんのタクシーが順番待ちで待機しています。1時間くらい待つのは、ことに最近はよくあるんだそうです。観光客も減っていますしね。 その待機時間に大急ぎでここに来て練習。なるほど、まさに時間の有効活用ですね。
かっこいいなあ。

「熱しやすく冷めやすい」 母はいつも私のことをこういっていました。 本当にこの性根はなおりませんね。
まあ、それで熱しやすいその時にはせいぜい熱して取り組んで、冷めちゃったら別の事に「熱して」、また冷めちゃったら、諦めて、自己否定に陥らずに、また別の事で「熱して」、そして長い人生のトータルとしては、なんとなく幅広く多少の厚みがもてればいいかなあという風に、自分の飼い方を工夫するようにしました。 まあだから大した人間にも成れません。

この方は、もう弾きたくて弾きたくてたまらないという感じです。自分の上達に手ごたえがあてっ愉しくて仕方がないのでしょうね。

この肩の盛り上がり、鍵盤に接する指の感触、音に神経が集中されているのがよく分かります。
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- 2022/02/24(木) 00:00:01|
- 音楽
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春は一進一退。
時々暖かかくて明るい日がありますね。 そして冷たいと言っても耐えられないほどじゃないかなというような感じもあります。
今は入試のシーズンですが、もう少しすると高校などは卒業式のシーズンになりますね。
そんな少し寒さの和らいだ日に・・・。

分厚い本を広げて読書する人がおられました。
確かに少し我慢すれば手袋をしないでも自転車で走れるくらいの日ではありました。
私はダウンジャケットのチャックを開けて走っていました。
春が近づいたかな・・・と。

こんな場所ならマスクを外してゆったりできます。
マスクをすると眼鏡が曇りますし、集中力も落ちます。 分厚い本は研究書でしょうか。

私は、昨年夏に集中して読書しましたがそれ以降はあまり読めていません。
当面の興味としては宇宙史と古代以前の人の歴史に関するものを読みたいとは思っているのですが・・・。
この方のこの分厚い本はある博物学者の著作集のうちの一冊のようです。
研究されているんですかとお訊ねすると「いや、好きで読んでいるんです。」とのことでした。
この博物学者がお好きで読んでおられる・・・・ふ~む。 ただモノじゃないな。

ただの私の感覚的なことで言うと、2,3年前くらいから鴨川では「読書」する方を見かける機会が増えているようです。
一時はほとんどの皆さんがスマフォに目を落としていたのですが、若い方にも読書する人が見かけられます。
スマフォを捨てて書をとろう。
テレビ番組なんか・・・・ごくごく一部を除いて、・・・・・あまりに俗悪・劣悪で見る気にもなりませんが。

と言っても書店の質も衰弱してきていて心配です。書店で志を感じるのは極小店舗のものに比較的に多いでしょうか。
外で本が読める季節になり始めましたね。 ただ、それも日によってですが。
- 2022/02/23(水) 00:00:02|
- 状景
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「駅ピアノを楽しむ人30人」を撮ろうと目標を持ちました。今までに何人の方々を撮ったのか、実は数えていません。
さあ、どうしよう。機会を見つけて過去にさかのぼって数えなくてはいけませんね。
それはともかくとして、そう目標を掲げると、その目標が、遠いところにある京都駅まで足を延ばす背を押してくれます。

この日ピアノに近づくと、このお二人が仲良く楽しそうにピアノを弾いていました。その時には一人一人で、ですが。
弾いていた曲は「猫踏んじゃった。」
ウィキペディアによれば「猫踏んじゃった(ねこふんじゃった)は、作曲者不詳、変ト長調または嬰ヘ長調の世界中で親しまれている曲。ピアノ・独奏が基本だが、多数のアレンジやバリエーションが存在する。」とのことですから、このお二人は世界のどの空港ピアノでも友達ができますね。
初心者がよく弾く曲ですけど、二人とも上手。

私は上手な人だけ撮るつもりもないし、名曲を演奏する人だけ撮るつもりもないのです。ピアノ《楽器》演奏を日常生活の中で楽しみ、音楽を楽しむ人を撮りたいのです。
で、勿論、お二人に声をかけました。

そしてお二人に「私は人を撮っているんですが・・・・・。」などと説明していると、一人の「おじさん」がそこに割り込んできて「何話しているの?」
で、写真を撮らせてほしいとお願いしてるんですと、説明したんですが、「私も撮っていいよ。」とおっしゃって先にピアノの前の椅子に腰をかけて弾き始めました。
それが、なんと・・・・。 その話は明日するとして・・・。

お二人は「猫踏んじゃっただしなあ。」とちょっと躊躇もありましたが、「楽しいのが何より。」ということで引き受けてくれました。
話を聞いてみると、これがなんとまあ、お二人は高1生だったのです。15歳と16歳。 う~ん、高1では、保護者の承諾がないと、どうしようかな・・・。ということでお二人と相談の結果、撮るだけは撮るけれど「写真を送るので、公開はご両親の了解があればということにしよう。」ということになりました。
夕方帰宅すると、まだ写真を送っていないのに「両方の親の了解が得られました。」とメールが入りました。それでこうしてアップしています。
先日は受験直前の高3。そしてスケボーの男子は高2。どうもこのところ若い人、それもうんと若い人との出会いが多いようです。
このお二人と話しているときに現れて「私も・・・。」と言ってくれた制服の女子は何と中三の受験生でした。さすがに中三は「止めておこう。」と話し合いました。 この辺り本当に難しいところです。
私は、撮りたいという側なのです。ただその気持ちでだけ言うのじゃないですが、できるだけ本人たちの気持ちに沿って考えたらいいのになあと思うのではあります。でも一方で確かに、今の世の中、一般的には子供たちにとってのリスクも否定できないわけで、私たち大人の問題が大きいですね。 このFcブログにもこれはどうかなあという写真がかなりアップされていますしね。

先ほどのびっくりおじさんが入ったこともあって「一分間」だけ演奏することになったお二人。
で、一分しかないので連弾になりました。 仲良しの二人です。
そして「私の失敗だった」のですが、一分しかないということで、こちらからだけではなくて向こう側からも撮らなければいけないのに、その余裕がなくて、手前の人の表情を撮ることができませんでした。 申し訳ないことをしました。

