今日は衆院選の投開票日ですね。
まずは投票に・・・・。
最近、いわゆる
「個撮」というものができていなくて、・・・・と、ここで果たして「個撮」という言葉がちゃんと社会的に認知された言葉なのかどうかが疑問となって、広辞苑を引くと、ありませんでした。そこでネット検索すると、なんとAV系の用語としてしか出てきません。あや~、これはまずいなあ。今までたま~に使っていた。これはまずい!実にまずい!・・・・だからら前の文の「個撮」も抹消です。・・・・・写真撮影に付き合ってくれる人が見つからないのです。つまらないですね。
「一対一撮影」と言ったらいいんでしょうかね。「モデル撮影」というんですかね。

昨年の個展では一対一で撮った女性の写真ばかりを並べたのですが、またいつかやりたいなあと思うのですが、どうも今までのように「お相手」が見つかりません。

この人を撮ったころは、まだ不慣れなことが多くて、この人からも教えてもらいながらでしたね。
撮影場所も・・・撮る当てがなくても、何時でもあちこちと探して回っていました。
それで知らなかった京都の町を少し知りました。
こういう背景だって、大いに使えるんだなあと・・・・。
- 2021/10/31(日) 00:00:03|
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人を見れば撮りたくなる。
そう言うといささかオーバーですが。

斜め後ろから撮るのなら「いいでしょう。」ということで、今回はそういう写真だけです。

そして何よりも生のサックスの音が聞きたい、という事でもありまして。
こうして記事を書いているときも、私は大概jazzを聞いています。
インターネットで聞けるjazzは、アクセス数を稼ぐためでしょうか「癒し、」「リラックス」「ゆったりと」ばかりがあってスイング系とか、おアンチのあるものが見つからなくて、その点不満なのですが。

住宅事情からヘッドフォーで聞くか、音をおさえてオーディオで聞くかなんですが、生の楽器の音はやはりいいですねえ。

この人は「練習中」ですから確認ややり直しや・・・など多少の前後もある訳なんですが・・・・それでも、生の音がいいです。

ポピュラーな曲を吹きましょうかと言ってくれたのですが、練習を続けてもらいました。

このまともな逆光でどうすればとれるか、一応あれこれ考えてはいるんですが。
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- 2021/10/30(土) 00:00:03|
- 音楽
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久しぶりに通った道で畳屋さんが仕事をしていた。
話しかけたのはこの方のお父さん。 気さくに撮影をOKしてくれたお父さんが、外に用事があるというので、「奥にもいるし・・。」と息子さんを紹介してくれた。

実際の事は知らないけれど京都には案外畳を作る人工場(こうば)が多いような感じがする。
多分、寺社が多いことや和風料理店や旅館が多いことと関係しているのでしょう。

、
以前、京都御所内の迎賓館に畳を納めたという職人さんとお話したことがありますが、素材から製作から収める作業から相当に神経を使ったようです。そしていいものができたとおっしゃっていました。
ここでもかなり高級なものから、団地用のものまでさまざまに製作されています。

我が家にもかろうじて8枚の畳が入っています。が、畳表こそイグサですが、畳床が石油由来です。
この部屋があるだけで随分気分が違います。
この方が今作っているのは全て石油由来です。

お父上にイグサの畳表と石油由来のモノを比べさせていただきましたが、イグサはいい香りがして落ち着きますし、独特の緑色が目にも気持ちいいです。
石油来の方は肌触りも汗を吸いませんしべたっとした感じで色も日に焼けたイグサ色で、それ以後は変色しないわけです。
最近は生垣に建てる支柱も色の変わらない長持ちするプラスチックの竹風のものが多く見られますね。
我が家も「どうしますか?」と訊かれましたが、竹を使ってもらいました。そうなると一年で退色し、数年で部分的に朽ちてきます。
でも、やはり竹がいい。

このころの建物は新建材で作られ窓もサッシで気密性も高いです。
壁は化粧合板で、畳も石油由来だと室内には湿気がたまり、換気をせっせとしないと…ちょっとした旅行に出かけた留守の間にも・・・カビが生えてしまいます。
その点伝統的な土壁やイグサの面で床が藁で作られた畳は湿気を「呼吸」してくれます。
引っ越してくる前の家は壁に珪藻土を塗ってもらいましたが、とても良かったです。
今の家は予算がなくてクロスです。
畳も伝統的なわらの床にしたいものです。でもこの家はそもそもそんな厚い畳は入れられない構造です。悲しい。

安価な住宅はありがたいですが、しかし、殊にマンションなどでは湿気によってカビが蔓延して子供たちの健康を脅かしている一面があります。もっともダニは発生しにくいでしょうが。
窓を閉めたまま、気密性の高い部屋で、加湿器や除湿器で・・・エネルギーを使って・・・調整する。
床はフローリングで、落ちた埃は積もるでけですから人が動くたびに舞い上げる。ここでまたエネルギーを使って空気清浄機を動かす。
畳ならその目に埃を捉えて舞い上がることを減らしてくれる。 まあその代わり一年に一度は天候の良い時に畳を起こして外に出し、叩いて埃を飛ばさないといけない。 今はそんなことをするだけの贅沢な「外」もなければ、埃を飛ばせば「音がうるさい」「埃を飛ばすな」と苦情殺到だろう。
節電節電といい、地球環境を守るために発電の仕方を考えようというが、電気エネルギーの多消費生活スタイルを根底的に問い直す時期だろうと思う。
畳の存在は、それにある問題提起をしているように私には思える。

夏の日なか、畳を敷いた部屋で大の字に寝転ぶ。あの快適さを思い出した。

この方が男性1000人目でした。 ずっと以前、総計で1000人に達した時に「我ながらよく撮ったなあ。」と少し思いましたが、今日は男性だけで1000人。一方は女性は814人で、なんとその差が200人ほどになってしまいました。この差を埋めることはもう不可能ですね。
- 2021/10/29(金) 00:00:02|
- 働く人々
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これを撮ったのは日曜日なんですが・・・・この後駅、前には共産党の志位氏が京都一区から穀田氏を当選さ得ようと応援演説に来ますので、それを聞くのもこの後の計画ではあるんです・・・・実は駅舎の中にあるピアノ楽しむ人を撮りに来たのです。
弾く人は、次々に来るようなのですが、・・・・。

どうも写真を撮るのも「気持ち」の問題ですので、何か気持ちの波長の合う人が来ないと「撮ろう」という気になれなくて、降りてきました。
自慢げな人も嫌だし、「寄るな、触るな、近付くな」という人もダメだし。
勝手なことですが写真展会場の景色を考えて選んでしまうこともあります。

