5年ぶりだそうです。京都にも地方気象台発表で14センチの雪が積もりました。

雪がたくさん降ると我が家の頭上には必ずといっていいほどヘリコプターが飛来します。
というのも金閣寺の雪化粧を撮るためです。 でも今回NHKの夕方の放送では銀閣寺が取り上げられていましたね。 それでいいと思います。
もっといろいろな場所を紹介すべきでしょうね。
だって鴨川もこんなに見事なんですから。

雪は断続的に降っていました。
私が今回感じたのは持っているカメラが濡れることがほとんど気にならなかったという事です。
レンズには大きなフードを付けていたこともありますし、カメラが重くてほとんど下を向いてぶら下がっていたこともありますが、防滴性能を信頼できていた(そう刷り込まれていた?)からです。

写真はまるで白黒で撮っているかのようですが、カラー設定です。
雪が作るモノクロ世界ですね。 そこに一味。

京都には神社仏閣がたくさんありますから、そこに撮りに行く人も多いようですが、この日私は鴨川を選びました。
私は人物を撮ることを意識している人間ですが、FB用にこうした風景も時々撮るようになっています。

できるだけ叙景的にではなくて抒情的に撮りたいというのが希望なんですが、
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- 2022/01/31(月) 00:00:04|
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こんな時間があったと「写真」は記憶してくれます。

こんな風にお母さんと僕は顔を見合わせてんだねと写真は記憶してくれます。

今の写真技術と誕生時のそれとでは雲泥の差がありますが、でもあるときに事象を映像として残すということは同じですよね。、まあ今はそのデータですが。
この写真技術が人類に及ぼした影響は大きいですよね。
過去をコピーしてとどめておくことができるなんてなんてすごいことでしょうね。

そしてある場面を体験できる人と限られているのに、その場面をイメージとして多くの人が共有できるというのもこれはまた大変なことですよね。
写真は熱く乾いた砂漠にも酷寒の極致にも、あるいは宇宙や深海にも私たちを連れて行ってくれます。
ある個人の極個人的な体験も人々に伝えてくれます。
革命の熱気も経済崩壊の嘆きや困惑も・・・・。

カメラというのはまさに魔法の暗箱です。
レンズの光学や光の物理と化学は理解していなくとも、人類がすっかり手の内にした写真技術は、どんな人にもこの魔法を使えるようにしてくれました。
君はガリレオ・ガリレイを知っているか。

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- 2022/01/30(日) 00:00:02|
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お母さんが撮影を受け入れてくれているので子供さんも全く私を気に留めないで自然にしています。
こういう点で親の子に対する力は実に大きいのだと私は思っています。

ここのピアノでは譜面を持ってこられてさらっていく人や得意な曲を弾いていく人など、そこそこ弾ける人が多いのです。
でもたま~に「猫踏んじゃった🎶」なんて弾く人もいます。
私のようにどこかの鍵盤を一つポーンと叩くしか能のない人はなかなか近付きません。


そりゃそうですよね。
でも、あまり上手な人だけ近づくピアノじゃない方がいいですね。
「お母さんここだよ、ここを弾くの。」

- 2022/01/29(土) 00:00:01|
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雪のぱらつく日、時雨れる日、京都の冬は天候が安定しません。 そんな時に外に出るのには覚悟がいります。
それでも前夜、床にはいって、「明日はどこに行こうかなあ。」と考えます。
( 最近、妻がよく言うことは「退職後に必要なのは『教育』と『教養』」です。もう10年以上前に一時流行した言葉ですね。
今日、行くところが『キョウイク』 今日する用事が『キョウヨウ』という訳です。 その「キョウイク」と「キョウヨウ」がないとボケちゃうよ、人生が貧しくなるよという事ですね。 )
そして翌朝、目覚めるときに「今日はどこに何しに行こうか。」と又考えます。
そして意を決して雪のちらつく街に出ていきます。 でも、鴨川の岸辺の遊歩道でペダルを踏んでも人影はまばらです。
こんな時雨れる日に外に出てくるなんて「酔狂だねぇ。」
でも、外に出なくては人に会えません。 出れば誰かに会えるかもしれません、話が聞けるかもしれません、そして写真を撮れるかもしれません。 そうは言っても、全く誰とも会えず、誰とも話さず、無論、写真一枚撮らないで帰る日もあります
そんな手ぶらで帰る日でも、「いいじゃないか。15、6キロほどは自転車で走ったんだし、健康のためにいいことをしたんだから。」無駄じゃないよと。
さて、そんな、多分、誰にも会えないだろうなあと思った日に・・・・。
こういう写真を撮れると何だか幸せな気持ちになれます。

この日ここには既に一度来ています。 そしてもう一ところで「会えるかも。」と思った人を見つけられなくて、まあいいさ、今日は時間に余裕がある、と。
・・・・・
変なおじちゃんが来て、大きなカメラをこちらに向けてるよ。

「ボク」とお母さんが連弾です。
「ボク」は目をつぶってしまいましたが、この撮影がお母さんの了承を得ているという「証拠」のために。

お母さんがずっと低音の方に手を伸ばすと、「ボク」はずっと高音の方に一杯に手を伸ばします。

何かお二人の共有の曲があるようで、時々口ずさみながら、「お母さんはね、・・・て弾くんだよ。ボクはこっち。」

「この指でね、こうやって弾くんだね。」

とても仲良しのお二人です。
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- 2022/01/28(金) 00:00:05|
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この日は火曜日で、火曜日のルーティンとなっているギャラリー巡りに行く途中。
いつものように出町柳の通称「三角州」を通って鴨川の岸を下ろうとしていました。…〔三角州〕というのはおかしいですよね。
ここにはいろいろな人が集まります。観光の人、ご近所さんの散歩、上流から、下流からのジョギングを楽しむ人、絵を描く人、楽器演奏を楽しむ人、食事をする人昼寝する人、子供と遊ぶ人、川の中で石を積む人、コンパをする人・・・・・。

それで、わたしは「何か面白い事をしている人はいないかぁ~っ」と・・・ここはなまはげ調で。・・・一旦停止で、辺りを見回すのが習慣です。
寒くて雪もちらつくし、COVID-19も急増しているし、ウーイークデーだし・・・・人影はまばらです。

そんな中、若い母親がまだ3、4歳の子供を雪用のそりに乗せて枯れた芝の斜面を滑らせて遊んでいました。
子供は少々緊張した面持ちで母親の指示通りにしっかりと紐を握って滑っています。転ぶこともなく下まで滑ってご満悦です。
「上手だねぇ」と私。
そんなところに、近寄るでも離れるでもなくこの人が。
『観光ですか?』と。 観光でも散歩でもなさそうだし、まして買い物の途中に何となくという風でもないしとは思いながら。

学生さんで「出町のこの場所にどんな目的や思いで人が集まってくるのか調べているんです。」との意外な返事。
社会学部だそうです。
そもそも京都の大学を選んだ理由が、テレビでこの場所の情景を見て「良いところだなあ、学生時代はあんなところで過ごしてみたいなあ」と考えたことだそうです。

ご自身の郷里にはこんな風に人々の多様な生活と川とが融合している場所は見当たらないと言っていました。
多分、こうした生活・文化と川が融合しているというのは全国を見ても多いとは言えないのだと思います。せいぜい子供用の公園があり、遊歩道やサイクリング道があり、運動場があるぐらいじゃないでしょうか。
ここはそれ以上だと私も思います。 それはこの鴨川を囲んでいる人々の意識の問題だろうと思います。