それにしても、ここに一台のピアノを置いてくれているだけで、ずいぶんと多くの人間「交差点」ができます。
それも、私の場合は、カメラがあってこそですが。
- 2022/02/22(火) 00:00:01|
- 音楽
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京都駅ビルで「猫踏んじゃった」を聞かせてくれた二人の素敵な高校生の記事を掲載するつもりでしたが、期日の都合で一日繰り下げさせてもらって、今日は画家・森浩毅さんの個展の記事です。
会場は京都木屋町通り仏光寺下がるにある「ギャラリー・高瀬川四季AIR」です。
会期が「23日まで」なので急遽さしはさむことにしました。
私は自身のFBにこう書きました。
「私は森さんを幸福感を絵にできる方だと思っています。
一階は森さん自身がお好きだというパステル画。二階には求められて描いたというジャズマンたちのモノクロ画。
顔が描ければ絵の80%は描けたも同じとおっしゃる森さんですが、確かにパステル画の人物もジャズマンたちの顔の表情も秀逸です。音楽の世界に自分自身の今に深い幸福感を感じている人々の顔を見ていると、そのことで音楽のすばらしさ、それに打ち込んでいるミュージシャンの幸福が伝わってきます。
今日ギャラリーにお邪魔して久しぶりに森さんを撮らせていただいて、その時に来場されていたお客さんにも絵を楽しんでいるところを撮らせていただきました。お客さんは二十数年来森さんをよくご存じの方とそのご友人です。」と。
森さんは元来写真は苦手だという方なんですが、

ずっと以前にも撮らせていただいたことがあって、ギャラリーオーナーの後押しもありますから。
(実は2枚目が先に撮った写真なんです。黄色味がかかっているでしょ?! それを調整しないといけないわけで・・。)

森さんの以前からのお友達と、そのお友達が「見ているところ」を撮らせてくれました。
二階なら少しは明るいだろうと上ったのですが、天候の変化で、意外にも・・・・。
この二階に展示されている絵の多くはジャズメンのモノです。写真やレコードジャケットなどを見て描いておられるのですが、完全に森さんのモノになっていてjazz好きにはたまらない絵になっています。 サッチモなどの絵もあります。
とにかくjazzを演奏する人々の姿勢、腕・指の形、そして何よりその表情が秀逸です。

こういう風に写真を撮れたらなあとつくづく羨ましくなります。
絵だからこそできるんだと言えば、確かにその通りではあるんですけどね。
写真左手の棚の上にあるのはカラヤンです。 似てるか似ていないかと言えば、似ていないのですが、私はこの絵を見てすぐにカラヤンだと思いました。レコードジャケットを見て描かれた絵だからですが、彼の見ようによっては尊大にさえ見える自信にあふれた棒の振り方が描かれているように思えたからです。 私の先入観ですかね。
森さんの絵は、何かのきっかけで注目されれば一挙に多くファンを獲得して大いに売れるだろうというのがギャラリー・オーナーと私の共通した感想なのですが。
これから東北や東京でも個展がされるかもしれません。大いに海外に発表したらいいのにと思います。
お客さんも版画などをされているそうです。

こうして撮らせていただけるのもこのギャラリーのオーナーが大盛して私を紹介してくれるからです。
- 2022/02/21(月) 00:00:01|
- 絵画
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「ギャラリー・知」は私の個展歴の出発点になりました。それで11回目の個展があるとすれば、またここでお世話になりたいなあとも思っているのです。
まあそれまでに、2度の個展を個展らしくやらねばなりませんが、その時まで生きていますかねぇ。 私も、もう、そういうお年頃ですよ。
やんなっちゃいますねぇ。
この人は私がギャラリーでお話をしているときに入ってこられた方。オーナーとは親しい間柄だそうです。

この人が昨日の作家さんとお話していて、お互いに制作にかかわるもの同士の話が弾んでいました。
今は院の一回だそうです。
一つ上の院生は進級時にCOVID-19によってリモート受講を余儀なくされ、大学での制作もできず指導を受けにくい状況に突入していました。そしてこの春の3月には修了です。 同じ院生同士の交流もできていないでしょう。 悔しいし残念でしょうね。
この人たちの二年目はどうなるでしょう。
昨年オリンピックを前にしてアスリートは命を懸けてオリンピック参加を準備してきた。そのオリンピックを中止するなどありえないなどと議論する人々がいました。オリンピック〔選手〕たちは、COVID-19の拡大に直面して多くの罹患者が出ているのに強行実施されてメダルを獲得して夢をかなえ、将来の収入保障ができました。が、他方、院生たちはどうなんでしょう。
夢を持って努力しているのはオリンピックを目指すアスリートだけではないのです。彼らだけを過剰に美化することには共感できません。 いろいろな問題をねじ伏せ押し殺してオリンピック開催を強行していくIOCをあしざまに言う人は多いですが、とにかくオリンピックは別格だとして、あるアスリートをヒーロー、ヒロインに仕立て上げて批判を封じている人々の思考もIOCと同類だと私には見えます。

と、それはともかくとして、この人も2回生へ進級するについては修了制作を視野に入れた兆戦の時が近づいています。
すでに修了制作の前段となる作品のための素材は手に入れたそうです。
今この人が見ている作品にはシマウマが描かれているのですが、その「縞」が融けて落ちてきています。
シマウマは「縞のある馬」の事だと思っていたけれども、私たちが普段イメージしている、例えばサラブレッドなどとはかなり違う生き物らしくて、気性は荒いし、走らせても相当に速いんだそうです。馬よりもロバに近い種のようです。
縞がきれいで一見可愛らしくもオシャレにも見えるシマウマ。名前からすれば私たちは「馬」なんだねと了解してしまう。しかし、その実態は後ろ足を跳ね上げてライオンなども蹴倒してしまうほどの荒くれもの。
人もまたその名前や見かけでは判断ができないねという寓意のようです。
熱心に見入っています。
若い人に教えられることは多いです。

それにしてもこの人たちは私の子供よりも孫に近い世代です。
「行ゆく川の流れは絶えずして、しかも、本もとの水にあらず。淀よどみに浮ぶ うたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく止とどまる例ためしなし。世の中にある人と栖すみかと、またかくのごとし。・・・。」
- 2022/02/20(日) 00:00:05|
- 絵画
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私が初めて個展をするときに大いに助けていただいたギャラリーがあります。
寺町丸太町付近にある「ギャラリー・知」です。
この間、業態を変えて積極的に日本の作家を国外に紹介し、また外国の作家を紹介してきていました。
そのために若いオーナーさんは度々外国に行っていましたし、重心を移していましたからギャラリーを開いて展示をするということが難しく、閉めていることが多かったのです。

