BSの番組で世界の空港や駅舎に置かれているピアノを演奏する様子を伝える番組が好評です。
私は演奏を取り巻いて耳を傾ける人々の様子が好きです。
この京都の駅ピアノの場合わたしの経験ですは、多くても・・・通常は次に弾きたい方が待っている+私+0~1かな・・・・数人の方が柱の陰で聞いているという感じです。

鴨川では、聞く人の姿を見るケースは少ないですね。
投げ銭を求めるくらいの人が演奏している場合は少々事情が違いますが。
そしてもっと多くの人がプロ・アマ問わず投げ銭を求めて良いんじゃないかと。

京都に鴨川があってよかった・・・・とつくづく思いますし、そう語る人も少なくありません。
けれど半面、鴨がの他に人が三々五々集って音楽や様々なパフォーマンスを楽しむような場所は他にありません。
行政も広場があれば出店や出店を促進させるような「商業主義」・・・・これは公共財を私的利益に下げ渡す大阪の橋下氏以来まん延する害毒だと私は思っているのですが。・・・的傾向が年年歳歳強まっています。

一方でこういう空間を作る努力も続いています。
これらの一つ一つが、・・・・そこに演奏に行く人、耳を傾け拍手を送る人、写真を撮る人がいて・・・・街が生き生きと構成されます。
無論、お店や会社や、工場、学校などなどもそうです。

大切なことは人の活動です。 それが街の内容なのですから。 建物を建てただけでは街にはなりません。
京都市役所前の広い空間を見ていると、最近、綺麗にはしたのですが残念ながら心が荒涼としてきます。これを作った人たちは暮らしのなかにある庶民が好きじゃないんだなあと思います。
このピアノは京都駅のモノではなくて地下鉄京都市役所前近くの地下街にあるものです。
- 2021/11/28(日) 12:22:06|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
今日は土曜日です。 個展も今日と明日の二日になりました。
通常ですと土日はさすがに多少来場者が増えてくれ・・るだろう…と思います。
会場に湯茶も置けないので、何とも味気ないです。 ワインを準備することもあるのに。
と言っても私のお客さんはほとんどお飲みになりませんが。 私の人徳の至らぬ点です。
今回の個展はこれまでと何か違うと感じています。 それが前向きなことかどうかは今後色々考えてみたいと思いますが、とにかく8回を重ねてきた∴体験できることだろうなあと、今のところ受け止めています。
さあ今日はどうでしょうか。

この方は看護師さんです。
音楽を楽しむ人にも多様な面があります。 私は音楽を楽しんでいるという側面しか見ていませんが。

そして写真には無論そのさまざまな面は写しにくいですが。 「にくい」と書いたのは、何とかならんかなあという気持ちがあるからではあるんです。
この人たちは学生さんで、さっきまで練習していたのですが、これから午後の講義を聴きに行きます。

敢えて吹いていない瞬間を撮って、「青春」の一状景にしてみました。

最初の一枚にも写っていますが、この辺りで練習をするには自転車が便利です。
そしてかくいう私も自転車で。

上の写真と下の写真で光の方向が違うことにお気づきでしょうか。
そして時間帯は同じような時間帯です。
鴨川の東岸と西岸です。

人出が少ない間は、こういう活動をする人も当然ながら少なかったですね。
- 2021/11/27(土) 00:00:03|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日26日(金)。大学時代の友人が写真展を見に来て、その流れで「呑み」に付き合ってくれます。
今回の個展では会場での飲食がかなり規制されていますので、会場で楽しくやることができないのです。まあ、それができたとしても呑みに出るわけではありますが。
旧友とはいいものです。彼は宇治に住んでいるのですが、個展の度毎に来てくれます。

COVID-19の広がりがりによって飲食業界は痛手を被っているのですから、せいぜい呑みにいきましょうというような、理屈をつけて行くわけではありません。
五波が一応沈静化して「街への人出は増えましたねえ。」とアナウンスすることで「出てもいいんですよ。」「お金を持って出てください。」と刺激誘導しているんですけど、多くの国民の意識は、第6波迄何日の猶予があるんだろうという意識ですね。
だから出るには出るけれど、まともに慎重ですよ。
だって感染が拡大したら、政府も自治体も全力で国民の命と健康を守るなんてことはしてくれない。そう言うことは阪神淡路、東北の大震災などでも、くりかえしくりかえし痛い目に遭って、確信になっていますからね。

それである程度意識をもって「見に行こう」という人でないとなかなか私たちがするような絵画展、写真展には足を運んでくれません。

で、来てもらえれば、少しは離したいわけで。
ギャラリーの部屋の上部に排煙用の窓があるんですが、それをいくらか開けてもらって換気に努めています。
お客さんが少ないのですから「記帳用紙」の前に何人も列を作るなんてことはないし、使ったペンをアルコール紙で拭く間もないなんてことはないのに、この会場で10本もボールペンを用意しました。(筆ペンや本格的な筆は書く人に入らぬ重圧を与えますから、私はボールペンを用意しました。 筆ペンの圧倒的な多数はとても書きにくい!!ので、私は大嫌いです。それはメイカーに大声で言いたい。)
でもなかにはごく細い鉛筆の芯ばかりの筆記用具を・・・・あれも書きにくいんですよね・・・何十本も用意されている会場もありますね。
皆さん準備に苦労されています。お金も余計にかかります。 こうして庶民にとっては負担が増しても、その出費で「経済が回る」なんて言う風にしか考えられない金の亡者政権ではやり切れません。それを補完補強する維新。
ということはさて置いて、写真を挟んでのお客さんたちの会話はやはり楽しいものです。そして個展をしないとこの楽しみを手に入れられないのですよね。