聞くと描く前に構想が共有されていたわけではなくて、描きながら話し合いながら形にしていこうという事らしくて、「これで完成までの何割ぐらいまで来ているの?」という質問に、「ゴールがないので、分かりません。」とのことでした。
ライブ感たっぷり。

駅舎の影がかかっていて案外暗いのです。 そうと気づいていればISOを上げるなりすればいいのに、これまたあげたがらない私です。

あまり明るくすると絵の色が出ないということもあってなおさらです。

反対側からは遠すぎて撮れないし・・・・彼女たちを背中から撮る手もいろいろと試みては見たのですが。

それにしても、初めにピアノのある場所に行こうとしてこのペイント会場のすぐ横を通ったのにまるで気づかなかったのはどういう事でしょうね。
わき目もふらずに歩いているんでしょうかね。
「何か面白いことないかなあ、おもしろいひといないかな。」という意識は持っているつもりですが、アンテナの感度が悪いんですね。
ピアノのある場所の周囲で、やはり市芸の学生がイベントをしていて、そこのスタッフが、下でライブペイントをしていますよと教えてくれなければ、撮るチャンスをつかみ損ねた醸かもしれません。
好奇心のレーダーの感度は上げておきたいものです。

- 2021/10/28(木) 00:00:16|
- 絵画
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京都市立芸術大学が盆地の西の端から、京都駅の東側に移ってくる。
大学を経済的な活性化を図る再開発に組み入れるという発想は、あまりに安易で賛成できない。
大学が世間から隔絶していなくてはいけないなどというつもりは毛頭ないが、産学協同があまりにも「今だけ、ここだけ、お金だけ」に走りがちなのが気になるのです。

向こう側では3人の学生が描いているけれど、こちらはどうも一人のようです。
昔々学生の頃に週に2,3度ベニヤ八枚張りの立て看板に特別講座や学習会への参加を呼びかける記事や絵を描いていたことがあって、そのことを思い出しました。
無論、絵の良し悪しなどは比較になりませんが、これだけのパネルを完成させるためにはなかなかの労を要するという事だけはわかります。
描いている人たちは、市立芸大の学生や院生。
写真の人は院生です。

近づけないようにコーンが置かれているのですが・・・・。
近くでインフォメーションを担っていた男子学生に「写真を撮らせてもらって構わないかどうか訊いてもらえないかなあ。」と。
親切な男子学生はこの人にも向こうの三人にも話してくれてOKが出ました。
とにかく立つことのできるポジションが限定されていますので、同じような構図なんですが。

京都市内はパブリックスペースが極めて少ないので・・・・寺社がとり過ぎなうえに、行政にそういうことが大事だという意識があまりに希薄過ぎるのです。住民の要求の弱さでもあると思います。・・・・・京都駅前が面白く展開するといいなあと思います。
駅舎の中にも面白いスペースがありますしね。

芸大の学生たちが開発していくかな。期待したいところです。

ほんの短時間だけマスクをとってもらいました。
ポーズをとることは苦手だと言いますので、じゃあ、顔をこちらに向けてくれますか・・・・。

この人は中国からの留学生です。
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- 2021/10/27(水) 00:00:06|
- 絵画
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前の写真では頭上に鳥が幾羽も飛んでいました。
それを入れるべきか入れざるべきか。 淹れると画面上のごみに見えてしまいますね。

光があってこその写真。フォトグラフですからね。

来年の京都グラフィエは四月に実施されるようです。
今から準備するんですから主催者側は大変でしょうねぇ。もう半年後です。
KG+への参加申し込みと審査は12月かな?

現代的な写真。
今風のという意味ではなくてしっかり現代と未来にコミットする写真を求めているようです。
私の写真はそういう現代的な問題性が希薄ですしねえ。

でも現代の写真状況に対してほんのちょっとつぶやいてみたい気はするんですね。いえ、あまりに日本的な内輪の話なんですが。

そう言う意味では有資格者とは言えないですが、まかり間違って参加出来たらそれもいいなあなんて妄想中。
参加主体は写真作家です、そして会場は自分で都合を付けなくてはいけないそうで。会場の点は支援してくれる人がいそうなのでいいのですが、さてどうなりますか。 何しろヘタレですから。

まあ、そんなことはさて置いて、11月の写真展に咥える写真がまた撮れたように思います。
(撮れたと言いきらないところが自民党的かな。良くないなあ。)
- 2021/10/26(火) 00:00:07|
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ギャラリー巡りなどを終えて帰る途中でした。
今日は特に撮らせてもらおうという人には出会えなかったなあと、思いつつ自転車のペダルをこいでいました。
秋の陽は西に落ちるのが早いし、速いです。

そんな夕陽を正面にして・・・。
夕陽のガンマンならぬ夕陽のサックス奏者です。

今あなたは困難ロケーションの中にいて、それをぜひ撮りたいのだけれど…とお願いして。
20分で5度。 日が建物の陰に入ってしまうまで、あとわずかな時間しかない。

サックスの輝きか自転車の反射か。 そして奏者の顔を照らす夕陽。
大忙しです。

結構一生懸命摂りますから「緊張しましたよ。」と感じていてくれました。
「いつもの練習を続けてください。」といったってレンズが自分に向いていて、高齢のオジサンがじたばたジタバタしているんですから、それは普段通りという訳にはいきませんね。
- 2021/10/25(月) 00:00:06|
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いつまで暑いんだろうと、つい一週間ほど前の土曜日。
それが今や彼の服を見てもらうと分かるような寒さになりました。

この記事を書いている日は穏やかな秋の晴れの日です。
音楽が身に染みるようになりますね。

つい先日あるところであるプロカメラマンとお話した時に「素人は、素人の場合は」とか「人物写真はちょっといいカメラとレンズを手に入れればすぐに誰でも撮れる。」なんて言われて、相当カチンカチンと来ました。
その人の商業写真家としての成果と並べて、ちょっと日常的な人の様子を撮った写真がありました。
和紙にプリントしていて少しマットな感じで、光の当たった白い部分のやや黄味がかった感じがなかなかいいのです。
さすがにプリントもいいし、見せ方も上手です。
でもそれで写真の内容がどうかと言えば・・・・。
こういう風に「そっちこそどうなんだ。」と言っているうちは、人間物事の上手になることはできないでしょうね。
変なプライドは棄てたいものです。 無論プライドがないのは嫌ですが。

彼が一生懸命吹いてくれていますので、それだけ私も撮影に気が入ります。
写真は写ってくれる人と写す人の掛け合いですからね。 (だから、いいカメラと良いレンズを手に入れたところでいい人物写真はとれないのですよ。 スタジオでの七五三写真とは違うんですから。 …まだ言ってる。)