それでここに来る人たちの思い、意識を調べるためにインタビューをしているのだそうで「誰か来ないかなあ。」と待っていたんだそうです。
私は私で「誰かいないかなあ。」と「不審者の眼つき」をして見渡していたわけで。 そしてこの人の何か「不審な動き」を見つけたわけでした。

もう卒業後に行く先は決まっているそうで、あと少し京都にいる時間で京都をもっと知りたいという事らしいのでした。

写真は苦手で、これまだ友達にも撮らせた事がないとおっしゃっていましたが、まあこれも京都の最後の思い出になるかなと思われたのでしょうか、ファインダーの中に入ってくれました。
卒業シーズンですね。
- 2022/01/27(木) 00:00:02|
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毎年、今頃には芸術系の学生たちの作品展があちこちで見られます。
個人で、仲間と、そして大学の企画でと形態は様々です。大学の企画に参加すると同時に個人でも、別にギャラリーを借りてする人もいます。
一年のまとめ、あるいは卒業していく総括として、またこれからへの意欲や希望の現れとして行われる展示を見るのは楽しみです。
この人は中国からの留学生ですが、芸術系の大学ではかなりの割合で留学生が活躍しています。
熱量が大きく「私とは」ということや自身の生き方、自分に体現されている文化について強い自覚と思いを抱いて制作している場合が多いので、良い作品をたくさん見ることができます。
この作品展は大学が支援して行われているもののようです。
会場には3人の学生が「留守番」をしていましたが、3人が共に留学生で、女性でした。それは全く偶然の事だと言っていましたが、今の芸術系大学の現状について象徴的だなあと思いました。
私はつい、こういう会場でスタッフとして在廊する場合にはねと「教えを垂れて」しまいましたが、3人共にすぐにそれを受け入れて「ありがとうございました。勉強になりました。」と言ってくれました。
その後、3人の作品について寸評して交流しました。
二人は「すみません写真が苦手なので・・・。」ということで、この人だけ記念に。
また、卒業、進級制作展で作品を見せてもらうことになるでしょう。
- 2022/01/26(水) 00:00:05|
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私が新しく手に入れたカメラとレンズ。
ニコンD850と24-70 f2.8.
D850を手に入れたことをD800でもD810でもないし、D750でもなければD780でもないぞ~!なんてことを言うつもりは毛頭ないのです。
時代はもうZですからね(笑い)
でもしかし、D850は今でも店頭に並んでいますし、「一眼レフ機の完成形」なんていうことを言う人もいるくらいですから、カメラを語る上で話題にしてもいいモノじゃないかとは思います。

これまで書いているように、少なくとも私にとっては否定的に評価するほかないということをブツブツ言ってきました。
その一番の問題は画像が黄味を帯びてしまうという事です。 ですから私の感覚としては「汚い」と見えてしまいます。
重いということは、覚悟して買ったのですから私としては仕方がないです。それに重いことに関しては肯定否定の両面があると思っていますし、「軽い小さいは正義だ」と迄は言えないとも思っています。 軽い小さいにメリットはたくさんありますが。
高価だ。 その通り、高いと思います。少なくとも私の懐具合からすれば明確に高価すぎます。 性能、機能からすればという議論は勿論ありますね。

背面液晶画面がチルト式なんですが、バリアングルの方がいいと思います。強度の問題もあるのでしょう。が、質実剛健もいいですが動きが硬い。固すぎる。そしてその画面にタッチすることでピント合わせして同じその動作でシャッターが切れるというのは果たして便利なのかどうか。それを助かるなあ便利だなあと感じることを経験している方もおられるのでしょうが、私にとってはピント合わせとシャッターを切るとは別の思考と動作だと思っているので、これはいらない親切。 タッチパネルでシャッターを動作させるというのはカメラ保持の姿勢をしては・・・カメラ、レンズが重い点から言っても・・・良くない。(もっともこれは三脚にカメラを据え付けて風景を撮ったり鳥を撮ったり星を撮ったりする人には問題ないのでしょう。)
もっともシャッターレリーズボタンを押すことでAFの合焦はできるし、合焦とシャッターを切るの動作は分けることができます。でもそれだとカメラを構える手首の形がよくなくなる。
そして何といっても最悪なのはシャッターを切った時の音が悪い。まるで江戸時代の木製のからくり人形の出す音のようです。
そして一時ブラックアウトする。 肖像写真ならともかく幅広い人物撮影には使えないですね。
しかし、やはり高級機だなあと思う点はいくつもあります。
まず、光学ファインダーがいい。フィルムカメラたちが培って来た光学ファインダーの正統な後継者の名誉を持つでしょう。(ライカを知りませんから国産で言えばと言っておきましょう。) 視野率100%、 倍率0.75は大したものだと思います。
シャッターを切った際の音がいい。 この音を聞きながらシャッターを切るのは快感です。 レフの動作の衝撃を打ち消すためのバランサーが働くためでしょうか、軽快です。軽快ではあるけれど軽薄ではありません。 ミラーレスカメラになって電子的に作ったシャッター音が多くなりましたが、それは単なる「お知らせ」音でしかなくなってきています。機械や機構や素材の質が奏でるものではなくなっています。
スタイルデザインも操作性もいいと思いますね。 なんというメーカーのカメラと比べてとは言いませんが、。
重さの質と言いますか重心への集中と言いますか、手にした時に感じる重さのバランスがいい。剛性が高いということが筐体の「周囲の構造が重いというのと、その重さが中心に結合、集中しているのとでは違います。
グリップは私のような小さな手のモノでも薬指の先がボディーと干渉します。 その点5Dの方がシャッターボタンに伸ばした人差し指の角度も含めて、良かったと思います。グリップ形状の良かったα900も、指の先がなくて良いようなふくらみに触りました。
とはいえ、重さを感じることを軽減してくれるグリップではあります。

4400万超の画素数ですが、私は2000万台で使っています。
デフォルトの色の出方がどうにも受け入れられないのでフォワイトバランスなどをあれこれいじっています。
連射機能を誇っていますが、使いません。
ストラップは、早く取り替えたいと思っています。
私のカメラにするまでにはまだまだ日時がかかりそうです。
でもそういう「私の」化をするうえで『大 よく 小を兼ねる』だけのキャパを持っているんだというところがこのカメラの主張かも知れません。
弘法でもない未熟者はよく筆を選ばざるを得ない・・・のです。
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- 2022/01/25(火) 00:00:04|
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類は友を呼ぶと言いますか、似た者同士といいますか、旧知の靴職人さんと「ゆめ工房」さん、
会うべくして会ったのだろうなあと、秘かに私は思いました。

出会うことでそれぞれがそれぞれの道を一層広く豊かにする関係ですね。
互いに補い合う関係でもあるわけです。
こういう写真を撮っていると、やっぱり「いい仕事をする人」の写真を撮りたいなあと思いますね。

もうじき退職後満11年になってしまい、第三次五カ年計画期間も2年度に突入してしまいます。
COVID-19を言い訳にしているだけではいけませんから、・・・と強気なことも言いたいのですが、この京都も「まん延防止処置要請」は近日中の事でしょうね。
大阪も、京都も関西圏は一つとか言って他府県と足並みをそろえるを口実にして要請を一日伸ばしにしていますが、とどのつまりは追い込まれて、また医療のひっ迫状態を招くことになるのでしょう。(1/17現在、まだ京都はまん延防止措置を要請していません。)

そうなるとこちらの活動はまたまた自粛に追い込まれます。
私たちの京都ファインダー倶楽部の今年度総会と新年懇親会は中止となりました。
第3次5カ年計画の実行は多難なようです。