昨年の個展は10月の終わりから11月初めでした。
およそ一年後の個展です。

ご覧になってお分かりだと思いますが、向かって左側から、つまり被写体の右側から撮っている写真がとても多いです。
何故なのでしょうね。
- 2021/11/26(金) 00:00:15|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は写真展の3日目です。
(様々な人が…決して多くの人ではないですが・・・訪れてくれます。 今回の特徴は、そのお一人お一人とのお話が長いのです。 お知らせ用のハガキをいろいろなギャラリーに置かせてもらうのが通例ですが、私はそれをしていません。ですので多数の方のご来場を期待することはできないのですが、あまり退屈する時間は長くありません。それに誰も来られない時間には、久しぶりに読む本がありますから、これはまたこれで楽しいものです。)
そしてブログは「ブログ上の写真展」です。
どんな写真を出したか、お目にかけます。

ショパンコンクールで本戦に出場したピアニストたちが、その場で使用するピアノをスタインウェィ、ヤマハ、カワイ、ファツオリから選びます。勝ちあがっていくと演奏する曲が変わりますし、ファイナルでは協奏曲を弾きます。そうなるとそれぞれの曲や演奏法によってそれぞれに異なるピアノの特性を選び直す演奏者が出てきます。
それぞれのピアノには調律師がかかりきりで、演奏者に対する支援的調整もします。
そう言う支援があっても、又ある程度個人的なつながりがあっても、演奏者は演奏のベストを求めてピアノの選択をします。若いピアニストの精神力は強いなあと思います。
私の写真展にはそう言う強さはありません。

が、私にも多少の自負心がありますし自尊心もありますから葛藤はあります。
個展に臨むたびに私自身が見えて来て、ときどき、もういやんなっちゃう のです。が、またこれが終わってみると案外に収穫になるのです。
ですので、個展などということは私のようなものにとってはそもそも過ぎたことなのですが、とにかく10回まではやろうと思っています。

今度の個展では45枚ほどの写真を出しますから、多い のです。
その多さが言いたいことの一つなので、そうしたのです。

一個一個(一枚一枚)が独立したものですが、それをたくさん並べて会場を作るというのは、また別の問題意識を持たねばならないのだということは、画家さんたちの個展などからも、また自身のこれまでの経験からも分かるのですが、これもまた難しいことです。
皆さんとても良い会場を作っています。
難しいことは難しいのですが、また一方、なかなか楽しい課題なのです。
で、いろいろ考えるのですが、結局のところ、ただ張り付けるだけの会場になります。 泰山も鳴動しませんでしたが、ネズミもまた出ませんでした。
(会場に来られた方の何人かが、この写真の並べ方についても肯定的に評価してくれたことはうれしいことの一つです。)

結局、覚悟(金)が足りないのだと、つくづく思います。
清水寺での時はプリント代だけで30万弱かかりましたが、そんなことを繰り返せる身分じゃないですからね。
今度の会場に「活動支援カンパ箱」を置こうかと一時、真顔で考えました(苦笑)
でも若い音楽家たちも画家たちも、そういうことを歯を食いしばってやっているんですよね。
- 2021/11/25(木) 00:00:05|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は写真展2日目です。
22歳の日本人女性の平均身長は159.0㎝だそうです。
そうするとこの人は平均値よりよほど背が高いということになります。
私より高いのでいつもはあまりヒールの高い靴を履いてきません。

アジアの平均値で言うと約160㎝~約163㎝だそうです。私の若い中国人女性の友人たちはほとんどが私より何センチも背が高いのでやはり靴は平底のものを履いてきてくれることが多いです。
日本人の服飾デザイナーが欧州で成功して向こうの出演中のモデルたちに囲まれて祝福されている写真を見ることがあります。するとデザイナーはモデルに埋もれてしまっている感じです。
私もそうなります。

でも今日は注文にこたえて、自主判断でヒールのある靴を履いてきてくれました。
こういうところが何度も撮らせてもらっている人のいいところです。以心伝心ですね。
私は、ただ何ということのないこういう写真が好きです。無論、撮る時には計算に入れていることはいくつかあるんですが、そういうことが目につかないのがいいんじゃないかと思います。

- 2021/11/24(水) 00:00:04|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は第8回写真展の初日です。 昨日は激しく雨がひりましたが、今日はやや寒いですが晴れ!です。
さあ、出かけましょう。
撮らせていただいて、しばらくしてお目にかかれなくなってしまった人。
昔の写真を掘り起こして「ああ、こんな素敵な人も・・・・。」と思い出されるのでした。
とあるギャラリーのスタッフさん。

よく言うのですが・・・・いくらか「酸っぱい葡萄」の要素がないとは言えないかもしれませんが・・・・「美人」だからと言って強く「撮りたいなあ。」と思えない方もいるわけなのです。まあそれはつまり個人的な好き嫌いということでしかないのでしょうが、10人中8,9人があの人は「美人だ」といい、私も同意はするのですが、そうかといって・・・・・と言うことがあるわけですね。
で、「君の撮る人は傾向がはっきりしているなあ。」とも言われるのです。