やはりどうしても暗めですね、私の撮り方は。 明るいのが好きじゃない?
案外色を欲しがっているのかもしれません。

こうして撮らせてくれる人がいるからこそ、私も練習し反省できるという訳です。
そしてこの中から、個展やグループ展へと・・。
- 2021/10/24(日) 00:00:05|
- 音楽
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四条河原町当たりの人出はずいぶん増えてきました。それでも従来の観光寺社に観光客の波が押し寄せているかと言えば、そうでもなさそうです。
動きは若者からのようですね。

学生はまだキャンパスの中で練習場所を見つけられません。仲間と一緒に練習することに制約があるからです。
対岸でもサックスを練習する若者の姿が見えます。 この人の仲間かも知れません。

一見古びた、ビンテージものに見えるサックスですが、こういう仕様のサックスがあるんだそうです。
写真にしてみると光沢が一様でないのでそれと分かりますね。 時間が変色させたのならもっと一様になるでしょう。
でもこういう感じっていいですよね。

最近はカメラを買うとできるだけ傷がつかないように、使用感を出さないように大切に使うことがことにいわゆる高級カメラを買う人に多いのだそうです。
下取り価格を気にするんですね。 そして2,3年おきに新発売に飛びついていく。

私はα900でこそ、まああまり意識しないで操作できるようになりましたが、それをα99に変えたとたんに勝手が違います。
たま~に5Dなどを持ち出すとパニックです。
2,3年で使いこなすようになるんですかね。 道具に対する観念が変わってきていますね。

確かに、例えばこうして白黒で撮っているとフジフィルムの「フィルムシュミレーション」が入手散ればなあと思いますね。
それで別のカメラが欲しくなるというのはありますが。
でも道具は意識しないで使いこなせるようにならないと、撮影(演奏、制作)に集中できませんね。
- 2021/10/23(土) 00:00:04|
- 音楽
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手描き友禅の「金彩」をする伝統工芸士さんです。

下絵を施した生地にマスキングテープを貼ります。
それを鋭いカッターで切り抜いて、切り抜いたところに染料を刷り込むわけです。

そしてそれが金粉を含んだものになれば「金彩」ということになるわけで。
問題の一つはカッターでマスキングテープを切るときに、決して布地の繊維を切ってはいけないという事です。
植物、例えば花びらを切るときに、カッターを動かす指先は、まるで舞を舞うように指先で軸が回されながら刃先の方向が変わります。 その間滞ることを知りません。

私は刃先が金属的な輝きを見せる瞬間を捉えようとしますが、なかなか動きについてはいけはいけません。腕や手指との関係も異なってきますから、ただ待っているだけという訳にはいかないのです。
そして切りとった面に染料を徳政の刷毛で刷り込みます。ぐるぐるを繊維の間に刷り込みます。

今制作しているのは注文を受けたものではなくてご自身の作品としてのものだそうで、「次はどうするか、アイディアを出しながらやっている」のだそうで、作業は時々止まります。
色も微妙に変えていきますし。

「やっぱりこういうのに取り組むのは楽しいね。」

この場所での撮影は久しぶりなので、露出をどうしたらいいのか戸惑っています。
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- 2021/10/22(金) 00:00:07|
- 伝統工芸
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私の頭は目下のところ「ストリート《駅》ピアノ と 鴨川で 音楽」に傾いていますから、まあ、何を見てもそこに関係させてしまう訳で。
これまで取ってきた写真の大半は「演奏しているところ」をとったモノ。
う~ん、何か足りないなあ。
本当は聞く人も入れたいし・・・・、なんですが、それはなかなか難しくて。
と、ギターケースを背負った若い女性が二人鴨川の流れの中に設けられた飛び石を渡っていきます。

ただ飛び石を渡ってるんじゃない、背中のギターケースがはっきりと「音楽」を示している。そのケースを背負った若者が軽やかに飛び石を伝っている、楽しそうに。
これだよ、これ!

でももう随分向こうに行ってしまっているし、自転車を止めて、降りて、飛び石を飛んで追いかけて、声をかけて・・・・、どうしよう、どうするか・・・とグズグズしていてどんどん遠ざかっていく。
「チャンスの後頭部は剥げている・・・だろ?!」と自分に言い聞かせて、追いかけました。

「スミマセ~ん!」 止まってくれません。
「スミマセン。」 今度は立ち止まって道を譲ってくれました。
いやいや、「実は・・・・という訳で写真を撮らせてもらいたいんですが。」

「ええ、いいですよ。 どうしたらいいですか?」
という訳で、一旦戻ってもらって・・・・。

お二人は楽しく撮られてくれました。
お二人の表情を見ていると、何だかこちらも楽しく幸せな感覚が・・・。

「時間は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。 次の講義に間に合えば・・・。」

お持ちのスマフォでも撮ってあげたのですが、後日写真のデータを送りました。
「二人で個展を見に行こうと話していました。」とのメールをいただきました。 もう一か月ほどしか機関がありませんが、その時に再会できると楽しいなあ。

私が学生の頃、お二人のように素敵な笑顔をしたことがあったかなあ。
苦虫と正露丸をかみ砕いたような顔をしていたのじゃないかなあ。
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- 2021/10/21(木) 00:00:09|
- 音楽
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平日の昼の時間帯に楽器演奏を楽しんでいる。 学生かな?
いえいえ、夜勤明けの看護師さんでした。 この後もまた、夜勤だそうです。

私の知り合いにも看護師さんがいて、とても魅力的な人で、「たまには呑もうよ。」と誘うのですが、「う~ん、夜勤が続くし、ちょっと無理かな。」と。
そして昨年から今年にかけては、そういう話も「呑気」な部類に入るくらいの医療現場ですね。

こうして楽器に触れられるのが一つのストレス解消策。
楽器ができるというのは、何かと良いですよね。 とにかくひたすら羨ましい。

私が職人さんたちやアーティストたちを撮るのは憧憬の一つの形かも知れません。 いや多分そうなのでしょう。

この時は一つ一つの音の確認が練習の課題でした。
ずっと以前、若い人がやはりトロンボーンを吹いていて、長い時間ロングトーンばかりをしていたことがあります。
彼の出身高校のブラスバンドは県大会らから全国大会を伺うような部活だったそうです。さもありなんと思いました。

初めの何枚かは背景にyこうとの建物らしいものを入れてみました。
人物写真といったって、人物ばかりを撮るわけではないわけで、・・・。
- 2021/10/20(水) 00:00:05|
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撮影をお願いしたら、顔が写らないならいいですよということで。
それぞれ色々な都合・事情がありますから仕方ないですよね。
ここは市役所前の地下街です。 そこに置かれた『ストリートピアノ』を調律されていました。