以前は私がギャラリー巡りをするうえで必ず立ち寄るギャラリーでしたから、ちょっと寂しいなあと感じていました。そこで若い作家さんたちやオーナーとお話しするのも楽しみの一つでしたし。

それで、このギャラリーとごく近くのもう一つのギャラリーがここしばらく閉められていて、私の巡回コースはここを通らないコースに変わってしまっていたのでした。
それが京都市立芸術大学の制作展を見ての帰り道。冷たい雨が降ってきていて私は自転車のペダルを懸命に踏んでいたのですが・・・・。

あれ、珍しく灯りが漏れているぞ。 なにかしているのかな?!
「こうず系 個展 LIFE 」という絵画展がされていました。
私は全身が濡れていて会場に入るのがはばかられる気持ちもあったのですが、何か嬉しくなって入っていきました。

この写真の方が作者でした。
自動車がお好きだということでモチーフに取り入れられていましたが、他にはシマウマやライオンなどの動物、自由の女神などを描き込んで表現するものが並べられていました。
自由の女神がバーキン(ファッションとか女性のバッグとかにはまるっきり疎いので違うかもしれませんが)の服をまといバックをもって自撮りしている図です。

オーナーの青山さんが私の事を随分と「盛って」紹介してくれましたので、それに乗じて撮影をお願いしました。
この写真を見ると、ちょっとちょっとこれでは・・・という感じです。
もうお一人たまたまバイトに行く途中に立ち寄られた芸術系大学院生の方の写真を明日アップしますが、それと比べてみていただくと、このカメラ(D850)の扱いにくさがよくお分かりだと思います。
裏返せば私がちっとも使いこなせていないということなのですが。

この方の作品はポップな中に人や社会に対する批判精神が込められていて、気づきを提供してくれます。
遊び心やオタク的(というと少々語弊がありますが)拘り感をまとっているために、その批判精神が「クサく」なったり「重すぎ」たりしないで表現されているところが微妙なバランスの良さでしょうか。

食事の仕方は体育会系でした。
- 2022/02/19(土) 00:00:03|
- 絵画
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正直に言いますと、私は写真を撮らせていただくようにお声掛けをする人は、かなり選り好みしています。
地引網漁法のように何でもかんでも一網打尽的には声をかけません。

駅ピアノでも「鴨川で音楽」でもそうです。
多少のこだわりがありますからね。 「素敵な人たちと」という表題を掲げている以上は・・ですね。
それでやはり、手作り市でも同じです。
こんな風に書くと手作り市の出店者の方は不愉快に思われるでしょうが、以前書いた美人論と同じで、好みの問題ですから仕方がありません。・・・・それになかには「撮るな」の気配を身にまとっておられる方もおられますしね・・・。

寄木の様々な技法について懇切に教えていただきました。
最終形から製作の過程を想像するには自分自身がモノづくりの経験をしていないとかなり難しいです。
ルービック・キュービックの天才たちが課題を目の前にしてあっちからこっちから観察すると解法が頭に浮かぶようなものでしょうかね。
これらの商品は工夫の塊です。
ですからお話にも熱がこもります。
それをお客さんに分かってもらい共感してもらえるのは楽しいことでしょうね。

材料となる木はそれぞれ性質が違いますし、伸び縮みやそりの具合など、ただ貼り合わせるというだけでも経験と知識が必要でしょう。

この日のように暖かい時にはお話もゆっくり聞けます。
- 2022/02/18(金) 00:00:04|
- モノづくり
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小島祐一という画家は、私がとても気に入っている期待の画家です。
初めて氏の絵に接したのは10年ほども前になるんでしょうか。

当時の彼の絵はここに紹介しているような絵とはまるで違う風景画でした。風景画でなければ自画像。何点も何点もの自画像でした。
私は貧乏人ですし、作家の描くモノや造るものを購入することは稀なことです。
その私が、小なりとは言え彼の絵を二点購入しています。
一点は寂しい農村の風景の中に腰をかがめた農婦が描き込まれたもので、陰鬱とさえいえる暗い絵です。しかし、その暗さの中に書き込まれた農婦に対する暖かい思いが伝わる絵です。

画家としての精神をどこまでも自己に求める自画像の連作は、毎回胸を打ちます。
そんな彼の絵を見て、私はこの人は本当に真摯に画家になろうとしている人だと思いました。 その絵は明らかに優れていて感動的でしたが、しかし、同時に私は、しばらくの間、彼の絵は・・・残念ながら・・・売れないだろうとも思いました。
それでその絵が気に入ったという理由と、彼を少しばかり援助したいという思いで購入したのでした。

今、彼は、そういう絵とは異なる、写真に紹介しているような明るさのある心温まる絵も描いています。
厳しい生活の中で子供を育てることによって彼の中に育まれた新しい世界です。「子供に育てられたね。」と私は彼に言います。
この一連の絵に属する絵を一点求めました。
次の絵は今回の展覧会中最も大きな絵です。 嵯峨野を描いた絵です。 彼の本領が発揮された絵です。

京都高島屋6階の美術画廊で2月16日から22日(火)までの展覧会ですが、高島屋の記事では「なかでも長男を授かった以降の母子、兄と弟をモチーフとした作品は、観る者の共感を呼び、孤高の画家として評価と存在感を一気に高めました。」と紹介されています。
多分この連作は売れるでしょうし、売れています。 彼の生活が一息つけるのはファンとしてはうれしいことです。
下の写真右側の母子像、そして二枚上のロダンのバラと題した青い色の作品は、ピカソの青青の時代に通じる精神性を感じます。
優れたデッサン力とボリュウムの把握力はイタリアで鍛えられたものでしょうか。


彼の作品展には何度も足を運び、そして長い時間 対話をしました。
哲学的に思索を深める彼は、謙虚で内省的です。
私は何度となく写真を撮らせてくれるようにお願いしましたがその都度、固辞されました。
それが今回は、私の図々しさにしつこさ負けてかどうか、「仕方ありませんね」といった感じでついに年貢を納めてくれました。
その記念すべき写真がこれです。 多分彼の伝記を書こうとする人は彼の写真に困るでしょうから、私に声をかけざるを得ないでしょう(笑い)

毎度のことながらこうした展示会場では、絵に照明が当てられていて、周囲は灯りが暗く落とされています。
ですから作家さんと作品を両立させて撮るのは難事です。
マスクを取ってもらえばよかったのですがデパートのスタッフが張り付いていますので・・・・。