これもまたプロ・カメラマンではないので通る話ですね。
通るというと話が逆で、そもそも私は、通るか通らないかの世界にはいないのですから。

今、私がここで誰か撮りたいなあと思っている場所があるのですが、そう言う場所にはこの人のような人がいてくれるといいなあと思います。

いろいろな人に出会っているんだなあと感じます。

でもこの人は今はここにいないし、この人の次の人もまたせっかく親しく話ができるようになったのに関東に行ってしまいました。
10年というのは案外長い時間なんですね。

「愛別離苦」とはよく言ったものです。
そして人生の最期はどういう風になるんでしょうか。
- 2021/11/23(火) 00:00:03|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は写真展の搬入です。
明日から28日の日曜日(最終日は~17:00)までの会期です。
あまり宣伝もしていないので来客があるかどうか。 会場の場所は、京都三条寺町上る西側。ギャリエ・ヤマシタ2号館、2階です。
よろしければおいでください。
今雨が降っていますが、明日からは好天が続くという予報です。 今回は駅ビルピアノや鴨川で音楽を楽しむ人たちを取り上げました。 写真の数は45枚とかなり多いです。ですから壁面にあまり整然としない形で貼ることになります。

もし会場にお客様が来られて、普段はどのような写真を撮っているのかということをお話しするときに、このブログを見ていただくと、今日、昨日などにあげた、これらの写真が出てくるわけです。

で、少し遡って見ていただくと職人さんたちも登場という訳です。
今回は、残念ながら会場で「あなたの写真、お撮りします。」というのができそうにありません。
外に出ても、そこは商店街で、良いロケーションがないからです。
会場に背景を工夫したスタジオのような一角を作ることができれば面白いのですが。

そして、プロジェクターを購入して、スライド・ショーを流す案もあったのですが。
プロジェクターがあっても適当なスクリーン、あるいはそれに代わる壁がないとダメだということに気付いて、保留したままです。

会場の向かい側の商店の壁にでも映写できればいいんですけどね。
とにかく会場が狭い階段を上る二階にあるので、写真展をしていることが認知されにくくて人が入りにくいのです。
ただでさえ絵画展に比べて写真展の入場が少ないのに。

この時期ですから飲んだり食べたりもできないし、演奏者をお願いしてお客さんに楽しんでもらうこともできません(人が滞留してはいけないというお達しなのです。)
次の会場では会場でスライドショーを見ながらワインでも飲んでいろいろなお話を交換できればなあと思う訳なのです。

楽しくやらないとね。
「写真展には是非行きたいと思います。素敵なモデルさんに会えることを期待して・・・。」などという人もいて、その期待にはなかなか応えられないのです。」が

そしてプロジェクターについて少し調べると、もはやSDカードを差し込んで、それからデータとをって映写するようなものは販売されていないとのこと。 私は動画には何の関心も今のところないのになあ。
海外製品ならあるのかなあ。 そう言う訳で、このアイディアはとん挫しました。
- 2021/11/22(月) 00:00:04|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

ブログの記事が過去と現在を行ったり来たりしています。
写真を撮る時にプロカメラマンだとすれば初めからその写真のコンセプトが決まっていて出来上がりのイメージも作って撮影に臨むのだろうと思います。だからそのためのロケーション、照明、衣装小道具などなどあらかじめきちんと準備して思い通りの絵に仕上げなくてはなりません。 その思いが自分のモノであろうとプライアントのモノであろうと。

その点わたしは「僕の楽しみに付き合ってくれますか。」が趣旨ですから気楽なものです。
そして撮られる人と楽しんで撮ります。
プロの写真家が負う厳しさはありません。
「売れなくてはいけない。」というのはなかなか大変な条件ですよね。

そう言う世界に、私は棲めません。
棲まなくてよかったと思います。
でもそんな呑気なことをしているのでヘアバンドを見逃したり手首で切ったりしてしまうのですね。

喉が渇いたので水分補給を、と言ってここに来たのですが、「あ、アイスクリームがある!」というのでアイスクリームを食べることにしました。
私一人では外でアイスクリームを食べることなどなかなかできるものではありません。
ですが、この人たちと一緒なら大丈夫です。 こうしてこの人たちは私の世界をほんの少し広げてくれます。

それでお礼にイタリアに連れてきてあげました。
まあ、「にゅーよーくに行ってきた。」というようなモノですが。

ここで以前、ハーフの人を撮ったのですが、そうなるとますます欧州風になります。
「Yさんとは最近会ってないのか?」と訊かれて、「ああ、もう3,4年会ってないよ。」と言ってもこういう写真が出てくると、ウソがばれてしまうという写真ですね。
映画づくりに苦労があるようです。
- 2021/11/21(日) 00:00:03|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
リタイアしたころはまだ世間に不慣れでした。
ギャラリーに足を踏み入れるのにも敷居が高かったです。
ましてこの方の様な「画家」にお会いしてお話をするなどということは、なかなかできることではありませんでした。
この方はお名前を 袁 浩 (川辺 浩)という画家です。私の手元に今でもこの方からこの時にいただいた画集があります。写真中でこの方が開いているものと同じものです。
ことに人物画において私は彼の絵に強く惹かれました。
久しぶりに画集を開いて、改めてこの方の画力の高さを感じています。