でも、こういう出会いもあるんですし、腐らずに前向きにやっていきましょう。
- 2022/01/24(月) 00:00:04|
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ご夫婦とも義肢装具士の免許をお持ちです。
妻君の方は以前は高齢者の装具を作っておられたのだそうですが、そちらはそちらでやりがいを感じておられてのですが、子供のために作り始めてなお一層その役割の重要さを知って頑張っておられます。

この眼差しが全てを物語っていますね。
でもこの瞬間の目をとらえきれなかった私の未熟さ。
せっかくいいカメラを持っていても・・・・という感じです。 豚に真珠、猫に小判だと言われそうです。

子供用の装具づくりは夫君の方が先輩ですから「教えてもらいながらです。」と。

私が手作り市によく出かけていることはご存知の方も多いと思います。、定年退職から間もなく、とある手作り市で、若い靴職人さんと出会いました。仕事に対して誠実で熱心な研究家でした。
その彼もその頃写真に撮らせてもらい、一回目の個展で展示もさせてもらいました。

その靴職人さんと先日、久方ぶりに手作り市で再会しましたが、その時に小さな靴を手に持っていました。
なんと障害を持つ子のお気に入りの靴だそうでその子が「どんな靴がいい?と訊かれて描いた絵に基づいて作ったモノだそうです。
えっ? 障害者用の、しかも子供の装具を作っているの? 知りませんでした。

その靴職人をこの仕事に「誘い込んだ」のが「ゆめ工房」の益川さんだったという訳です。
これまでなんとなく気にかかっていた「ゆめ工房」がこんなところに出てこようとは。
ということで、これは「今度にしよう」を繰り返している場合じゃない。断固扉を開けるべきだと、一人覚悟を決めてきたわけなのです。
- 2022/01/23(日) 00:00:05|
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少し前から気になっていたのです。
「ゆめ工房」さん。 小児用補装具専門店です。 障害のある子をサポートする器具を制作されているようです。
私は視力に「障害」がありますから眼鏡をかけています。幸か不幸か視力に問題のある人はあまりにも多くて「眼鏡」生産は利潤が出ます。需要も多いですから廉価品から高級品、定番の形からでデザイナーの手になるオシャレなもの、豪華なものなどなど様々なものがあります。
けれどそれ以外の身体の障害(原因は様々で様態も様々ですが)を持つ人をサポートする器具は生産に手間と費用がかかる一方、需要は眼鏡のようなわけにはいきません。 まして「医療」の名がついたり、福祉の名が付いたりすると黒や灰色の機能本位のモノに制限されがちです。

でも先のパラリンピックについての報道でも知られるようになった面がありますが、「私たちもオシャレがしたい」というあまりに当然の要求をようやく実現する動きが現れているようです。
より速く、より高く、より遠くを実現する装具の壁を越えてオシャレな。

義足を付けてもハイヒールを履きたい。赤い靴も履きたい。 友達が履いているようなナイキやアディダスの靴を履きたい。そう言う思いはあまりにも当たり前の要求です。ですが、それが実現されているかというと・・・。
私がもう何年も前に中国に行った時に、町を車いすで行く人の姿をよく見ました。介助のある人もいればない人もいましたが、何か日本で見る情景を違うなと思ったことがあります。
日本で見るときには、どことなく遠慮がちで人の手を借りるときのおずおずとした空気があまり見られないで、家族にかもまれて移動したり食事を楽しんでいる姿がたくさん見られたことです。そして車いすの人たちの服やいす自体がどことなく個性的だたっとという事です。

子供たちは成長に伴って体形も変わるし障害の状態もどんどん変化することがあります。
保育園児くらいから学童期など一年間に大きさの違う靴が二足必要なこともあります。履きかえを考えれば4足でしょうか。
それが傷害を支援する装具であってみれば堅固さが求められた特殊な形をしていますからどうしても高価になりますし、何より要望に応えたモノを作ってくれるところや人が乏しいという「障害」があります。

私は眼鏡をかければこそ戸外を歩くことができ、自動車を運転もし、読書もできればカメラで写真を撮ることもできるわけです。つまり障害を支援する器具があれば、「出来る」ことはどんどん増えるわけです。
ことに子供にとってそれはそのまま成長に繋がります。成長の喜びは生の喜びですし、自己肯定感の形成につながります。
立てれば、歩ければぐんぐんと視界が開けていきます。手にとれるものも増えます。

ゆめ工房では夫君の益川恒夫さんと妻君の由美子さんとが仕事をしています。
しばらく前からこの工房を外から覗くことがあった私は、あることをきっかけにして思い切って「お邪魔します」と戸を開けることにしました。
- 2022/01/22(土) 00:00:02|
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厳寒、猛暑の時に野外で地べたに腰を下ろして仕事をするのは辛いものだと思う。
16:00までがこの人の仕事時間。
「こんな寒い時にまで外で仕事をするのはバカだというもんもあるやろうけど・・・・けどそれが俺の気持ちだから仕方がないのお。」

「仕方がない」のは「俺がここにいることを期待してくる人がいるからね。そんな時俺がおらんかったらどうなる?! がっかりするやろ。」 だから「いてやらにゃならんと思ってる、それが俺の思いじゃからね。だから仕方ないんよ。」

2,3センチの厚みの物を4枚程重ねて尻の下に敷いてはいるが、地面の冷たさはじんじんと腰まで伝わって来ているだろう。
「さすがに昨日の大雪じゃあこれんかったけどね。」
今日の寒さに、私は「五分五分かなあ。」と思って通りかかったのです。 居るが5、居ないが5。 居ました。
「おーっ 来たかや! じっと家におると奥さんにあんたじゃまやけ外に行けって追い出されるんやろ。」とニコニコしながら悪態をつく。

今日は頼みがあって・・・・。
何や頼みって?金か?金はダメだぞ。
いやこのカメラが言うこと聞かないから、試し撮りさせてもらいに来た。
そうか、そんならお安いことじゃ。このまずい顔を撮れるのももうあと少しじゃからな。今のうちに撮っておけよ。
私はこの「今のうちに撮っておけよ」と最近くりかえされる言葉にいろいろな意味を勝手に読み取って、・・・何か重い病気を抱えているのじゃないかとかいうことではなくて・・・・胸が詰まる時がある。

写真を撮らせろといって、いやだとも、金を出せとも、商品を買えとも言わない。
撮りたいなら好きにしたらいいという。人間好きなことをするのが一番いいからと。 こんなワシの顔の方がいいということもあるだろう、とも。
何故試し撮りをしないといけないのかも少しも訊こうとしない。お前が、それが必要というのならしたらいいじゃないか、という事らしい。
他の人とも話している話題なんだろうとは思うけれど、ここ2,3年、通り過ぎる他の人に聞かれると「ちょっとまずいんじゃない?」という話をする。 私はいい話だと思って相槌うって、大笑いしながら聞いているのだけれど。
それを結構大きな声で話す。
別に私を困らそうとしているという訳じゃなくて、こいつとはこういう話がしたいという感じだから、私も楽しく相手をする。
「今」について鋭い。

試し撮りはご覧の通りで、不安定極まりないし、絵が汚い。光の角度が変わると別のカメラじゃないかというように変貌する。
デフォルトの設定では、・・・少なくとも私にとっては・・・ダメ!でしかない。
α900が如何に良いカメラだったか。
たまたまここに来る前にニコンのカメラを持っている若い人と出会って「ニコンの画面が黄色味を帯びる件」についてきいたら、同じだという。それに不安定だと。フォワイトバランスをいろいろ操作しても色再現が忠実じゃないとその場でやって見せてくれた、ほとんど絶望的だった。
このカメラについて高く評価してレビューをしている人がたくさんいることが異様に感じられた。
キヤノンが記憶色、ニコンは記録色などという言葉も散見されるが、私にしてみれば冗談じゃないという感じがする。
キヤノンは色を作っているがニコンは実際の色に忠実だという人もいる。????を何十個も並べたい。