地下街ですから雨風の心配はないとはいえ、たくさんの人が行き交って埃もあるし、エアコンだってピアノに合わせてあるわけではないし・・・・、必ずしも良い環境とは言えないですよね。
弾く人も様々ですしね。
それを一でも楽しめるように調律してくれています。
スパンは京都駅のピアノよりは長いようです。

先日駅のピアノの調律に、偶然出くわしたわけで、幸運だったなあと思っていたら、こちらでも目撃。
「ついてる!」かな。

この近くの楽器店の方だそうです。

緊急事態宣言が解けて、ストリートピアノも解禁ですから、この機会にという事でしょうか。
ここは他のイベントも時々やりますから、それがあると「使用禁止」になってしまいます。同じ空間を「多目的」に使うのですから「仕方がない?」のでしょけどね。
ここはすぐそばに階段の降り口があります(無論ここから上がってもいいですけど) ということは寒い冬の日は冷たい風が降りて来て、少々条件が悪いでしょうか。
他にもっと良い場所があるだろうになあと、実は思っているわけで・・・・。

それにしてもこういうピアノが提供されたるということはうれしいことですね。
そして維持管理に費用が賄われているのですから、そういうことをお互いに理解し合いたいものです。

調律が終わって、私もお礼を言って退散しようとするとき、この方が「協力できなくて申し訳なかったですね。」とおっしゃいました。
「いえいえ、とんでもないことで」
こうした形ででも撮らせていただけるというのはありがたいことなんです。
この写真の中からも次の個展には使いたいものがあります。
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- 2021/10/19(火) 00:00:03|
- 音楽
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この写真ではわかりにくいですが細い筆を真一文字に口にくわえています。
小さなスケッチブックに高瀬川の情景を描いているようです。 いつも携帯しているのでしょうね。

私は何時も立ち寄る、この先にあるギャラリーに行くつもりでここを通ったのですが、その「真一文字」のカッコよさに足を止めました。
そして歩み寄りながら「日本語を話せますか?」と、これは実はかなり失礼な質問ではあるのですが、しかしかといってそう訊かないと、私には話始められませんから。
”May I speak in Japanese?” と言ってもいいのでしょうか?
ここで、少しなら話せますという人の多くは、流ちょうに話しますね。

タイから来ているのだとか。無論、日本で働いている方ですね。 今、出入国は大変面倒です。
もう6年在日しているのだそうです。 別れ際にカードの交換をして、驚きました。 超有名企業で働いているようです。なるほど日本語が流ちょうなはずですね。

スケッチブックを覗くと水彩絵の具でよい雰囲気に描かれていて、かなりの腕前と見ました。
なかなか描く時間がなくてとおっしゃっていましたが。
京都に来てもやれ花見小路だ、祇園白河だと言って歩く人もいれば、有名店であれ食べよう、これ買おうという人もいますが、こうしてじっくり京都のたたずまいを描けば、しっかりその情緒・情感を味わうことができるでしょう。

スマフォでパチリパチリと写真を撮ることばかりに熱中するよりずっといいと思います。
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- 2021/10/18(月) 00:00:05|
- 絵画
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京の職人さん、久しぶりの登場です。
京友禅。

絵柄の輪郭に糊を置いて(染料の浸出を防ぐためのものです。「ふせる」と言います。)その輪郭の中に「色をさし」ます。
記事の状態や、気温、湿度などによって染料の渇きが違いますから、むらなく一様に色をさすのにも神経を使います。

向かって右側には菊などの花が咲き乱れています。
そのあたりに色をさし始めると俄然華やかになるのですが、今のところやや地味な色です。
「ちょっと残念ね。」

筆には染料をたっぷり含ませて、カスレが出たり途中で染料を継ぐようなことはしません。
そのために含みの良い筆を選びます。

この方も、そして向こうに背中が見える方も「伝統工芸士」です。
全国に4000人余りしかおられない伝統工芸士の中のお二人。
京都にはその4000人余りのうちの約四分の一がおられます。

以前にも書いたことですが、とある地方の伝統工芸士の方が実演されているところ二出くわして、話しかけたところ随分気位高く応対されて並行したことがあります。
その場所は、中国の瀋陽でしたが、私が中国の学生と一緒だったので、日本の文化に触れる良い機会だと思って、学生二人を近くに招いたのですが「寄るな、触るな、控えおろう」という感じで学生も目を白黒させていました。

京都では、あまりに簡単に❓伝統工芸士さんと触れあうことができますし、えらそうにする方はまれで、多くの方は気さくで謙虚ですから、ついその調子で私が近づいたのがいけなかったのでしょうね。
もう亡くなられた方ですが、伝統工芸士で京の匠で叙勲者だった職人さんが、「そう言う名前を付けてもらって偉そうにしていたらこの京都では軽蔑されるだけだよ。そういう「称号」を持たないでずっといい仕事そしているものは幾人もいるからね。仕事の難しさをみんなよく知っているから偉そうにしたら恥をかくだけだ。」と言っていました。
- 2021/10/17(日) 00:00:03|
- 伝統工芸
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最近は「芸術の秋」だとか「食欲の秋」あるいは『スポーツの秋』などという定型句をあまり耳にしなくなったような気がします。
多分あまりこういう言葉に頼るとTV番組がマンネリになってしまうから、それを避けているんでしょう、などと私は考えています。だからと言ってTV番組の内容がマンネリにならず陳腐化もしないでいるかと言えば、もうどうしようもないなあと呆れ果てたさらにその先にいるような気が私にはしますが。
というようなことはさて置いて、「芸術の秋」にしては少々いつまでも暑くて妙に湿度が高い日が多いですが、そこはそこ、秋には違いないので、大いに「芸術」を楽しみたいものです。

こうして学生の吹く楽器の音でも・・・・「でも」なんて言うのは失礼で、ここいらで練習している学生の技量はなかなかのものです。・・・・楽器の音を生で聞くのは良いものです。
練習ですから、間違えることもあれば、譜面を確認し直したり、ここはどうするの?ということもあるわけですが、それがまたいいわけでして。

私が撮影をお願いすると、お互いに目を見合わせて「どう?いいよなあ?!。」「僕はいいけど。」ということで撮れることになりました。
経験からすると彼らの通う大学の学生は、かなりの高率で撮影を許してくれます。 そこには多分発達上の理由があるんだと私は見ています。 多分・・・ですが。