私が撮っているのは手描き友禅の職人さんです。 手前にボケて写っているのは扇子づくりの方です。
この頃は伝統工芸支援策の資金も今ほどには削られていなくて・・・使い方にはあまり賛同できないまでも・・・こうして多くの職人たちが公開実演に参加しておられました。
全くの門外漢であった私は、ここで筆や刷毛の事なども含めていろいろと多くを教えていただきました。

このちょっと強面のする方は絵師です。
こういう人に限って?優しい可愛い絵を描かれます。
絵にならない写真は、「未だしの写真」だという風に思っていたのです。 それは今でも同じですが。
- 2021/11/20(土) 00:00:10|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この人と初めてお目にかかったのは別の場所でしたが、今はここに座って
仕事をしています。
猛暑の頃も厳寒の時も基本出ています。雨雪の時はお休み。
自身のためにだけ出ているのではないので義理堅く自分が決めた時間はちゃんとここにいます。
この義理堅さが魅力の一つ。
この後も私は何度も撮っています。 ここに行くと暫くはお話をします。そして私は大笑いをしています。
私は普通あまり下ネタ話はしませんが、ここではバレ話も出てきます。
上と同じで座っている写真。
最近は息子さんなどが座っているのを多く見ます。
地震の時は大変でしょうねえ。
ここに古書店があるのは商店街が「やっぱり京都の商店街だね。」という感じです。
- 2021/11/19(金) 00:00:02|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
最近はここに入るのが有料になってしまったので、貧乏でケチが染みついた私は入らないのです。
この方がとある芸術系大学で教鞭をとっておられた方で、焼き物の制作にいそしんでおられます。
と言っても器などではなくて抽象表現のための立体作品です。
ここの場所のオーナーも「怪人」ですが、この方も制作中は「怪人」とかしていました。
それが魅力のこの場所でした。

京都ですから様々な伝統的な工芸があります。
これは象嵌ですね。
なかなか気難しい方でした。
- 2021/11/18(木) 00:00:03|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
祇園や先斗町は、長年京都に住んでいてもあまり縁がなくて。
職場の飲み会の流れでその末端に誘われたことはあっても、私の悪い癖で言ったお店を全く記憶していない。
それでたまに他府県から友人が来てくれても連れていくお店を知らないという有様です。
この方は先斗町のお店で湯葉を掬って販売されていた方。
2.3年前にお店が閉じられて・・・。 街巡りの途中で立ち寄るポイントが無くなりました。
お座敷に上がっていたのではと思われる綺麗な方でしたが、そういう世界との縁はなかったと・・・。

「職人」という言葉から連想して絵を描くとしたらこういうものかなと、そんな空気を醸し出している方でした。
この技術自身はもうなくなってしまう寸前のもので、既に現役の技術ではないと言ってもよいようなものです。
ジャガードに動作指示を出すカードに穴をあける位置を示すために書かれる図です。今はこの作業はコンピューター上で行われます。
何か私たちの日常のそれと違った時間の流れ方を出せないかなと。
- 2021/11/17(水) 00:00:03|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
この機会に撮り始めたころの写真を掘り起こして見ています。
最近に比べて多様性があり、楽しさなあることに気付きます。 今は「惰性」になっているようです。 動きも鈍いのでしょうね。
この方は京都で老舗珈琲店で長年その味を守ってきた方として、その世界では名の知れた方です。
退職後にご自身の腕と知名度を生かしてある障害者を雇用している喫茶店でコーヒーを淹れられていました。
わずかに姿勢を支える手指に焦点を当てて撮りました。 が、・・・ですね。
厨房領域には入れないので背後の消火器などの赤色を消すこともできていませんし、そもそも焦点が曖昧です。
露光量も足りませんね。
でも目や口元にいかないで、手指に注視したことは良かったかなと思います。 年輪がと緊張・集中が出ますしね。

当時はリタイア画の生活に新鮮な感動があり、旧職に縛られていた頃には見聞きできなかったのものを見て、聞いて心を動かしていたなのだと思います。
今は慣れ過ぎたかなあ。
この方は下半身が不自由で車スイス生活をされているのですが、奥さんと力を合わせて珈琲ショップの開店を間近に控えておられました。
コーヒーのドリップポットの金属的な光沢を撮って何か希望のようなものが出ないかと狙った覚えがあります。
お湯をどのくらい注いだ時点を撮るのがいいか。やはりコーヒー豆の粉が膨らんで盛り上がってきたところだろうなあと。
顔の表情も逃せませんね。
手前の白い影はお客さんの背中です。 お客さんのために入れている珈琲という物語。
そう受け取ってもらえるかどうかは別として撮っている本人はそう思っているのです。そこが・・・・。
続きを読む
- 2021/11/16(火) 00:00:03|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

どんな写真を撮りたいかと訊かれたら、やはり本当のところ困ります。
「〇〇さんを撮る」「〇〇さんで撮る」写真というのを区別して、私は前者を撮るというということを言ってはいるのですが、その実後者かなあと。

私が名刺代わりにお渡ししているカードには、ここで、同じようの椅子に掛けた女性の写った写真が印刷してあります。
服の色も椅子の色も違います。
柳の下の泥鰌ではないですが、ここでもッといい写真が撮れないかと思うことがあります。

この方は、たまたまここにおられた方。お願いして撮らせていただきました。
何か時間や思い「ふける」ことが写ったらいいなあと思います。
- 2021/11/15(月) 00:00:05|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「男はつらいよ」の第50作は、一面、奇跡的な映画だと思いますね。
それまでの49作があり、かつ人々によって製作者たちによっても次回作が期待されて、その上、監督・俳優を含め多くのスタッフも健在で・・・・それでこそ製作できた映画ですね。
継続が生み出した作品です。