ネット上でもいろいろ調整を試みている人の苦心が出ている。 そういう記事がたくさんあることをニコンはどう受けとめているのだろうか。
私もできるだけのことをしてみたいとは思っているが・・・・RAWで撮って調整するのが当たり前なんだから、そんなことを言っている時点で素人だ、初心者だなどということを言う人もいるけれど、問題はそういう事じゃない。・・・・春の終わりころまで試みてそれでだめならこの高い買い物をしたことを悔やみつつ、初めてカメラを売り払おうと思っている。
あのダメな5Dでさえ売り払おうと思わなかったのに。
- 2022/01/21(金) 00:00:03|
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私はリタイア直後に手作り市なるモノの実像を知り、精神的なリハビリをしました。
様々な出展者のお話を伺い、またモノづくりの情熱を知り、ずいぶん鞭撻されました。

今では少々「慣れ」もあってか、心が揺さぶられる経験は少ないですが、やはり時々足を踏み入れたくなります。
もう10年を超えて手作り市を見てきまし。出展者にも変化があります。が、この方は長く続けてこられてきた方で、かなり遠くにまで足を延ばして出展されているようです。
話しかけようというのも何かの奇縁がないと実現しません。
それがなぜかこの日だったのですね。
同じように出展されていた旧知の方がご夫婦でおいでになりました。
私は10年前にはのdf素8-70のズームで何もかも撮っていたのです。それが85ミリになってすっかりそれに慣れてしまい、いま24-70のズームだと歯がゆく感じることがあります。
ちょっと届かない!
85ミリの「新品同様」の安い出物があって(私の財布にしてみれば高い!!!!のではありますが)、「ポチッ」とやってしまいそうで怖い毎日です。

こうして撮らせていただくチャンスに、機材で歯がゆい思いをするのは精神健康上よくありません。(なんて無理矢理の理屈をつけて・・・)
- 2022/01/20(木) 00:00:05|
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手作り市で写真を撮らせていただくのは久しぶりのように思います。
ここ、知恩寺の手作り市(百万遍の手作り市)には久しぶりに来ました。

COVID-19の影響、前日の大雪で峠を越えられず北陸方面などからの出展できないせいで、お店はやや少なめでした。
お客さんもまた、寒さのせいも重なってか少ないようでした。
ですが、私の久し振りと、ある靴職人さんの久し振りがたまたま出くわしてとてもうれしい再会もありました。
この写真の方は、その靴職人さんとは別の方です。 まあ、時計屋さん。変わり時計の制作者ですね。

サラリーマン時代から土日に制作販売をされていたそうなんですが・・・・。
今はこちらが本業。かなりの熱の入れようです。

古い九谷焼などの焼き物、古い掛け時計、などなど、よそ眼にはガラクタを組み合わせてユーモアセンスあふれる、、またオシャレセンスが生きた時計を作っておられます。

このまま打ち捨てられるには忍びないものたちをつかって、「こうすれば毎日見てもらえるでしょ?!」と愛情いっぱいに再生しているのです。
元々壊れた古時計の修理もしていたのだそうですが「もう部品が手に入らないし、手に入らない部品は手作りで削り出したりしないといけないのだけれど、そのあたりの苦労を理解してもらえなくって・・・。」止めたんだそうです。

とにかく楽しくて面白くて、どんどん材料がたまってしまい、工房の広さ、作業場の広さを求めて引っ越されるんだそうです。
見つけた古民家を改装中。
引っ越すのに、これまで集めてきた素晴らしいガラクタ=宝の山が、自分でため込んでいたものだけれど思いのほか多くて、大変だそうです。
- 2022/01/19(水) 00:00:03|
- 手作り市
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意外にも竹を編んでいくのにかなり手指の力が必要なようです。
私の持っていた職人さんおイメージを壊してくれた七宝の若い女性職人さんがいます。彫金もされるのですが、糸鋸を引くときなど手の甲には筋が立ちます。小柄のその人の手指は一見か細いのですが、確かな力を持つ指なのです。
この方の人差し指の付け根の関節などの太さや筋肉の盛り上がりは素晴らしいものです。

こうして竹の素材に触れ続けているのですから、肌も荒れるだろうなと思うと、それがまた意外にもと言ったら失礼なのですが、きれいなのです。
それでも作業が続くと荒れるし、 籤の面取りをするまでは籤のエッジで切ったり、「とげ(削げ)」をさしたりすることが何度もあるんだそうです。

竹細工はこうして汲む作業の前の、素材作りに手間暇がかかります。し上げるものを意識して素材作りをするわけです。
工業製品ではない自然の竹素材ですから微妙な条件の違いがありますし、、竹の産地などでも肉の厚さや撓りやすさ≒折れやすさなども違う訳です。

職人さんの表情は手指や姿勢にも勿論出るわけですが、やはり目や口元にも出ます。
マスクをされているとそこがやはり捉えにくいのです。
当分マスクは外していただけない、そこが辛いですねぇ。

D850の白黒写真ですが、ソニーとはずいぶん違いますね。 年代の違いもあるのでしょうか。
やはり会社の違いでしょうねぇ。 フジとも随分違います。 キヤノンとも違います。
着物の柄の出方には可能性を感じますが、どうも扱いが難しそうな気がします。

ニコンはキヤノンと並ぶ二大メーカを張ってきたかなり普及したメーカーなんですが、カラーも白黒も何か独特な感じですね。
現時点では「困ったなあ。」です。
二大メーカーだと言ってもデジタルの歴史はそれぞれ大して長くはないのだし、ソニーなどの映像機器メーカの方が先行者ですしね。 筐体は作ってきたし、レンズも作ってきたけれど、画像づくりは間接的にしかしてこなかったわけで、あまりアドバンテージがあったわけでもないし。
ソニーやフジの方がしっくりきますね。果たして、私に使いこなせるでしょうか。
さすが〔高級機」ですから微調整をする機能がいろいろあります。
何とか研究してみたいと思います。
そのためには一杯、撮らせていただかないといけません。 何しろ私は「人を撮る」のですから。

早く、いわゆる「モデル撮り」もしたいものです。
それはいつ実現しますか。 心許ない限りです。
今回はこれが良かったでしょうか。
- 2022/01/18(火) 00:00:02|
- 工芸
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大変申し訳ない話なのですが、カメラ・テスト+継続的な修練を兼ねています。
そして、何より仏師・高橋さんの写真と並べて展示できる写真を撮りたいということが本音です。
今年の京都ファインダー倶楽部の写真展に出したい写真です。
ご協力をいただきました。
うれしいですねぇ。
こういう場所でいい写真が撮れるかどうか難し所ですが。

じゃあ、どうして撮るんだと言われると、「それはね。」と多少動揺しながら言い訳をしなくてはいけません。
「それはね。いい写真は偶然にしか撮れないから。」というしかないのです。
その偶然は単線の時間軸の上で、別の条件と突然ばったりと遭遇して・・・というだけの「偶然」じゃなくて多元多次方程式の解を求めるようなものです。その「多」がどれくらい数えられるかというところは究明しなくてはいけませんね。

「偶然」なんだからカメラを三脚に据え付けて機械仕掛けでシャッターボタンを押し続ければいいかというと・・・・いいのかもしれませんが・・・・そう言う訳ではないのではないのかもしれないというところが、頼みの綱です。

で、こうして撮らせていただくときには、一応、自分としては、主観としては、「何か意識して」撮ろうと思う訳です。
それがなかなか大したことではないので結局、何ら変わらないのです。それでも「偶然」の「棒」に出くわすかもしれないのです。
無論、棒は被写体になってくださる方の事ではなくて、「いい写真」の事なんですが。