何か「青春だなあ。」という感じで撮りたいものです。
ちょっと引いてみましょう。

この二年間、小中高大の生徒・学生たちは満足な学校生活を送れないでいます。 大きな傷跡になると思います。
文部省、教育員会、学校の教職人の皆さん、COVID-19後にも、その二年間、あるいはまだまだ続くかもしれませんので、この欠落を後にどう補うかも含めて見通しを持ってくださいと、切に思います。
彼らを受け入れる職場でも同じですね。
ここで彼らがこうしていることも掛け替えのないことなのですが、しかし、キャンパス内でできるはずのことをここに求めているというのも事実なんですから。

早く演奏会ができるようになるといいですね。
- 2021/10/16(土) 00:00:13|
- 音楽
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私は小さなころから音の高低がなかなか聞き分けられませんでした。
中学生の頃は友達とリコーダーで(当時はスペリオパイプと言っていましたか。これ商標ですね。)、曲を聴いては演奏していたものでしたが、音楽の授業やテストで、音感を試されてもボロボロでした。

この近くのヨドバシカメラのビルの二階にピアノがあります。府立京都文化芸術会館にもあります。京都市役所前の地下街、ゼストにもあります。笠置町の駅にもあるそうです。そして最近この目で見てきたのは嵐山のトロッコ列車の駅舎の中です。
その嵐山のピアノの置かれた建物には、なんとD51などの蒸気機関車が三台、保存陳列されていますが、その列の前になんとベーゼンドルファーの、それも最高級のピアノが鎮座ましましています。びっくりです。
普段はそのわきに置かれた小型のスタンドピアノ、これも古い名品のような感じですが、を自由に弾けるようになっているのですが、こちらベーゼンドルファーは、きっとよほどの演奏家でないと触れないんでしょうね。演奏会があるらしいです。
このベーゼンドルファーは普通の幅の広い、つまりコンサートホールなどで使う鍵盤の多いピアノよりさらに低音部の鍵盤が多いのです。聞きたいなあ、ベーゼンドルファーの音。
ちなみに、ベーゼンドルファーのピアノは注文してから納品までにたっぷち6年の時間を必要とするんだそうですよ。

調律の様子を見ることなど、自宅にピアノを置いている方でないと、なかなか機会がないですよね。
どう撮ればよいのか。
もうだいぶ高音部の調整に入っていますから、作業は終盤です。 とにかく撮らないと、「チャンスの後頭部は剥げている。」
撮り終えて、昨日の記事に書いた駅のスタッフの方に声をかけました。ご苦労があるんでしょうね、などと。
そして「実は、私の全く個人的な夢として、このスペースで駅ピアノを弾く人たちの写真展をしたいのです。ヨーロッパ諸国のようにもっと音楽が、ストリートピアノのが認知されて、盛んになるように、写真で応援したいのです。 そう言うことをお願いする窓口というのはあるんでしょうか?」と。
すると、申し訳なさそうに「個人の方に許可したことはないのです。難しいと思いますね。今、京都グラフィエ参加の写真が展示されているのは、団体だからです。」とのことでした。私は難しいんだろうなあと思いながら、希望は口に出さないと実現しないというあるギャラリーのオーナーの言葉を実践してはみたのですが。
で、まあまた何かの機会に、どこかからか突破口が見つかる日もあるかもしれないと、素直に引き下がったのです。とその時に、その背中に、スタッフの声が・・・・。」
「それ、誰かが『面白いんじゃない。』というかもしれない。中で話してみるから名刺をいただけますか。」と。
やはり文化をよく分かっている方だなあと。

日本では「先例のないことは」大概実現しないのです。 ことに巨大組織では。
だから難しいでしょう。でもその人は「面白い」と思う人がいるから、ともかく提起してみよう。」とすぐさま反応したのです。いいなあ、この組織。
「今の例は昔の新義なり、朕が新儀は未来の先例たるべし」 という精神は、大事ですよね。
これも私に都合がいいからといって、そう言うんじゃないんです。

実現したら楽しいなあ。
まあ、さしあたり11月の個展で「ストリー(駅)ピアノ と 鴨川 で音楽」を成功させないとね。
京都駅のYさんにも個展のお知らせを手渡せばよかったなあ。
- 2021/10/15(金) 00:00:07|
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京都駅に置かれているピアノ。 一般にストリートピアノというものは誰が管理し、誰が維持しているのか興味のあるところです。
ピアノとしては決して良い環境の下に置かれていないわけで、しかもこのピアノを利用する人はまさに老若男女、腕前もエチケットも様々な人が弾いていくわけですから、調子も狂いがちでしょう。
この日、ピアノの音に惹かれて、階上に上がっていくと、ピアノの前には接近禁止の赤い帯がされていました。
接近禁止なのに「音がした!」 はて?

その理由は「調整中」でした。
一か月に一度調律をするらしいです。これはなかなかの手間とコストですね。
この「誰でも利用できるピアノを置く」という事業が重視され大切にされているということが分かってちょっとうれしかったです。

それで、「今度の個展で駅ピアノを取り上げるので、調律の様子をぜひ撮らせてくれませんか?」とお仕事中の、ちょっと手の止まるタイミングを見計らって声をかけました。
するとこの方は一瞬置いて、私はいいのですが・・・、と。
すると間髪入れずに私の背後から声がかかりました。

その声は「ご本人が了解されるのならば構いませんよ。」というのです。 それで撮らせていただくことができました。
声の主はこの駅の方でこの事業の担当者だそうです。 うん、文化について理解のある方だなあと、すぐに思いました。
いえ、私に都合の良い対応をされたからといって、そう言うのではありません。

以前、こことは違う場所のピアノの前で、若い二人が「ほらこの音。 ちょっとどうかな。」と首をかしげながら何度も隣の鍵盤に続いてその鍵盤をたたいていました。どうやら微妙に音がはずれているのではないかというのです。
私にはそんな良い耳はありませんが、ピアノを弾く人は、殊に曲を弾いてみれば、「どうもおかしいよね。」ということが分かるのでしょう。林田さんならその鍵盤をたたくだけで、「四分の一違うかな。」などというかもしれません。

私はこの日まで知らなかったのですが、毎月一度、京都市立大学の協力を得て、卒業生、現役生のピアニストが出演してここでピアノリサイタルをしているんだそうです。
そして、それがこの撮影日の翌日。 その演奏会を機会に調律をしているという訳です。話は逆に起こったのかもしれませんが、とにかくこの演奏会も「定着してきたねえ。」と、翌日の演奏会の時の関係者のお話。
いいことですよね。

やはり、今度の個展にはどうしてもこの人の写真を入れたいですよね。
本当はこの周囲で耳を傾けて音楽を楽しむ人も入れたいのですがね。
- 2021/10/14(木) 00:00:08|
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この方が「そろりそろり」と旅に出られたかどうかはわかりませんが、京都の街を見るとそんな感じがします。
長く抑制されていた「楽しい、癒しの、冒険の・・・旅」に出ようという気分が次第に湧き出しているようです。