と、そこで「継続が生み出した」というところから我田引水的に牽強付会的に私のブログに戻るわけですが・・・10年を超えてやってきたからこそこうして過去の写真を振り返ることができるわけで・・・。
勿論、私などより長いことブログを継続している方は少なくないわけですが、まあ、私の個人史としてはというところです。

この方は事情があって西の方に移り住まれていたはずですが、今はどうされているんでしょうねえ。
私の写真を思い出として保存してくれているでしょうか。

先日、以前撮らせていただいた方が、今でも時々ブログを見ていますよとおっしゃてくれました。
Fcブログに登録されていない方の訪問は痕跡が残りませんので私はそれを知ることができませんが、そう言う方は他にも少なくないようでとてもうれしく思っています。

それで、そういう方たちのためにもこのブログをおかしなものにしないようにという責任を感じてもいるわけです。
勝手に責任なんか感じるなとも言われるかもしれないのですが、まあそれが私たち世代の「質(たち)」かもしれません。

この頃はもっぱら28-70でf2.8通しのレンズを使っていたと思います。

- 2021/11/14(日) 00:00:05|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
私の記録によれば2012年の撮影です。
今年は2021年ですから、もう丸9年前になりますね。
こういうお一人お一人が私が写真を撮り続けようとする気持ちを支えてくれました。

この人は手作り市に出展されていて、そこでお会いして撮らせていただくことになった方でした。
昨年から今年にかけてCOVID-19のせいでそういう機会もなくなりましたね。
まだこのころはどう話したらお誘いを受けてもらえるか、手探り状態でしたね。

実はリタイアしてこういう活動を始めたまだ間もない頃に、太田神社でとても魅力的な女性を見つけ、お母様とご一緒だったのですが、声をかけさせていただきました。
ちょっと驚かれたようですが、お母様の方を振り返って「『不躾ですが撮らせてください』。ですって。」と言われて立ち止まってくれました。

こんなきれいな方がお願いに応じてくれたということで、ずいぶん明るい展望になったことがありました。 でも「断られるんじゃないか。」という不安、断られた時の落ち込みを想像してなかなか声がかけられるようにはなりませんでしたが。
今も大して変わりませんが、それでも大分、面の皮は厚くなったようにも思います。
この人も、そういう弱気な私を励ましてくれた人の一人です。

ここは鷹ケ峯にある寺院です。近くには紅葉で有名な光悦寺などがありますから、その時期は大変に人出が増えます。
このお寺は源光庵です。〇と□の窓で有名ですね。後ほどそこでも撮影します。

私が大学の1回生の途中からこの近くに学思寮に入りました。寮の名の字を確認するためにネット検索をしましたら寮友会があるのだということを知りました。どんな方たちが会員なのでしょう。(もっとも私は3,4回生を双ヶ岡寮で過ごしました。)
今はその学思寮の建物も姿はないと思います。

この時の私にちょっと助言したくなるような写真ですね。
- 2021/11/13(土) 00:00:27|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
少し髪が伸びたかな。
それにしても我々世代とのプロポーションの違いを感じますなあ。 確かに少しヒールのあるものを履いているにしてもです。

この人は高校生くらいがもつあっけらかんとした可愛らしさと、時にまた三十路の女性がもつ柔らかい色気も見せたりします。
人は皆そういう面があるかと思いますが、この人を撮っていて、おやっと思うことがよくあります。

もし雑誌に売り込むなら何がちょうどいいのかねえなんて話します。
ヤングママなんていう何だか浮かれたような名で呼ぶのも何かぴったり来ないくらいの落ち着きも見せます。
こんな感じの人にこんな風に見られたらドキッとしませんか?

もっとも子供がいないのは無論のこと、20代前半の独身ですが。

高校を卒業して少ししたころに出会いましたから、お付き合いは長くなります。

- 2021/11/12(金) 00:00:02|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
皆さんの町は人出は増えていますか。
夜の町はどうでしょうね。
京都では観光の人が次第に目立ち始めています。

まだ11月の上旬ですが街のイルミネーションなどは冬バージョンというかクリスマス匂わせバージョンですね。
とにかく「商戦」に持ち込みたい意識丸出しです。
早く営業状態を旧に復したいという気持ちはわかりますが、急いては事を仕損じる、慌てる○○貰いが少ない、急がば回れ・・・・が大切だと思いますね。
この写真、口元が少~し笑っているでしょ?! 大収穫です(笑い)
せっかく第六波の山を低くして過ごすチャンスをつかんでいるんですから、急いては事を仕損じるにならないように。
財界の一部は「羹に懲りてなますを吹く」ようなおっかなびっくりじゃ困るとせっついているのでしょうが。

多分、一部の女子からすれば「欲しい~!!」と言われる写真じゃないでしょうかね。

以前はショルダーバック型のカメラバックを担いで一緒に歩きましたが、カメラ二台に85ミリや80-200ミリを入れて担ぐのはもう体に堪えます。二台目がキャノンの5Dですから、一層、重い!! で、今回はリュックにしました。 (でも結果的に5Dはまるで役に立たず)
恰好から入る私としては、大きく一歩後退です(苦笑)

この撮影、楽しんでもらえたかなぁ。
- 2021/11/11(木) 00:00:13|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