会場での小島氏の紹介文では「こじまゆういち 先生」と記述されています。まあデパートの慣例なのでしょうし、絵を高く売るための方便でもあるんでしょうが、その小島「先生」が私のことを「先生、先生」というのには閉口します。
彼は彼の作品を褒めたり彼自身を褒めると無意識的にずりずりと後ろに下がってしまいますので、椅子に掛けてもらいました。
今回の展示の絵の選択は百貨店のキュレーターの手になるものだそうです。さもありなん。
彼の画家人生のプロローグはようやく本編に入ってきています。
彼の本領の方の絵でも次第に買い手が付くようになるでしょう。そうなれば彼の真価はより一層正当に評価されることでしょう。
おおいに楽しみにしています。

京都にお住まいの方、あるいは京都の近くにお住まいの方。ついでがありましたら是非、京都高島屋(四条河原町角)の6階、美術画廊にお出かけください。
いい絵をご覧になれますよ。 そして素敵な人物にお会いになれますよ。
- 2022/02/17(木) 00:00:00|
- 絵画
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この日は「春」のような一日。晴れて暖かく風も穏やかで。
1月2月の手作り市は寒いもの。出展者の皆さん覚悟しているんですが、暖かいと体が楽でいいです。
笑顔にもなります。

手作り市に出てこられるモノづくりの人の中には、「採算度外視」的な人がまま見られます。
関節が動く木製ロボットを作っておられる方もそうですが、この寄木の方もどちらかというとそういう傾向がありそうです。
材料費はともかく「労賃」にあたる部分はちゃんと相応に計算に入っているのかなとちょっと心配。

「作るのは大変でしょと言われるんですが、その大変なところが面白くて、やってて楽しいところなんですね。」
どういう道でも、そういう事なんだろうと思います。 簡単にできたら打ち込む面白味がないし達成した喜びも薄いわけで・・・。
楽器の演奏、絵を描いたり彫刻をしたりするのも同じでしょう。

作られたものを前に話が弾むのは、その政策の工程に工夫や忍耐強い仕込みがあるからでしょう。
材料一つ取ったってこれはというものを手に入れるには苦労話の二つや、三つはあるものです。

私だって、実は愛機のα900で撮ればこういう色にはならないんですけどと・・・いやそれは話が違うか。
よその工房で廃材になっても、見方を変えて「こうなるかな、ああなるかな」と生かせば色々に生きてくるもののようです。
数珠の玉をくりぬいた後の木を、捨てられるはずのものを、「これは・・・・」と初めから計画したようなものに仕上げています。
そういうところもこうしたモノづくりの醍醐味ですね。

この方は写真も撮っておられるそうで猫の写真がファイルに入れられた置かれていました。
これは猫好きはたまらんでしょうという写真ばかりです。
猫の写真でも、遊ぶ、楽しむ精神が溢れています。 この寄せ木の作品にもそれが横溢しているように思いました。

お話を伺っているときに、この人の笑顔を見て、私の脳はり何度シャッターを切ったことでしょう。
続きを読む
- 2022/02/16(水) 00:00:05|
- 工芸
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私が子供の頃ローラースケートが流行ったことがありました。その時の一つの悩みは滑る場所がないという事でした。
何しろ田舎の事とて、コンクリートの平たんな場所がないのです。まだ高度経済成長の前ですしね。
町に有料のスケート場はありましたが、私の小遣いでは何度もいけませんでした。
それで畳数畳の場所でぐるぐる回るか、小学校のグラウンドで無理矢理滑るか。グラウンド?! そうなんです、グラウンドの土は乾くととても固くなる土質だったから無理矢理滑ることができたのです。ガタゴトとですが。

スケボー付きの困りごとも同じでしょう。
自由に滑る場所がない。まして競技場の様な手すりも、凹凸もない。

ゴルフ場はたくさんあるのにね。それも広々と。

すぽうーつする場所は学校の中か何か九r他部チームに入るかしないと得られないのが日本の若者の現状なんです。
オリンピックなんてものでトップばかりをちやほやしてお金のネタにするようなスポーツの在り方ではスポーツ文化は貧困だとしか言えません。スポーツを楽しむのは全ての人にとって「権利」なんだということをもっとはっきりさせるべきです。

ここはスケボーを楽しむ青年たちによく知られている場所の一つのようです。
自転車をアクロバティックに乗るような若者も時々来ます。

ボードがむこうずねにあたったら痛いでしょうねえ。それにタイミングがずれると自分だけ前に吹っ飛んだりします。
若い柔らかな体ですから大けがは少ないのでしょうが、それでもかなり痛いけがや打ち身があるでしょう。まして下はコンクリートですしね。
それでもやるのがまさに若い時ですよね。
いいと思いますよ。 擦り傷の一つや二つ何時でもどこかにあるくらいでなくちゃ。 行け、跳べ、若者よ。

二人は、普段は野球ボーイだそうです。
話し方も礼儀正しい二人でした。
- 2022/02/15(火) 00:00:03|
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私はスポーツをしているところを撮ったことがほとんどありません。動きモノと言えばメジロを撮りましたが、難しい。
高校生の頃に体育館で撮ったバレーボールの写真はひどいものでした。当時はASA100のフィルムですから当然シャッター速度は上げられないわけで、アタッカーの腕は消えてなくなりそうでした。

今も撮る機会はほとんどありません。
ここでスケートボードをしているのは何度も見ていますが、撮るなら障害物の欲にあおむけにならないとよい写真は撮れないだろうなあなどと空想するだけで、降りて言って話す機会も作れませんでした。
時々やっている若者と目が合って会釈を交わすようなことはありましたが。
オッと 失敗!