中高年の姿はまだそれほど多くはなくて、若い、しかも女性が散見されます。 それも女性の二人連れ。

でもこの方はどうも御一人旅のようです。 それもまた、大いに良し。
こういうところでゆっくり好きな本を読むのもおつなもの。
普段の生活を忘れて・・・・かな。

TVの報道や、政府の本音は、例の「Go To・・・」をやって金ずくで人々を外に連れ出し、消費(=金を使わそう)をさせようということのようですが、いやいや、じわっと国民の気持ちの自然な流れで進めればよいと私は思いますね。
旅行に行きたい、音楽や芝居を見に行きたい、などなどという気持ちはしっかりとあるんですから。
消費税5%にすれば、自ずと進みますよ。まずは生活の安心。
鉦や太鼓でやるのは良くないと、私は思いますね。

そのまま本を読んでいてくださいとお願いしたのがまずかったかな。
顔を起こしてこちらを見てもらえばよかった。
きれいな脚の方でしょ? 背も随分高いのだそうです。 モデルでもしている人なのかなあ、なんて。 それも訊いてみればよかった。
私は以前、ここで韓国から来ていたとても魅力的な色白の女性に出会い写真を撮らせてもらったことがあって、毎度ここを柳か木の切り株と思って通っているのです。あながち間違ってはいないようです。

日本に京都があってよかったなどというセリフがありますが、本当にそう言えるかどうか、そうであってほしいとは思いながら、この京都が壊れて来ているのを感じている毎日です。

いや、保守するだけでは京都を良い街として続けることはできないのですが、変えていく方向がまるっきり頓珍漢だというのが京都府市政のように感じています。
京都にリニア新幹線はいらない、 仁和寺門前のホテル建設を止めさせたいと、私はそう思うのです。
- 2021/10/13(水) 00:00:04|
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この方も鴨川では何度もお目にかかる人です。
音にボリュームがある上に艶があるので、遠くからでも、また練習しているなと気づきます。

音にボリュームがあるのは橋の下にいるからだということも・・・・ご本人はいつもそう言って謙遜されるのですが・・・事実でしょうが、いやいやそれだけではないと私は思います。

以前の個展の時にもこの人を撮った写真を出していましたが、次の個展でもまた登場してほしいと思っています。
前回は、色があったためか、ちょっとライトな感じでしたので、もう少し音楽に突っ込んでいる感じでと思いました。
まあ最近の言葉で言えば「イケメン」だということもあり体格もすらってとしているので見かけがライトになるのですが、音はいやいやどうしてという具合ですので、そこを写真に出してみたいわけです。

白黒にすればいい、暗く撮ればいいという安易さもありますが、・・・・・。
この人自身が時間とともに・・・渋くなってきているのと、何度かお話ししたり撮影させていただいてきて、地で吹いてくれるようになっているので、いい感じです。
光の具合で正面から撮るのもいいと思うんだけど、と言いますと目の前の譜面台を脇にやって前を開けてくれました。

正面からレンズを向けられたら、どうしても何となく意識してしまうでしょうに、その意識が少しずつ薄くなってきていて、有難い限りです。
つまり、人を撮るというのは、なかなかどうして奥が深くて、時間が必要だということも大きいんだなと思います。

礼儀上、まずは無難な写真を撮らないといけないみたいな気持ちも軽くなってきますから、いろいろ試させてもらえるような関係になりますし。
『初めまして。』の方には「メールをいただければ、返信に写真を添付して送らせていただきます。」ということにしていますので、まずは無難に確実に、その人の良いところを撮るということになります。それをダメなことだとは思わないですが、しかし、写真の工夫となるとそれだけでは。
管楽器は息を「吸った」、「吹いた」で撮るところがありますが、大抵は「吹いた」で撮ります。 「吸った」の顔は大概ビジュアル的にはかっこいいものではないのです。でもその時に次の一瞬の「吹く」の気持ちが出ますから、そこはやはり見逃せないわけで。
それを撮れるのも幾度か撮らせてもらっているからだと思う訳で・・・。
誰だってかっこよくきれいな自分を撮ってほしいという気持ちはあるわけで、そこを反対に行くわけですから。

そう言う意味では「初めまして」の人を撮る活動と、「人に迫る」写真を撮るということは二律背反なのかとも思う訳で・・・。

悩みは尽きないのでありました。
- 2021/10/12(火) 00:00:02|
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もう10年も鴨川を行ったり来たりしていますから、そこここに「お久しぶりです。お元気ですか。」という方がおられる。
一方で、以前会っているのに「失礼ですが。写真撮らせていただけませんか?」と声をかけてしまうこともあります。
違う季節に違う服で違う場所でお目にかかると、ただでさえ記憶力の弱い私は、どうもいけません。

その都度、「あっ、いい人見つけた。」なんて具合で。

この人がそうでした。
「実は11月に個展をするのですが・・・。」と紙きれを渡しました。
その紙きれには駅ピアノを弾く人や、🎺を吹く人に加えて桜の花の下で三味線を弾く人が映っている写真が混じっています。
「それ僕です。」 おお、なんて失礼なことをしてしまったことか。

調べてみたら、もうこれで3回目の撮影になります。迂闊にもほどがある・・・というものです。

外国の方でフルートを吹く人がいるのですが、その人も気づかずに2度撮っていました。
これでよく社会の荒波を越えてきたものだ・・・トホホ。
まあそれほど迂闊で間抜けだから生きてこられたのかな。

「記憶力の弱い人は研究者にはなれませんよ。」と手厳しい評価をされたことがありましたが、まさにその通りなんでしょうね。

ところで、撮らせていただいた方には私のカードを渡すようにしているのですが、「あ、このカード頂いたことがある。」とそれを見て、初めてお互いに「初めまして」でないことに気付くなんてことも時々あります。
10年同じことを続けるということはそういう事でもあるんでしょうね。

- 2021/10/11(月) 00:00:04|
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精華大学テキスタイルの院政、学部生の制作展。 ギャラリー・マロニエです。
この人は院生で、USAからの留学生ですね。

多分、30分ぐらいも話したでしょうか。
実に深くて広い、そして現実に誠実に向き合った見識を持った方でした。
「現代」ということを未来に向けてしっかり見つめて思索しているという感じです。 こういう人の存在がUSAの持つ強みの一面でしょうね。
(私と話をしながら物を飲んでいるなんてと眉をしかめる人もおられるかもしれませんが、これは私の差し入れ兼小道具です。
「コドウグ」分かりますか? 演劇や映画のアクターなどがもつ・・・う~ん、なんと言ったらいいか。花束とか、ピストルとか・・・。)