先日、歯医者に行って歯の掃除をしてもらいました。
その時に歯科衛生士さんでしょうか。「口の中を見て、カルテの年齢を確認してちょっと驚きました。」と言われました。
意外にお年を召されているんですね、と。つまり歯の様子だけ見ているとずっと若い印象だったという事ですね。それでせっかくまだ健康に残っている良い歯を大切にし続けて健康な生活を送ってくださいと言われたのです。

私は子供の頃からは医者にかかり虫歯の治療をし、ひどい時には・・・現役時代でしたが・・・頬にまで菌が入って晴れ上がり結果、ずいぶん手間のかかる治療をし、ブリッジに頼っています。
長いこと自分の歯は弱くて治療痕が多く、歯並びも悪かったですから、とにかく歯についてはコンプレックスを抱えていたのでした。
それが、まさか「いい状態で来ているのですから…。」と誉めていただいたのです。
「歯磨きの仕方も大変上手で良好です・」と。 まことに思わぬ言葉でした。

なぜこんなことを書いているのかというと、自己認識というのは往々にして客観的評価とは違うという事です。
「私はこういう自分だ。」ということが必ずしも「自分を一番よく知っているのは自分自身だ」とはいかないという事ですね。
良くも悪くもです。

それで「よく鏡を見てみろ。」などと言われるわけで。それは外見上の問題ばかりではありませんね。
前置きが長くなりましたが、写真を撮っていて、やはりそういうことを思う訳なのです。

写真を撮られる人はいわば他者の目を通す自分を見ることになるわけです。
功罪がありますよね。 そこで私は「功」の側にカメラを役立出たいと思う訳なんです。 いやそんな意図的、恣意的に自由自在にできるわけではないですし、写される当人の気持ち次第の面が多分にあるわけですが、「功」の働きができたらなあとも思うのです。

別に人相見やカウンセラーになる気はさらさらないのですが、その人自身があまり意識できていない美点を見つけられたらなあと思う訳です。
私は家族でもなく長い知人でもないわけで、先入見権がない分、まっさらにその人の美点に向かっていけるわけですから、そう言うアドバンテージを生かして、ついでに「じろじろ見ることを許された」という有利さを生かして・・・・です。
この人のように、何かいっぱい良質なものが出て来そうな人を見るとなおさらそう思うのです。
- 2021/11/10(水) 00:00:05|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

この日私たちとは別にカメラを持った男性と「モデル」をする女性の組み合わせを二組見ました。
そのうちの一組は男性も女性も若いのですが、他の一組は男性の方が少し肉付きの良い、わたしより少しだけ若いかなという人で女性はY
Yさんと同じくらいの年恰好でした。
ですから、私たちを傍目に見れば、後者の組み合わせのように見えるのかなと・・・いささか戸惑いを感じましたね。
よく〔いい年をして〕なんてことが言われますが、まさにそれですかね。

でも撮っているときの私自身の主観としては、どこにも年齢についての意識はなくて、ただこの人の魅力に誘われて撮っている感じなんですね。
おそらくあの人もそうなんでしょうね。
「撮られている側の気持ちとしてはどうですか?」と今度YさんやNさんに訊いてみようかなと・・・・。
この場面でYさんの背後に見える白いものは「ここにたむろするな。汚すな」的なことを書いた張り紙です。
なんとかYさんの体で隠すようにしているのですが、無粋なことに隠せません。 しかも柱という柱にもれなく、その両面に貼られているのです。
管理者の気持ちも分からないではないけれど、この無粋さが京都駅の精神だとすると、今は世界からの観光者はごく少ないですが、あまり見られたくないなあと思いますし、京都市民としてもうれしくないなあと思います。

本気で隠そうと思えばYさんにもっとカメラに近づいてもらえれば隠せるのですが、ソウルと壁や柱かの距離感が面白くないので、ええい、そのまま撮ってしまえという訳で。

とても個展には使えませんね。

モデルもいいし、ロケーションもいいんじゃないでしょうか。
ロケーションはできるだけ単純にしたいですね。

- 2021/11/09(火) 00:00:01|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
実に有難いことなのですが、久しぶりにYさんにお付き合いいただきました。
待ち合わせの場所で、向こうから来るYさんを見つけましたが、マスクのせいで、「あれ、違うかな?」と。
でも、撮り始めますと、さすがに何度か撮らしてもらってきた人ですから、表情は柔らかく始まります。
事前に服装の希望を伝えていたので、そのうちの一つの方はかなえてくれました。
が、まあ、それで十分。

先日も書きましたが、今どきはこうしてマスクをとって写真を撮ることのできる場所を見つけるのはなかなか難しい。
この人なら自動車で移動することにも応じてくれますが、この後の予定の都合でここで撮ることにしました。
そういうことを撮影を始める前に話します。

COVID-19に対するワクチン接種をして随分苦しんだようです。
若い女性のかなりの割合の人がワクチンの副反応で発熱したり頭痛がしたり随分体がだるくなったりするようですね。
三度目のワクチンをブースターとして接種しろと政府は言いだしていますが、副反応を嫌がって接種しない人、渋る人はたくさんいるように思います。
体格の良い体重の多い米国人と同じだけの量を接種なければならないかについても含めて、細やかな検討をして国民にさらに丁寧に説明してもらいたいものです。 (まあ、今の与党政府の「丁寧な説明」というのは何度も同じことを繰り返して、その実〔粛々〕と強行するという意味でしかありませんが。)
目をつむった写真は没にするのが普通ですが、穏やかな表情でいい感じなのでとりあげました。