今度は、どうだ?!
見ている限りでは、かなり難しそうです。
その一方やりたくなる気持ちはわかるような気がします。
とにかくボードを常に足の裏に密着させるくらいの感覚が大事なのかな。
ボードを回転させたりするようなテクニックもありますが。

こんな時間帯にどうしているんかなと思って聞いてみると彼らの学校が明日入試なので学校はお休みで部活もお休みだという事です。
ちょっと羽を伸ばせますね。

私が、スケボー自体をよく分かっていないのでどうしてもシャッターチャンスを狭くとらえてしまいます。
その上このジャンプの時には私のシャッターのタイミングが踏切のところになってしまい毎度同じ絵になってしまいます。
そこで踏切の瞬間に「とん」、そして「うん」の一拍を置いて撮ろうと思うのですが、早くなりすぎます。
多分、こうしてはね上げたボードを右足で前に踏み出して水平を作り、そのまま板に乗って着地、とともに前に・・という事じゃないかと思うんですが。 助走の力を殺さないように。

いや、なかなか動きの理屈もつかめません。
おっ!行けそうだ。 重心をもう少し前に・・・かな。
- 2022/02/14(月) 00:00:03|
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この会場になっている「小さいおうち」というギャラリーは昨年11月に、私も写真展をした場所です。
そういうこともあってギャラリーのオーナーが「知人の写真家です。」と紹介してくれたので、撮影をお願いするのにハードルが低くなりました。
それにみなさん香川の工芸を打ち出すぞという気概に満ちておられますので「どうぞ。」と言ってくださいます。

少しでもお役に立てばという気持ちが湧きます。

出入り口の大きな開口部近くに実演の場所を設けて描いておられます。
外光が差し込むときには明るいのですが・・・・。

香川県には「丸亀うちわ」「張子虎」「一刀彫」などなどいろいろな工芸品があってそれぞれ「伝統工芸士」の称号が与えられているようです。
我が静岡県ではどんなものが伝統工芸として指定されているのでしょうか。一度調べてみたいと思います。きっと東に偏っているんだろうなあと思いますが。

この催しのコンセプトに「今日の『日常生活』で使われるモノの模索」ということがあります。
これが伝統工芸品がこれからも伝統工芸品であり続けることができるかどうか、その成否のキーワードでしょうね。
そして、私はもう一つ私たち庶民の生活の豊かさがこれに深くかかわると思います。
2018年の統計で各国の比較をすると
「驚くことにここ20年の間に各国の労働者の時間当たりの賃金の伸び率は・・・、
韓国 167%
イギリス 93%
アメリカ 82%
フランス 69%
ドイツ 59%
日本 -8%
ということになって日本はOECD内では最も劣等生に属するのです。 富裕層や大企業の資産は増加する一方なのにですね。
これでは工芸品の需要だって減る一方なのは当たり前です。
それでつい世界に購買層を求めるのですが、それだけではダメだと思いますね。

賃金労働者にとってはまさに「失われた20年」です。
中小業者や職人さんたちも労働者と一緒になって労働者の賃金の大幅な引き上げを実現しないと結局「伝統工芸」の明日もないと、私は思います。

日本全国で「職人サミット」などをしたらいいのになあ。
ぜひ積極的に描く力京都においで頂きたいですね。
その時にはデパートなどでしないでこうしたギャラリーを利用して私たちに見やすいようにしていただけると嬉しいですね。

楽しい出会いでした。
- 2022/02/13(日) 00:00:03|
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先日も書きました香川県の工芸品の展示販売会場で。
香川県の人口は96万ほどです。 県庁所在地の高松市では42万強。 これからますます人口が減っていくと予想されていますが、そんな中で手をこまねいてみている訳にはいかないと頑張っている方々です。

こういう問題は一人香川や鳥取などの問題ではなくて、東京の一人勝ち状態の下では、46道府県の問題ですね。全体としても激しい人口減少がありますしね。
その土地土地の魅力を再発見して世界に知らせていくのは自分自身の誇りの確認、自己肯定感の回復になります。
「地元ナショナリズム」みたいになるんじゃなくて、互いに知り知らせる関係を作りたいものです。
そういう意味でこうした取り組みは素敵です。

「のり」をおいて「ふせ」て描く手法は各地にあると思いますが、讃岐のモノと京都のモノを比べると線の幅や色遣いの違いがあって、それぞれの魅力に気づきます。

京都では「域内分業」とでもいうような分業体制がとられてきました。
下絵を描く人、それを生地に描く人、糊をふせる人、生地を染める人、色をさす人、洗う人、刺繍をする人、金彩をする人、仕立てる人・・・・・。それぞれがそれぞれに家=工房で仕事をするわけです。
それを香川などでは中心になる人≒親方というのでしょうか・・の工房の中で分業をするわけですね。
「工房制手工業」という訳です。 工房内分業です。
需要の多寡による違いでしょうね。どちらがいいかという問題ではないです。 歴史的な技術水準は同じです。・・・ここも誤解の無いように言っていきますが、工場制手工業の方が優れているという風には簡単には言えないということはあります。

おいている糊が朱色に着色されています。京都では紫露草で着色します。
いずれも洗って落とします。落ちたところは生地の白い色が出て(初めに全体を染めてあれば、そうとは限りませんが)柄の縁どりになります。
朱色の原料は聴き洩らしました。最近では紫露草を栽培するところが減ってしまって…滋賀県が多かったのですが・・・職人は不自由しているようで、化学染料が使われるようになっています。

唐草文様のようなものが見えますが、毛のように出たところの先端が細くなっていくようにするために独特な手法が見られます。適日のスナップを利かせたように跳ねて描きます。

背景に見えるのは嫁入り道具の布団を包むものだそうで、松竹梅や鶴亀などのめでたい絵柄が選ばれています。
鮮やかで力強さがあります。
大漁旗になると更に力強いです。
- 2022/02/12(土) 00:00:02|
- 伝統工芸
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「水・雲・生き物など自然界に対して私が持つイメージを抽象的フォルムに置き換えながら、金属による動きや浮遊感・周りの景色の映り込み等の要素を取り入れた作品を、「フローティング」をテーマに展示します。是非、奥庭空間での金属による彫刻の世界をご堪能ください。」とギャラリー・ヒルゲートのHPに作家の信ケ原 良和氏が書いています。
その作品の一つをギャラリーのHPからお借りします。(としていましたが、2/11 13:40に、写真を私の撮ったモノに差し替えました。)
作者の信ケ原市とお話をして写真を撮らせていただいたのですが、作品とも並んだ写真を撮りたかったのです。
私たちが話をしているときに氏からの依頼で作品の撮影をしている方がいました。まだしばらく時間がかかりそうでしたので、他のギャラリーを回って再びここに戻って撮らせていただこうということでここを離れました。
ところが、その先で話し込んでしまって帰宅しなくてはならない時間になってしまいました。