こういう事ですから「作家だ」「プロだ」というレベルからは相当遠いところにいるんだなあと思います、私は。

こういう職人の指を持つ人を撮り続けたいですね。
- 2022/01/17(月) 00:00:04|
- 工芸
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冬枯れの大原です。
ここは日曜日の朝に「市」が立ちます。妻がそれが好きなので時々行くのですが、何しろ私は朝起きが苦手なんです。
ここの朝市を楽しむためには7時かせめて8時には来ないとダメだと思います。
それで何時もまともに市を楽しめません・・・・。

この辺りを散歩するだけでもかなり気晴らしになるようなので・・・・仕事上、COVID-19 に心身ともに苦しめられているので・・・・来るようにしています。
それにしてもCOVID-19の影響による自粛は何時まで続くのでしょうね。もう丸2年以上、3年目に入っています。

第六波が春のうちに終わると思いますから、新年度はだいぶん楽になるのではないかと、勝手に希望的予想をしています。

妻の仕事も、あと一年。 せめて以前の正常な形で、充実した仕事の毎日を送らせてやりたいものです。
- 2022/01/16(日) 00:00:04|
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初めてお目にかかって「撮らせていただけませんか?」とお願いする際に、私のカードをお渡しします。
そのカードに、この拙ブログのURLと「素敵な人たちと」という検索ワードを記してあります。
ブログを見ていただければ私がとっている写真を知っていただけますという趣旨なんですけど、この頃、掲載している写真では「知って」はいただけませんね。

何しろ人が写っていませんから。
ですから、趣旨からいえば過去の写真から選んで掲載し続ける方が良いのでしょう。
柿の実では、ちょっとね。

「ただいまカメラのテスト中。」ですので、ご勘弁願いましょうか。
このカメラはどちらかというと風景撮りの方々に向いているのではないでしょうか。

ちょっと私の要求とは違う色の出方です。
でも、一方で高性能なカメラであるには違いないようだとは感じています。
いいカメラというのは「私(使う人)にとっていいカメラ」の事だと思います。
そう言う意味でいいカメラ探しというのはなかなか難しいもののようですね。

道具というのはそもそもそういうものですよね。
- 2022/01/15(土) 00:00:04|
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こういう風景の写真は音楽を聴きながら見ると、何か物語が湧き出てくるような感じがします。
写真がいいという訳ではなくて、音楽の力でしょう。 あるいは写真と音楽の響き合い?!
その写真を撮る気にさせた・・・ほんのわずかなのモノであっても・・・・心情が音楽によって幾分濃くなって出てくるような、そんな気がします。

写真一枚を見ているだけでは、今少しはっきりしない心情も増幅される感じです。
私はこうしてブログの記事を書くときに音楽を聴いているのは、自分の写真を過大評価する罠にかかることになっているのかもしれませんね。
それにしても風景写真は・・・というか状景写真と言い換えたいのですが・・・・難しいなあと思います。
私は風景写真に入り込まななかった理由の一つがそこに在ります。
写真一枚で感じることのできる、そういう写真。 いい写真とは何かがよく分からなかったという事ですね。
きれいな景色というだけでは、どうも違うように思えたからなんです。

まあ、人物写真でも同じ事なんでしょうが。
相変わらず、どうもよく分かりません。

- 2022/01/14(金) 00:00:04|
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これをご存知でしょうか。
アイボですね。 ソニーが1999年から販売しているペットロボットです。
Artificial Intelligence roBOt の略だそうです。

私はこんな人工物が生物としての犬に代わって愛玩の対象になるんだろうか、大いに疑問でしたが、実際には少なくない方が「かわいがって」いるようです。
人工知能技術の進歩は「AI」と・・・・この直訳が人工知能な訳ですが・・・・いう言葉を使って、さらに学習機能を持ち自己発展するというニュアンスを強めて使われているようです。

京都会館の北館地下2階でソニーが新たな技術の未来形を提案していくつかのモノを展示していました。
「ソニーのデザイナーとSF作家がコラボレーションし」て「2050年の東京」を描き出すというコンセプトのようです。
まだ製品化は勿論、プロトタイプもできていないようなモノを構想しています。

鼻の部分に顔認識のセンサーが入っているようです。 頭や背中には接触センサーが・・・。
おそらく現在のIT技術で言えば人間の顔の表情を解釈、判断したり、言語認識も相当程度できるようなアイボを作ることも可能でしょうが、現実の犬を越えないこともまた大切だという事でした。 成程なあと思いました。ただ単に賢くすれば「愛玩対象」としていいわけではない。そこには技術の節度も必要になるという事でしょうか。 これは今日、深い哲学的で大切なテーマだと思いました。

これは移動するための土台にカメラを設置したものです。
舞台などで写真や動画を撮る時に撮影者がカメラをもって演者の中に入り込んだら見ているモノにとっても演者にとっても「邪魔」です。 そこでAIを積んだ台車にかめらを積んで移動させながら写真を撮るという訳です。
そうすると例えば私なら腹ばいになったり仰向けになったりかがみこんで撮るところをいとも簡単に入り込んでスピーディーに撮れるわけです。

先ほどからずっと私を追尾して動画を撮っています。
現代カメラには被写体を追尾して焦点を合わせ続ける機能が備わっています。
そういう技術があるのですから、常に被写体を画面の中央に置き続けるようにカメラの方を動かすことは、多分それほど難しいことではないのだろうと思いますが、同時にレンズの画角を広角にして複数の演者をとらえたり、特定の被写体をアップに写すために望遠がわにするなどレンズ操作などもしています。しかも何より大事なのはカメラ自身が動いて、動いている被写体を撮るという事です。
これはかなり難しい演算が必要になると思います。

でも一方で自動車の自動運転化が開発しているような位置認識や他との相対位置関係の把握などの演算は既に相当高度に進んでいます。演者に衝突しないで、しかも急激にではなくて先を予想して滑らかな動きで回避するような技術も進んでいることでしょう。
ミサイル防衛システムでは多弾頭に対して同時に追尾する能力があります。そうなれば何人ものダンサーに混じりながら自ら撮影をすることができるのじゃないでしょうか。そんなプレゼン動画も流れていました。
こうなるとカメラマンはこのロボットの動きをプログラミングすることになるかもしれませんね。
そうなれば今やRAWで撮って画像調整ソフトを使って画像づくりができなければ職業カメラマンはやれないなんて、初歩的なレベルは遠く及ばなくなるかもしれません。
結婚式場などにこういうロボットが活躍すること近い将来の事じゃないでしょうか。

そうなると、写真家はどうなる? なんてことを会場スタッフのこの人とお話ししました。
会場がとても暗くってこんな写真になってしまってご免なさい。
ソニーのα7が動画撮影に優れオートフォーカスについても他社に一歩先んじているからこそできる技術かな。
ソニーが単なるカメラ製造企業ではなくて「家電メーカー」だからこそこういう構想が湧くのでしょうね。 楽しいなあ。
私はソニーのカメラに別れを告げて、ニコンに移ったばかりなんですが。
しかも一層のIT化≒ミラーラスへの移行に逆行して。
ただ、ここにも先に書いた「技術の節度も必要になる」ということが意識されていいのではないかなと思うことがありはします。
こういう場で私などが日常では到底見聞きできないものを見せてもらい分かりやすく話をしてくれて、かつ私など門外漢と対話してくれるこうしたスタッフの存在は実に有難いものだと思います。