年とともにその年齢にふさわしく大人の魅力を備えていきますね。

こういう機縁で若い人の成長を見るのもまた楽しいものです。
撮られているYさんから見れば「蒼樹さんも年とともに老けていくなあ。」などと感じているのかもしれませんが。

一般に、イタリアならぬ、この大和の国では、よその女性をつかまえて、やれ綺麗だねとか、かわいいねなどというのは、実に憚られることで、もし迂闊にそんなことを言おうものならば「セクハラだ!」「いやらしい。」などと、二度とこの世間に顔を見せられなくなりかねません。
一方、俗に、カメラマンと称する連中は女子を相手に「よっ、いいよ。きれいだねえ。」「その表情 いいねえ。」などと思いもしないことを口から出まかせにして、モデルをいい気分にするのが商売だなどと、そしてあわよくば・・・なんて下心を持っているに違いないなどと・・・半分やっかみ心も手伝って・・・言われる向きもあるわけで。

ところで、最近、あなたは女性に向かって「君、綺麗だね。」とか「君の脚すらっとしてかっこいいね。」とかいったことありますか。
続きを読む
- 2021/11/08(月) 00:00:28|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ミュージシャンや職人さんたちを撮る写真は面白いです。
それと同時にこうした「一対一…二でも三でもいいんですが。」で撮る写真もまた実に面白いのです。

初めましてで撮る写真の多くは、今そこで何かしているままに撮ることが多いので、ポーズを求めませんし、場所を変えません。
ですから光の条件も変化しません。 そう言う条件の中で、あれやこれやを考えて、撮ります。
一対一の場合、まず場所選びから始まります。 午前中から午後までと、贅沢なお願いをすることが多いので…最近なら午後2時半にはもう光が黄色くなって西にはっきりと傾いた光になりますから、そうなったらあそこで撮ろう、こういう具合に撮ろうなどと、変化を浸かられます。

それで今日一日お願いしますという「一粒」が二度も三度も四度も・・・美味しいということになります。
そのためにちょっと「歩くのは大丈夫ですか?」と確かめねばなりませんが。
「水分補給をしましょう。」ということになります。

そしてそういうやり取りの中で打ち解けられますし、相互理解も進みます。
ただ私は、あまりその人のプライバシーについて知ろうとしません。私は口が軽いのでこういうところに自慢げに書いてしまうかもしれないですから。

「あなたを撮るのにこういう場所、雰囲気がマッチするんじゃないかと思って・・・・・。」と言って撮った場所を喜んでもらえると嬉しくなります。
勿論、逆にこの場所でこういう空気感の中で誰かを撮りたいと思っていて、撮らせてもらえることになった人を連れていくこともあるんですが。

モデルは、役者のようなモノでもありますから、その場で「場になじんで」演じられる人の場合は、私の乏しいイメージの中でいろいろ試したくなりますね。
そうなるとその人「で」撮るという意味合いが濃厚な写真になります。

- 2021/11/07(日) 00:00:14|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「なぜ、どうして」と問うのもおかしいのかもしれませんが、「一対一」で撮る撮影が長らく途絶えていました。
もう数か月の間、浴衣の二人を撮って以来、絶えていたと思います。
ある人との約束が諸事情で叶わなかった辺りから不調ですね。
そんな流れの中で、私の写真にお付き合いしてくれた方です。

既にこのブログに登場してくれていますから、この人を撮ったのは二回目ということになりますが・・・・今回は「初めまして」で撮るのではなくて、お約束して撮ることができました。

この人の雰囲気にあったロケーションはないかといろいろ頭の中や自転車での徘徊で探しましたが・・・・、やはりCOVID-19が決定的に制約条件としてのしかかっています。
人込みに行かれない。 マスクをとっても顰蹙を買わないような場所。
長い移動でバスや電車を使いたくない。
そうなると・・・・・選択肢はあまりに少ない。

まして、こうして撮るのが初めての人に、そして若い女性に、私の自動車で琵琶湖かどこか人の少ないところにいきましょう、とは言えません。
これがもう何度も力を貸してもらっているNさんやYさんなら「自動車で・・・」と言っても、大丈夫でしょうが。

撮影を始める前に「お願いと注意事項」みたいな話をします。
人の感覚や価値観は様々ですから、いやなことは嫌だと言ってくださいねとお願いします。
私の「常識」は、他人の「非常識」だということは胆に銘じるべきことです。
思わぬことで不愉快な経験をさせたくありませんしね。

そうしてこそ私の率直なお願いもできます。

何しろ私の子供よりも孫の世代に近いのですから、それだけでお互い『異星人』かも知れないのですから。
- 2021/11/06(土) 00:00:12|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
このころは何かリリックに撮りたいという感じがあって、それが今は削れてきてしまったなあと、反省します。
写真で絵をとるという問題意識が、現実の条件に制約されて失われてきてしまったいるように思います。

何か流されてるなあと。

そう言う意味でこうした昔撮った写真を振り返るのも意味があるような気がします。
私の好きな写真の一枚です。
- 2021/11/05(金) 00:00:01|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
ギャラリーの部屋に入ると、大きな鏡の前でその鏡に絵を描いていました。
曇りのない綺麗な鏡だったこともあって、その人の写った姿が鮮やかで、向こうとこちらがふと反転してしまうような錯覚に陥りました。