京都グラフィエでもそうですが、懸命に現代と格闘している人が存在する言うことを明確に示そうとしています。
ただそういう人が多いかと言えば、残念ながら・・・日本には・・・・・と思いますが。
問題を自然(史)の中で見ること、人類(史)の中で見ること、その両方が備わってこそ教養と言えるし、見識と言えるということを言った人がいますが、まさに同感です。

院政生活は研究・制作が忙しいですし、バイトもしなくてはいけないらしいのです。が、京都グラフィエの二条城の展示などは見たようです。
そこに在った作品についても肯定的評価、否定的評価とも共感するところが多くて、こういう人と出会えたのはうれしいことだなあと思いました。

私は日本語の堪能な外国の人と話す時にも、自身の日本語がずいぶんおかしくなってしまいます。 まるで昔の映画などに出てくるかたことしかできない外国人の話し方になってしまうのです。 自分でも滑稽だなあ、ある意味失礼だろうなあと思いながら。
それはネイティブ日本人より日本語が堪能なんじゃないかと思われる中国のなれしたしんだ若い友人たちと話す時でも、私の日本語にどこかぎくしゃく感があるので不思議です。)

日本人ももっとこの人のように対話する力、自分の考えを表明する力を着けないといけないと思いますね。
学校の「国語」の教科書が大幅に改悪されて効率的実用原語しか学ばなくされています。原語は思考と共感形成、弁証法的な真理探究の要です。そこを大切にしない言語教育では日本の将来はますます非文化的なものになるでしょうし、対話が一つのカギとなる民主主義はますますやせ細るでしょう。
日本の危機は経済の停滞や政治の腐敗にだけあるのではありません。
読めない、話せない、書けない人々が作られていることにも危機の一端があります。

ギャラリー巡りは作品を見せていただく楽しみと同時に、こうした教養と見識を持った人に出会える楽しみとがあります。
そこにカメラがあって、その人を撮れれば言うことはありません。
See you again.
- 2021/10/10(日) 00:00:03|
- 工芸
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11月の個展では「ストリート《駅)ピアノ 鴨川で 音楽」ということで写真を並べようと思っているのですが、長いことピアノが使用禁止でしたので、近づくこともできませんでした。
しかも、駅は我が家からは遠いのです。 「行くぞ!」と覚悟しないといけません。 行くのは良いとしても帰りがずっと「上り道」ですから、堪えます。

しかも、行けば必ず誰かが弾いているという訳でもないですしね。
それがこの日は、たまたま二人の青年が続けて弾くのに出会いました。 個展に向けて頑張れよということだと勝手に考えています。

この青年も勢いのある演奏の仕方をします。
若々しいという事ですかね。

前の青年の時には、久しぶりで、少し遠慮がありましたが、この人の時には、もう半歩近付くことができました。
ポートレート写真についての入門書に必ずと言ってよいほど「もう半歩近付きましょう。」とあります。
そうです、この半歩は結構大きな意味を持つことがありますね。

この半歩について、撮る側の心理の壁は案外強くあるものです。 撮らせてくれる人に対してどういう気持ちかということの現れとしてこの半歩が影響します。

撮られる人に対しても、レンズによっては随分と心理的な影響が出ます。
50ミリではできないことも85ミリならできますね。 100ミリ、135ミリではどうなるのでしょうね。
キャノンのFDや京セラコンタックスの頃のツァイスレンズでなら持っているのですが、ソニーのAマウントには着きませんからその点が悔しいですね。
- 2021/10/09(土) 00:00:14|
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帰宅時にたまたま回った出町柳付近。
秋の太陽が西に傾いて・・・・そういえば日が短くなりましたよね・・・・たっぷりの黄金の光。
が、それを捉える力もなく。

そこにいて足を流れに浸している方にお願いして撮りました。

緊急事態宣言が解除されてこの辺りの人でもやや増えました。
でも観光の人はまだ少ないようです。 本当のところは分かりませんが。

こういう時のノウハウがまるでわかっていないなあと改めて思います。

でも一番はっきりしているのは、一番いい撮影ぽじしゅんを撮るためには靴を脱ぎ、靴下をとり、足裏の痛みに耐えて水に入る勇気と決断心がないという事。
ネイチャー写真撮る方はその点すごいなあと思います。

「水、冷たくないですか。」
「ええ、あまり冷たくないですよ。気持ちいいです。」

ファインダーを覗いてのピント合わせでは、太陽がまともに入ってきます。
瞬時に決めないと目をやられてしまいますね。
こういう時にEVFならファインダーの明るさを調整できますね。

- 2021/10/08(金) 00:00:04|
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京都駅ピアノです。
COVID-19の緊急事態宣言が昨月末に解除されていますから、ここも開放されるだろうと予測はできたのですが。
京都グラフィエにとってもここが一つの会場になっていて、やはり宣言によって閉鎖されていて近づけないという事情でした。
それが二つながら解除されたわけです。

テープが張られて封鎖されていたエスカレーターが使えるようになって、それを登ってくると期待に違わずピアノの音が聞こえました。
そして写真展の作品が、窓に床に展示されていました。
私にとっては一度に両方楽しめたわけです。

床に見える段ボールの箱の中に写真が入れてあります。 私が先年清水寺の経堂で写真展をした時に「重要文化財ですから・・・」とあれもダメこれもダメと言われて、展示の様々な手法、技術、アイディアに乏しい私は、ついにじゃあ床に置いたらいいんだろ、と行きついたのですが。 こういうやり方は思いつきませんでしたね。
ただこれだとやはり床にじかに置くのと同じように見にくいです。 私はそこで写真をパネルで裏打ちして段ボール箱を枕にして斜めに寝かせましたが。

さて、私が下で耳にしたピアノの音はこの人のモノだったらしく、私がたどり着いた時には次の青年と交替した後でした。それでこの人が再びピアノの前に付くときに撮影をお願いできたわけです。
弾く楽しさが伝わって来て、こちらの気分も盛り上がります。 ピアノ歴は長いそうです。

先ほど交替した青年とは「お友達?」と訊くと「はい、今ここで友達になりました。」とのこと。 楽器が取り持つ縁ですね。
「時々弾きに来ているので、お兄さんとはまた会えるかもしれませんね。」と言われてしまいました。

宣言解除直後の解放感からでしょうか、いつもより人の姿が多かったように感じました。
ただ、話声は低かったです。
こうしてピアノを弾いてくれるとこの空間が和みますね。
彼に11月の個展のお知らせの小さなプリントを渡すと、「ここなら知ってますよ。行きます。」と言ってくれました。
仕事の関係で会場となるギャラリーを知っていたのだそうです。
来てくれたらまたゆっくり話ができますね。 お待ちしています。
- 2021/10/07(木) 00:00:03|
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京都グラフィエの会場も八割がたまわって、もう楽しみはわずかになってしまいました。
そんな中、期待していたのが東山五条近くにある清水焼の窯跡。
今は市中で煙を出すことができませんから、お引越し。 その跡です。