これは未来の海上に浮かぶ家屋です。海面をエネルギーを蓄えたものが浮遊していてそれが各家とAiによって接続されて、情報をやり取りしながらエネルギーの供給を受けたり、風雨が荒くなれば各家が集まって結ばれて大型化して安全を確保するなど、そうしたことを人工知能は判断し適切化してくれるのだそうです。
私はそれぞれの家が潮流や波動エネルギーを取り出して、事故需要を満たしながら同時に陸上の都市にも供給するエネルギーの地産地消システムかと思ったのですが。
こういうものを見ると工学系に進めばよかったなあとつくづく思います。
- 2022/01/13(木) 00:00:04|
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髪も短く刈っているし「板場で仕事をしている」と言われれば、ああそうなんだろうなあという印象もある方ですが、やっぱりそういうお仕事なのかと納得できる、人に対する共感性のある話し方をされる方です。
演奏の音の丁寧さにもにじみ出ているように思いました。

「一分ほどでいいですか」ということでしたので、3秒で一枚くらいのシャッターでした。
が、私がどんどんシャッターを切るのでそれを慮ってくれて延長して弾いてくれました。
このカメラは撮りやすいです。 ボディーとレンズを合わせるとかなり重いですが撮っているときにはほとんどそれを感じさせないバランスの良さがあります。 運ぶのには疲れても撮るにはあまり疲れないかもしれませんね。

それにしても早くマスクなしの生活に戻りたいですね。
オミクロン株感染が劇的に増えてその日の新規感染者ゼロ県が二つだけという事態に戻ってしまっています。
あっという間に日本列島が赤や黄色に埋められてしまいました。
京都も急速に増えています。 皆さんの都道府県はいかがですか。

私は楽器を演奏できる人に対するあこがれがあると言いますと、「是非、自身でやるべきだ、一日30分の練習を継続すればきっと・・・。」と勧めてくれました。
確かに定年後始めたという人でも5,6年で相当上手になっていますね。中にはライブをする人もいたりして。

自分でもそう思うのです。
人を撮るために出歩いて、写真を整理して、ブログを書いて、フェイスブックに記事を書いて・・それにピアノ練習くらいはできるはずなんですが。

外国語の習得と同じでしょうか、継続しないといけませんね。
私が少しばかり長い期間続けられたのは旧職と、この写真位のものですね。
読書でも夏に一時期とか秋にちょっとした期間とか、5,6冊読むともう忘れたようになってしまうのは本当によくないと思いながらこういう自分を甘やかして人生を終わりそうです。

ですので、人生10回の個展と初めましての人2000人を撮る目標ぐらいは何とか達成したいものと・・・・。
そう言えばこのブログ何度目になるのでしょうかね。
3812だそうです。もうかなり長い間この数字は意識していませんでした。 365で割っても10にはなりますね。 もうすぐ満11年になります。
中国に仕事に行ったり、入院したり、コロナで撮れない日が続いたり・・・・。そんなことはありましたが、まだ一応続いています。

こういう「素敵な人」に出会えることで継続できて来たのでしょうね。
- 2022/01/12(水) 00:00:05|
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かなり写真の雰囲気が違っていると思います。
私がこれに慣れるか、それともこれを私の感覚に近づけるか。
さて、今日は駅ピアノです。
スマフォで楽譜を取り出して(コードを見ていたそうです)弾き始めました。
繰り返し見ていましたので、もっと躓くかと思いましたが、全然そうではありませんでした。

一音一音もとてもよく鳴らしておられましたので、どんな人かなと思いました。

私がここに来たのとほぼ同時に弾き始められましたので、果たして撮らせてもらうチャンスは作れるだろうかと思って、弾き終わりまで聴いて声をかけさせてもらいました。
もし、今日はこれまでということで帰られるのなら、「残念でした。」ということになります。

それで次に弾き始めた方がいたのですが、ベンチに腰を下ろしておられましたので声をかけてお願いしました。
「一分くらいでもいいですか?」 というので、勿論ですと。」お願いしました。

小学生の頃まで弾いていたのですが「大きくなると『止めたい』と言って止めてしまいました。でも職場にピアノがあるので時々・・・。」
ということで継続して触れてはおられるようです。

実は今日ここに足を運ぶのは二度目なのです。
別にもう一つこの近くに用事があったのでそこに行ってもう一度来ました。
一度目に来た時には弾いている方がおられましたが撮っていません。その方が弾き終わってからも声をおかけしていません。
と、言うのも・・・・。

その撮らないで終った方は自身で動画を撮りながら演奏されていたのです。
とても複雑で難しそうでアップテンポな曲を演奏していましたが、全身から他を寄せ付けない拒絶感を漂わせた方でした。
そして、一度弾くと次の人に席を譲り、また弾きを繰り返しておられるようでした。
それは別にいいのですが、とにかく寄るな触るなという空気を怖い顔をして讃えていましたので、「君子危うきに近寄らず」ということにしました。

それに比べてこの方は・・・・。
- 2022/01/11(火) 00:00:09|
- 音楽
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京都の紫野というあたりに今宮神社があります。
大徳寺の北側になります。 その今宮神社の東側に二軒の「あぶり餅屋」さんがあります。
北側にあるのが「一文字屋和輔(一和)」です。

創業が長保二年だと言います。西暦では1000年。
中宮であった藤原定子が皇后になり(父は藤原道隆)、同じ藤原彰子が中宮になった年です(父は藤原道長)。

こちらは南側にある「本家 根元かざりや」さん 創業は寛永14年(16379 島原・天草の一揆がおこった年です。
何故こちらが「本家 根元」と称しているのかその辺の事情は知りません。 何か複雑な事情があるのかもしれませんね。
屋根の上にあるのは「福」の像です。 京都の町の屋根には鍾馗さんが多いのですが、これは「お多福」ですね。
左腕で抱えている箱の中には豆が入っているのだそうです。「福は~っ うち」でしょうか。

炭火で細い竹の串に付けた餅を焼きます。
手指が直火にさらされていますから相当慣れていないと大変なことになるでしょうね。

見ての通り人物の肌の色がかなり黄色に傾いています。
これではポートレート写真は撮れませんね。
D850のパンフレットではキヤノンを意識してかどうか、写真家・河野英喜氏の撮ったポートレート写真が掲載されていますが、ソニーに比べるとやはりやや黄色がかかっているようにも見えます。
河野氏は「色再現が素晴らしい。」と言っていますが、私の感性では今のところそうは言えません。
きっと採光やホワイトバランス、ピクチャーコントロールの微調整をしないといけないと思います。
少しやってはいるのですが、白が白にならないことがあります。

私の好みからすると色が乗り過ぎますし。

これからしばらく模索が続きそうです。
まあ、それも現代カメラの楽しみ方の一つでしょうか。

常に炭火を強くおこすために扇風機が回っています。

お向かい側の「一和」さんでは三台が回っていました。
熱いのでしょうか、寒いのでしょうか。
- 2022/01/10(月) 00:00:04|
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年賀状に「次の写真展には(も)是非行きます。」と書いてくださった方が幾人かおられました。
うれしいことです。 ところが昨年から今に至る状況では思うように人の写真を撮ることができません。
毎年冬場にはその機会が少ないのですからダブルパンチですね。

太平洋側の町から来た私にとっては、京都は半ば日本海側の気候です。
頭上のそれは青く晴れていても遠くから風に乗って雨粒が飛んできます。 ですので、洗濯物を外に干しておくことができません。
1月の後半から3月の半ばまではかなり寒い日があります。 京の底冷えと言います。
靴と靴下はおごったほうがいいと思います。