会場に来た人の姿をとらえて描いているんだそうです。
まず赤い油性マーカーで描き、それを白い修正ペンでなぞります。
下の赤が微妙に覗いていい感じの色具合になります。
鏡のガラスの厚みの効果もあるのでしょうか。

COVID-19の広がる世界に私たちを隔てているのが透明のシートです。
壁の作品は、その透明のシートを描いていました。そのシートの向こうに歪んだ曖昧になった像として見える人物はご自身だそうです。

でもそういう自身を描くというより、描いている対象はあくまで、しわで向こう側世界をゆがめ写し、私たちを遮っているシートです。

鏡に描かれた線はまるでこの空間に、空気に描かれているようで不思議な感覚です。
描いているご自身は油性マーカのフェルトの先を見つめていて、鏡に映る自分を意識していないんだそうです。
でも第三者的に見ていると、私はどちらにいるのかな・・・。

個展が終わるまでに、全面真っ白になるくらいに描きたいと・・・・・。
- 2021/11/04(木) 00:00:13|
- 絵画
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1
やはりCOVID-19の影響でライブをする機会は随分と少なくなってしまって、ようやく3日に演る機会があるんですとのこと。
3日は撮影の約束があるので・・・・行けるかなあ? どうかなあ。

私がシャッターを切るのを止めるまで演奏してくれました。
先ほど書いたライブのために「これで大丈夫かなあ。」と総練習です。
トレモロは指を手のひらの甲の方に向けて弾くのです。 指を内側に動かすのは握る筋肉で動かすのですから力は強いでしょうが、外に開くのはことさら練習が必要でしょうねぇ。

その楽器がそれぞれの国や民族の中で育って、独特の味を備える。
いいですねぇ。

私がここに来る前から立ち止まって来ておられたご婦人が盛大に拍手をして感嘆の声を上げてお礼を言いながら立ち去っていきました。
私も「投げ銭」なしで聞くのは申し訳ないような気持でした。

素敵な演奏を聞かせていただいた上にこうして写真まで撮らせてもらえて、・・・・いつもの事ですが・・・幸せな気持ちになります。
その上、個展にも足を運んでいただけるかもしれません。

こういう交流もまた楽しいですね。

COVID-19感染者数が減っているこのときに、その少ない感染者を見つけたら「濃厚接触者」などと限定しないで、相当な周囲をPCR検査で覆って、一人でも余計に感染者を見つけ出して隔離し、必要に応じで医療支援・生活支援をしてほしいものです。今ならそうして感染の広がりを徹底して抑える可能性があります。
感染者が減ったのはSARS-CoV-2が変異して、その遺伝子配列を次に転写するときに間違いが発生したのを修復することができないような変異をしてしまうことによるのではないかとされています。つまりは自壊です。どうもこれまでパンデミックを起こしたウイルスにはこうした変異の中で自壊作用が起こっていたのではないかと言われてきました。その機序はまだ解明しき切れていないようですが、児玉氏などはかねてからそういうことを繰り返し指あると予想されるエピセンターを徹底的に探し出すことが求められます。
けれども維新の知事、市長はそういう意識は毛頭ないので心配です。
この間大阪はずっと東京の2倍の感染者数です。人口比で言えば3.2倍にもなります。選挙で買ったかったと浮かれていると新たな感染拡大の根拠地になりかねない大阪です。
維新を勝たせてしまったしなあ。 クワバラクワバラです。 大阪府市民が後悔するようなことにならなければいいのですが。京都はとばっちりを喰いますからねぇ。
- 2021/11/03(水) 00:00:02|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
少し極端にし過ぎたかなあ。
夕景の中に琵琶演奏家。 大変お上手なんですが・・・いや、見事としか言えないのですが、プロではないんだそうです。

上海出身でよく笛を吹かれる方もよくこの辺りで吹いているのですが、その方もプロ裸足の人です。ひょっとしたら顔なじみかな。
聴いていると様々なテクニックが綺羅星です・・・・、それでもこの曲は古典的なものであまり速くはないので、テクニック的には超絶というものではないそうです。
最近の曲ならもっともっと技巧的なものは多くあるそうです。
でもね、情感はこういう曲の方が深そうです。

琵琶の胴のにはった板は指ががひっかくのでしょうか、ずいぶん広い範囲ですり減っています。
相当な練習量ですね。
確かに、見事な演奏です。
今度の個展には洋楽器を演奏する人が多いので和楽器やよその民族楽器を演奏する人に混じってほしいなあと思っていたのです。
以前は馬頭琴を演奏する人もいたのですがね。

撮らせてもらえることになる前から白黒で撮ろうと思っていました。
ちょうど?この日はいつものα900と共にX100Fを持っていましたから迷うことなく、X100Fを取り出しました。
やっぱり、ソニーの白黒とは一味違いますからね。
- 2021/11/02(火) 00:00:02|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0

こうして振り返ってみるときれいな子だったんだなあと。
スタイルもいいし。 確かバトントワリングをしてい
たかな。

普通にきれいに撮るというのではなくて、私の若葉マーク的なチャレンジもさせてくれました。
私は写真を撮るものになり切っていませんが、彼女はモデルになり切っていました。
噺家はお客さんに育てられるとも言いますが、撮る者はモデルに育てられるのだと思います。
- 2021/11/01(月) 00:00:02|
- 人物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0