上の写真に見える二階の通路でお話をして撮影させていただきました。

これまでこの方の作品は見たことがあります。
上の写真の作品は高瀬川を会場にした展覧会で見せていただきました。

金属を素材にした作品ですが微妙な波(凹凸)を施していたりしていますので、それが光を受けて何だか植物の幹の肌のように見えたりします。そこがこの方の工夫の一つだそうです。
上の写真の葉の一つ一つはアルミ製だそうです。それが木からハラハラ落ちて、それがやがて焼かれたり風に乗ったりして上空へ。それが雲のように浮かんで・・・というイメージだそうです。

作品を見て、それだけでいろいろと感じたり読み込んだりするのも楽しいものです。が、作家さんに制作上の思いや工夫を聞かせていただくと、う~ん成程なあと思うことしきりです。

このギャラリーの奥庭はこれまで数人の立体作家によって展示がされてきました。
この人の場合は今年6月までが展示期間ですから、冬~春~初夏まで展示されるわけです。
そうするとこの庭の樹も花も芽を吹き様子が変わります。それと作品とが響き合って色々な姿を見せるところが面白いのです。

こうした作品を府立植物園などでも展示する機会がありますが、そういう機会も次第にやりにくくなっているとも聞きます。
行政が及び腰なんですね。敢えて京都でさえと言っておきますが。

芸術は私たち市政の庶民の生活の中にあってこそだと思うのですが、今の行政は「企業経営的発想」しかないようになってしまって金にならない「文化」などには目もくれませんね。
こうした作家さんたちの奮闘にも、また見る側の積極性にも大いに期待したいところです。
- 2022/02/11(金) 00:00:02|
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声をおかけして撮らせていただけるようになったのですが、先ほどまでのスコアは鞄にしまって、別の曲を弾いてくれました。
さすがにもうすでに手に入れた曲のようで全然表現力が違います。

今度、簡単な脚立を持ち込みたいくらいな感じですね。

まあ、チルト式の背面モニターを見ながらシャッターが切れるのだから、もう少し上からのぞき込む撮り方はできそうですよね。

この人の後に若い女性が弾いたのですが、見た感じ高校生に見えたので「撮らせて。」の声をはかけませんでした。
高校生だって18歳以上は大人なんだからいいと思うし、私の考えとしては中学生だって小学生だっていいと思うんですが。
けれど今は小中高では「保護者の了解が」なんてことになるわけですね。そう言わないといけない側面もよく分かるんですが、それで子供たちが大人になれない状況を、そういう世の中≒大人たちが作っているともいえると思うんですよね。
私はその高校生らしい女性の弾く音がどうも不安定でリズムが整わないし、リズムが前のめりになってメロディーと合わない、音一つ一つに対して丁寧さが欠けているように思えて、心理的にか精神的にか不安な何かを抱えているのかなあとも感じたので声をかけなかったということもあります。 本来のスキルはかなり高いと感じましたが。
私が撮らせてくださいとお願いするかしないかにはいろいろな要素が入ります。
ところで、ここにはいろいろな人が来ます。デート中のカップル、小腹を満たす人、ピアノの演奏を聴きに来る人学校帰りのちょっとひと休みのひと、出張途中で電車の乗り継ぎの人などなど・・・・そして私の様な人。
それぞれの世界がありますね。

この人は安定の演奏でした。
羨ましい限りです。 でも、それはそれで少しの時間も見つけていつでも弾けるようにしているなどの努力がある訳でしょうしね。

どうもAFがいまいち甘い感じですね。
上手く決まるなと思う時もあるんですが。

音楽のある生活っていいなあ、それも自分で演奏できる生活・・。
- 2022/02/10(木) 00:00:04|
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「まん延防止措置」 これ、役に立ってるの? 国民多くの疑問ですよね。 肝心要のところに手を付けない対策では、「感染予防」とか「抑止」にはなりませんよね。 その肝心なところというのは・・・、政府もその取り巻きも決して口にしない「アンタッチャブル」の感染拡大の舞台です。
先月下旬には第5波とは全くレベルの違う感染拡大が続きましたね。
昨年12月頃には一部のお笑い芸人たちも動員して、「また感染が広がるとかいう『専門家』や『科学者』がいたけど全然広がらないじゃん。そう言った人には責任取ってほしい。」なんて言って「科学」とか「専門」とかのイメージの引きずりおろし計画が繰り広げられましたが、こんな目を丸くするような感染拡大が起こりましたね。「専門家」や「科学者」は正しかったんじゃないですか?
でもいまや、そのことにはだんまりです。
・・・・・・・・・・・・
さて、京都のウイークデーの市中の人出はやはりかなり少ない印象です。
それでも皆さん生活の質を保つために工夫しています。 私もただただ家に閉じこもるというようなことはしません。

「正しく恐れ、警戒し」つつ、前向きにできることは、少しでもやっていきましょう。
この方とはあまりお話ができなくて残念でした。それで私の脳内で作り上げたお話になりますが・・・・。

どうもどこかに向かう途中のようです。そんな折にでも時間と「ピアノがある」ということを事前に調べを付けておいて、鍵盤の前に座る工夫をしているようです。
今取り組んでいるスコアを譜面台に立てて練習をされていました。

最近は各地にこうした『ストリート・ピアノ』があるようで、所用で行く先々のピアノで練習をしている方ではないのでしょうか。
以前にもそんな人がいましたね。 彼は各地のピアノを制覇する・・・というような方向でしたが、この方は練習の機会を是非確保したいという方向のようですね。

ここのロケーションは気に入ったようです。
雑踏に取り囲まれるというような場所ではありませんし、駅の放送や店の騒がしい音楽も届きません。 ついでに聴く人がやや少ないのはっちょっと物足りないかもしれませんが、私のようなお邪魔虫が少ないのはいいかもしれません。

それにしても何とか新たな視角を見つけたいのですが、難しい課題ですね。
まして撮らせていただく方が、基本的に『初めましての人』ですから 、あまり近付くのも、極端に下からあおったりするのもはばかられますので。

それでいつものパターンを抜けられません。
こんな言い訳していてはねぇ。
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- 2022/02/09(水) 00:00:04|
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大寒から立春が「寒さの底」だというそうですが、こんな寒い時には「鴨川人口」もさすがに少ないです。
そんななかを出てくる者同士の連帯感・・・あるかな。

向こうで高校生と思しき男女がフルートなどをもってこれから練習かなという風でした。
こんな時にも「一緒にやろう。」という友達がいて・・・たぶん部活なんでしょうね・・・「青春」ですね。