私は外出時は基本的に自転車ですから、例年スキーウエアを着て出ます。時雨れに会う前提ですね。
手袋も防水ですし、厚手です。 無論、帽子をかぶります。
それにリュックを担ぎます。 カメラは防水機能が前のカメラより高いらしいのでその点は安心です。

そんな物々しい格好で出かけて、今までよく人の写真が撮れたものだと思いますが、今はそれにマスクをつけてですから、見かけ上、「何者なんだこの人は?!」的な状態ですよね。
千本通り(平安京創建時には朱雀大路)に沿って引接寺、通表「千本ゑんま堂」があります。
仏の町、奈良に対して神の町、平安京。その仏も上も支配階級のモノでしたから、庶民は心身ともに打ち捨てられた存在でした。
人が無くなると鳥辺のや化野のに打ち捨てられます。まあ、いわばチベットの鳥葬のようなものですね。
体は崩れ腐臭が漂う葬送の地があったわけです。
この朱雀大路も都の中心が東にうつるにつれて寂れ果て、やがて紫野に通じる葬送の場になっていたわけです。

そこで庶民を人らしく扱い貴人とも人として平らかな存在とするために小野篁が中国から取り入れたのが「閻魔」だったのだそうです。
仏教でもなく神祇でもない「思想」を取り入れたわけです。その閻魔がこの引接寺(千本ゑんま堂)にはあります。
ユダヤ教はキリスト教では世界の最後の審判がありますが、閻魔は貴人、平民、浅眠を問わず人毎に最後の審判をしてくれるわけです。
そんな千本ゑんま堂にどういういわれがあるのかこんな像がありました。今度また庵主さんに謂れ、「縁」を尋ねてみましょう。

私は無信仰、無神論者ですが、こうした祈りの場では・・・・写真を撮ったりもしますが・・・帽子を撮るくらいの事はします。
ことにこういう「燈火」を見ると心が鎮まる気がしますね。

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- 2022/01/09(日) 00:00:05|
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円の対ドル為替相場が急落していますね。 1ドル≒116円になっています。 まさに急落です。
このまま円安が進むと輸入価格が物価を押し上げて、私たちの生活は、もうしばらくすると劇的に堰を切ったように低下する恐れがあります。
日銀は相変わらず・・・敢えてこの言葉を使いますが・・・馬鹿の一つ覚えのようにデフレ脱却のために、年率2%の物価高を目指すなどと言っています。 アベノミクスとやらの掛け声の一つでしたが、8年前から全く実現していないこの政策の責任はだれがとるのでしょう。 無論それは黒田氏を強行的に日銀総裁に据えた安倍晋三でなければなりませんが。

石油(灯油・ガソリンなど)は高値安定になっていますが一段と高騰する恐れがありますね。
以前の理屈では円安になれば輸出企業は輸出がさかんになって儲かると言われましたが、果たしてその理屈は通用するかどうか。いったい今日本が輸出するようなものはあるでしょうかね。 有力輸出企業はリスクを減らすためにも海外に生産拠点を増やしてきましたから、前ほど円安の効果はないと思います。

日本経済のネックは国民の国内消費需要の後退的停滞にあります。
国内の消費需要が痩せてきている=国民の収入が実質的に減っている。富が偏在して勤労庶民の消費が抑えられたままだというのが景気が活発にならない最大の原因です。
消費税10%+企業合理化で非正規労働者が被雇用労働者の半分を占めている+年金給付が減らされ掛け金は増え、公共料金があれもこれもあがっている・・・・=庶民の貧困化 これが景気低迷の真の原因です。
世界経済の牽引車の一つである中国の景気に水を差すためにアメリカは様々な妨害的な手を打っていて、中国経済が頼みの綱である日本はそれに一言も言えないばかりか、手を貸している。
これで景気が良くなるわけがない。

こんなことはイデオロギーでもなんでもない、右でも左でもなく皆が認めざるを得ない事なのに、政権与党は別の方向にかじを取る。
「今だけ、金だけ、自分だけ」 経済運営も政治政策も軍事・外交政策も政策の基本が、これになってしまったからだと思います。

新しい「資本主義」を目指すというけれどこれは「持てるものが富む」という資本主義の原理を絶対に手放さないという宣言でしかないということを知るべきでしょうね。
これでは1ドル=160円状況にはとても対応できない。国内の貧困に立ち向かう意思も意欲もないことを告白しているのだから。
- 2022/01/08(土) 00:00:10|
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右手ずっと向こうに見えるのが如意が嶽です。通称、大文字山。
鉄道は京福電鉄嵐山線です。

購入したカメラがどんなカメラなのかに触れるために撮っているので、写真に脈絡はあまりありません。
少し露出がアンダーになると色が濃くなるのでしょうか。
私はソニーの・・・・敢えて私的に言えば・・・・透明水彩的な色が好きなので、これは露出を間違えてはいけないなあと感じました。
北野天満宮に出ていた露点です。
NIKONは黄味がかかると言われてきて、このカメラの二代ほど前からは調整がされて、あまり気にならなくなったとは言われていますが、それはあくまで過去機と比較しての話だと私には感じられます。

ソニーでは、大概これくらい薄い色乗りだったと思います。
この写真の場合は手前の桶自体の色がくすんで薄い色をしているので、カメラの所為じゃないのですが。

私はこれまでずっとどちらかというとアンダー目に撮る癖というか好みがありましたが、そこは修正する必要があるかもしれません。
(逆に色乗りが薄いのでアンダー気味に撮っていたのかもしれません。)

こういう色を好まれる方は結構多いかもしれませんね。
ここは上七軒のお茶屋街です。

ここに来れば、大概こういう写真を撮りますから、私には街の景色を撮る個性的な力はあまりないのだと思います。
- 2022/01/07(金) 00:00:01|
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これまでも我が家を尋ねてくれていたお客さんたち。
特に「おもてなし」もしていなくてただ庭にある木に立ち寄ってくれていただけなのです。
それが木の枝や生い茂る葉の陰で機敏に動き回るので、「あっ!来てる。」とは認めても、なかなかその姿をはっきり見ることができにくかったのです。

それでせっかくのお客様ですから「お・も・て・な・し」をしないといけないと思って、餌を啄む場所を作りました。
どういうものを作ろうか色々考えたのですが、ホームセンターで見つけたものを適当に組み合わせて・・・。

冬場は餌が少なくてこんなところにまで来て木の実をつついたりしているようです。
私は花鳥風月に疎いですから、ここを訪れる鳥たちの種類はよく分かりません。 が、これはメジロでしょうか。
みかんを見つけて啄んでいます。

警戒させないように部屋の中から撮っていますから、ペアガラス越しで鮮明度はだいぶん落ちます。
今までこうした餌付けのようなことはやったことがなくて、やり方も知りませんが、せっかくの来訪者ですから、目を楽しませてもらおうと思いました。

都会では、やれ糞が汚いだとか、鳴き声がうるさい、羽根が散らかって衛生に悪い等々等々、いろいろ問題があり、野鳥、野犬、野良猫への餌遣りは時として規制されます。
それでとにかく餌をやってはいけないのだと過剰に自己規制をする向きもあるようですが、要は先ほどの、糞や鳴き声などが近隣の人の生活環境を壊し、苦痛を与えてしまうことがいけないのだということでしょう。 市の条例も見てみました。犬、猫、鳩、カラスが問題意識に上がっているようです。
野生のものが極度に人の餌遣りに依存するようになると「野生」が失われるということを言う人もいますが・・・そういう面も考慮しなくてはなりませんが、そもそも人間と他の動物が共存していることを無視してはならないとも、私は思うのですが。