この窯が現役の頃焼かれた多くの陶器が雑然と、又一部整然と積み残されたままの会場です。
これまでの写真家が遮光をしていたために会場hが何時も暗くて足下もおぼつかないというイメージでした。
しかし今回は屋根の明り取りもほぼそのままでしたので暗がりとか何か怪しい、危険という感じはありませんでした。

この会場には二つの期待がありました。無論、写真の作品。もう一つは、昨年たまたまここでまさに「素敵な人」に出会いましたので、夢よもう一度・・・・。

この人はあるイベント会社の方で、ここも仕切っているようです。本来はアルバイトかボランティアの人が受付をするはずなのですが、緊急事態宣言解除のタイミングなどいろいろごたごたバタバタしたようで、搬入、展示も大変だったそうで、今日は自身が受付・案内業務。

それで大変幸運なことに私はほぼ付きっ切りで案内、説明をしてもらい、その上に写真まで撮らせていただきました。
ご自身イベント好きだとおっしゃっていましたが快活なはきはきした感じの良い人でした。

これから写真家本人も後援企業の社長も来るということで、私にはその点でも幸運なチャンスでしたね。
そう言う人たちが来ていては私が横から写真を撮るなどということは難しい。

昨年とても素敵な人に会えた会場なので「柳の下の泥鰌」を見つけに来たなどと、去年の人にも今年の人にも失礼なことを言ってしまいました。
ごめんなさいね。
- 2021/10/06(水) 00:00:09|
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前髪についてもほんの少しアドバイスしました。
勿論、その人自身のお好み、個性が一番大事なんですが。

これは前髪がかかるタイプですね。
それにしても魅力的な笑顔です。
よく「ニコパチ」なんて言葉を使う人がいて「『ニコ』っと笑ったところを、『パチ』っと撮った・・・だけの・・・写真」として、初心者が撮るもので、いい写真にはならないという意味で使われたりします。
私が個展の時に並べた写真でも「『ニコ』っと笑ったところを、『パチ』っと撮った写真」は、ありません。 上級者はそういう写真を撮らないものだ、家族写真や修学旅行じゃあるまいしという事でしょうね。
カメラに触り始めるとそう言う言葉が気になるものです。 カメラ目線じゃダメ!だとかね。

この人が過去に撮ってもらった写真を見せてもらいました。撮った人の気持ちはわかりますが・・・・どれも笑顔が封じられていて生き生き感がありません。
勿体ないなあと思いました。

この人『を』撮る写真なのか、この人『で』撮る写真なのかということも大事な点ですが、
その人『を』撮る写真についてもう少し大切にしたらいいんじゃないかなと思います。

ほんのり笑顔。
- 2021/10/05(火) 00:00:01|
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第8回 京都5美術大学交流展
9月28日(火)~10月10日(日) 息吹 より
会場は、室町通と四条通りの交差点をほんのわずか下ったところにある「ギャラリー・小さいおうち」
先日は金澤という人をアップしましたが、今回は山地さん。

私がギャラリーのオーナー氏と親しく話していたことや、既に同じ会場で絵を出している金澤さんが「撮られてしまった」こともあってか・・・・・その場に金澤さんもいますしね・・・多少の安心感もあってでしょうか、撮影を快諾してくれました。

話に訊くと友人に写真をしている人がいて、幾度かモデルをしたようです。
「ただ、私は笑顔にコンプレックスがあって・・。」というのです。

確かに、たまにそういう人がいます。 理由はいろいろですが、中には笑うとどうも表情に均整がとれなくてとか…。
でも事情は全然違っていて、・・・・。

私は、すぐにこの人の笑顔が人並み以上に魅力的だということを発見して・・・・。
そうです、この人の笑顔は・・・・ことに口の形ですが・・・・なかなか得難い魅力を持っています。 だから、変な言い方をすれば「売りは笑顔だよ!」ということになります。
これに蓋をしておくなんて・・・・・ア・リ・エ・ナ・イ。
- 2021/10/04(月) 00:00:04|
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京都グラフィエの会場を探して自転車で彷徨。
なまじ近道をしようなんて心が起こって、入ったことのない路地に入り込んで「あれ、ここ行き止まりじゃん!」などということも。
略図をもらっての行動だから、右往左往は当たり前。 そんな中でいつもの鴨川。

ふと見ると川の何中でスケッチをしているお二人。
少し高齢の絵かきさんたちは携帯用の折り畳み椅子に腰を下ろして描いていることが多いのですが、彼らは、・・・・秋の日とはいってもまだ暑い日中の事ととて・・・川の流れに足を浸して描いています。

彼の体格の印象もあってか、絵を描くこと≒文系的なことを、何か体育会系的な雰囲気でやっているなあ、いい感じだなあ思って話しかけました。
この日は確かに暑くてリュックを担いだ私の背中も汗びっしょりでした。

カメラのレンズが付きまとっていたのでは描きにくかったでしょうが、いい雰囲気で描いていました。
- 2021/10/03(日) 00:00:02|
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京都グラフィエの様々な展示のある中で、一段を私を混乱させた展示。
「写真を使った展覧会ってどう思う?」
この展示を「KG+」に入れることを認めた京都グラフィエの京都グラフィエ主催者の見識が高いという事か。

そのギャラリーに常駐し作家の趣旨や技法について解説してくれる方。
ギャラリストと呼べばいいのか。

さっぱり納得しないで反論する頑迷固陋な私に、倦まないで冷静に根気よく説明をしてくれた。
何しろギャラリーの部屋の入り口にこの人自身の履歴書の裏表がピン止めしてあって、写真と言えばその履歴書の3×4の顔写真だけ。 他には一切何もない展示場。
その写真と実在の彼との間の関係が作品だという。

美術史的な展開を理解しないものにはピカソのキュビズムが分からないのと同じなのか?
写真がこうした傾向を生んでいるのは「見ること」に対する作家たちの混迷から来ているのではないかと私は思っているのだが。
それにしてもこうした大きなイベントだからこそ普段施しない考えや作品に触れられるということは間違いがない。
展示されなければ見られない。 この事は愛知トリエンナーレ中止問題にも通じることだと思う。
異論や疑論を排するところに芸術や科学は成り立たないし、思想の自由はない。
一息入れて、彼の案内でこの作品の作者がこの辺りで見たものを見に行った。 気持ちの良い時間だった。
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- 2021/10/02(土) 00:00:04|
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