マスクを二重にしていますね。 ひょっとしたら医療系の方かな。 分かりませんが。
私は自転車で移動している間はマスクなしです。こうして止まるとマスクを取り出してつけます。
ギャラリー巡りでは外すのが面倒で、帰りの自転車走行迄はマスクをします。
でも二重にまではしません。
それにしても身の回りに感染者やら、濃厚接触者やら、PCR被検査者やら・・・・沢山出てきましたね。 これまでの第五波迄の様子とはずいぶん違います。

こうして人にお会いするのが貴重です。
フラメンコの方はちょっとギターの構えが違います。そうでもないのかなあ。でも何か違うように感じるのですが。

この24-70 f2.8 のレンズもいい感じなんですが、やっぱり85ミリ f1.4が欲しくなります。 ただの贅沢です。
85ミリの方が、こう、なんとなく「掴まえに行く」という感じがするんですけどね。ただの自己暗示ですが。

でも85ミリ一本では、風景を入れるときにちょっと窮屈ですしね。難しいところです。
まあ、当分これ一本で頑張りましょう。
必要ならα900になだめなだめ再登板してもらえばいいんだし。

- 2022/02/08(火) 00:00:02|
- 音楽
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寒い冬の日に外で楽器練習をするのはなかなか大変でしょう。
写真では西からの陽射しがありますが、空気は冷たいのです。
指先が凍えて自由にならなくなるのでは・・・・。

ちゃんと指先だけ出る手袋をしていましたね。
それでも弦をおさえる指先はいつもと同じ感覚ではないでしょうね。
周囲の芝はすっかり枯れ色です。 そんな冬枯れとギター引きという状景です。

しばらく聞かせていただいて、「うまいなあ。」と感じましたので、「写真を撮らせていただけませんか?」とお願いするのに、話しかけるきっかけも言葉「フラメンコですよね。」の「フラメンコ」という言葉が出てこないのです。
「え~、う~、ほらスペインの あの激しいダンスの時に、ほら、あの指さばき、足のステップ・・・・聞いたことも見たこともあるじゃないか、あれだよあれ、あれを・・・・というじゃないか?!」と頭の中で。

最近の物忘れは大変なもので、実に困ったものなんです。 社会契約論者のホッブスやロックを思い出せないのですから。
最近の女優さんで思い出せるのは綾瀬悠さんと新垣結衣さんだけです・・・・というとちょっと極端ですが。
フラメンコがねぇ。

師と仰ぐ方の「音」を聞いて「あんな音が出せたらいいなあ。」と思ったのがきっかけでフラメンコを始めたんだそうです。
確かに一流の奏者のフラメンコを聞くと体の奥から情熱、エネルギーを引き出されるようなすごい感動がありますよね。
その始めたのがおよそ10年前だそうで、こうかな、そ入れとも・・・と模索探求してくるうちに10年…だったそうです。

10年かぁ。 私もこうして人物の写真を撮って11年。 何か成長したかなあ。
この人の演奏を聴いて「プロなんでしょ?!」という方も少なくないようですし、私もそう思いました。
この人の10年はだてじゃなかったってことだと思います。 それに引き換え・・・・。
- 2022/02/07(月) 00:00:01|
- 音楽
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自宅で絵柄は彫ってくるのだそうです。
そしてここでは文字を入れることが多いのだそうで・・・・。
下書きの反転文字は迷いなくペンで書きます。

この姿勢で長時間政策sルんですが、もし私だったらもはや夕方には背を伸ばすことも立ち上がることもできないでしょうね。すっかり体が固まってしまって。
第一こうして横に中腰になってカメラを構える姿勢をとることでさえ苦労です。腰を降ろしたら立つのにまた一苦労。
年はとりたくないものです。 いやただの運動不足、ストレッチ不足ですよね。
突っ立ったままでしか写真が撮れなくなったら半分以上お終いですよね。
中腰になってもすっくと立てなくてはね。 「よっこいしょ」や「どっこいしょ」に頼っているんでは困ります。

それにしても様々なキャラクターや人物の顔が描かれているのですが、その線のきれいなこと。
キャラクターの丸顔の線など迷いなしにくっきりと彫られています。陰画ではありませんから線は彫り残されるわけで。
期用に消しゴムの方をクルりクルリと動かして彫っていきます。
冬場より夏場の方が彫りやすいようです。寒いとゴムが硬いのでしょうか。
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- 2022/02/06(日) 00:00:04|
- 手作り市
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香川の伝統工芸を世界に・・・と頑張っておられるキュレーターさん。
この会場も「漆器は漆器で」「手まりは手まりで」集めて展示するのではなくて、生活の中で道具は混然と存在しているということを意識して、展示されているのはこの方の発想。

「私にやらせる以上は・・・私流にやらせてね。」という気概を持った方です。そしてそれは本当に大切な姿勢だと思います。
「思想の無い人はつまらない」とある先人が言っていましたが、そういうことだと思います。

徳川時代は「封建制」でしたが、それは一面、地方分権の時代でもありました。政治的権力が分散しているというだけでなくて生産文化も芸術芸能もそれぞれに「地方的」に発達していました。
それが「明治期」に政治権力が中央集権になるにしたがって経済も芸術・芸能などの文化もまた東京一辺倒になってきました。
言葉の「標準語化」もその一つですね。
それは資本主義の強力な万力によって全国一律化が進んだ姿ですけれども、ところがどっこい「地方は生きている」のです。
それが生きているうちに日本は文化の多様性のルネサンスをしないといけません。
日本の生活の息苦しさや健康な溌剌感が失われていることとそれは別なことではないと私は思います。

こういう方の活躍が、本当に期待されます。
D850にてこずっている私ですが、たまたまこの方が・・・・時々そういう方がおられるのですが・・・・全くぴったりと、シャッターを切るタイミングで目を閉じる方でしたので、さらにてこずりました(笑い)

いろいろなお話をしていただき、やはり人には出会ってみないといけないなあと思いました。
- 2022/02/05(土) 00:00:05|
- 伝統工芸
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火曜日(1日)から四条通室町付近の「ギャラリー・小さいおうち」で「守 破 離」と題して香川県の伝統工芸品の展示販売がされています。
配られているリーフレットの中でキュレーターのKさんが?「伝統的な工法や技を守りつつ今日の『日常生活』で使われるモノの模索。それは、日本全国、伝統的なモノづくりに関わる人々の悩みの種ではないだろうか?」と書かれています。