とはいっても、これ以上のことをするつもりは私にはないのですが。

今のところ二羽だけがこの場所を見つけて利用しています。

- 2022/01/06(木) 00:47:58|
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元旦の初日は事前に天気予報を見て、「曇り?!」「雪がちらつくの?!」ということでいかないことにして「晴れ」予報の二日にしました。
結果的には、日の昇る方向に、日が顔を出す高さに雲がかかってしまって、すっきりとは見えませんでした。
遠くにいかないことにしたので広沢の池で。 ロケーションはいいですからね。

私たちが着いてほんのしばらくすると自転車で来られた男性がいて、なんと関西の西の端の方から来られたとか。
無論、自転車は折りたたんで電車でですが。昨夜はこの近くに宿泊して朝早くからの行動。
行動的、前向きな人ですね。 自転車なら行動範囲が広くなるし、京都盆地にはジャストサイズの足です。

二日目ですからどれくらいの人出があるのかなと思っていましたが、10人ほどが並びました。
何だか普段からの散歩かなという人もいて。
おいでになった方々とは「おはようございます。」と。
狭い通路で道を譲りあわないといけませんしね。 それに何より新年早々の人との出会いは気持ちの良いものにしたいものです。
どんなスポーツをされてきた方でしょうね。動けそうな体をされています。

周囲の様子を見て瞬間的にマスクを外していただいて。
とっさにはどこをどうして良いのかわからないので精度が低いです。 できるだけオートに頼らないようにしないと・・・・。

また、オートを使いこなすためにも練習しないといけません。

さあ、今年が始まったかな。
- 2022/01/05(水) 00:00:01|
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皆さんは普段散歩をされますか。
散歩をルーティンとした場合には、歩くコースはいつも同じようなことになって退屈しませんか。
私の知人には日に一万歩や四万歩という人がいますが、偉いものだなあと思いながら、私の場合には思いついた時に30~40分歩く程度です。ですから、あまり健康な体作りとかには役に立ちませんが、気晴らしですね。

そんなときにも手ぶらでは出られません。
ついカメラを持って出てしまいます。
ですからせっせと歩くことはなくて、やや早い目に歩いた方がいいとか聞きますが、そう言うことにもなっていません。

ニコンD850に24-70を付けて歩くと、意外に重いなあという感じです。
ですからやはりD5などというのは論外でしたね。 レンズ込みで2.5Kgのものを首から、あるいは肩にかけたりするのは、やはりこの年齢では無理がありそうです。
D5を選びそうになっていましたが、そうしなくてよかっと思いました。

この辺りから山の方に登って行けば、それなりに負荷があって良い運動にはなると思うのですが、大概は、はいここまでと、帰宅コースに回ってしまいます。
この辺りのいい点は、人にあまり出会わないという事ですかね。
新型コロナ感染が心配な時期にも、マスクを外して歩けるコースがいいです。

フォワイトバランスの設定で、夕景の色になりにくいのを選んでありました。
逆に言うと、それだけ白は、白にという調整力は強いのかなと。
こういうことも自分のモノにしていかないと、今までのカメラのようにストレスなく使えるようになりませんね。
- 2022/01/04(火) 00:00:02|
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「人物写真」を意識していても、撮れないものはどうしようもないので、散歩写真です。
新しいおもちゃを手に入れた子供のようなもので、とにかくシャッターを切らないではじっとしていられないのです。笑っちゃいますよね。
でも新しいカメラに慣れないと・・・というのを弁解にして歩きます。

ボタンの位置やそのボタンの役割がこれまでのカメラと違うのですから、「え~ッと、マニュアルで撮るにはどうするの?」と
そこが分からないと、これから「自分で撮る」ことができないですよね。
今のカメラは、大概オートでそこそこきれいな写真を撮ってくれますから、自分が失敗できるようにそのオートを離れて撮らないといけません。

この白黒には、富士フィルものフイルムシュミレーションを欲しいですね。
でも、まあ綺麗に写りますよね。
今年はどんな写真が撮れるかなあ。
- 2022/01/03(月) 00:00:06|
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昨年の押し詰まった時に一つの飛躍をしました。
というのもこれまでもぐずぐずと書いてきたカメラの更新をしたのです。
私は10年余り前にソニーのAマウント機、α900を購入し、それを3年ほど前に修理に出して、その後同じα99の中古機を購入して今日に至っていました。その後、先代は完全に壊れ、後継機もまたあまりにも不安定になったので、どうしてもメイン機を交替させねばならなくなりました。
条件は光学ファインダー(α900のファインダーを凌ぐものはなかなかないのですね)
画素数は2000万超あれば十分とし、それ以上はいらない。
で、結局どうなったかというと、やはりファインダーを重視する以上、ニコンの一眼レフ機しかないということになりました。
その各種を比較検討してみた場合にファインダーでは・・・・D5だとか、D6などは、高価すぎることと、今や私の体力では重すぎるので初めから除外・・・・D850がダントツです。 D850が4000万超の画素数を誇るカメラだということで、そこに抵抗があり、決めかねていました。ここに私の無知なるが故の障害があり、高画素機は低画素機としても使えるのだという・・・・全く知らないという訳ではないという事実を・・・・先入見のために、検討のための知識として加えることができないでいたのです。
光学ファインダー×2000万画素休≒D780という有力な選択肢が浮上しました。ニコンはミラーレスカメラに注力するようになってZマウントのカメラ、レンズが主力化していますが、このD780は、いわばレフ機とミラーレス機のハイブリッドみたいなものになっていて、便利は便利だったのです。
それでファインダーを覗いてみると・・・・一発で不合格でした。 製品としてあり得ないと思いました。画面がゆがむのです。こんなファインダーを覗いていたら目まいを起こして階段から落ちてしまう、そう思いました。 多分、もはやファインダー<ライブビューという意識がこんなひどいファインダーを製品として出してしまうようなことになったのでしょうね。(というよりも、こんなファインダーだったから発売から間もなくなのに手放したのではないでしょうか。早すぎる中古デビューです。もっともこれは個体の問題かもしれません。)
それで、もうD850と思って決めたのです。
私の懐具合では新品を買うなんてことは到底できません。 何しろ新品では34万円前後するのです。ご存知のように、カメラはボディーだけではすみません。レンズが必要です。 私はこれまでニコンに縁がほぼありませんでしたので、フィルム時代のレンズもありません。
ですから、カメラと同時にレンズを購入しないわけにはいきません。
しかも、当面それは経済的負担から言っても一本しか手に入れられないでしょう。
そうなると撮影の場面を考えると24-70のズムレンズで、そうであれば「F2.8通し」は譲れないところです。
ソニーのレンズは高い! そしてニコンのレンズも高い!のです。カタログを見れば24-70、F2.8は希望小売価格316,250円!!
冗談じゃないよという感じです。それでお店のスタッフにはD850に決めるためには、どうしても先のレンズが欲しいとお話ししますと、ちょうど入荷したものがあるということで、お値段はなんと78,800円。
それで清水の舞台から飛び降りることにしました。
カメラが236,000円+レンズが78,000円=314,000円なり。 【新品価格なら60万越えですもんね。】
カメラは、実は店頭展示品でして、どんな人がどんなふうに触っているかわかりませんが、状態は良さそうです。形の上では新品を買ったと同じことになりますから、1年の保障がつきました。
これまでのミノルタレンズはα99が引き受けてくれるし、ツァイスレンズもマウントアダプターで(購入すればの話ですが)D850に付けられそうだし。
高画素問題も、設定で2000万台にできるからPCへの負荷も記録メディの高額化も防げて今まで通り。めでたしめでたし(?)
そんなわけで、今年からはニコン+ソニーで撮影生活をします。
さて、どうなりますか。
- 2022/01/02(日) 00:00:00|
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