京都も含めておっしゃる通りの状況だと思います。そんな中でKさんは香川県の伝統工芸品を全国に、世界に発信しようとされています。そして単に発信するだけではなくて「日常生活品」として創造・アレンジするために職人さんたちに提案してもいるのです。こうしたキュレーター、デザイナー、プロデューサーの力が求められています。

会場の「小さいおうち」には「讃岐のり染」「香川漆器」「讃岐の手まり」「組手障子」の工芸品が、キュレーターのデザインごころ満載に展示されています。

昨日訪ねますと「手まり」と「漆」を結び付けてもう一段魅力を増したものを作ろうと制作している方がおられました。
この写真の方です。

今日は別の職人さんが来廊されているかもしれません。

「COVID-19の感染拡大」のなかでも「正しく恐れ、科学的に対策」しながら一歩でも前向きに活動を継続することが大切だと思います。頭を下げているだけでは人は次第に退嬰的になってしまいます。

私も「匍匐前進」のようにして活動を続けます。
- 2022/02/04(金) 00:00:01|
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大雪から二日。寒い日です。
上賀茂神社の手作り市。1月と2月は、やはり寒いです。
まだ建物の屋根の上や木々の下に雪が残っています。

この人は毎回この場所で消しゴムハンコを販売しています。
そしていつもここでハンコを彫っています。
今日は雪が残っていますがその雪の上にシートを敷いて、半ば腹ばいのような姿勢で彫っています。 冷たいでしょうに。

ヘッドランプを付けているのは曇って暗い日などに、ご自身が覆いかぶさってなお暗くなるので照らしているのです。
それにしても額を擦り付けんばかりにして目を凝らして彫るのです。

こうして彫っていてもお客さんの動きは耳で、体感でしっかりキャッチしています。
顔も上げないで、「他のお客さんが(ハンコを)押していった紙で気に入ったものがあったら持って行っていいよ。」と小学生たちに声をかけています。

顔を伏せたまま、私に向かって「お兄さんはいつもどんな写真を撮ってるの?」と訊いてくれました。
「人物ばかりを撮ってるんだけどね。」
「へ~。どれくらいのキャリア?」
「10年ほどかなあ。 そちらのハンコ作りはどれくらい?」
「十三、四年かなあ。もうちょっとかな。」

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- 2022/02/03(木) 00:00:03|
- 手作り市
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ご存知かもしれませんが、矢島正雄・作、弘兼憲史・画で、『人間交差点』というコミックの秀作があります。
この「人間交差点」という言葉、私は好きなんです。 人との出会いを「縁」とか言いますが、私には出会いを「交差点」と表現した方がぴったり来ます。
そう出会いは一瞬の「交差点」を形成するだけなんです。 でも、「点」でしかないものが深いんですよね。

明日が試験日だという(つまり今日なんですが)受験生とその親御さんに出会う。
私はこのブログのページに「人はいろいろな場所で様々な思いを抱いて頑張っています。そんな人々の素敵な表情を追いかけてみようと思います。 『素敵な人たちと』の出会いが私をワクワクさせます。」と書いていますが、まさにそういう事です。
高校三年生で県外に行って受験するというのは不安や緊張が伴うのは当たり前です。当然のことながら希望通り合格できるかどうか保証はないわけですし、なおさらです。
多くの人が通ってきた道だとは言え、心細いに違いありません。
付き添ってきたお母さんだって…大人ながら・・・同じでしょう。
私は今の大学の受験制度は不条理の塊、歪みの塊だと思っています。
イニシエーションとして重要だとかこういう制度があるから勉強するんだなどと、したり顔で言う人もいますが、私は「革命的」に変革しなければ日本の若者の知的精神的な成長は望めないとさえ思っています。 知的な成長発展を大いに阻害するのが試験・受験体制です。こんなものは差別・選別にシステム以外のどんな意味も持ちません。
高校生はただ耐えて傷を深くしないだけが成功的な乗り切り法です。
教師のものの考え方・教育観も高校のシステムも、もう耐えがたいところまでひずんでしまっています。
中世ヨーロッパの教育の情景を描いた絵を見て・・・・そこでは無知、体罰が横行し、ひたすら丸暗記が支配していた。疑問を持つことは許されずに、ただ従順な民となることだけが目指された。 ・・・・なんと馬鹿げたことが行われたことかと呆れる。 日本の戦前の体罰教育と非科学的な知識の詰め込み、妄信と従順と隷従の訓育をみて、・・・それが素晴らしい教育だと復活を願う人たちが政権を握っていますが・・・深く痛切な溜息をつくように、今の状況は百年後の心ある人たち人を呆れさせることだろうと思います。ぜひそうあってほしいものですが。
だから私は受験生を見ると余計に「頑張れよ!」と思ってしまうのです。

君たちの青春は、若い知性はこんな馬鹿げた仕組みでダルなものにされてはいけないよと思わずにはいられないのです。
そして若者の多くは健気にこの愚かしいシステムの中を潜り抜けていく。

本当に「健気に」
これを越えて君の青春を取り落とすなよ、掴み直してくれよと、念じます。

彼女は明日も試験です。 彼女には希望があります。
せめて余計な波乱なく実力を発揮できる試験日であれかしと願います。
ガンバレ受験生!! ガンバレ高校生!!
- 2022/02/02(水) 00:00:02|
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「予約投稿」をしてありましたが、急遽差し替えました。
エールを送るためです。

制服を着ているところからお分かりのように高校生です。
それで、未成年者は保護者の了解を要するということで「聴くだけにしておこう。」と少し離れたところでずっと立って聴いていました。
一音一音がとても丁寧でクリアな良い響きです。 ピアノが喜んでいるような感じです。

前の人が弾いているときには「お母さんかな。」と思われる方と並んでベンチにいました。
ウイークデーのこの時間帯に、高校生?・・・・・・現職を離れるととっさに思い浮かばないものです。

曲の途中で、もう一度、もう一度と弾きなおす場面が何度もありました。 確かめつつ、改めつつ。
曲が終わったので「いい音でしたね。とても上手だと思いました。」と・・・・門外漢のくせに偉そうに言ってしまいましたが・・・・率直に感想を言いつつお話を伺いました。

南東北から京都の大学を受験するために来られているんだそうです。
明日が試験日。実技のピアノがあるんですね。
こちらに来られてネットで検索してこの駅ビルピアノを知ったそうです。
少しでも鍵盤に触れたいですよね。

底冷えのする京都での受験です。風邪をひかないように、オミクロンに掴まらないように無事に受験してほしいものです。
- 2022/02/01(火) 00:00:03|
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